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2010年11月30日 08:42

VOL 30

1 スローフード巷談(10)

○イタリアのサローネ・デル・グスト視察記

 長年の夢であった第8回目のサローネ・デル・グスト(味のサロン)のイタリアツアーが実現した。それも新潟仕立てのオプションツアーである。参加者は総勢19名。この実現には誰も期待しなかったが、「行くぞ、行くぞ」と言い続けると夢は叶うものである。
ツアーの行程は以下の通り。

○新潟空港発(10月20日)
     ↓仁川空港経由
○ローマ見学
     ↓
○トリノのサローネ・デル・グスト視察(2日間)
     ↓ミラノ経由
○ベネチア見学
     ↓フランクフルト、仁川空港経由
○新潟空港着(10月26日)

 今回のツアーはサローネ・デル・グストの前後にローマとトリノ、ベネチアの観光を入れた。イタリアを代表する歴史文化と食を探索するためである。参加者の多くは、この組み立てに好意的であった。
 さて大目的のサローネ・デル・グストの視察をレポートしよう。同時開催のもうひとつのイベントのテッラ・マードレ(世界生産者会議)は、残念ながら参加できなかった。予約制で、かなり戦略的な催しものであり、会場の外から中の会場の雰囲気を見るだけになった。

 <サローネ・デル・グスト視察記>

 トリノの空港からはバスで会場に移動した。30分ほどの距離だ。会場はトリノの広大なリンゴット国際展示場である。トリノの街は工業都市だが、オリンピック開催を契機に薄汚れた景観を回復し、今の街が誕生した。工業と文化が共存する都市に生まれ変わったという。
 会場に着くとイベントのスローガンの「GOOD,CLEAN,FAIR」(おいしい、きれい、ただしい)の看板がすぐ眼に飛び込んでくる。
 チケット売り場にはすでに長い列が並ぶ。開場は11:00から23:00である。20ユーロを払えば、一般市民も入場可能である。我らはスローフード会員証を提示して、半額の10ユーロで入場できた。約1200円だ。
 まずはあらかじめ予約しておいた現地日本人ガイドさん(女性)から、イタリア語の会場パンフを見ながら、簡単な説明を受けた。時間が限られているために、効率よく視察しなければならないから、聞き耳を立てた。会場の概観とレイアウトは以下の通り。

会場は5会場に分かれて設計されている。入り口を入れば5のゾーンである。

● 「1」はインターナショナルゾーンでイタリア以外の大陸別のブースが約300ならぶ。ワイン蔵(エノテカ)もこの「1」に位置する。
● 「2」と「3」はイタリアのブースで、伝統産品が約400ブース並ぶ。
● 「5」はスローフード協会の活動内容やスポンサーの広告展示ゾーンが展示されている。協会の出版物即売ブースもある。
● 「OVAL」はテッラ・マードレの会場。
● 「その他」

 総出展ブース数は約700である。これは日本の幕張メッセで行なわれる「FOODEX JAPAN」よりやや少なめである。
 ただし生産者のブースが多く、日本に於ける企業サイドの業者向けとは異なる性格が強い。スローフード協会はこのサローネを一般市民に門戸を開放しているからであろう。回も重ねるうちに、第一次産業に携わる人々の出展が増え、今回は約80%を占めるようになったと聞く。  
 そういえば加工食品のブースは数えるほどしかない。あくまでも第一次産業や小さな生産者を全面に出し、一般市民に接触できるような体制を守ろうとしている。
 第1日目はまず「2」と「3」のイタリアマーケットを探索した。5時間の持ち時間である。会場に入ると肩をぶつけ合うほどの混雑ぶりだ。前に進むのがやっとで、しかもどのブースも人だかりで、とても試食や試飲にありつけない有様だ。著名なチーズや生ハム、サラミのブースはなお更である。しかたないから離れてその人々を観察することにした。

 大方のそれも高齢の男女は顔が赤く、ワイン色をしている。片手にワイングラスやビールを持って、お目当てのブースにたむろしている。まさに酔っ払いグルメ天国である。20ユーロという高めの入場料を払ってもそれだけの値打ちがあるから、人々は参加しているのだという。ガイドさんのコメントである。
 このイタリアマーケットのお目当ては、ワイン、生ハム、オイル、チーズや食肉加工品、トリノの名産のチョコレート、伝統野菜である。パスタの実演やワインのテースティング講座も見逃せない。  しかもイタリア語が出来ないため、片言の英語と怪しげなイタリア語を操ってのブースとのやり取りである。置かれたカタログを指差して、あとは度胸の会話である。
 しかし言葉は話せなくとも、何とかなるものである。この野菜はプレジディオ(=庇護・防衛)の指定を受けていると、自慢げに話す髭面のおじさん。ジャパンから来たと言うと、サンプルを持ってゆけと袋に入れてくれた。
 また試食のチーズを旨いと言ったら、太っちょのおばちゃんに大きな塊りを買えと勧められ、38ユーロで鞄に納めた。ずっしりと重いチーズの買物である。
 このようなやり取りは日本の朝市と同じである。どこか懐かしい。サローネ・デル・グストとは世界最大級の「頑固な直売所」である。そんな実感が湧いてきた。とにかくいくら胃袋と体力、脚力があっても食べきれないほどのイタリアマーケットである。
 また会場内でスローフード協会のカルロ会長とすれ違った気がした。まさかと思いながら追いかけて写真を撮らせてもらった。機嫌よく撮らせてくれた彼は、残念ながら別人だったが、良い思い出になった。以下の写真だ。

 以上、第1日目は、足を棒にして「2」「3」のイタリアマーケットを巡回した。そしてホテルのベッドに横たわると、どっと疲れが出てきた。時差ぼけなどは無関係だ。
 またトリノの夕食は、パスタやピザ、ワインを全員で楽しんだ。ステーキを頼んだのに、ユッケが出てきたりして笑いこけた。
 トリノの2日目は、午前中はトリノ観光を行い、11:00にサローネ・デル・グストの会場に入った。今日は「1」の大陸別のブースとワイン蔵(エノテカ)を視察する。土曜日のためか、学生が多く見学にきている。食の教育が盛んなお国柄だから、当然の光景といえる。
 大陸別の約300のブースは「アメリカ」「アジア」「ヨーロッパ」の3つから構成され、民族の言語が飛び交う異様な雰囲気が漂う。ここのお目当ては日本のブースである。過去に寿司屋や古代米、日本酒などの出展があったと聞くが、さて今回はどうか。

 残念ながら出展はなし。しかも会場で出会う日本人は数人のさびしさである。日本のスローフードにたいする熱意や期待値が喪失したとは思えないが、今回は一抹のさびしさを感じた。ただ雲仙の高菜のイタリア版のチラシを発見したのが、唯一の救いである。
 「1」のゾーンにはフランスの「生牡蠣」(1,5ユーロ)、ソーセージ、香辛料、野生の野菜、穀物、ヤク(山羊の一種)のチーズ、見慣れないフルーツなど異文化の触れ合う人々でごった返していた。韓国のブースは畳の部屋を設けて、アピールしていた。
 またワイン蔵(エノテカ)の試飲は圧巻である。およそ千数種類のワインがそれぞれのコーナーに分散して分かれて、試飲客を誘う。6ユーロ払えば首掛けの袋とワイングラスが渡され、お気に入りのワインを試飲できる仕組みである。
 もちろん何杯という訳にはいかないが2種類は楽しむことができる。新潟の酒の陣はこの仕組みとスタイルを取り入れたのだろうか。
 とにかくワインの種類の多さに圧倒される。この中からお気に入りのワインを選ぶのは至難の技である。おそらくぶどう園の数だけ、それぞれの個性あるワインが醸造され、その土地の人々に愛されているのだろう。
 今年から協会が独自に「スローワイン」という紹介本を発刊し、低価格で価値のあるワインを推奨し出したという。日本では甲州ワインしか知らない筆者にとっては、驚愕の風景と体験であった。

 ほろ酔いの足取りで会場の外の空気を吸いにでた。そこでは多くの人が屋台に並び、軽食や飲み物を購入し、おしゃべりしながら食べている。ホットドック、ホーカッチャ、アンチョビ、生ハムサンドなど実に楽しそうだ。意外にコーラ―がよく売れていたのが印象に残った。
 ついでに少し離れたレテーラ・マドレーの会場を覗きに行った。今回は期間中に70を超える「大地のワークショップ」が開催されている。
漁業者、農業者、畜産者、学者、料理人などが集い、体験を共有し解決策を議論し、持続可能な農業や生物多様性、資源の未来への取り組みを確認しあうという。およそ5000人規模の人々が世界から参集する会議である。
 予約がとれなくて、今回は本場の雰囲気を味わうことはできなかったが、様々な民族衣装の参加者が会場に消えてゆくのを確認した。
 以上が視察のレポートである。とにかく異質の食文化と人々との出会いの場であり、このサローネを一言では言い表せない。それを承知の上で、今回のサローネ視察と協会の戦略感を総括しておこうと思う。

 <総括>

1、サローネのブースには、プレシディオの認定産物が世界からやって来て、アピールを行なっている。言わばスローフード運動の原点を確認し、その哲学を体現させる装置となっている。
これだけの産物を具体的にショー化した例は、世界のどこにも見当たらない。日本でもその体現化は無理である。
しかもテッラ・マードレという知的な会議が、この物産展を意味あるものに格付けし昇華させているのが、協会の巧みな戦略である。「おいしい、きれい、ただしい」という哲学とその理論体系がサローネをバックアップしている。
言わばテッラが頭の部分で、サローネは現場の手足に匹敵する役割を担っている。このショーミックスが協会のマーケティングと見ていいだろう。おもわず唸りたくなる見事な作戦だ。数10万人が来場する舞台裏をチラリと見た気がする。
2、企業関係を相手にはせず、20ユーロも入場料を取って、一般市民に開放しているのも、サローネの作戦のひとつである。そうすることにより、企業関係から羨望の眼差しを得ることに成功している。
お前等を相手にしないと言われれば、企業は余計にスローフードの脅威を感じることになるからだ。 しかもスポンサーは行政や研究機関となれば、企業関係は余計な摩擦は避けたいと思うはずである。たくみな消費者ファスト作戦ともいえる。
3、会場のあちらこちらで行なわれていた「味覚教室」は、日本ではあまり見かけない光景だ。子供たちを対象としたテースティングも多く見られた。
これも「スローフード」という看板があるからこそ、可能になる教育体系である。企業が行な「味覚教育」ならば、おそらくソッポをむくであろう。

4、サローネも8回目を越えると、マンネリ化が問題になってくるだろうと思う。ファストフードの展示会(FOODEXやシアーズのような)であれば、新製品という切り口でブースを切り替えていけるが、スローフードはそうはいかない。
しかも優良食材が中心のブース展示となれば、加工食品にまで巾を広げることでしか、活性化と広がりが出てこない。
次回からは世界の地貌の料理がブースに並ぶ。そんな予測を立てているのは、筆者だけではあるまいと思う。
5、イタリアでも急速に家庭のファストフード化が進んでいると聞く。基礎調味料のトマトソースさえ、自前ではなく外販を使う家庭が増えている。
しかも当のイタリアでは、スローフードという運動すら知らない人が多いようだ。イメージの乖離があるのが現実の姿だ。日本と同じ秋の夕暮れである。
このようなイタリアに於いて、スローフード発祥の国の食を通しての、文化革命の今後が政治的になっていくのか。または生物多様性や温暖化問題を取り上げる、前衛的なオピニオンリーダーとなっていくのか。
テッラ・マードレという次元の高いユニバーサルな活動に、軸を移そうとしている近年の協会の動向を、我らは注視していく時期にきている。
6、サローネを一言でいえば「世界の地域特産ブランドを扱う直売所や朝市が、一堂に700集まった物産展」となる。しかも知的武装した地域特産品ばかりが、地球や人類の危機をアピールするトリガーとなっている。
人類は「汚し、壊し、奪う」ばかりの負の部分が多い。しかしサローネは、地球をガイア(地球生命体)の星とみなし、人類もまたその一部分である、と主張する場でもある。サローネに秘められた深遠なる哲学をアピールする装置そのものである。「たかがサローネ、されどサローネ」であろうと思う。
以上が大雑把な総括である。また数年後にはもう一度、サローネの変遷ぶりをこの目と舌で確認しに行きたいと念願する。非常に楽しみなサローネの行く末を見るために。

 

 

2食あれば句あり

<10-1>もくず蟹に沈黙す

          *
○ひとり声出し山蟹のぞく郵便夫    中村草田男
○沢蟹のあらがふことを愛しとす    富安風生
○もくず蟹積んで無口の二人づれ    食いしん坊
     *

 ある日、偶然に阿賀野川のもくず蟹のテレビ報道をみた。上海蟹と同属のもくず蟹を、今なお、川漁師が細々と漁をして、その料理を楽しんでいる内容である。早速阿賀町の役所に電話を入れ、その川漁師の所在地を捜してもらった。
 紹介されたのは、新潟の阿賀野川で、モクズ蟹の漁をしている皆川栄一さん(65歳)である。皆川さんは大工の本業の傍ら川漁師を趣味でやっている。早速訪れた。晩秋の雨降る日である。 こどもの頃、よく川遊びでゲットしたことのあるもくず蟹だから、懐かしさが先に立つ訪問だ。
ここでもくず蟹の基礎知識を整理しておこう。
 モクズ蟹は汽水域(海水と真水が混ざる河口付近)で卵を産み、稚ガニが川の上流にのぼり大きく成長する。北海道から沖縄までの日本全土に分布する。
 そして大きくなった成体は、9月頃から晩秋にかけて産卵のために川を下る。この頃が旬となり、美味しくなる。それを皆川さんは、阿賀野川地域で漁を続ける仲間の2人と、篭漁というやり方で舟を出す。蟹漁の漁師はもう3人しか残っていないという。俺達の世代でもう終わりだな、と心配そうな憂いを漂わす。

もくず蟹一舟ごとの漁師の眼

 蟹漁はひと篭で5~7杯かかればいいと、夕方に篭を仕掛けて朝方に引き揚げる。7篭を仕掛けるのがやっとである。捕獲量は皆川さん1人で、年間3000杯ほどだ。仲間と合わせて5000杯を捕獲し、主に家庭消費に回す。蟹を売りにだすことは今までない。まったく商売気がないと笑う。

 食べ方は塩を効かせた水で茹でて、蟹味噌や卵を食べるのが最高である。蟹は水から入れて湯がかないといけない。湯に入れると暴れて、足がバラバラになるからだ。うむ、そんなものかと、うなずく。
 さっそく30杯ほどを分けていただき、ホテルで茹でて試食会を開いた。実にうまい。他の料理には見向きもしないで、全員がかぶりつく。
 モクズ蟹は海のタラバ蟹などと異なり、繊細な味わいが特徴で、食べる人は皆無口になってしまう。上海ガニと同じ種類だから、文句なしの絶品だ。ちなみに上海ガ二は中華街で食べると、1杯5000円くらいの値がつく。それくらいに付加価値が高い。
 最後に蟹の養殖の可能性について皆川さんと意見交換した。「孵化→稚ガニ→カニ牧場での中間飼育→放流と捕獲」の一貫とした循環システムで、資源の確保と保護が出来ないかどうか。乱獲の心配があるからだ。阿賀漁協では鮭やサクラマスの放流をやっており、モクズ蟹もその可能性があるはずだ。
 すでに岩手県の川崎村ではこの取り組みに成功して、「川と共に生きる村」とした新しい村づくりを進めているから、いずれ訪問して教えを乞いたいと念願すう。そんな未来への取り組みを語りあうことになった。もちろんまだ絵に描いた餅の段階である。
 その第一歩として、まずは「スローフード・にいがた」がモクズ蟹を楽しむことから、地域起こしを模索することにした。我らが楽しんで、もくず蟹の旨さを確認することにしたのだ。
 2010年10月2日、26名ほどの我らが、このカニを食べるために咲花温泉に集い、皆川さんの話を聞いた。卓上には真っ赤に茹で上がった「もくず蟹」が盛られている。

 今回はホテルの料理長、西川さんの創作蟹料理も卓上に並んだ。お話しの後は一斉にもくず蟹にしゃぶりつく。「これ、どうやって食べるの?」などと皆川さんに聞きながら、指と口は休みなく動く。

いや結構ですもくず蟹知り尽くし

 我らは蟹眼となって、 蟹の腸や味噌をほおばる。実に濃厚な味だ。海の蟹とは全く異質の旨さだ。上海蟹が高嶺でも好まれる訳がわかる気がする。まさに地域の宝をいただく贅沢感がる。そしてこの川の資源を生かした町おこし、温泉街おこしができないか。
 もちろん、もず蟹料理を売りにするホテルだけが元気になってもしかたない。やはり地域全体が活性化されないと、我らの活動は報われない。そんな構想を描きながら、もくず蟹談義を終えることにした。
地域には地元民の気付かないお宝が眠っている。もくず蟹に沈黙した一日であった。

 

 

<10-2>鍋奉行でござる

          *
○猪食べし息を静かに交わしけり   大石悦子
○又例の寄鍋にてもいたすべし    高浜虚子
○鋤焼の肉を散らばす鍋奉行     食いしん坊
     *

 家庭から団欒という言葉が消えてかなりの月日が流れる。しかし世のお父さんたちは団欒つくりに真剣である。なかでも団欒をつくり上げる装置としての鍋料理には、渾身の力を入れる。
 幸せの尺度が物を消費し続けることの満足感から、人間関係の楽しさに軸を移しつつある現在模様を繁栄していると言えるだろう。スローフードという言葉が、人々の心を捉えたのも、このような世相を反映している気がする。
 この章は、この鍋料理をスローフード流に考え、論じてみようと思う。しかも「今どきの鍋料理」に挑戦しながら、その魅力をレポートすることにする。まずは鍋料理の基礎知識から。
鍋料理は大きく分けて5つにわかれる。

①、昆布ダシで煮て、ポン酢などのタレで食べるタイプ
       →ちり鍋、水炊き、しゃぶしゃぶ、湯豆腐、磯鍋
②、薄く味付けしたダシで煮て、汁ごと食べるタイプ
       →寄鍋、うどんすき、おでん、ちゃんこ鍋、
③、味付けの濃いタイプ
       →すき焼き、土手鍋、柳川鍋、モツ鍋、ぼたん鍋、カレー鍋、鴨鍋
④、外国のエソニック風のタイプ
       →チゲ鍋、 タイスキ鍋、火鍋、ブイヤベース、フォンデュ、トムヤン鍋
⑤、大鍋と言われる郷土料理のタイプ
       →三平汁、ドンガラ汁、芋煮鍋、ザッパ汁、きりたんぽ鍋、

 特に⑤のタイプは、地域ごとの鍋があり、その全容は計りしれない。要は地域毎の旬の食材を使えば、たちまち我が家の鍋が湯気を立てるから、千差万別の鍋料理があることになる。家族の団欒の装置としての背景を伺うことができる。
 また鍋料理の歴史は、江戸時代から始まったとの説が有力だ。囲炉裏の無い町屋や料理屋で、火鉢やコンロを使用した「小鍋仕立て」という少人数用の鍋が提供され、鍋から直箸で何人かがつつくという、現代見られる鍋料理が発達した。そういえば映画の一場面で、鬼平が仲間の密偵たちとうまそうに食うシーンがあった。

鬼平がうまそうに食ふ芋煮鍋

 その後も明治に入ってからの牛鍋の流行など、鍋料理は一層の普及がみられた。最近ではカセットコンロなどの発明と普及により、再び家庭でさかんに鍋料理が食べられるようになっている。鍋のメニューも④のエソニックタイプも登場して、和洋中の国境なきカテゴリーとして人気を博している。以上が鍋料理の基礎情報である。
 さて本題の今どき鍋について、話をすすめよう。我が感動の鍋料理、ベストテンは以下の通りである。自身で調理したその総合結果だ。

(1位)、ブイヤベース
(2位)、サムゲタン(鶏丸ごと)
(3位)、博多風水炊き
(4位)、豚と豆腐のチゲ鍋
(5位)、トムヤンクン鍋
(6位)、牛テールと大根の鍋
(7位)、鶏肉のかすなべ
(8位)、三色湯豆腐
(9位)、牛蒡たっぷりすき焼
(10位)、味噌田楽おでん鍋

 日本の伝統的なメニューを今回は除外した。鍋料理の冒険を試みるためである。生まれてこの方、きっちりとした料理に取り組んだことはない筆者である。それだけに何もかもが新鮮な体験だった。
 汗だくだくの各鍋料理のスローな感想を述べておこう。

 

鍋料理名

スローな感想

ブイヤベース

恐る恐る挑戦した。南フランスの漁師の料理が発祥だ。とにかく新鮮な魚をふんだんに使う。野菜も色とりどりに入れる。
驚きはサフラン(サフランの花のめしべ)を一つまみ入れることだ。瞬時に独特の香りが漂い、きれいな黄色がつく。
大鍋に仕込んだが、あっという間に平らげた。フランス生まれの日本の究極の鍋料理。一押しの一品だ。

サムゲタン(鶏丸ごと)

1羽1000円くらいで売られている鶏を、丸ごと仕込む鍋料理である。慣れない人は、ドキドキするだろう。
本格的な韓国レシピもいいが、簡略した材料で仕込んだ。
大き目の鍋でニンニクと青葱、もち米を鶏肉と入れ1時間ほど煮込み、柔らかくなった肉とスープをいただく。唐辛子を利かせもいい。実にうまい。
韓国の人のスタミナ鍋で、とにかく身体の芯から元気が湧いてきそうな一品である。疲れてきたら食べたくなるお守り的な鍋料理だ。

博多風水炊き

博多風は、まずじっくり煮込んだ骨付きの鶏肉を、特性のタレやポン酢で食べる。そしてスープを味わう。
その後に、野菜や豆腐を入れて、締めはおじやにして、鍋全てを食べ尽す。
水炊きには様々な仕込があるが、この博多流が一番だ。
白味噌タレで食わせる京風も捨てがたい。家族全員が好きな鍋の定番である。

豚と豆腐のチゲ鍋

煮干しダシを効かせた煮汁に、キムチのコクを加えた鍋料理である。豚肉の旨さと豆腐や野菜、胡麻油の香りがたまらない。じゃが芋とうどんを入れるのもグー。
キムチ鍋の一種だが、唐辛子の辛さに汗をかきながら食べるのは、実に心地よい。食べ終えた後には一陣の微風にも涼しさを感じる、納涼の一品ともなる。
簡単、便利、すぐおいしい。野菜もたっぷり取れる。

トムヤンクン鍋

タイ料理で、世界3大スープの一つに挑戦した。唐辛子(ピキヌー)とレモングラスの酸味が効いたスープだ。食材を集めるのは難しいから、市販のトムヤンクンセットを利用すれば、本場のレシピが再現できる。
海老、烏賊、浅利、鱈などの魚介類と野菜、じゃが芋などを入れて煮立てれば出来上がる。
一口スープを飲むと、何ともいえない未体験の香りと味が広がる。「おお、これがかのトムヤン君なのか」と、一堂は顔を見合わせる。
締めは、煮立てたビーフンをいただく。これがベトナムうどんと言われる「フォー」であり、抜群にうまい。
食べ終わると、身体からアジアの体臭が滲み出るような気がしてくる。おお、エソニック鍋。

牛テールと大根の鍋

肉屋さんに頼んでおいた牛テール(処理済)を大き目の深鍋に入れ、2時間ほどじっくりと煮込む。
さらに調味料、ニンニク、唐辛子を加えて更に煮込む。大根、蕪、人参を入れて煮たてれば韓国風が出来上がる。和風で行くならば、醤油と塩、酒で野込めばOK。
食べると牛テールがこってりまろやかに煮えて、口の中でとろける。ビーフシチューと角煮を同時に楽しむ味わいだ。
これぞという時にもてなす豪華な一品だ。

鶏肉団子のかすなべ

味噌屋さんからレシピを貰い、それをヒントにした鍋料理である。
鶏肉のミンチで団子をつくり、根菜(牛蒡、人参、大根、里芋、こんにゃく)をふんだんに入れて、酒粕と味噌で煮込んだまさに「根がつく」鍋料理だ。
新潟の冬は長くて寒い。そんな厳しさを乗り越えるには最適のぽかぽかのご馳走である。
酒粕と味噌の相性が抜群に美味い、家族全員の鍋料理となる。

三色湯豆腐

鍋料理の定番もバリエーションを加えれば、驚きのご馳走献立となる。
豆腐は三色(白、緑、黄)を使う。豆の違いで色も異なる。最近はこだわりの豆腐屋さんで作られている。
さらに絹ごしと木綿の2種を整える。計6種の豆腐が揃えば、準備はOK。
タレもポン酢、醤油、胡麻味噌などを用意し、薬味も数種並べると卓上は華やぐ。
湯豆腐のアラカルトという訳である。組み合わせによる微妙な味わいの違いを楽しむ、大人の会席となる。

牛蒡たっぷりすき焼

定番のすき焼きに刺激を入れた鍋である。牛蒡をバッサリと入れると、驚きのコラボレーションが出来上がる。
水気が少ないのでダシ汁を加えて煮立てれば出来上がり。牛蒡のシャキシャキ感がすき焼きを引き締める。
水菜も加えるとバブルシャキシャキ感がうまさを倍増させる。たまには従来の献立を見直してみるのもいいのものだ。

味噌田楽おでん鍋

定番のおでんにはそれぞれの地域色がある。
中でも赤味噌のタレをからませて食う田楽おでんは、岐阜生まれの者にとっては、身体に染み付いたソウルフードだ。
田楽種は串刺しにして鍋に入れて煮立てて、中央に置かれた赤味噌の仕立てのタレをからませて食う。
いわゆる薄い出し汁のおでんとは、また、一味も違うこの快感は、日本に生まれてよかったと言わしめる。
名古屋の人は、「どえりゃあ、うまいで、いかんぎゃあ」と今も絶賛する一品である。

 

 

以上が我が今風の鍋料理レポートである。
 今日も家族が集まれば、「どうや、どや、うまいか・・」等と、鍋奉行しきりのお父さんである。家族にとっては、ありがた迷惑な鍋奉行の出現であろう。まあ、いいか!

秋深し深しと囲む狸鍋

 

 

<10-3>ほろ苦いぞ「焼銀杏(ぎんなん)」

          *
○銀杏を焼きてもてなすまだぬくし    星野立子
○ほめて呑む焼銀杏の塩加減       星野哲郎
○銀杏を拾ふ左手なりしかな       食いしん坊
     *

 新潟のバスセンター前でバスを待っていると、銀杏の実がパラパラと落ちてきた。10月にもなると何処の銀杏並木にも見られる光景だ。「おお、銀杏ですね」と、見知らぬ人が声をかけてくれる。
 また校庭の銀杏黄葉が庭を埋め尽くす頃、待ちきれずに子ども達は、長い竿でたわわに実った銀杏をたたき落とす。校舎の大きな銀杏の木は、木の全体から「秋が来たぞぉ~」と子供たちにあの独特な匂いで声をかけるからだ。
 そして理科の時間などには、にぎやかな銀杏狩りが行われる。鼻をつまんだまま、銀杏を拾い集める子もいれば、逃げ出す子もいる。
 また大阪の御堂筋や、京都東本願寺前の銀杏並木なども同じだ。強い風が吹いた朝などには、銀杏黄葉と共に銀杏が地面に散乱している。
 そして通勤の早足が、それを避けながら、駆け抜けていく。なかにはうっかり銀杏を踏み潰し、靴を気にしながら去っていく人もいる。

 この銀杏には様々な蛋白や脂肪が含まれ、しかも薬効にも優れている。食べ過ぎると鼻血がでるぞ、といわれた記憶がある。幼い頃の食の記憶である。
 この銀杏を拾い集めるは結構おもしろいから好きだ。早朝、散歩をする振りをして、手袋をして、一気にかき集めるのがコツだ。むろん無料の銀杏狩である。採り放題だ。気がつくとポリ袋1杯になり、ずっしりと重い。強欲な自分を発見するのもこの銀杏狩だ。
 採り終えてしばし、落葉が盛んな銀杏の大樹を眺める。晩秋の薄日に輝く銀杏の風景は、まるで浄土のようだ。そしてこんな詩を思い浮かべる。

鳩が飛びたつ公園に、銀杏は手品師、老いたピエロ

いつしか口すさむようになった歌の一唱節だ。
 ゲットした実は、臭い外種皮の中に白色菱形の固い実があり、早速、処理に取り掛かる。臭い実はまず布袋に入れて、口を紐で結わえ、一晩水に浸しておく。これで実の周りの肉や皮が離れ易くなる。
 後は実の入った袋を土足で軽くゴシゴシと踏んで、皮と実を解離させる。かぶれる危険性があり、手などで揉まないようにする。また必ず処理する場所は屋外でやる。室内だと家族の不評をかう羽目になるからだ。
 分離したら袋の口を開いて、水で洗い流しながら、実だけを取り出して干せば、あの白い銀杏が収穫できる。あとは天日で干して保存する。
 さてこの銀杏の実をいただくことにしよう。一番美味い食べ方は、やはり塩焼きだろう。生の銀杏をオーブンに入れると、パチパチと弾けて、喜びの声を上げる。また殻の一部に穴をあけてチーンすると、殻がきれいに剥ける。

 焼きたての銀杏はまず殻を割る作業から始まる。そして薄皮をはがすと、薄みどり色の実がつやつや光りながら現れる。それを「あっちちち」と言いながら口に放り込むと、ほろ苦いあの独特の味わいが、鼻から抜けていく。歯にねっとりとからみつくような食感は、独特のものである。
 近くの居酒屋の名物メニューにもなっている。「女将、銀杏ある、じゃあ、荒塩で頼むよ!」と、あちらこちらから声がかかる。そして焼銀杏が8個ほど串刺しにされて出てくる。一皿380円が相場だ。

うれしやな焼銀杏の一並び

 焼銀杏の串刺しと熱燗で一杯やる楽しみは、晩秋の楽しみのひとときとなる。また剥かれた銀杏は茶碗蒸し、銀杏飯、鍋ものなどに添えられて重宝される。
 特に土鍋で炊き込む銀杏ご飯は、塩バターと銀杏の絶妙なバランスが実にいい。家族が所望するお父さんの自慢の一品である。
 この季節になるとついついバスの窓から、銀杏の木を探し求める。さらに木の地面に目をやる。銀杏が落ちていないかと、気になるからだ。この光景が過ぎると、秋はますます深まりゆくのである。

 

 

<10-4>訳せない美味しさ「蕪蒸し」

          *
○いつのまに曇りし空やかぶらむし    草間時彦
○ちょんと味噌頂におく蕪蒸       島田牙城
○蕪蒸し娘を呼んで食はせたり      食いしん坊
     *

 蕪蒸しに初めて出会ったのは、雪催いの京都である。まだ駆け出しのサラリーマン時代のことだ。「おおっ、寒いね、こんにちわ!」と飛び込んだのが、木屋町の小料理割烹の店「河久」さんである。
  「なにか美味いモノをお願いしますよ、板さん!」
  「お客さん、こんな寒い時は蕪蒸しなんぞいかかですか!」
  「活きの良いムツと牡蠣が手に入ったから美味いですよ!」
  「そうか!じゃあそれをお願いしようか!」
  「酒は温めがいいね!」
今日は給料も入り、懐も少しは温かい。しばらくすると、その蕪蒸しが出てきた。

蕪蒸し頼みし頬もおのずから

 蕪蒸しとは白身の魚やえびの上に、すりおろした蕪をのせ、さらに葛あんをかけて蒸す料理のこと。
  「おお!これが蕪蒸しですか!どうやって食べればいいんですか?」
  「そのまま、中に隠れているムツや牡蠣を、蕪と一緒に召し上がってください」と、赤顔の板さんは答える。

 そして言われるままに、ふわっと盛られた白い蕪の山に箸を入れると、中からムツや牡蠣が顔を出す。それを湯気の香りと共に恐る恐る口に運ぶ。
 で、どんな味だった。この問いに対して、ボクは知っている限りの形容詞を総動員して、答えようとする。それが蕪蒸しに対する義務だからだ。美味い、甘い、上品な、とろける、ほんわかな、侘び、さび等の言葉を必死に捜さねばならない。 

一口は湯気を食べたり蕪蒸

 食べた瞬間に涙が出る、というのは美味しくてというのではなく、何というか記憶の奥底にある懐かしい味、久しぶりに母の手料理を食べたときに感じるような、そんな気持ちになる不思議な味である。
 また一口食べ終わるとまたすぐに食べたくなる、そしてついついスプーンで突いて一気に平らげてしまう。これが蕪蒸しなんだと自分自身に言い聞かせる。
そして結論である。
  この味覚は「訳せない美味しさだなぁ~」とポツリ一言。食べタレント(略して食べタレ)のようには、上手くは訳せないから、そのままを結論にするしかあるまい。こうして「訳せない美味しさの蕪蒸し」というコピーが仕上がった。自画自賛しながら、熱めのお酒をグイッと飲み干せば、さらに小鉢の白さが眼に沁みる。
 うむ、訳せない味か。すり下ろした蕪を雪に見立てて、故郷のなつかしさを一鉢に見る想いが込められているのか。まあ、いいか、自分だけの蕪蒸しへの尊敬の念、畏怖の念だから。
 そしてこうと腹を決めたら、この蕪蒸しが愛しくなってくる。情が移ったのだろう。古い言葉では、これを「懸想した」という。こうしてボクの蕪蒸しとの初対面は終った。
 この店には祇園の舞妓さんが客に連れられて、よく来るそうだ。蕪蒸しと舞妓さんならバッチリと合う取り合わせだ。そんな時は、見て見ぬ振りをするのがマナーである。

蕪蒸あはれ舞妓の京ことば

 この蕪蒸しが有名なのは、京都祇園と江戸の両国界隈である。両国では相撲の打ち出しを合図に、蕪蒸しに取り掛かる料亭が多い。タニマチが力士をもてなす料理として、用意するからだ。千葉が蕪の名産地だったことから、両国界隈で発達したという説もある。
 なるほど、伝統的な蕪の生産地がこのような食文化を生み出したのか。そういえば京都では、千枚漬けなどにも多く使われる、かの有名な蕪がとれる。聖護院大蕪がその代表だ。
 その京野菜から蕪蒸し文化が発達した。「麻呂は蕪蒸しが、好きでおじゃるよ」などと、御所のお公家さんが好んだのかも知れない。

 この蕪蒸しに使われる具材は時節によって様々に変わる。料亭では、「蟹、伊勢海老、穴子、きのこ、甘鯛、牡蠣、鱧」などを選んで使い分けている。しかも「板さん、今日の蕪蒸しの出来はどうだい」などと、やり取りを楽しめる一品でもある。また女性に人気なのも蕪蒸しの特徴だ。女性を口説くときは、蕪蒸しにかぎるという声もあるほどだ。
 そう言われれば雪の降る夜などは、二人ずれの蕪蒸しは、ピッタリ合う。「吹雪蒸し」などと言われれば、まさに至福の一品になりそうだが、いかがであろうか。

格子戸の雪こそよけれ蕪蒸

 この店「河久」さんの蕪蒸しに出会ってからもう、40年が過ぎた。転勤の遍歴を経て、定年を迎えた今にして想うこと。それは「訳せない味」にもう一度会いたいと言うこと。
 そして念願の再訪を果たした。お店は昔より広く、奥行きのある景観を呈していた。店主夫婦に迎えられて、お互いの老いを褒め称えながら、例の蕪蒸しを所望した。
 暫くすると2代目が丁重に運んでくれた、40年の懸想モノが眼前に並んだ。蓋を取るとかの雪山の山河が湯気の中に見える。まさに小鉢の中には雪が降る。感慨無量の雪が降る。40年前のあの時の雪が降っている。

蕪蒸食へば眼に雪がふる

 まさに40年間訳せないでいた、味が湯気を立てているのである。老いた店主夫婦に見守られながら、ゆっくりと木製のスプーンを口に運ぶ。訳せない味と言う口福を噛み締めながら、我が人生の幻の一品をいただいている。

 

 

<10-5>酢茎漬の便りくる

          *
○ふるさとを思えば遠し酢茎漬     村山古郷
○茎漬けて信濃路は冬ながきところ   後藤比奈夫
○赤々と舌に刺さるや酢茎漬      食いしん坊
     *

 酢茎漬と聞いて、ピーンとくる人は以外に多いと思う。じゃあ、本当に酢茎漬を知っているのかと言えば、これまた曖昧な人が多い。だからこの際しっかりと、酢茎漬を紹介しておかねばならない。
 酢茎漬とは「大根や蕪の葉や茎を、桶や樽に入れて塩を加え、数日の間重石をのせて漬ける簡素な漬物」のことである。古くなるにつれて赤々と色付き、酸味をおびてくる。
 また科学的には植物性の乳酸菌の宝庫で、身体には良い食材でもある。長い冬を越すために日本人の知恵とも言える。京都大原の酢茎漬や、飛騨、奥美濃、信濃の茎漬けは殊に有名である。
 漬け方にも各家の伝統があり、それが子孫へと受け継がれていつ。唐辛子を利かす、昆布を入れる、麹を利かす、リンゴやレモンを抱かせる等、寒い冬を乗り切る保存食として、秘伝の技を注ぎ込む。

ほんじゃまあ摘んでけれよ酢茎漬

 圧巻は村ごとで行われる、4年に1度の「酢茎漬コンテスト」だ。別名、酢茎漬オリンピックと呼ばれている。各家庭から、おらが自慢の酢茎漬が続々と審査会場に集合する。最優秀作品には、牛一頭と米十表が賞品として贈られる。そして村おこしの産物としての栄誉が与えられる。

 こうなると、村人は俄然腕に磨きをかける。前回は烏賊と唐辛子、ニンニク入りの酢茎漬がグランプリーを獲得した。作者はハナさんであう。しかしハナさんは、牛一頭の賞品には処理に困る。この場合は「牛一頭分の賞金」に換金してもらえるから安心だ。ハナさんはこの賞金で、ハワイ旅行を楽しんだと言う。
 また、村長の話しでは、最近はタンパクの甘味系を仕込む技が、増えてきたと言う。ニシン、鮭、エビ類が隠し味で登用されているようだ。まるで韓国のキムチ漬けと同じ技である。
 以上が酢茎漬による「村おこし案」の概要である。しかし残念ながら、これはフィクションのコンテストだ。実現したイベントではない。ならば、地産地消運動として、タイムリーな企画となるはずである。村おこしのイベントの題材は、このような地貌の食文化が有力な候補となる。足許にネタが転がっている。

 この酢茎漬は、家族が集まれば、最初に必ず所望される故郷の味である。とくに酒や茶会の席には必ず、大盛りの酢茎漬が出される。そしてポリポリとかじりながら、茶碗酒の男たちが炉端に集い、宴が始まる。酢茎漬はこのような場面の格好の酒の肴となるのだ。
 また女たちはお茶請として重宝する。細かく刻めば、お茶漬けの具としても最高である。真っ赤に漬け上がった蕪などは、哀しいまでに故郷の寒さを感じさせてくれる。

紅の酢茎見てゐる寒さかな

 この酢茎漬は平安時代からすでに存在していたようだ。韓国のキムチと並ぶ日本人の知恵なのであろう。「今年も茎漬けしたぞ!帰ってこいよ!」と母の便りが届く。帰ろうかな、帰るの止そうかなと、迷うボクらである。

 

 

<10-6>牡蠣(かき)三昧す

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○牡蠣焼いてくるる宴も能登なれば     豊原月右
○牡蠣提げて夜の広島駅にあり       山崎ひさを
○牡蠣割つて日本海を啜りけり       食いしん坊
     *

 生牡蠣と聞くだけで、ヨダレを垂らす人は多い。実はボクもその一人だ。めちゃくちゃにヨダレを垂らす系の1人である。出来るなら「牡蠣食べ放題・365日間・今生の旅」があれば、私財を投げ売ってでも参加したいくらいだ。
 その牡蠣は、雪の便りが届くと美味しくなる。牡蠣は海のミルクといわれるくらいに栄養が豊富で、生牡蠣100gを食べれば、1日に必要なタンパク質の3分の2、カルシウムの3分の1を補うことができる。
 その他鉄分、亜鉛、ヨードなどがたっぷり入っている。なかでも旨さの素のグリコーゲンは、かの有名なグリコキャラメルの発明へと繋がった伝説を持っている。

 この牡蠣は2枚貝の仲間で、しかも浅蜊や蛤のように移動する貝ではない。一度牡蠣の幼虫が石や木にはりつくと、そこでじっくりと成長を続ける。その性質を利用して江戸時代に、広島で養殖が始まった。産地としては広島湾、三陸の山田湾、松島湾、有明湾、三重の的矢湾、佐渡の加茂湖が有名だ。
 食べ方は生牡蠣にレモンを搾り、そのまま啜り食べるのが最高。妻と2人で食べた青森の魚市場の、あの生牡蠣の感動が忘れられない。

生牡蠣をすする二人や北の果て

 また浜の漁師たちは、殻つき牡蠣の浜焼きが最高だと言う。その他にも牡蠣にまつわる料理や食べ方がある。

○ 酢牡蛎、牡蠣鍋、フライ、牡蠣飯、牡蠣すき、牡蠣雑炊
○ 牡蠣卵汁、牡蠣豆腐、牡蠣のすまし汁、牡蠣の揚げ出し
○ 牡蠣の磯和え、牡蠣のオリーブ焼き、牡蠣のおろし蒸し、
○ 牡蠣の唐揚げ、牡蠣のガーリック焼き、牡蠣の酒蒸し
○ 牡蠣の土手鍋、牡蠣のバター焼き、牡蠣のみぞれ和え

 どれもこれもヨダレ系のご馳走だ。これだけ食べられれば、もう何時死んでもいいと思えるほどの、牡蠣三昧メニューであろう。

 また天然の岩牡蠣は、旬の一品として大変貴重である。冬場が旬の牡蠣とは異なり、夏場だけの産物で全くの別種である。素潜りで獲る為に、夏場しか獲れないという。新潟の粟島で一度だけ、偶然にその岩牡蠣に出会ったことがある。漁師さんが民宿の名物として獲ってきた岩牡蠣だ。
 漁港で荷揚げの岩牡蠣舟の荷揚げを見つけ、お願いして分けて貰った。
「おじさん!その牡蠣を少し分けてくださいな!」
「どこの民宿に泊まっておるんじゃ?」
「磯波荘ですよ!」
「そうか、あそこのおばんは内の親戚じゃ!」
など、まずは軽い身元調査を受けてからの商談である。そして3個、1000円で商談が成立した。
 採りたての牡蠣は大きく、いかつい貝殻の割合には、身は小さくてぷりぷりしている。独特の鉤でその殻をこじ開けて、貝柱を切るとミルク色の身が出てくる。「この身を真水で洗い、まるごと口に放り込んで食べなさいよ!」と、口上をいただき早速そのようにした。

岩牡蠣を割る粟島の夕べなり

 まず手刀をきって厳かに、鎧に囲まれていた牡蠣の身をつまみだす。そして丸ごとを舌に乗せながら、なめらから感触を楽しむ。さらに噛み砕くと、潮の香に混じりあのなつかしい甘味が、口中にぷわっと広がってくる。実に旨い。濃厚な豊穣な味である。岩牡蠣のファンは多いと聞くが、なるほどさもありなん、と納得する。
 そしてこんな贅沢をしていいのかと言う、懺悔の気持ちにさえなる。処女の身柄を冒涜するような、そんな罪の意識が脳裏を過ぎる(まさか)。まさに100%総天然モノ、日本海そのものの恵みの美味しさである。だから生牡蠣は止められない。
 浜の漁師達が一番だと自慢する「殻つきの浜焼き」も、おそらく涙が出るくらいに美味いに違いないと思う。ただしそれは余生の楽しみに取っておこうと思う。「花見が過ぎたら牡蠣食うな」とはその漁師の話だが、ここ粟島の岩牡蠣だけは例外だった。
 また佐渡に冬が到来すると加茂湖の牡蠣がそぞろ気になる。一度は訪れたいと願うのだが、なかなか実現できない。今年は猛暑で養殖牡蠣が多大な被害を受けたと聞く。地球温暖化がここにも影響を与えている。
 さらに牡蠣と人参だけで炊き込んだ、我が家特製の「牡蠣飯」の季節がやってくる。牡蠣のしゃぶしゃぶもイケる。牡蠣と白ワインの組み合わせは、高級レストランの人気メニューのひとつである。身も心も吹雪く夜は、牡蠣の土手鍋と地酒の熱燗の一本もあればいい。ぷわぁ~、たまりませんねぇ~。

牡蠣あらば至福日和と思うべし

 最後に生牡蠣の取っておきの美味しい食べ方を紹介しよう。レモンの代わりにトマトケチャップを載せていただく。これが最高に旨い。試すといいだろう。

 

 

3 スローでウオッチング(30)

 

1、魔法のような家電が誕生した。米パンの自働製造機である。米を入れるだけで、後は機械がすべてパンの製造工程をこなし、焼き立ての美味しいパンができるというもの。
  三洋電機製で1台、5万円ほどだ。お米の消費拡大に力を入れている関与者には、まさに朗報である。さっそく楽しんでみようと思う。11月11日発売。
2、今年は赤とんぼの姿がめっきり減った。米の刈り取りにもほとんど飛ばない。その代わり「アブやブト」が増えてお百姓を苦しめている。天敵の赤とんぼがいなくなったから、と彼らはいう。
原因はいろいろあるが、圃場整備が進み乾田化し、赤とんぼのヤゴが生息できなくなったことが一番響いているようだ。赤とんぼは水田という人工の生態系でしか、生息できない宿命を負う。蛍、トノサマガエルに続いて、今、生態系に異変が起きている。
朱鷺の放鳥が始まっている自然界の流転は、生物多様性の保護という人類の気付きで、やっと議論の遡上に乗り始めた。急がねば我ら人類も絶滅種に指定されかねない。
3、弥彦の菊花展を見学した。毎年の恒例行事だ。1幹仕立ての大懸崖菊などは、作者の苦労が直に伝わってくる大作だ。
菊人形のテーマも毎年世相を表してくれる。ことしも大パノラマの菊のジオラマが展開され、雨にぬれながら我らを楽しませてくれる。
 菊は日本の国花だ。しかも様々な季語の根源となっている。菊日和、菊なます、菊師、菊の酒、菊月、菊の宴、菊の節句、菊の宿、菊枕、菊供養など日本の繊細な感覚を紡いでくれる言葉が多い。菊の香り、色そして身近な存在が11月の日々を優雅にしてくれる。もちろん棺に入れるのは、白い菊を所望する。
4、イタリアの秋を楽しんできた。古代遺跡の上に立ち並ぶローマの街は、晩秋のたたずまいである。モミジが舞い、木の実が落ちる日本の秋と緯度的にも相似している。
しかしモミジと言っても日本の紅葉のような「赤色」は皆無だ。ほとんど黄色のモミジ(黄葉と書く)ばかりだ。
紅葉と呼べる艶やかさは、日本でしか見られないようだ。それほど日本の自然は多様性に富んでいる。おそらく氷河期を生き残った紅葉の種が、日本には現存するからだろう。
異国にありて、祖国を見直すとは旅の冥利につきる。
5、「シャツター街釣瓶落しの音すなり」という駄句を作った。過疎の街は、まるでシャッターを下ろすように夕方は寂れていくという句意だ。釣瓶落しとは秋の日の暮れやすさを表現する季語だ。
   近くの沼垂通りもやはりシャッター街に近い。日暮れと共にめっきり人通りも減る。この商店街に最近異変が起きている。老朽化した雁木を取り除いて、お店全体を人目に付くように整備されだした。
   雁木は雪国には便利だが、かたや店の個性が発揮できないから、地域文化をウリとする小売店にはダメージが多い。雁木を設けてよろこんだら、マイカーが通り過ぎるだけの商店街になってしまったという嘆きも聞く。
 「シャッターを外して点す秋灯」という街づくりも、意外といいのではないか。