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2010年07月31日 10:57

VOL 28

1 スローフード巷談(8)

○生物多様性について考える(その2)

 前回に続いて生物多様性条約とその背景、および我らが成し得る取り組みについて考えてみよう。まずは生物多様性条約とその背景について、様々な資料やネットからコピペしておこう。

(3)生物多様性条約とその背景

 生物多様性条約は、個別の野生生物種や、特定地域の生態系に限らず、地球規模の広がりで生物多様性を考え、その保全を目指す国際条約である。
 1993年12月29日に発効したこの条約は、生物多様性の保全だけでなく、さまざまな自然資源の「持続可能な利用」を明記した条約である。
<条約の概要>

○目的

 生物多様性条約は、以下の3つの大きな目的を掲げた国際条約である。
    1、生物の多様性の保全
    2、生物の多様性の持続可能な利用
    3、遺伝資源の利用から生じる利益の公正かつ衡平な配分
発効は1993年12月29日。
 生物多様性条約は、1992年6月ブラジルで開催された国連環境開発会議(地球サミット)で、条約に加盟するための署名が開始され、1993年12月29日に発効した。
 締約国数は193の国と地域からなる(2010年2月1日現在)。日本は1993年5月23日に批准し、締約国になった。また、アメリカはこの条約を批准していない。

○条約の意義

 条約の締約国は、その第6条で、締約各国に対し、生物多様性の保全と持続可能な利用を目的とする「国家戦略」、または国家計画の作成と実行を、義務づけている。
 また、生物多様性の持続可能な利用のための措置として、持続可能な利用の政策への組み込みや、先住民の伝統的な薬法のように、利用に関する伝統的・文化的慣行の保護・奨励についても規定している。
 地球の生態系の中に産する「遺伝資源」の利用に関しても、資源利用による利益を資源提供国と資源利用国が公正かつ公平に配分すること、また途上国への技術移転を公正で最も有利な条件で実施することを求めている。
 これらの条約の指針は、それぞれの国内における、環境行政の大きな方向性を示すものとなり、その実施を通じて、生物多様性の保全が行なわれる事になる。

○国際協力と知見の共有

 さらに、特に重要な地域や、絶滅の危機にある種の特定、モニタリング調査などを行なうことの他、先進国の資金により開発途上国の取組を支援する資金援助の仕組みと、先進国の技術を開発途上国に提供する技術協力の仕組みがある。
 経済的・技術的な理由から、生物多様性の保全と持続可能な利用のための取り組みが、十分でない、と見なされた開発途上国に対し、支援が行なわれる。
また、生物多様性に関する情報交換や調査研究についても、各国が協力して行なうことになっている。

○条約の課題

 条約は、「生物多様性の保全」を、その目的の筆頭に挙げている。しかし、この条約会議の内容は近年、「生物多様性(=自然資源)」の利用のルールづくりや、それによって生じる利益の配分ルールづくりを行なう場、としての色彩が、むしろ強くなってきている。
 そして、このルールと利害をめぐり、実際には環境保全を進めようとする先進国と、これから開発を進めようとしている開発途上国との間で対立が起きている。
 豊富な生物資源を有する途上国と、それを利用開発する先進国との対立は、非常に複雑な問題である。「資源を持つ国」と「技術を持つ国」という新たな対立が生まれているからだ。「持てる者」と「持たざる者」という単純な構図では説明できなくなってきているのだ。
 このような利害をめぐる課題が大きく扱われることで、ヒト以外の生物への恩恵を含めた、より広い視野で、生物多様性の保全を目指すという、条約本来の課題に対する意識が、薄められてしまっている、という問題も起きている。

○WWFの評価

 WWFとはスイスに本部をおく世界自然保護基金(World Wide Fund for Nature)の略で、世界最大の自然環境保護団体NGOである。日本にも支部がある。
 これまでの生物多様性条約の貢献と活動に関して、WWFはまず、世界各地で自然保護区の設定が進んだことを評価している。現在では、地球上の陸域のうち、およそ13%を占める面積が保護区になった。
 ただ、保護区となっていても、効果的な管理がなされていないところも多く、これだけで生物多様性の保全が実現できているわけではない。このような問題のある保護区では、資金を増やし、管理面での課題を改善していく必要があると考えている。
 また、その際には、保護区がもたらす経済的な利益を評価し、「生態系サービスへの支払い制度」(PES: Payment for Ecosystem Services)を適切なかたちで導入するなどの手法で、資金の確保を検討することも一つの重要な試みとなっている。
一方、海洋や沿岸については、まだ保護区が十分に設定されていない。現在、世界の海洋で保護区になっている面積は、海全体の1%未満である。
 条約事務局が目指している、「2012年までに代表的な海洋保護区のネットワークを作る」という目標についても、実現に向けた取り組みの状況は、芳しくない。
 このため、WWFでは、状況を改善する一つの手段として、海洋保護区のネットワークを選び出すためのガイドライン策定を求めている。
 こうした陸域・海域の保護区は、生物の多様性を保全するとともに、炭素の吸収・固定源ともなり、気候変動の緩和策としても有効であると考えている。
そのためには、生物多様性条約と、気候変動枠組み条約との連携改善を図る必要が不可欠である。


<生物多様性条約と日本>

○国際条約と国内法の関係(国際的な約束に基づいた国の政策)

 生物多様性条約を批准した国は、この条約において約束したことを、自国で実行するために、国内法や関連施策を整備(=条約の実施のための国内措置)することとなる。
 日本の場合、1993年5月に生物多様性条約を締結した時点で、鳥獣保護法、自然公園法、自然環境保全法、種の保存法などの法律をあわせて実施することで、条約の趣旨を満たすという見解を示している。
 そして、1993年の締結よりあとには、カルタヘナ法、外来生物法などが加わり、さらに2008年6月に、こうした法律を覆うものとして、生物多様性基本法が施行された。また、条約の第6条を受けて、「生物多様性国家戦略」を策定し、改訂作業を重ねている。

○生物多様性国家戦略について(日本の環境行政の指針)

 生物多様性条約の第6条(a)は、各締約国政府に対し、生物多様性に関する国家的な戦略、行動計画または実施計画を策定するよう求めている。
 日本の生物多様性国家戦略は、生物多様性条約に基づき、生物多様性の保全とその持続可能な利用という観点から、条約締約国としてどのように、この問題に取り組んでいくかという基本方針と施策展開の方向性を示したもので、1995年に初めて策定された。
 この戦略策定に当たっては、環境省(当時は環境庁)だけでなく、関係省庁(農林水産省、国土交通省、文部科学省、経済産業省、厚生労働省、外務省(いずれも現在の名称で表記))が分担執筆するという形を取った。しかし、縦割り行政的な取り組みのため、結果としては不十分なものになった。

○求められる履行の義務

 本来、生物多様性という問題は、細かく割り振り出来るものではない。したがって、国の政策決定者、地元で活動するNGOやNPO、自治体などのあらゆる立場の意見を採り入れ、調和の取れた多様性保全を目指していかなければならない。
 そのような生物多様性保全を目指し、2002年及び2007年に、生物多様性国家戦略の改訂が行なわれた。第3次生物多様性国家戦略である。
 その際には、自治体、企業、NGO、学会など、関係者からのヒアリングが行なわれ、国民からの意見聴取(パブリックコメント)も実施された。改訂を重ねるにつれて、省庁間の連携も深められ、トータルプランとしての性格を帯びるようになりつつある。
 しかし、この戦略は法律ではなく、あくまでも理念や方針を定めたものであり、履行の義務は伴わない。つまり、実際に、戦略を活かした生物多様性の保全活動を後押しするには弱いものとなった。

○今も進む危機

 2007年の「第3次生物多様性国家戦略」から示されるようになった「3つの危機」は、依然として進行しているのが実情である。
危機とは、次の3つ。

1、人間活動や開発による危機
2、自然に対する人間の働きかけが減っていくことによる影響、つまり、里地里山などが管理されずに放置されることによる危機
3、外来種や化学物質など、人間により持ち込まれたものによる危機

2007年の「第3次生物多様性国家戦略」では、この3つの危機に加えて、

4、地球温暖化

による危機が明記された。また、生物多様性国家戦略は、100年後を見据えた国土のグランドデザインと位置づけられるようになっている。
 このようにして、生物多様性を取り巻く状況の変化に合わせ、国家戦略も改訂されている。しかしこうした危機に歯止めがかかる気配がなく、事態は改善していないのが現状である。
そうした中で誕生したのが、以下の2008年の「生物多様性基本法」である。

<日本の生物多様性基本法>

 2008年6月に施行された「生物多様性基本法」は、それまで日本になかった、野生生物や生息環境、生態系全体のつながりを含めて保全する目的を持つ初めての法律である。生物多様性の保全に関する初の「理念法」ともいえる。
 生物多様性条約を批准している日本では、生物多様性の保全に関係する法律、たとえば、鳥獣保護法や、種の保存法、外来生物法など、の法律に基づいて、条約が求めるところの生物多様性保全への取り組み行なう、とする立場がとられてきた。
 しかし、鳥獣保護法はあくまで狩猟の対象となる鳥獣に対象が限られており、種の保存法や外来生物法も、それぞれ絶滅が懸念される希少生物の保護や、特に被害が大きいと認められた外来生物のみを対象としている法律であるため、法律の網の目からこぼれ落ちるものがあるのが実情だった。
2008年に成立した「生物多様性基本法」は、これらの野生生物にかかわる法律の上位にあって、傘のように覆いをかける、生物多様性のための「理念法」である。
 つまり、生物多様性基本法は、鳥獣保護法や、種の保存法などの、個別の法律の施行状況を確認し、必要であればその改正や状況の改善を求めることができる、初めての法律なのである。
 この法律によって、諸外国では行なわれていながら、日本ではまだきちんと導入されてこなかった重要な施策が、実現される可能性が高まることになった。
 また、生物多様性の保全に配慮しながら、自然資源を持続可能な方法で利用することや、生物多様性を保全するための予防的な取り組み、事業が開始されたあとの順応的な取り組みなどを第3条の基本原則でうたっている。
 さらに、この法律で注目されるのは、第21条で政策形成への民意の反映を促している点である。ここには、これまでよりも、国民や民間団体がしっかりと関与して、生物多様性の保全に関わる施策を作ることを明記している。
 ちなみに、この生物多様性基本法それ自体が、多くのNGOが提案していた「野生生物保護基本法(仮称)」をたたき台としている。
 つまり、市民提案が、与野党議員の賛同を得て、生物多様性基本法という形で陽の目を見たのである。その意味では、NGOもこの基本法を活かしていく役割を担っていると言える。
 さらに、同基本法では、都道府県や市町村でも、それぞれの地域の生物多様性保全戦略を作ることを規定している。
 千葉県や埼玉県、愛知県、兵庫県などは地域戦略をすでに策定しているが、地域に根ざした生物多様性保全の取り組みが今後、さらに広がってゆくことが期待される。
 生物多様性基本法は、理念を示した基本法ではあるが、これが理念にとどまるのか、実際の保全活動に役立てられるのか、それはこれからの日本の取り組みにかかっているといえる。
 この基本法は、第10条で、生物多様性の保全および持続可能な利用のための施策に関して、毎年、国会に報告することを義務づけている。
 これまでの「生物多様性国家戦略」が必ずしも検証を必要としないのに対し、これからの国家戦略は、基本法にもとづく法定計画として、実施状況が毎年、確認されるようになった。
 このような地域主体による積極的な動きが、今後ますます、国内における生物多様性保全において、重要な役割を果たしていくことは、間違いないだろう。
さらに2010年、名古屋においてCOP10が開催される。日本が議長国である。

○ COP10の日本の役割

 生物多様性条約締結国際会議(COP)が2010年10月18日~29日、名古屋で開催される。COP10である。2010年は国際生物多様性年であり,国連が地球上の生物多様性の損失速度を大幅に減らすと掲げた「2010年目標」の達成年である。
 COP10直前の9月には、国連総会で首脳級レベルの「生物多様性サミット」も計画されている。この節目の年に、日本は議長国という大役を担うことになった。
 COP10の至上命題は2点ある。

1、バイオ燃料と生物多様性の両立の問題
2、ABS(遺伝子資源へのアクセスと利益配分)に関する国際ルールの締結

 名古屋議定書なる法的拘束力のある国際ルールが、採択される可能性もあり、議長国としての手腕が問われることになる。
 さらに日本の産業界の積極的な取り組みを、COP10で世界に発信したいという狙いもある。「生物多様性企業活動ガイドライン」や「生物多様性宣言」などがその根拠となる指針だ。
 動き出した政府と企業、NGOの2010年へのみちのり。この3者の強力関係で、議長国の存在感を示せるかどうか。待ったなしの秒読みが始まっている。

(4)、我らがなしえる取り組みについて

 地球の温暖化と生物多様性問題は、両輪の課題である。しかも地球レベル、大陸レベル、国家レベル、市町村レベルそして個人レベルへと、その連鎖と責任の範囲は無限に広がる。
その余りにも広大で深い森羅万象への対応には、人智を超えた困難さが伴う。むしろ個人には無力感すら漂う。
 しかし諦めてはいけない。生物多様性の頂点に居る人類が成すべきことは、山ほどある。生命体としての地球を、持続可能な水の惑星として保全できるのは、我らしかない。まさに人類の存亡をかけた取り組みが、今、始まろうとしている。
山ほどある取り組みの中から、重点的に求められるルールづくりや活動をピックアップすると、6項目ほどにまとめることができる。

1、絶滅の恐れのある種の保護
2、侵略外来種対策
3、経済活動の自然環境へのアセスメントの徹底
4、環境保全型農業などの農林水産業の振興
5、地域生態系の保全
6、教育と啓蒙活動

どれを取っても難題ばかりである。
 この課題に対して産官学とNGOがそれぞれの分野において、役割を果たしていくことになる。それは「Plan-Do-See-Check」のアクションプランを回すことでもある。
 とくに企業の対応は、今後ますます現実的な活動で先鋭化していくだろう。企業が生き延びるためには、生物多様性との関係が極めて重要となり、そのガイドラインつくりも激しく展開されるだろう。
 それらをまとめたのが以下の図表である。

 我ら個人レベルでは、まず足許から始めればいいだろう。地元学に参加して、身近な環境を理解する。環境に負荷をかけない「暮しのスタイル」を考え、実践する。
NGOボランティアへの寄付金による援助も我らができることである。
 以下の図表は、新潟におけるボランティア活動の一例である。様々な形で、活動を行っていることがわかる。

 念のために外来生物指定対象種のリストを掲げておこう。96種が厄介種として、指定されている。

念のために外来生物指定対象種のリストを掲げておこう。96種が厄介種として、指定されている。

ブラックバスなどは、すでに槍玉に上がっているのは、周知のことである。
 ついでに保護され、守られている希少野生動植物の82種リストも掲載しておこう。

 このリストから思い当たる種を確認できるはずである。五泉市の「イバラトミオ」や佐渡の「朱鷺」などは、人力による保護活動が効果をあげている。
 このレッドリストには、今のところ人間という種は含まれていない。しかし地球上に数多存在する人間という個体が、絶滅の危機に陥ることも、将来においては、その可能性は否定できない。人類もまた、地球生物の一部であり、それを忘れた傲慢な振る舞には、レッドカードが突きつけられるのは当然である。
 生物多様性は、我らに生きるスタイルまでも影響を及ぼす。スローフードがめざす「おいしい」「きれい」「ただしい」の概念を持って、今一度、身の回りを見直したいと念願する。

2 食あれば句あり


<8-1>とりあえず冷奴です

          *
○ポケットに黒のネクタイ冷奴    西山誠
○冷奴水を自慢に出されたり     野村喜舟
○とりあえず崩しにかかる冷奴    食いしん坊
     *

 夏が来れば思い出すもの。それは尾瀬と冷奴と決まっている。いや決まっていないか。とにかくそんな冷奴に箸を入れてみよう。冷奴に関しては結構うるさい人が多いから、一筆啓上しておかねばならない。
まずは基礎情報である。
 冷奴(ひややっこ)は、豆腐を使った料理の一つ。奴豆腐(やっこどうふ)とも。主に夏向きの料理。よく冷やした豆腐を大きめの直方体に切り、醤油をかけて食べる。ネギ、鰹節、ショウガ、ミョウガ、青じそなどの薬味と共に食べるのが一般的。
 なお、石川県ではショウガではなくカラシをのせるほか、山形県では郷土料理の「だし」をのせるなど、地方独自の食べ方もある。また、豆腐の上にかき揚げやてんぷらをのせた物を「ざぶとん」と呼ぶ。
 食材を大きく四角に切ることを「奴に切る」といい、これが冷奴の語源である。江戸時代の豆腐百珍においては、一般的に知られているので料理法は記すべきほどではないとされていることより、それ以前より広く知られていたと考えられる。

 以上が基礎知識編である。庶民の味、庶民の味方の民主党のような存在感がある食べものと言えようか。それだけに、この奴は味が濃いとか、豆の味がするとか、硬いとか、遺伝子操作とか、いろいろとうるさく薀蓄が語られる。
 薬味に関してもあれこれ、醤油にも一言注文をつけたがる。しかもいずれの薀蓄も、いわば禅問答となるのが特徴だ。
 じゃあ、「それほど言うんだったら、冷奴の本道を原稿用紙一枚にまとめてみろよ」と言うと、一言居士達はさっさとどこかに消えていなくなる。そこが不思議である。それほど冷奴道の本質は難しい。
 しかしいざ食べる場合は、そんな薀蓄など何処かに消えて、「奴さん、奴さん、今日のあなたは何処まで」などと言いながら箸を取る。「結構なお手前でした、この器は有田の柿右衛門でございますか」などと、挨拶を述べる必要など一切要らない。
それが冷奴の庶民的な、野点風食べ方なのである。

冷奴食べる健啖揃ひけり

 しかも不意の客には、とっさの馳走として、「とりあえずの冷奴」として重宝する。これを客をしばらく黙らす意味から、「黙らしメニュー」と呼んでいる。この機能はありがたい。
 さらに冷奴がいかに早く出てくるかで、客に対する好意度が推し量られると信じられている。なかなか出てこない場合は「ああ、ボクは歓迎されていないんだ!」と、己の未熟さ、世間の冷たさを感じとらねばならない。突き出しの冷奴に潜む世間の刹那さとも言えよう。
 また一般家庭では、風呂上りのお父さんにも、この冷奴はありがたい。キンキンに冷えたビールを「いざ、イザ!」と、言いながらグビグビやる場合は、まずこの冷奴か枝豆があれば事足りる。幸せって何だっけ、何だっけ・・・などと明石家さんまが歌うまでもない、幸せの光景となる。

 お父さんはビールを一口飲んでは、冷奴を箸で崩しにかかる。食べやすいように冷奴を四等分に箸で切り、その一角をおもむろに口に運ぶ。大方のお父さんは、その崩した一角にあごを突き出して、口で迎えに行く。「おっとっと」などと言いながら、冷奴を迎えに行くのである。

おっとっと手を添へて食ふ冷奴

 この一連の動作がスムースだと、そのお父さんの健康状態に対して、冷奴業界から「健康に異常なし」の太鼓判が押される。もちろんこれは自己申請制。このお父さんは「豆じゃのぅ」となるわけだ。
 さて豆腐の美味い所といえば、やはり京都辺りという声があがる。関西では淡口醤油を少し垂らして、茗荷やネギの薬味をのせる。「このお豆腐は京都の嵯峨野名物ですよ」等と言いながら、ビールのあてに出せばもう立派な「冷奴会席」の出来上がりである。セットで五千円は稼げるメニューとなる。
 さらに冷奴に欠かせないのが水だ。南禅寺や嵯峨野の割烹料理店などは、冷奴の水を自慢にしている処もあるくらいだ。名水百選の「××の水」に浸した冷奴だといわれると、とたんに価千金の冷奴ブランドとなるのだ。
 「六甲の水冷奴」や、「アルプスの天然水冷奴」なんていい感じになる。聖徳太子縁の「どっこん水」仕立ての冷奴ならば、「ウン、これだ、これが豆腐の味なんだよなぁ!」などと口走るに違いない。またその呟きが美味さを倍増する。
 さらに通の人たちは天然塩を少し舐めて奴を食べる。赤穂の甘塩、伯方の塩、さらに海洋深層水の塩などとこれも薀蓄を並べて威嚇する。これを「潮仕立て」と言う(言わないか)。

冷奴それも赤穂の塩添へて

 豆腐には絹と木綿があるが、歯ごたえはやはり木綿に限る。しかもそのまま食べると、豆のほのかな甘さが口中に広がってくるからうれしい。その切ないほどの甘さと、青臭い匂いが日本人好みなのであろう。
 そして冷奴は、人心を沈め、しかも清めてくれる神饌の一品ともいえる。激しいビジネス競争に疲れたら、愚痴のこぼせる女将の店で、この冷奴で一杯やるのも男の嗜みと言うものだ。この一丁の冷奴には、何もかも削ぎ取った「素」としての、日本文化と元気が宿っている気がしてくるから不思議だ。
 おっとっと、さっそくこの奥の深いこの冷奴に、今夜もお世話になろう。そう言えば七色の冷奴を作っているお店がある。大はやりだそうだ。

七色はしあはせの色冷奴

<8-2>楽しき頃の「ソーダ水」

          *
○ソーダ水つつく彼の名出るたびに   黛まどか
○一生の楽しきころのソーダ水     富安風生
○君と僕しのび逢ふ日のソーダ水    食いしん坊
     *

 ソーダ水を飲むたびに、今でもじーんと心が濡れる思い出の歌がある。「ツンツン節」だ。手を腰に当てて、ツンツンと体を上下させて歌う。

ボクは真面目な高校生、ツンツン、胸に五つの金ぼたん、ツンツン
君はかわいい女学生、ツンツン、背なに二本の白い線、ツンツン
そもそも二人の成り染めは、ツンツン、小雨に煙る喫茶店、ツンツン
ボクが大学出る頃は、ツンツン、君はがっちり嫁支度、ツンツン
新婚旅行のその夜は、ツンツン、処女よさらばと涙ぐむ、ツンツン
たった六畳一間だが、ツンツン、明るい陽射しの新所帯、ツンツン
もしも男が生まれたら、ツンツン、きっと貴方に似てるでしょ、ツンツン
もしも女が生まれたら、ツンツン、きっと君に似てるでしょ、ツンツン

 今でこそ、このような純情な青春風景は少なくなっていうが、ボクらの時代は、この歌にすべての夢と希望が託されていた。青春の全てであり初恋の歌だった。
 だから今でも口ずさむと、熱きものが胸にこみ上げてくる。団塊の世代が聞けば涙ぐむ「神田川」などとよく似ている。まるで寮歌を熱唱して歌う、30年目の涙の同窓会のような気持ちになる。
 そんな時代の初めてのデートは、街角の小さな喫茶店の隅っこが定番だ。お互いに伏し目がちで、ハンカチを握る手は心なしか震えていた。
そんな時に活躍するのが、かのカラフルなソーダ水だ。メロンソーダが定番だった。コーヒーでも紅茶でもない。ストローでかき混ぜながら、ふわふわした気持ちを押えるのに役にたつた。
 一口すすっては、またストローでかき混ぜる。混ぜてはまた、ソーダ水の上澄みをすする。このぎこちない繰り返しで、切ない時間が静かに過ぎていく。まさに「楽しき頃のソーダ水」風景である。

見つめ合ふ明日の色のソーダ水

 しかし最近ではこのような光景は見られない。よく見られるのは、眼前の相手に、携帯電話をお互いにかけ合っている光景だ。まさに気味が悪い。これも時代の産物なのだろう。場所はファーストフードのお店が多い。喫茶店文化が日常から消えうせたからであろうか。
 マクドナルドやミスタードーナッツでの、見つめあい携帯電話の光景である。この場合の飲み物はコーラ―かコーヒーが相場だ。残念ながらソーダ水は出てこない。ソーダ水は青春の王座を失っている。いまや幻の泡となったのだ。
 ところでソーダ水とは一体何物なのだろうか。一般的には炭酸水のことを指す。風味付けした炭酸水も販売されている。甘味は添加せず、風味だけを加えている点がソーダとは異なる。レモン、ライム、サクランボ、オレンジ、ラズベリーといった果物の風味を加えたものがソーダ水と呼ばれている。
 ちなみに日本ではソーダ水といった場合、メロンソーダを指すことが一般である。例えばソーダフロート(上にアイスクリームがのったもの)は、メロンソーダが使われる。果物をのせたのがフルーツパフェである。子ども達の一番人気メニューのひとつだ。またなつかしいインスタントソーダの「春日井のシトロンソーダ」を思い出す人も多いはずだ。
 そしてメロンソーダは、戦後の若者の心をとらえた淡飲み物として君臨した。

 じゃあこの場合、サイダーやかき氷、はたまた、あん蜜やアイスクリームが登場してもいいじゃないかと、言い出す人が居るかもしれない。もちろん、「それは個人の勝手でしょ」と言えば、それで議論は終りになるのだが、やはり、この場合はソーダ水でなければなりません。
 あん蜜食べながら、爽やかな「明日の夢」を語れますか。この一線はどうしても譲れない。ソーダ水ほど、切なさ、はかなさ、希望や夢、哀しみを表わすメニューは他にはないからだ。

浮かびくる泡の弾けてソーダ水

 ソーダ水の泡を見ていると、人生のはかなさや青春の刹那さが浮かんでは消えていく。という事は「ソーダ水はソーダ水にして、ソーダ水にあらず」と言える。ソーダ水には心象としての、様々な人生が詰まっている。それくらいに大袈裟に考えると、ソーダ水の偉大さが見えてくる。
 「ソーダ水に於ける心理学的研究」が大学の卒論テーマでなされても、何ら不思議ではないメニューなのである。例えば

○初恋のソーダ水(ピンク)
○お別れのソーダ水(ブルー)
○求愛のソーダ水(真紅)
○不倫のソーダ水(オレンジ)
○淋しき王様のソーダ水(白)
○告白のソーダ水(紫)

 などの「色―泡」連携の心象的メニューが考えられる。色彩心理がメニューに込められた花言葉のようなカラーソーダ水となり、改めて若者の話題となる気がする。
 あれから40年経った。そして最近、久しぶりにソーダ水を飲んでみた。もちろんメロンソーダである。ストローで氷を突くと、底から泡が立ち上りくる。それを楽しみながら、かの「ツンツン節」を口ずさんでみた。

ボクは真面目な高校生、ツンツン、胸に五つの金ぼたん、ツンツン

 ボクの心のポケットにはまだ、5つの金ぼたんとソーダ水が入っていた。人生の「楽しき頃」の思い出がぎゅっと詰まっていた。我がソーダ水は永遠なり。そんな口福な時間を楽しんだ。

眼鏡拭く楽しき頃のソーダ水

<8-3>ほっとする「心太」

          *
○清滝の水汲みよせてところてん    芭蕉
○ところてん女らには暇多すぎる    多田てい石
○心太この怪しきを楽しめり      食いしん坊
     *

 「心太」と書いて「ところてん」と呼ぶ。どうしてそう呼ぶんだと言われても、そう呼ぶんだから、そう呼ぶんだとしか言いようがない。奈良時代からそう呼ばれていると聞くから、かなり古い。そして、アハハと笑ってごまかせば、論が先に進むから不思議な題材となる。
 まず心太の基礎知識から整理しておこう。
 ところてん(心太または心天、瓊脂)は、テングサやオゴノリなどの海藻類をゆでて煮溶かし発生した寒天質を冷まして固めた食品。
 それを「天突き」とよばれる専用の器具を用いて、押し出しながら細い糸状(麺状)に切った形態が一般的である。
 全体の98-99%が水分で、残りの成分のほとんどは多糖類(ガラクタン)である。ゲル状の物体であるが、ゼリーなどとは異なり表面はやや堅く感じられ、独特の食感がある。腸内で消化されないため栄養価はほとんどないが、食物繊維として整腸効果がある。
 関東以北および中国地方以西では二杯酢あるいは三杯酢をかけた物に和辛子を添えて、関西では黒蜜をかけて単体又は果物などと共に、東海地方では箸一本で、主に三杯酢をかけた物にゴマを添えて食べるのが一般的とされる。また、醤油系のタレなどで食べる地方もある。

 以上がおおよその心太情報である。この心太の原料は、「天草」から作られる寒天だから、植物性繊維が多く、カロリーも少ない健康食品として、古来から好まれてきたようだ。
 「へエッ!心太はダイエット食品なのだ!知らなかったワァ~」と、世の乙女たちが本能的に好む理由が見えてくる。こんにゃく、若布、もずくなど栄養価はないが、それを食卓に乗せてきた日本人の知恵には、脱帽するほかないだろう。
 夏の和菓子といえば、心太、水羊羹、蜜豆、葛きりがある。なかでも煙りのように器の底に沈んでいるこの心太は、不思議な食べ物の代表格だ。魔界の食べ物という説もある。とくに女性の好物メニューのひとつには違いない。

心太食べる横顔見て飽きず

 さて新潟人は、どのような食べ方を好んでいるのだろうか。実はそれを知る手がかりが、弥彦神社門前界隈にある。門前界隈ではところてんを食べさせる店がいっぱいからだ。
 弥彦では酢醤油でそれを食わせてくれる。しかも箸は一本が決まりとなっている。そして後1つ忘れちゃいけない物がある。
 それはお弥彦様の松の葉をタレ瓶の口にさしてかけるので、松の香りがし、そこにからしを添えていただくのである。弥彦山登山口のお店で食べさせてくれる。
 その心太は最高の涼味である。山の冷たい水に冷やされていて、それに森林浴を味わいながら、いただくから美味しいのは当たり前。神社参りの汗の体を冷やすために売られている。
 また弥彦以外の下越地方でも心太は酢醤油、と決まっている。どうやら新潟は酢醤油で統一されている。さらに、箸は一本(一膳ではない)で、心太をひっかけてズズズーっといくのが慣わしである。
 初めての人は、店の人に「あの~、お箸もう一本くれませんか」などと催促するかどうか迷うという。誰が始めた作法だか知らないが、なぜかやっぱりこれが一番いい。 心太は2本箸で食べるほどの存在ではない、と考えられたからだろうか。とにかく酢醤油、1本箸の組み合わせが心太のゆかしく風景なのである。
 この心太は熱い身体を少し冷し、汗の出るのを防ぐ効果がある。そして疲れた心が軽くなるという。心が太くなる、すなわち「心太(ところてん)」という由来になるのであろうか。
 だとしたら、激論の会議などにこの心太を出せば、案外スムースに論は進むかも知れない。「まあ、まあ、心太でも食べながら、ゆっくりやろうよ」と、会議のリーダーが言い出せばしめたものだ。これがかの有名な「心太評定」と言われる会議の形だ。
 また、京都祇園の鍵膳では、黒蜜入りの「葛きり」が有名である。手製金庫のような器に入れられて、厳かに出てくる。結構いい値段する。しかも旅の女性達が列をなして並んでいる。とにかく、雲を掴むようなメニューであることには違いない。

心太でも食べようかと熱の妻

<8-4>江戸の郷土料理「どぜう鍋」

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○酒好きに酒の佳句なしどぜう鍋    秋元不死男
○泥鰌鍋「昔はもてた」話ばかり    塩田丸男
○下足札もらひ乗り込む泥鰌鍋     食いしん坊
     *

 ボクらの子供の頃には、近くの川や溝にいくらでも泥鰌や鮒っこがいた。しかし川の汚染やコンクリート化でめっきりその数が減ってしまった。いまやよほどの田舎に行かないと、目にすることはない。幻の種、泥鰌に成り果てたのである。
 ところが最近になり、泥鰌が多方面から注目されだしている。佐渡の朱鷺の餌は泥鰌が中心になり、泥鰌が棲める棚田作りが盛んに行われ出した。2007年に始まる朱鷺の放し飼いに合わせて、棚田の整備が急ピッチに進んでいる。もちろん泥鰌が棲める棚田やビオトープ構想が中心となる。泥鰌の餌となる田のイトミミズやユスリカを発生させるためだ。
 さらに農薬で荒れた農業を見直す動きのシンボルが、泥鰌の生態系となり、いまやこの泥鰌君は自然環境の旗頭となりつつある。生物多様性などという大テーマを掲げなくとも、すでにイトミミズやユスリカを餌とする生物の繋がりが、豊かな大地を潤しているのだ。
 かたや屋久島産の泥鰌が、かの東京の浅草に進出し、「島起こし」ビジネスとして、にわかに騒がしくなってきた。どぜう鍋の本家は浅草あたりだから、屋久島の狙いは、すばりどぜう鍋にあるのだろう。泥鰌は餌としてばかりでなく、我が食卓の馳走としても貴重な存在なのである。
 泥鰌の食べ方には様々な工夫がなされてきた。それをみておこう。

(その1)、
どぜう鍋 生きたドジョウに酒を振りかけてすぐ蓋をする。最初は大変に暴れるが、やがておとなしくなったところで小さな薄い鉄鍋に並べる。甘辛い割下を注ぎ、炭火で煮込む。ネギを大量に乗せ、山椒や七味唐辛子をかけて食べる。丸なべとも言う。 浅草界隈に多くの店がある。
(その2)、柳川鍋
小骨や頭が気になる人のために背開きにして骨と頭を取り除いた「抜き」あるいは「裂き」という料理法もある。これをゴボウと共に卵とじにしたもの。 天保初年、柳川さんの店から発売されたからその名がついた。
(その3)、泥鰌の蒲焼き
金沢市では、土用の丑の日にウナギの蒲焼きの代わりにドジョウの蒲焼き(関東焼き(かんとやき))を食べる風習が今でも続いている。 しかし近年は、泥鰌の蒲焼きの価格が高騰したりドジョウの苦味を敬遠する人が増えたことから、他地域と同様ウナギの蒲焼きを食べる人も多い。
(その4)、地獄鍋
生きたドジョウと豆腐をいっしょに鍋に入れて徐々に加熱してゆくと、熱さを逃れようとして豆腐の中にドジョウが逃げ込むが、結局は加熱されてドジョウ入りの豆腐ができあがる。 これに味を付けて食べるのが地獄鍋である。実際には、頭をつっこむ程度で逃げ込むまでには至らないことも多い。中国や韓国にも同様の料理があり、中国では「泥鰍鉆豆腐」などという。
(その5)、泥鰌のスープ
韓国で一般的なドジョウのすり身を入れたスープのこと。チュオタン(鰍魚湯)とよばれている。チュオ(鰍魚)は朝鮮語でドジョウを意味する。
(その6)、泥鰌の素揚げ  
生きた泥鰌の唐揚げ。塩を振って肴とする。

以上が泥鰌の料理例である。
 しかし実際の現場報告をしなければピーンとこない。さっそく朱鷺に代わって、その浅草の「どぜう家」さんを訪れることにした。200年続く老舗である。
 古めかしい暖簾「どぜう」を潜って玄関を入ると、昔の風呂番のおじさんが、これまた下足札を渡してくれる。一見、泥鰌みたいに愛嬌のあるおじさんだ。

どじょう鍋どぜうの暖簾くぐるより

 早速、店のお姉さんに畳の大広間に案内されて、卓袱台の前に座る。メニューは「どぜう鍋」関係だけである。さっそくお品書きをしげしげ眺めながめ、冷えたおしぼりで顔を拭く。待てよ、「どぜう鍋」と言ってもいろいろな種類があるに違いない。ビールをまず注文しておいて、さらにお品書きを分析する。

 結果として「まる」「ほねぬき」「柳川」の3種類があることを小発見。それが「丸ごと、骨やモツ抜き、そしてほねぬきに牛蒡と卵を加えた柳川」である三品であることは、すぐ理解できる。   
 「あのぉ~、このまるをくださいなぁ」と、お姉さんに注文する。「まるねぇ」と、お姉さんはボクの顔を見てニヤリと笑い、奥へ消えてゆく。こうなれば後は回りの客をウオッチングするだけである。真昼間から、どぜう鍋などをつつく人間模様が気になるからだ。
 社用族らしきグループ、はとバスの団体さん、食通らしきカメラマン、そして明らかに怪しい2人連れなど薄暗い部家には、庶民多様性が存在する。
しばらくして、直径20センチで深さ1センチほどの鉄鍋に、18匹ほどの丸ごとドジョウが身を横たえて出てきた。「どじょうが出てきてこんにちは!」という感激の初対面である。しかも討ち死にを覚悟した全員が整然と並んでいる。
 さっそく割り下を入れて、厚切りのネギをのせて、くつくつと煮え上がるのを待つ。「オオッ、そろそろイケソかなー」と、その中の1匹を皿に取り上げ、山椒を少々ふりかける。試し食いである。口の中のドジョウはホロホロと崩れ、ほのかな苦味が舌の上を走るのがわかる。

ほろほろと崩れ泥鰌の食はれけり

 意外と田圃の泥臭さや匂いはない。葱との相性も抜群だ。泥鰌を一尾食べては、ビールをゴクゴクとやる。この寒暖の差がたまらない。しかも汗がじわりと体の芯から沸いてくる。
 江戸の庶民の郷土料理だと言われているが、さすがは町民文化の時代である。その栄華を偲ばせてくれる。鬼平も恐らく、うまそうに食べたであろうと思うと、余計に旨さが染みとおる。

鬼平のうまさうに食ふどぜう鍋

 食べ終えて、ふっと一息つくと、回りの客も一息付いている。小さな鉄鍋で、くつくつと煮込みながらたべる泥鰌鍋は、確かに身体を芯から元気にしてくれる気がする。
 しかも夏のスタミナ界の料理として重宝されて来たのだから、是非もない。まさに「昔はもてた男たち」の庶民のスタミナ料理なのである。
 また最近は、カップルの2人連れが増えてきたという。女性には人気がないメニューだと思い込んでいたが、どうやらそうでもないらしい。
 下足人のおじさん曰く。「どぜう鍋」をつつくカップルは、100%デキテルとのことだ。するどい指摘だ。ほろ酔いで暖簾を抜けると、すでに浅草界隈は夏の日射しがまばゆいばかりだ。
 この泥鰌は一時、田圃から姿を消したが、最近やっと見かけるようになって来た。天然泥鰌鍋は、地球環境のバロメーターとなる食べ物となる。一事が万事とは、泥鰌の存在そのものを尊ぶ教えとも言えるだろう。


<8-5>鯉のあらい

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○父と来し父のふるさと洗鯉      加藤覚範
○ビードロに洗び鱸を並べけり     正岡子規
○もてなしは村を総出の洗鯉      食いしん坊
     *

 鯉は川魚の王様である。用心深くて、なかなか釣れないが、魚へんに里と書いて鯉と呼ぶことからも、人間との関わりは深い魚だといえる。信州の佐久や飯田、山形の米沢、利根川の鯉も有名だ。新潟では五泉の養鯉場が長い歴史を持っている。
 さらに千葉の成田山新勝寺の門前町には、この鯉料理が名物になっている。参拝の店先には、血を流した鯉が並べられ売られている。殺生を禁じる仏の門前でのこの光景は、一度見たら忘れられない。もちろん鯉料理をたっぷり食わせてくれるから驚きだ。これが鯉のあらいを初めて食べた記憶の欠片である。
 夏はその鯉をあらいで食べるのが最高だ。特に蛋白源が不足している山間部の山間には、清流を利用した養殖が盛んである。
 また鯉は生命力が強い魚であり、滋養があるとされ、妊婦などの栄養補強にもよいとされる。しかも汚れた水系の川、池、湖、沼でも逞しく育つ。野鯉(在来種)と養殖鯉(外来種)の2個体が日本では存在する。養殖の鯉はほとんどが外来種である。
 捕獲した鯉はきれいな水を入れたバケツの中に、半日程入れて泥を抜かないと泥くさい。さばくときは濡れた布巾等で目を塞ぐとおとなしくなる。
 日本では鯉こく(味噌で煮込んだ汁)、うま煮(切り身をさとう醤油で甘辛く煮付けたもの)、甘露煮、さらには洗いにして酢味噌や山葵醤油を付けて食べる。中華ではから揚げにしてあんをかけて食べる。

 内陸の山間部である山形県米沢市は、冬場は雪に閉ざされ、住民はタンパク質が不足がちな食生活をしていた。タンパク質を補う目的で、上杉鷹山は1802年に相馬から稚鯉を取り寄せ、鯉を飼うことを奨励した。各家庭の裏にある台所排水用の小さな溜めで、台所から出る米粒や野菜の切れ端を餌にして蓄養した。
 また、長野県佐久地域では水田で養殖している珍しい方法で食材として飼われている。なお食材としての鯉は、福島県からの出荷量が最多である。新潟では五泉市の三ノ宮養鯉場が食用鯉を販売し、食わせている。
 以上が鯉の基礎知識である。
ここで鯉にまつわる過疎村の物語を紹介しておこう。
 その過疎の村にある日、新しい婿さんがやってきた。村の人たちは相談して、「鯉のあらい」でもてなすことにした。老人しか住まない村にとっては、若い婿さんは大歓迎なのだ。
 さらに「婿さんよ!鯉でも摘まんでみんしゃるかい!」と気軽に声をかけ、池の鯉を捕まえに同行させる。新婿さんも初めての体験で張り切って出かけた。
 そうとは知らない鯉は、餌でも貰う感じで喜んで池の渕にバシャバシャと、水音を立てながら近づいてくる。ここからが勝負だ。網でも池に入れて、鯉を追い立てようものなら鯉は一目散に逃げ去り、ゲットは難しい。村人と鯉との知恵比べが始まる。

 しかし新婿さんは平然として、1本の竹に1メートルほどの蛸糸をつけ、大き目の釣り針をつける。そして蚕の「さなぎ」の餌をつけて池の渕に投げ込み、竹は畦にしつかりと挿し込んで物陰に身を隠す。村の人たちは、婿さんのお手並み拝見といったところだ。
 しばらくすると、水面に浮いている「さなぎ」に、鯉の先発隊が様子を見にくる。すぐに食い付かないのが、鯉が王様たる所以である。その内に、人影がないことを確かめて、大き目の鯉が婿さんの餌に食いつき罠にかかる。新婿さん連合の勝利の瞬間だ。バシャバシャと音を跳ねながら鯉を引き上げ、家へと凱旋する。
 引き釣り上げられた鯉は、さっそく村の人の手で「あらい」に調理される。

じたばたもせず夏鯉の捌かれり

 身はできるだけ薄くそいで井戸水で何度も洗われる。臭みを抜くため、お湯にさっと通してあとは大き目の皿に氷を敷きつめ、その上に薄切りを並べれば、鯉のあらいの出来上がりだ。

 この鯉のあらいは酢味噌か辛し味噌で食べると旨い。食感はシコシコとコリコリの間の、割合に腰のあるお刺身といったところだ。またこのあらいに付きものなのが、奥美濃名産の密造酒である。屑米を仕込んで作った濁酒だ。

 お上にばれたら御用ものだが、村の人たちは悠然として新婿さんに勧める。この儀式を受けないと、村人の仲間には入れないから、婿さんは真顔になる。村人は「婿さん!ようきんしゃった!」と、お茶碗に、なみなみとドブロクを注ぎ勧める。
 このドブロク(ヨーグルトの雑炊みたい)の酸っぱさと、あらいの生臭さがほど良く調和して、これが結構イケる。文句なしの絶品である。
 そしてドブロクの深酔いに、心身がさ迷い始めるころ、先ほどの鯉の首級が煮込まれて運ばれてくる。鯉こくと呼ばれる料理だ。新婿さんの陰謀に負けた無念顔の鯉の首級は、濃い目の味噌仕立てで煮込まれている。「南無八幡大菩薩」と合掌をして、鯉の命をいただく新婿さんである。

竹箸を割っていただく洗鯉

夏場は鯉のあらいに限るとは、村の衆のお話である。


3 スローでウオッチング(28)

1、金沢の近江町市場を訪ねた。加賀野菜を探索するためである。そして6点ほどの加賀野菜の看板を掲げたお店を覗きこんできた。
太い胡瓜、蓮根、さつま芋などが色とりどりに並べられていた。お店の人もこの野菜を誇りに思っているようだった。
新潟の伝統野菜も、市民の食卓に溶け込むようになればいい、と思いながら写真を撮った。
2、ベランダの野菜が1夜で無残に食い荒らされた。犯人は夜盗虫である。昼間は隠れていて、夜と共に大群をなして現れ、野菜などを食い漁る。食べる音が聞えてくるというから、凄まじい光景が繰り広げられる。
 食べ尽くすと、また他のところに移動する恐ろしい害虫だ。初めて体験した、夏の一夜の出来事である。
3、そろそろ西瓜とメロンの収穫期を迎える。いずれも露地栽培だが日照不足のため甘味が心配だ。しかも適時に収穫しないと台無しになる。畑を覗きこんでは、熟れ具合を推察する毎日だ。
 西瓜もメロンも開花後45日から50日後が一つの収穫の目処。心配だから隣の農に訪ねた。その答えは「西瓜のことは西瓜に聞け」であった。なるほど。農業には科学と五感が必要だと実感する毎日だ。
4、日本には約21万のため池がある。それぞれが長い歴史を持ち、農業用水や景観、さらに多様な生物の棲家を提供している。ため池で遊んだ子供の頃を思い出す人も多いはずだ。
 その貴重な自然がやはり乱開発のダメージを受けて消滅している。幸いその消滅から逃れた紫雲寺町の清潟を訪ねた。
 人影もない静かな公園の中にそのため池はあり、貴重な蜻蛉や水中生物がうごめいていた。蜻蛉サミットの開催地ともなっていた。しばらく池端に座り帰路に着いたが、心なしか日頃の疲れが消えていた。
 そういえば鎮守の森もわが日本人の心の拠り所である。生物多様性が騒がれだしてから、無性に気になる鎮守の自然系である。この夏休みには、近くの「大地の命」にしばし触れてみるのも、人生の嗜みとなるだろう。
5、7月初旬、尾瀬ヶ原を訪ねた。鳩待峠から徒歩で1時間ほど歩けば、その湿原に到達する。
長々と整備された木道を行けば、郭公や鶯の声が聞えてくる。遅咲きの水芭蕉、山つつじ、日光キスゲの花が群を成して、固まりながら咲いている。
 この湿原は全て循環型自然生態系である。草花の堆積する速度は、1年間に1ミリだという。仮に登山者が湿原に足を踏み入れて、10センチ破壊すると、それを復元するには、100年の年月がかかる。気が遠くなる時間だ。
夏が来れば思い出すのは尾瀬だが、かけがえのない自然の宝を思い出すのも、やはり夏の尾瀬かも知れない。悠久の時間に抱かれた尾瀬ヶ原であった。