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2011年01月31日 21:33

VOL 31

1 スローフード巷談(11)

○週末ファーマーの光陰

 NHKクローズアップ現代「週末ファーマー200万人の可能性」が12月1日放送された。その番組を見ながら、農業社会が都会の人々の心を捉え出したな、と感じる。
 農業就業人口260万人に迫る勢い、とのことだが、農村漁村が疲弊しているのは確かである。このままゆくと日本の食料自給率は年々低下して、食料安保自体が成り立たなくなると、評論家は危機を煽る。担い手が居なくなるからだ。
 しかもTPPに加盟すれば、農業は破壊な打撃を受け、農業流民が続出して大社会問題となると騒ぎ立てる。日本のGDP(約440兆円)のわずか数%に過ぎない農業生産高が、TPPへの加盟を阻むという構図になっている。
 韓国のように輸出で稼いで、その稼いだ金を農業維持に振り向けられればいいのだが、ことは簡単ではない。TPPは次元の違う話として本題に戻ろう。
 このような農業人口の閉塞感を打ち破る手立てとして、週末ファーマーの存在がクローズアップされている。貴重な農業の担い手として、多くの農家は期待しているのだ。
 週末ファーマーとは、休日に農作業をレジャーや自給を目的として楽しむ人のことを指す言葉である。安心な食べ物を求める人の増加、シニア世代の増加、法律の整備による市民農園の増加、耕作放棄地を市民農園に整備した場合への補助金、多様サービスを受けられる貸し農園も増え、貸し農園への需要と供給は共に増加している現状がある。
 市民農園等の貸し農園への参加人口は200万人で、参加を希望する人口は820万人いるとされている。団塊の世代が定年を迎えたことも加勢の一因だ。
 実は小生も貸し農園(1反)で野菜作りに励んで、すでに3年目になる。退職後の楽しみとして始めた農業である。「晴耕雨読ファーマー」と自分では呼んでいる。週末ファーマーの仲間と言ってもいいだろう。

 ただし貸し農園(市民農園)を経営する側と、それを利用する週末ファーマーの両方には農地法の壁がある。注意が必要だ。ただやりたいというだけでやれる訳ではない。その辺の農地法の壁について整理しておこう。
 農家が市民農園を開設する場合には、次の3つの方法がある。

1、農園利用方式:農園での農業経営は農家が行い、市民は入園料を払って小規模な栽培をレジャーとして楽しむ 2、特定農地貸付法による方法:1区画(1,000平方メートル)未満、営利目的で農作物を栽培しない等の条件 3、市民農園整備促進法による方法:休憩施設等の附帯施設を農家自らが整備し、市町村の認定を受ける必要がある

 以上が農家側の縛りである。市民農園を開設して、多くの農家が成功を収めて、にわかに脚光を浴びている。その事例は数多くあるが、今回は触れないでおく。
また市民の借りる側の縛りは以下の通りである。

1、市民農園の1,000平方メートル以上を超える面積の農地を、市民が借りようとすれば、新規就農扱いだから、農業委員会の許可が必要となる。 2、原則として北海道では2ha以上、都府県では50a以上の面積を確保しなければならない。 3、10a以上の面積を貸してくれる農家がいたとしても、50a未満なら農業委員会の許可がおりないし、もし50a以上なら週末農業では物理的に無理な面積ということになる。

 最近では、この農地法の弊害も指摘されだしたが、まだまだ規制だらけだと友人の農家はこぼす。ちなみに規制面積を超える週末ファームを営む人を、ヤミファーマーと呼ぶ。
 人手の足らない農家の手助けをしている、という理由で大目に見られているようだが、やる気のある週末ファーマーなら、いずれは規制の縛りに悩むことになる。
 また市民農園で栽培された農作物の販売についても気になる。大方の週末ファ―マーは、収穫野菜の処理に困っている。食べきれないからだ。こうなると直売所に出して、販売したくなる。この場合は、趣味的な動機により農作物を栽培していれば、販売も可能であるという。そのような細かい事まで、当局は感知しないという姿勢である。
 日本にはコンビ二の数ほど直売所があると言われているが、その実体は定かではない。週末ファ―ムの出口として、このような直売所が利用されているのだろう。

また念のために全国の代表的な市民農園リストをインターネットからコピペした。以下のリストである。

全国市民農園リスト(21年3月末現在)(詳細版)

ブロック

都道府県名

北海道

北海道(エクセル:105KB)

東北

青森(エクセル:75KB)  岩手(エクセル:70KB)  宮城(エクセル:79KB) 
秋田(エクセル:69KB)  山形(エクセル:72KB)  福島(エクセル:73KB)

関東

茨城(エクセル:100KB)  栃木(エクセル:79KB)  群馬(エクセル:92KB) 
埼玉(エクセル:133KB)  千葉(エクセル:125KB)  東京(エクセル:272KB)  神奈川(エクセル:287KB)  山梨(エクセル:89KB)  長野(エクセル:137KB)  静岡(エクセル:120KB)

北陸

新潟(エクセル:82KB)  富山(エクセル:69KB)  石川(エクセル:78KB) 
福井(エクセル:64KB)

東海

岐阜(エクセル:98KB)  愛知(エクセル:195KB)  三重(エクセル:76KB)

近畿

滋賀(エクセル:65KB)  京都(エクセル:90KB)  大阪(エクセル:88KB) 
兵庫(エクセル:107KB)  奈良(エクセル:70KB)  和歌山(エクセル:67KB)

中国
四国

鳥取(エクセル:75KB)  島根(エクセル:70KB)  岡山(エクセル:100KB) 
広島(エクセル:82KB)  山口(エクセル:82KB)  徳島(エクセル:73KB) 
香川(エクセル:69KB)  愛媛(エクセル:111KB)  高知(エクセル:71KB)

九州

福岡(エクセル:97KB)  佐賀(エクセル:71KB)  長崎(エクセル:74KB) 
熊本(エクセル:76KB)  大分(エクセル:73KB)  宮崎(エクセル:69KB) 
鹿児島(エクセル:76KB)

沖縄

沖縄(エクセル:66KB)

 

全国市民農園リスト(21年3月末現在)農林水産省

 都市近郊の貸し農園は、すぐに完売となり、なかなか手に入らない。ここ新潟でも確保は容易ではない。空き待ちの状態が続く。
 教育ファームなども各種団体が企画しているが、農地の確保は難しいと聞く。減反政策の影響からか、かなりの放棄地が散在するのだが、いざ借りるとなると限られる。
 しかも何処でも良いという訳にはいかない。水の施設、トイレ、駐車場、収納小屋、指導してくれる専門家など、様々なインフラが整わないと週末ファームを実現することは難しい。
 ここまで書くと週末ファーマーを諦めるしかないということになるが、視点を変えればそう悲観することもない。放棄地を持つ多くの農家は、短期間でもいから、借りて耕してくれる人を探しているものだ。1反2万円(年間)くらいの貸し賃ならば、前向きに対応してくれる。
 一度放棄して雑草に覆われた畑は、回復がかなり困難になり、土地自体の価値が落ちるからだ。自宅から通える範囲の農場を訪ねて、「畑を貸してくれませんか」と声をかけるのも手である。その農家の野菜を買いながら、声をかけるのが有効である。
 何回も声をかけるとやがて、何らかの反応が必ずあるものだ。自農園はダメでも、他の農家を紹介してくれる。「あそこの畑なら空いている・・」などと教えてくれる。あとは直談判すればいい。小生の畑は、このようにして探した。今では貸主と仲良くなって、野菜や苗も貰っている。

 さらに3年目を迎える野菜栽培だが、この週末ファームを自給型エンターティメントとして捉え直すと、村おこしの魅力あるテーマになるのではないか。
 米を作る、野菜を作る、大豆を作る、味噌を作る、お茶を作る、お餅をつくる、お酒を作るなど、ものづくりを通して先人の知恵を知り、命の尊さや、生きる喜びを感じるようなジャンルを、新しい6次産業として他地域に先駆けて発信し、疲弊した地域を再構築できるのでないか。畑を耕しながら、ふとこのようなことを考えている。
また週末ファームの効用は様々に言われている。

  1. 安心な野菜がつくれる
  2. 子供の教育、食育に役にたつ
  3. 心身が癒される
  4. 環境への意識が磨かれる
  5. 定年後の就農の準備ができる

 など、土から離れた人間の不安感を払拭するのに大いに役に立つ。さらに食農という考え方がすでに認知されている。これらの効用は確かである。
 また週末ファームといえば、すかさず思い出すのは例の、ロシアのダーチャである。ロシアは、貧しいようでもあり、豊かなようでもあり、日本人の感覚からすると不思議な国だ。
 その不思議を解く一つの鍵が、ロシアのダーチャなのだ。なにしろ、ロシア全土の殆どの野菜、果物を作り出してしまうパワーを持っている。
「農園付き別荘」と訳されているが、日本の市民農園、ドイツのクラインガルテンに近いもので、ロシアにおいて独特の発達を遂げた制度だという。1997年の統計データによると、ロシア全体では2,200万世帯がダーチャを所有し、その総面積はおよそ182万ヘクタールである。とてつもなく広大な農園がロシア全土に広がっている。
 ジャガイモの90%、果物の77%、野菜の73%はダーチャでつくられている。大統領夫人がダーチャの収穫のために、外遊の公務を断るというほど、ダーチャは生活に深く根付いている。
 もちろんダーチャは日本では憧れでしかないが、週末ファームはそのようなスローな生き方を実現する手段であることは、言を待たない。
 成熟した社会が迎える21世紀は、「奪う、壊す、汚す」の経済活動から、すべての活動が「回帰」に向うと先人は予言する。回帰とは「歴史回帰」「自然回帰」「仲間回帰」の3つを指す。
 豊かさの尺度がモノを買い続けることによる幸せ感から、回帰による様々な触れ合いによって得られる幸せ感へと移行するのだという。物欲をいくら満たしても、我らには豊かさが実感できないからだ。21世紀はそんな時代ぬいなる。その通りである。
 そのような人々の行動が週末ファーマーに向っている。200万人という数字は、それを物語っている気がする。今日も文句なしに楽しい畑に、土と野菜に会うために汗をかきに行く。スローフード農園を楽しむ為に。

2 食あれば句あり

<11-1>天啓の雪見酒

      *
○肉食って身を養はむ雪見酒      沢木欣一
○雪見酒鶴にはなれぬ男かな      角川春樹
○開け放ち四方に底なし雪見酒     食いしん坊
     *

 ここ越後路は雪に埋もれた日々が続く。来る日も来る日も湧いてくるように雪が降り積もる。まさに雪地獄だと人は言う。そのような過酷な雪模様を、雪見酒などと洒落込んでみたらどうだろか。
 風情など言えば、関心はないと人々にソッポをむかれる覚悟の上だ。所詮、雪見などは雪の怖さを知らない、都会ものの戯れ言だと言われれば、返す言葉もない。
 越後塩澤(新潟県南魚沼郡塩澤町)の人、鈴木牧之著『北越雪譜』(1835)には、要約すると「雪が一尺以下の暖国の人々は、雪景色を喜び、絵や文章にして楽しむが、越後では毎年幾丈もの雪が降るので、雪のために力をつくし、財をついやし千辛万苦する」と書かれている。大雪の地方に住む人々の苦労は、昔も現在も変わらなく、雪見酒などを風流だと思える人は居ないのだろう。
 しかし初雪、ぼたん雪、細雪、淡雪、風花、春の雪、名残りの雪など、しんしんと降る雪を眺めながら地酒を楽しむのも至福の一時となる。しっぽり酌み交わすお酒、月光に青白く照らし出された雪明かりの中でのお酒。しんと静まった雪中でお酒を酌み交わす、ゆったりと静かな時間は、まさに超スローな自分だけの人生の娯楽となる。

背筋よりほろ酔ひ来たり雪見酒

 そういえば日本には雪月花と遊ぶという繊細な楽しみがある。雪見、花見、月見の3見である。この場合の付き物がお酒である。お酒と雪月花を対座させることにより、我らは自然界と一体化して、夢悠の境地に達する。これを風流と呼ぶ。すべては風の流れのように実体のない嗜みとでも言えそうだ。
 なんとも風流なこの習慣は、あの紫式部も行っていたと聞く。平安時代に、紫式部も行っていたと言われる雪見酒は、その名の通り、雪見の折りに飲む酒のこと。
 これは、雪の降る日にあったかいこたつの中で、熱燗をチビチビやるのとはワケが違い、大自然の風雪の中にくり出し、雪と戯れながら(寒さに凍えながら)楽しむのが醍醐味であり、「真の風流」なのだそう。人々は平安の頃には牛車を、江戸の頃には船などを出し、吹きさらしの野山や川で酔いしれたのだとか。まさに命がけ?の風流だ。
 以下は、平安時代の「十訓抄」より、雪見と雪見酒をこよなく愛した白河院のお言葉…。

「雪は北風の吹く野山の景色に風情あり」

 しかし現在では、花見酒や月見酒はともかく雪見酒はよほどの粋人、変わり者、もしくは耐寒性にズバ抜けた方でなければやらない嗜みであろう。

雪見酒を楽しむにも名所がある。江戸の雪見の名所については『江戸名所花暦』(1827)や『東都歳事記』(1838)に記されており、『江戸名所花暦』では次の通りだ。

愛宕山、高輪、長命寺、牛御前王子権現の社
三囲(みめぐり)稲荷社、待乳(まつち)山
市ヶ谷八幡宮、忍が岡、東叡山寛永寺

『東都歳事記』では、上記のほか

隅田川堤、真崎(まつさき)、不忍池・
湯嶋台、神田社池、御茶の水土手、日暮里諏訪社辺
道灌山、飛鳥山、目白不動境内、牛天神社地、赤坂溜池

などがあげられている
 京都にも風流人たちが勧める名所がある。

金閣寺、嵐山、貴船、鞍馬、宇治の平等院
大沢の池、宇治川、南禅寺の疎水、祇園坂
嵯峨野の竹林、南禅寺、八瀬大原

などである。
 特に金閣寺の雪は涙がでるほどに美しい。近年は滅多に雪が降らないから、見るチャンスは少ないが、あればワンカップ酒を持参して拝観すればいい。

白金の雪降りやまず金閣寺

嵐山の雪は渡月橋から眺めるのが一番だ。まさに枯山水の一服の絵画をみるように、人々に迫り来る。橋許の茶屋で湯豆腐を肴に熱燗をいただくのが最高である。
もちろん雪の降る処ならば、何処でも雪見酒の舞台になる。ここで我流の「雪見酒がある光景」をレポートしておこう。
1、鈍行の車中で飲む雪見酒

→冬の日本海沿いを北に行く汽車で、雪景色を見ながらワンカップを飲む。肴は地元の干し物や駅弁がよい。まさに演歌の世界を楽しむ。日本人は何故か北を目指すのが好きだ。

2、露天風呂で飲む熱燗

→小さな盥に熱燗をのせ、それをいただく。雪が髪に降り積もる。その雪が解けて頬を流れる。まるで涙のように流れ落ちる。  お酒は熱燗がいい。冷酒だと五臓六腑が驚き、深酔いする。ビールやワインでもいいが、やはり地酒がいい。

3、竹林を見ながら飲む雪見酒

→降り積もった竹林の雪を見ながら飲む。竹林の雪はすぐ落下する。それを「しずり雪」という。音を立てて静かに落ちる。その瞬間を楽しみながら飲む。 雪見障子を開け放って、竹林と一体になることが風流の極み。五感を研ぎ澄ました雪見酒である。

4、山茶花の宿で飲む雪見酒

→庭や垣根の山茶花に降り積もる雪を眺めながら飲む。山茶花の赤と雪の白さに究極の寒さをみる。おもわず身震いする震撼さである。この場合は熱燗がいい。冷えた心を熱燗がゆっくりと温めてくれる。

5、月夜の雪見酒

→吹雪は突然止むことがある。そして寒月が煌々と雪の町を照らす。こんな時は、窓を全開して、部屋の明かりを消し、炬燵に足を入れながら湯煎のお酒を飲む。さすれば無間の淋しさと静寂がやって来る。 酔いが回るほどにやがて、本当の自分が見えてくる。涅槃浄寂とはこのようなことか。実に心静かだ。

6、雪にロウソクを立てて灯す

→外は雪が降る。そんな時、大切な人と過ごす時間には、ロウソクの灯りを囲むといい。それも雪を詰めたグラスに立てたロウソクの灯りがいい。雪洞ロウソクという幽玄のイベントもすばらしい。

 思いつくままに雪身酒の光景を挙げたが、雪見障子に映る影もまたロマンを駆り立てる。もしかしたら、それが雪女であったなら。吹雪く夜は、雪女が赤子を求めてさ迷うという。
また雪をグラスにつめて、酒を流しこめば「雪割り」ができる。地酒の蔵元が勧めるスノーカクテルだ。早速やってみたが、結構イケル。
 ちょうど休みの日に雪が降れば、外出は見合わせて昼酒といきましょう。一合だけ燗酒をいただいてほろ酔いで午後を過ごす。たまにはぐうたらするのもいいものだ。

<11-2>遥かなる雛祭り

      *
○少年のごとく雛の間をよぎる      金田咲子
○飾りたる雛壇のまだ静まらず      加倉井秋を
○赤ちゃんを男雛女雛にみてもらふ    食いしん坊
     *

「明かりをつけましょ雪洞に、お花を挙げましょ桃の花、五人ばやしの笛太鼓、今日は楽しい雛祭り」の歌詞は、日本人ならば誰でも口ずさむ。この歌を口ずさむと、我らは一気に幼い頃にタイムスリップする。
 女児を持った父母は、桃の節句が気にかかる。松の内も明けると、街中に雛祭りの童謡が流れ、売り場もピンク一色に飾られる。そして子ども達はいそいそとその日を迎える。もちろん待ちわびるのは子供ばかりではない。はるかなる昔を偲ぶお年寄りも同様である。
また意外にも母親よりも父親の方が、思入れの強い気がする。結婚して家族を構え、女児が誕生するとどうしても雛飾りが欲しくなる。
 家伝の雛飾りがあれば良いが、ない場合は人形店の前を通る度にいつしか雛壇に目がいく。値札もちらりと覗き込む。そしてため息をつく。
 よしんば大枚を叩いて買うことができたとしよう。その雛飾りが配達されるまでの日々は、そわそわして落ち着かないものだ。待つ楽しみとでも言えようか。
 早速、狭いながらの和室を片付け、雛の間をこしらえることになる。雛壇の骨格を組み立て、真っ赤な緋氈を乗せれば、後は人形を飾るだけである。向って右側には女雛、左側には男雛と古来の仕来りを気にしながら並べてゆく。

 この間、女子は部屋の入り口で父母の共同作業をじっと見ている。自分のための準備であることを知ってか知らずか、女子は真剣な眼差しでみている。
 やがて組み立ても終わり、対の雪洞に灯りが点ると、狭い和室は一気に華やかな雛の間と化す。その雛壇の前に座して、父母は恍惚の表情すら浮かべている。しばらくはただただ雛壇を拝観するのみである。様々な想いが交錯しているのだろう。

寂光の雛の間にあり拝しけり

 やがて女児は父の膝に座り、女雛に拝謁する。そしてふふふと雛壇の主に笑顔を見せる。さらに雛を飾ったとの情報は周り近所にも伝わり、三々五々見物に訪れる。「どうぞ、どうぞ」と家人はお茶や和菓子をだしてもてなす。
 「いやあ、きれいなお顔ですこと・・」などと褒められて、にこやかに笑顔を返す家人である。他家のお雛さまを愛で合うのは、近所付き合いの基本である。雛壇の虚栄を競うこともなく、まるで赤ちゃんを見せてもらうような感じである。
 そしていよいよ3月3日がやってくる。女児のお友達も畏まって、狭いながら雛の間に集まってくる。そして雛壇にお供えしておいた雛あられ、菱餅、白酒などを下げて、ジュースなどを飲みながらいただく。集まった女児たちは、借りてきた猫のように、普段よりおしとやかに雛壇に向かい、絵本をみたり歌を歌ったりして、小一時間を過ごす。
 今日は子供たちだけの日であり、家人は居間から雛の間の様子を伺うだけである。やがて来訪者も去り、雛の間にはホステス役の女児だけがぽつねんと残る。雛あられを食べながら、やがて疲れたためか眠ってしまう。小さな手から雛あられの色が、畳にこぼれている。起すのは止めて、しばし雛の間に寝かせてやるのも家人の心遣いである。

眠りてもをさな放さず雛あられ

 夕方には父が帰宅し、早速、雛の間で、家族だけの雛の宴が始まる。電気を消して雪洞だけの灯りの中、母が手づくりの「雛ちらし」「蛤の汁」「ぜんざい」そして市販のピザパイとケーキが並ぶ。父には吟醸酒が用意され、お雛様と対座しながら宴はすすんでゆく。
この日に欠かせないのが菱餅と白酒である。
 菱餅(ひしもち)の赤は先祖を尊び、厄を祓い、健康を祝うため(昔は解毒作用のある山梔子で赤味をつけた)、同時に桃の花を表す。白い餅は清らかさと残雪を表し、緑の草餅は新芽と若草を表す。しかし今まで、この菱餅を食べたことがない。お飾りとして、雛壇に供えておくものとして認識していたからだ。どうような味がするのだろう。
 白酒(しろざけ)は、蒸したもち米に同量以上の味醂を加えてかき混ぜるか、 蒸したもち米に焼酎と米麹を加えるなどして仕込んでおいたものを、数週間後に臼で引きおろす。 白酒の製法は、博多地方において古くから造られていた「練酒」が起源とされている。
 江戸時代から雛祭りのお供えとして扱われるようになったのは、平安時代からの風習である。上巳(桃の節句)において、室町時代から桃の花を浸した酒を飲んでいたものが変化したと伝えられている。もちろん飲んだからといって酔うことない。
 このような想いを抱きながら家族の宴は経過してゆく。実にしずかな宴である。父も母も女児もそれぞれの想いをいだきながら、寂光に満ちた雛の宴を堪能する。

 子沢山の家に生まれた父母にとっては、むろん雛飾りなどには無縁だった。幼稚園で歌を覚えた以外には、雛飾りは遠い存在であった。それだけに長年の想いを今、実現できた喜びと、一抹の淋しさを隠し切れないで居る。

白酒のほのかな酔ひに眼を閉じて

 家族が去った雛の間に父は、酔った身を横たえながらしばしうたた寝をする。実に華やかな気分の酔いである。無理をして、大枚をはたいて手に入れた満足感が心地よい。
 この3日が過ぎれば、いよいよ雛納めとなる。早く仕舞わないと女児の婚期が遅れるという言い伝え(実は嘘である)に急かされて、お雛様の顔を丁寧に拭い、箱に納めていく。来年まで箱の暗闇に寝かせるのである。一抹の寂しさと不憫さが、仕舞う手を休ませる。そして今年の雛祭りは終わりを告げる。
 それにしても雛祭りとは、華やぐ行事であると同時に、深い郷愁を誘うものである。端午の節句などにはこのような寂しさはない。女児を持つ父の永遠の寂しさかもしれない。
 また新潟の村上では、お雛様巡りという行事が毎年行なわれている。かなり多くの人が、民家に飾られた家伝のお雛飾りの見物に訪れる。武家の家伝の伝統とだけあって、どの雛飾りも豪華絢爛である。軒先にぶら下がる干し鮭を見ながら、一軒〃を巡り歩くのも、実にスローな旅となる。

<11-3>はんなりとする鰊そば

      *
○顔見世の京のさむさや鰊そば   にしんさん
○南座を出て千鳥きく鰊そば    にしんさん
○花冷や鰊そば屋の前通る     食いしん坊
     *

 鰊そば(季語ではない)を食べたのは、京都の学校に入ってからだ。四条大橋の東詰めにある松葉さんである。「へえ、京都の人はこんな蕎麦を食べるんだ・・」と、岐阜出身の者には好奇心が駆り立てられた記憶が今でも残っている。
 身欠き鰊を水で戻し、薄口醤油とみりんの鍋でコトコトと甘辛く煮込んだ鰊が、熱々の蕎麦に載せられて出てくる。鰊を箸で掴むと、身がほろほろと崩れるほど柔らかだ。七味とうがらしをかけていただくと、ジワーッと鰊の旨味が舌の上で崩れる。蕎麦との相性も上品で、てんぷら蕎麦とは全く異質なハーモニーを醸し出す。
 食べ終えてこの松葉の鰊そばの由来を店主に聞いてみた。それによると文久元年(1860年)、初代松野与衛門が、現在の南座向かいにあった北座で芝居茶屋を誕生させ屋号を「松葉」とした。明治15年二代目松野与三吉が「にしんそば」を発案した。
 もともと身欠き鰊は、盆地の京の人々にとっては大切なタンパク源であり保存食。北海道から北前船で運ばれ、昆布ダシとともに京都に根付いた食材である。
二代目松野与三吉はこの鰊と蕎麦を合わせることで、栄養バランスのとれた「鰊そば」を世に送り出した。以来100年有余年、松葉の鰊そばは、京の代表的な味として親しまれて来たのだという。その伝統の味わいは今も変わることない、と店主は取材に応じてくれた。
 今でこそ、この鰊そばは全国版のメニューだが、発祥が京都であることに、一抹の食文化の奥深さを感じる。

 鰊(春の季語)は別名、「春告魚」と呼ばれ、産卵期の春から初夏にかけての脂が多く美味しい魚である。ソーラン節にも歌われている北の海の幸である。塩焼き、フライ、マリネにするほか、身欠きニシンや燻製、コンブで巻いて煮締めた「こぶ巻き」などの加工品とされる。
食通で知られる北大路魯山人は、著書「魯山人味道」(平野雅章 編)で、「煮たもの焼いたものはさほどでも無いが、乾物を水でもどしたものを、上手く料理すると美味しくなる」と言っている。

甘露煮の鰊崩れる鰊そば

 岐阜のわが家では、もっぱら唐辛子を効かせた甘辛煮を家伝としている。家族が必ず所望する冬の一品である。硬い身欠き鰊を、米のとぎ汁に何日も浸けて戻し、さらに米のとぎ汁で煮たり、ずいぶんと手間を掛けて調理をした。最近では近くのお魚センターに、「本干し」や「一夜干し」が売られ、随分ソフトになっている。
 それを試しに買ってきて、我が家風に調理してみた。蕎麦は茶そばを茹でて、大盛に盛り、鰊煮を乗せ、葱と七味を薬味にいただいた。鰊茶そばである。京都の松葉さんには適わないが、昔の思入れがあるためか実に滋味である。
 新潟には、へぎ蕎麦などの独特の蕎麦文化があるが、鰊そば文化はない。ならば作ればいい。ついでに鰤そば、蟹そば、のどくろそば、南蛮海老そば、棒鱈そばなど、海産物をふんだんに煮込み、焼き上げた海鮮蕎麦は、B級グルメとしてパワーを発揮するに違いない。
 それにしても鰊そばの食いたいことよ。それも松葉さんのあの一品を。
祇園の花見の帰りに食べた、大晦日のおけら参りの帰りに食べた、顔見世の帰りに食べた、友との出会いと分かれに食べたあの一品をもう一度食べたい。

底冷の松葉屋で食ふ鰊そば

<11-4>熱々の旬を食べる天ぷら

      *
○てんぷらやすでに鰭張る今年鯊   水原秋桜子
○天ぷらの海老の尻尾や春ともし   田畑益弘
○蕗の薹天与の色に揚がりけり    食いしん坊
     *

 天ぷら、寿し、蒲焼といえば日本人好みの御三家である。今回はこの中から、天ぷら談義を火傷しない範囲で繰り広げてみよう。
 実は天ぷらは日本独自のスローフードと言ってもよい食文化である。フランスやイタリアにもない。語源はポルトガル語に由来する。我が国には室町から江戸時代に登場し、旬の魚介、野菜を使って揚げて食卓に上ったようだ。
 また当時は、南蛮料理や南蛮寺料理と呼ばれて、精進料理が主である寺の中で、時々口にすることができるご馳走メニューとして喜ばれていた。
 主に江戸の郷土料理として発達し、やがて上方やその他の地域に普及した。したがって天ぷらにまつわる資料や文献は江戸に数多存在する。高級天ぷら専門店もあちらこちらに散在し、今なお、天ぷら文化を発信し続けている。

 早速、新潟万代の天ぷら屋を訪ねることにした。10人ほどが収まる個人まわりしたお店である。天ぷらは揚げ立てをすぐ食べる。冷めたら旨さは半減するからだ。だからカウンター越しに座して、魚を捌く音や揚がる音、匂いを感じながら楽しむのが定番の光景である。まさに割烹スタイルこそが天ぷらの醍醐味となる。
 今日は、天ぷら道場の現場視察として、調理の流れや板前さんの仕草が全て見通せるカウンターに席を取った。板前さんの斜め後ろから、動きをしげしげと拝観することにした。白い割烹着身を纏い、なぜかスニーカーを履いた板前さんの動きは、実によどみなくスムースである。東京で修業したという。

天ぷらでも食べに行こうか春立つ日

 お品書きはコース料理だけ書かれている。夜はコースだけの献立である。コースには名前が付けられている。松(3500円)、竹(5500円)、梅(7500円)の3コースである。
 天ぷらは高いとは聞いていたが、なるほどだ。今日は「白ぎす、牡蠣、公魚」の良いのが入っているから、とカウンター越しの板前さんが勧める。じゃあ、竹をもらおうか、と注文する。3択だと、どうしても真ん中のコースを選び勝ちになる。だからお店では竹をメインにした材料を備えている。
 ただ竹の注文が90%を占めるからと言って、松や梅を外してはいけない。外すと竹も売れなくなるからだ。これを松竹梅の法則という。
本日注文した竹コースの中身は以下の通りである。

1、烏賊の炙り焼きのサラダ、
2、海老
3、公魚
4、牡蠣
5、アスパラ
6、芝海老
7、白ぎす
8、茄子

の9品である。え、これだけで5500円、と腰が引けたのは食べる前の正直な気持ちである。
しかしこの不安は、徐々に解消していく。
 板前さんは客の状態を見ながら、間を置いて、一品ずつ俎で捌き、油の温度を確かめながら衣を潜らせて揚げてくれる。そして鉄箸で客のお皿に載せてくれる。「白ぎす」です、という具合にさっと載せてくれる。それを冷えない内に、さっといただくのがマナーである。海老や白身の魚は荒塩、野菜は天つゆ(大根おろしを加える)でいただく。
 酒は魚沼の地酒の鶴齢の熱燗を所望した。少し離れたカウンターに座っている老夫婦も熱燗である。熱燗は口中の天ぷらの油を熱燗で洗い流すのには、好都合である。

 さらに次のネタを待つ間は、さらに板前さんの仕事ぶりを観察する。天ぷらは生きた魚を捌きながら、揚げるのが常道である。このお店も仕入れたばかりの、生きた海老を掴み取りながら、捌いている。新潟産の地物であろう。
 なるほど、品数の少ない割りに、割烹天ぷらの値段が高い訳が見えてきた。旬の食材を、一期一会のような手作業で客をもてなすからには、それ相応対価があっても不思議ではない。
大量生産のスーパーの天ぷらとは、何もかも次元が違うのである。パリパリとした食感。ジューシーな中身。板前さんの演技力(調理力)など、すべてを包含した値段が、コースの魅力なのである。
 小1時間の天ぷら探検は、ほろ酔いの内に終えて帰路についた。なるほど、天ぷらとは一期一会の割烹料理だった。納得である。また機会をつくり来ようと思う。
 ここで季節の天ぷらの食材を整理しておこう。小生自身がわが家で客をもてなすための情報として、まとめておこうと思う。もちろん天ぷらは海老で始まり、海老で終るのが基本である。畜肉類は除外する。次の一覧表である。

<季節の天ぷら>

 

魚介類

野菜類

春(3~5月)

ホタテ貝、貝柱、浅利、桜えび、蛍烏賊、諸子、細魚、

菜の花、たらの芽、こごみ
土筆、独活の穂先、蕗の薹、玉葱、葉山葵、竹の子、三つ葉、ぜんまい、蕗、蚕豆、アスパラガス、蕨、

夏(6月~8月)

鯵、芝海老、穴子、車えび、鰻、
蝦蛄、めごち、

じゃが芋、玉葱、人参、山芋
南瓜、春菊、ししとう、大葉、
インゲン、オクラ、さやえんどう
茗荷、

秋(9月~11月)

海栗、鯊、帆立貝、甘えび、鰯、
ししゃも、目刺、

新牛蒡、食用菊、松茸
椎茸、茄子、銀杏、山芋
シメジ、舞茸、さつま芋、

冬(12月~2月)

烏賊、牡蠣、蛸、公魚、白魚、
このしろ、タラバ蟹、

蓮根、百合根、海苔、春菊
納豆、干柿

 

 こうして天ぷらの材料を眺めてみると、白身の魚が適していることが分かる。赤身の魚介類は使われない。まがり間違っても養殖のブラックタイガー(海老)は出てこない。マグロのトロの天ぷらなどは聞いたことがない。
 またあく抜きの必要な山菜や癖のある野菜が、天ぷらの材料として重宝されているのがおもしろい。まさに季節の旬をいただく贅沢な材料ばかりである。
変りダネとしては、巻き寿しの輪きり、半熟の玉子、梅干しなどの天ぷらもある。中でも風流なのが紅葉の天ぷらである。

天ぷらのそれも高尾の紅葉揚げ

京都の高尾や大阪の紅葉の名所の茶屋でお目にかかることができる。その紅葉は、1年くらい塩漬けにしてから天ぷらに揚げる。はらはらと散る紅葉を天ぷらにするわけではない。高尾で一度食べたことがあるが、天ぷらというよりはお茶うけと言った感じであった。ならば桜の天ぷらはないか。残念ながらまだお目にかかったことは無い。
最後に気になる呼び方について整理しておこう。「から揚げ」と「天ぷら」の違いである。どちらも油で揚げるのは同じだが、厳密には違いがある。
から揚げ(空揚げ、唐揚げ)とは?
揚げ油を使用した調理方法、またその調理された料理を指す。食材に下味をつけ小麦粉や片栗粉などを薄くまぶして油で揚げたものである。
天麩羅とは、衣が異なる。表記は「空揚げ」が元であり「唐」は当て字であり、日本新聞協会では「唐揚げ」を使わず「空揚げ」で統一すると明示している。
天ぷらは下味を付けずに衣揚げしたもの。素材の味をそのまま賞味する知恵が、天ぷらには込められているのである。納得した。

3 スローでウオッチング(31)

1、12月12日、トキメッセで開催された「新潟うまさぎっしり展」を散策した。多くの家族連れで賑わっており、56,000人ほどが来場したと言う。
その中でも行列のできる店。呼び込みの割りには、客の寄りつかない店。その差がどこにあるかを観察した。
 糸魚川出展の「ブラック焼きそば」は、待ち時間60分ほどの大人気。イカ墨の焼きそばで、B級グルメ大会で入賞したつわものである。今回も人気投票で1位。ちなみに2位は村上サーロインステーキ丼、3位は佐渡のブリかつ丼。
 かたや売れない店のメニューは、すべて地味でおよそB級にも属さない代物ばかり。ホットなアイデアで、しかも旨くなければ、見向きもされないから、反応は正直だ。それにしてもB級グルメの人気が、これほどあるとは。新潟に旨いものあり。
2、あなたは行きつけのお店をお持ちですか、と訊ねられたら、即座に2,3店を答えられる人がどれほどいるだろうか。これが実は意外と少ない。しかも社用でよく使う店が、個人的に行きたい店とは限らない。
 あなたは大切な人を、迷いなく連れて行けるお店を持ちたいと思いませんか。そんなお店を新潟に作ろうと、スローフードは動いている。「新潟ガストロノモの会」という、お店である。来春から本格稼動に入る予定だ。乞う、期待。
3、そば屋のカレーうどん(そば)は美味い。その典型のお店が、万代バスセンターの中にある立ち食いだ。昔ながら小麦粉入りの懐かしいカレーうどんを食わせてくれる。このカレーうどんが美味い秘密は、そばつゆを入れるからだ。
 またカレーライスも常に完売と聞く。永遠の新潟のベストセラーを願いながら、今日も自転車で食べに行く。
4、年も押し迫った12月10日、映画「テッラ・マードレ」の鑑賞会を一般公開した。65名ほどの参加があり、会場には真剣そのものの顔が揃った。
 20年かけて、スローフードが辿りついた運動哲学が、ドラマティックに描かれており、会場からは深いため息が洩れた。我々の知らない世界の各地で、何が起こっているのか。改めて思い知らされ、やり切れない空しさに襲われた。
 SF映画でよく宇宙人がエイリアンとして襲来し、地球を食いつぶす話しがあるが、もしかしたら我ら人類こそが、実は、そのエイリアンそのものなのではないか。しかも私自身もその一味の可能性がある。空しさはそこから発している気がする。
 限られた資源の水の惑星の地球。テッラ・マードレ(母なる大地)の世界生産者会議は、「おいしい、きれい、ただしい」を掲げて、そのエイリアンに挑もうとしている。眼から鱗が落ちた12月10日(テッラ・マードレ・ディ)であった。
5、人生でやり残したことが3つほどある。農業と料理と読書である。農業はスローフード菜園を手がけて、何とか軌道に乗って、楽しんでいる。読書は随時、巾を広げてゆく予定にしている。
 残るのは「男子厨房に入るべし」である。細君に任せきりだった料理を本格的にやることにした。毎朝パソコンに向かう机上に、「今日は、何をつくろか」とぺらぺらと料理本をめくる。ジャンルは和洋中アジアのすべてにわたる。肉系、魚系、野菜系、ご飯系など様々に、買物のメモを机上でつくる。
 これが日課になった。実におもしろい。そして己の食歴の貧弱さに愕然とさせられる。今まで一体、何を食べて来たんだと。
もちろん料理の基本などは身につけていない。だから料理本や切抜きと睨めっこしながら、見よう見真似で厨房に立つ毎日である。素人のこわいもの知らずだからできる。
また1度は料理本のままに料理し、細君と食べながら談義する。平均点に近い作品はできるから、細君はモニターという訳だ。
 そして同じメニューを今度は、我流のアイデアを加えてみることにしている。こうなるとメニュー数は限りなく広がる。そして気がつくと、500点ほどのメニューが、我が料理ノートに記録されている。自信作も100点ほど身についた。今まで食べたことのないメニューだ。
 料理は正に創造と感動の世界である。細君に任せておくのは勿体ない。「お父さんの気まま料理が、何時まで続くのか?」という、家族の懐疑を横目でみながら、やり残したことを楽しんでいる昨今である。