2010年03月31日 09:25
今、日本の地域社会は疲弊に悩んでいる。地域社会再生という課題に対して、どこの村や町も必死にもがいている。人口の減少、住民の高齢化、農村の過疎化などがさらに追い撃ちをかけている。
我が新潟も然りである。新潟市の中心街の古町も、旗艦店大和デパートが不振を理由に、撤退を決め、商店街や行政も危機感を募らせて、再生プロジェクトを立ち上げた。
ファストモードな従来の古町界隈が、このところ、かっての賑わいや自信を喪失しかけているのだ。これを時代の流れだと簡単に匙を投げ出すわけにはいかない。
その緊急古町再生会議を拝聴した。
古町という中心街を、これからどのようなアイデンティティのあるコミュニティに再生して行けばいいのか。数回に及ぶその公開の再生会議は、熱気にあふれた。市長さんも頻繁に顔をだして、議論に加わる。
しかしこれと言った骨太の妙案はなかなか聞かれない。町再生の難しさだけが露見することになった。これを契機にスローフード運動に携わる我らとしても、知恵と提言をしていかねばならない時期が来たように思われる。

われらはスローフード運動に携わって既に7年目になる。行き過ぎたファストモードの社会を見直し、よりよき新潟の魅力を作り上げて行きたいと願ってきた。しかし微力ゆえ、新潟の地域にインパクトを与えられるほどの貢献はしていない。全く存在感がないと言ってもいい。
だが地域の食文化を中心とする文化活動をやっていると、自ずから、その地域らしさを表現した町や村づくりの必要性をひしひしと感じる。
スローフード運動は村や町の再生や活性化に結びついてこそ、その活動意義があるのだ。またその為の地域学であるはずだ。そんな反省を胸に抱きながら、再生会議を拝聴した。
そしてこの熱き思いに応えてくれる町おこしのキーワードが、実はイタリアや西欧にあることに気が付いた。再生会議を拝聴していて、ふと思い出した。
イタリアから始まった「チッタスロー(cittaslow)」という地域起しの概念と手法である。日本語に訳せば「スローシティ」となり、ゆっくりとした町という意味である。
イタリア・スローフード協会会長のカルロ・ペトリ―ニ氏が音頭を取り、スローフードから派生した運動である。1999年のことである。チッタスロー協会の本部はイタリアのオルビエート市にある。現在はイタリアの53市と西欧や韓国など14カ国の都市、約157ヶ所が認定を受けて町づくりを行っている。しかも認可申請は後を絶たないという。
このチッタスローについて、その概要をインターネットからコピペしておこう。
チッタスローは、1999年にオルビエート市ら4市の市長が、地方中小都市の未来について話し合い、スローフード運動の哲学を市政に導入、生活、文化、歴史を再評価し、スローな生活と環境を尊重して、住みやすいまちづくりを行っていこうと、同協会を創設したことに始まる。
チッタスローは、「適度な大きさの町」におけるまちづくりを目指すため、人口5万人以下の小規模なまちであることが条件である。
また、チッタスローに登録後は、オレンジのカタツムリの行動規範が求められる。以下の項目である。
などを規定した、〝チッタスロー憲章〟に沿ったまちづくりが求められる。現在イタリアの53都市を含む14カ国157都市にまで広がっている。
オルビエート市内も随所に、チッタスローによるまちづくりが見られる。
これらはチッタスローによるまちづくりの一部にしかすぎないが、このほかにも味覚教育や伝統的な地域産業など、地域産業を発展させる各種のプログラムなどを通じて、地域住民がその地域における価値に気付き、地域経済も発展し、市民生活の質が向上しているという。
こうした結果、自分の町に対するアイデンティティが確立され、住んでいる人が幸福感、満足が得られるようになる。
そうした魅力あるまちには、観光客も集まり、結果的に地域も活性化するというのがチッタスローのコンセプトだ。単なるスローライフでは、決してない。
実際、市民の誰もが郷土愛と誇りに満ちあふれている。今後、チッタスローのまちづくりはさらに各国の都市に広がっていく。

「チッタスロー(スローシティ)」とは、一言でいえば、「地域の環境や歴史・伝統文化・地場産品・工芸を大切に護り、人間中心のゆったりとしたライフスタイルを尊重する都市」を総括して表す概念のこと。すでにイタリア国内53都市が「チッタスロー宣言」をしている。EU,オーストラリア、韓国などにも認定都市が生まれている。
またチッタスローは現実とかけ離れた理想を追おうとしているのでもなければ、マーケティング戦略を売ろうとしているのでもない。
食と農の文化を再評価しながら、よりよく生きることができると言う「ボンビ―ベレ(よりよく生きやすい町)」という概念を実現する運動である。言わばグローバル化による均一化の時代に、その土地ごとの個性を保とうとするムーブメントなのだ。
したがって「チッタスローはできあがったものではない。目標として向っていくものであり、未来に持続深化していく概念である」と、協会はコメントしている。
まさに日本の地域社会にとつて模範となる概念といえるだろう。また我らが模索している「なつかしき未来社会」の構想を実現する処方箋ともなりうる。

このスロータウンをお手本にすれば、古町再生のヒントとなる可能性がないだろうか。そんなアイデアがふと「スローフード・にいがた」の活動の中に、浮かんでは消えてゆく。「スロータウン・ふるまち」という、古町再生100年構想である。そんな視点で今後の古町再生のプロセスを眺めていきたい。
次はすでにチッタスローの概念を取り入れ、果敢に新しい村起こしに挑戦している日本の事例を紹介しよう。それはNPO法人「日本で最も美しい村」連合である。フランスやイタリアのチッタスローを範としての2005年10月に設立された。
まず「日本で最も美しい村」連合のホームページから、連合の概要をコピペして、その活動内容をみてみよう。
近年、日本では市町村合併が進み、小さくても素晴らしい地域資源を持つ村の存続や美しい景観の保護などが難しくなっています。私たちは、フランスの素朴な美しい村を厳選し紹介する「フランスで最も美しい村」活動に範をとり、失ったら二度と取り戻せない日本の農山村の景観・文化を守る活動をはじめました。
名前を「日本で最も美しい村」連合と言います。
私たちは、小さくても輝くオンリーワンを持つ農山村が、自らの町や村に誇りを持って自立し、将来にわたって美しい地域であり続けるのをお手伝いします。
具体的には、「日本で最も美しい村」のシンボルマークを、日本のみならず世界的にも観光地や文化地域としての目印にするのが目標です。フランスでは既にガイドブックや地図に載るほど有名な活動に成長しています。
自然と人間の営みが長い年月をかけてつくりあげた小さな、本当に美しい日本は、いまならまだ各地に残されています。それらを慈しみ、楽しみ、そして、しっかりと未来に残すために。
自らの地域を愛する皆さんにご協力いただきながら、2005年10月に7つの村からスタートしました。
この連合は、素晴らしい地域資源を持ちながら、過疎にある美しい町や村が、「日本で最も美しい村」を宣言することで自らの地域に誇りを持ち、
将来にわたって美しい地域づくりを行うこと、
住民によるまちづくり活動を展開することで地域の活性化を図り、
地域の自立を推進すること、
また、生活の営みにより作られてきた景観や環境を守り、
これらを活用することで観光的付加価値を高め、
地域の資源の保護と地域経済の発展に寄与することを目的としています。

| 道府県名 | 加入団体 |
| 北海道 | 鶴居村 赤井川村 京極町 標津町 美瑛町 |
| 山形県 | 大蔵村 飯豊町 |
| 秋田県 | 小坂町 東成瀬村 |
| 長野県 | 大鹿村 木曽町開田高原 中川村 南木曽町 小川村 池田町 |
| 岐阜県 | 下呂市馬瀬 白川村 |
| 群馬県 | 中之条町伊参 昭和村 |
| 山梨県 | 早川町 |
| 奈良県 | 曽爾村 |
| 京都府 | 伊根町 |
| 島根県 | 海士町 |
| 岡山県 | 新庄村 |
| 徳島県 | 上勝町 |
| 高知県 | 馬路村 |
| 愛媛県 | 上島町 |
| 福岡県 | 星野村 |
| 熊本県 | 南小国町 |
| 宮崎県 | 高原町 綾町 |
| 長崎県 | 小頃賀町 |
| 鹿児島県 | 喜界町 |
○サポーター企業 (株)アークス、(株)アド、石田紙器(株)、イトウ製菓(株)、伊那食品工業(株)、(株)エイチ・アイ・エス、(株)エイチ・アイ・エフ、(株)沖縄出版、(株)オストジャパングループ、(株)革新企業研究所、カルビー(株)、カルビーポテト(株)、(株)グリーンカンパニー、コスモエレベーター(株)、国土総合研究機構観光まちづくり研究会、信濃毎日新聞社、(有)昌和商会、(株)新進、タイコー(株)、宝製菓(株)、(有)多田、(株)地域科学研究所、中日本氷糖(株)、(株)日本航空インターナショナル、(株)ハートリンク、(株)パーフェクトアイズ、(株)博報堂、不二製油(株)、(株)プランナーワールド、(株)北高商運、(株)マルハチ村松、三井不動産リゾート(株)、(株)菱食 (五十音順)
フランスには、歴史に名を残した村や歴史的財産、日常生活様式などをかたくなに守ってきた村、田園風景が広がる美しい農村が各地方に点在しています。
しかし、フランスでも現在の日本の状況と似たように、美しい村であっても過疎化や高齢化が急速に進みました。
1982年に64の村で始まった「フランスで最も美しい村」連合は、歴史的財産などの地域の特色を観光資源として付加価値を高め、小規模な農村を保護する運動を広めるためにネットワーク化を図り、研究の場、情報交換の場、協同してプロモーション、コミュニケーションを行う場として、「フランスで最も美しい村」連合の組織が設立されました。本部はコロン・ラ・ルージュ(Coreze)の村役場にあります。
現在は149の村が加盟し、将来的に250村程度まで組織の拡大を目指しています。村の加盟にも審査委員会が審査を行い、基準を満たさない村は除名されるなど、「フランスで最も美しい村」連合に加盟していることがステータスとなっています
このフランスの運動は、イタリア、ベルギーにも波及し2003年には「世界で最も美しい村」連合が設立され、国際的な組織へと発展しています。今後、カナダ、オーストリア、ドイツも加盟を予定しております。
以上が連合のホームページから抜粋した連合の概要である。会の運営・管理・企画を自治体の「美瑛町」がやっていることは注目に値する。まったく恐れいる限りだ。
地域の活性化と過疎化に悩む小さなコミュニティが、切磋琢磨して、それぞれの地域資源を守り、育て、それを住民の誇りにまで昇華させようとしている。具体的な村の活動は、個々に視察すれば多くのヒントが得られることになる。
地方の逆襲がこれから日本をリセットしてゆく。そんなチッタスローな動きを、大きな期待を持って支援してゆきたいと念願する。
桜が散る頃になると、富山湾がにわかに賑わしくなる。光る海の宝石といわれる「蛍烏賊」が産卵のために、沿岸に押し寄せるからだ。
体長はおよそ5~6センチくらいである。 特に富山湾では、常願寺川左岸から魚津市にかけて、毎月の1日と15日の満潮時に満潮線から700m以内の海面がホタルイカ群遊海面に指定され、ここのものが特別天然記念物となっている。このような例は、世界にも無い。他には新潟県糸魚川付近、佐渡島近海、島根・鳥取県付近に生息する。
以前は、松の肥料に使われていたので『マツイカ』と呼ばれていたが、明治38年、蛍の生態研究で有名な渡瀬庄三郎博士により、『ホタルイカ』と命名されたと言われている。
それ以来 “竜宮の使者” ホタルイカとして一躍脚光をあびるようになった。海表近くに浮かび上がり、怪しい光を海面に漂わせる様が神秘的であり、竜宮の使者に見立てられたのだろう。

海岸近くに産卵の為群来するホタルイカは、すべてといっていいほどメスの集団で、オスは極端に少ないという。オスはすでに深海で交尾を終えており、ご用済というわけかも知れない。したがって、オスは産卵の光景を見届けられない。
産卵の為に海中でメスが発する光は「竜宮の提灯見せよ螢烏賊」とうたわれているそうだ。
その幻想的な光る波打ち際は、筆舌につくしがたく、その命の競演をみるための観光船が人気となっている。
海辺の蛍狩りとも言われ、地元の人々はこれを「蛍烏賊の身投げ」と呼んでいる。
なぜ富山湾だけに蛍烏賊が群遊し、そして身投げするのか。そしてなぜ全身が発光するかは未だ謎だと言う。
そういえば秋田近海のハタハタや、駿河湾しか生息しない桜海老なども、自然界の「縄張りの掟」は、様々な形で残っている。これも謎のひとつだ。
その蛍烏賊の謎解きを、地元の小料理屋で挑戦することにした。
時は平成14年桜散る夕刻、
越中は富山の海鮮料理屋、
罷り出でしは仕事を終えし食いしん坊の4名志士
いざ蛍烏賊の謎に迫らん(にわかに講談調)。
この小料理屋は、地もとの捕れたての海産物を「生」で食わせてくれる。いかにも店構え全体が「活きた魚がぎょうさんありまっせ!」と言った佇まいのお店である。とりあえず水槽の魚を横目で見ながら、畳の奥座敷に収まった。
もちろん狙いは「活きた蛍烏賊の踊り喰い」のただ一点である。
ボクたち「あのぉ~!女将さん!そろそろ!あの蛍烏賊、ありますよねぇ!」
お茶を入れ終えた女将はニヤリと笑ながら応える。
女将「お客さんたちは運が良かとですよ!今朝捕れたばかりの蛍さんが、下の水槽で泳いでいますがねぇ!」
ボクたち「うんん!じゃあそれを六人分くらいお願いします」
と思わず膝を叩いて、やったぁ~という4人組である。

やがて女将が、大きな手桶に蛍烏賊を泳がせて、テーブルに差し置いてくれる。そして部屋の電気が消され、やや怪しき奥座敷に変身する。
女将いわく、「これがあの身投げ寸前の蛍烏賊ですよ!」。4人の食いしん坊たちはただただ、ヨダレを垂らしながら、手桶の中の切なく漂う「光のオブジェ」に見とれるばかり。
しばらくして、はっと電気が灯され、暗闇ショーは終る。さっそく手桶の中を泳ぐと言うよりも、漂う感じの発光する蛍烏賊を箸で追いかけて捕える。
われ先にと、当初の4人組の団結心や協調心は乱れかける。
箸で捕まえると蛍烏賊は、かすかに光を強く放ちながらぴくぴくと跳ねる。しかしやがて生姜醤油に浸されると、諦めておとなしくなり、食いしん坊の口中に光りながら飲み込まれていく。噛めばほのと甘い蛍烏賊の踊り喰いは、わずかな期間しか許されない贅沢だから、誰もが無口で手桶を攻め立てる。
また熱のない発光だが、やはり喉を通る時は心持だが「熱い!」と感じる。
胃の中に収まってもしばらくは電気を灯し続けるだろうから、暗闇にお腹をさらすと、ほのかな明かりが透けて見える気がする。このように謎解き探偵団の食いしん坊は、いろいろな疑問や人間の残酷さについて思いをめぐらす。
それにしても蛍烏賊は、何故身投げなどしなければならないのか!深海から浮き上がってきて、恋の合図の光を放ちながら、相手が見つからない哀しさと絶望の淵に立ち、敢えて身投げの道を選ぶのであろうか!
まあ、こんなことを女将に聞いて確かめても、蛍烏賊の身投げを助けることなどできはしないかと、自己解釈するボクら探偵団である。
それにしても、その刹那な恋の旅人を踊り喰いする、ボクら食いしん坊の「残忍性」「破廉恥」「獰猛性」を手桶の揺らぎに見ようとは。
身を焦がしながら食べられる、蛍烏賊の哀しみを思うひと時であった。
ただしこの蛍の踊り食いは、最近は絶滅に近い状態だときく。生の蛍烏賊は、寄生虫を宿しており、その筋のきついお達しで、規制されているからだ。それでも浜の漁師は踊り食いを番屋で楽しんでいると聞く。
不安なら採れたてをサッと熱湯でゆがき、二杯酢、三杯酢で食べるのもうまい。富山湾の短い自然界の営みの切なさを感じながら、お店を後にした。
朝堀りの筍(竹の子)ほど、その一日を豊かにするものは他にはない。しかも自分の手で掘り出した筍ならば、なお更その気持ちが強い。
この筍の楽しみは、温めのお酒でいただく、生の薄切り「刺身」や炙り焼きに限る。掘り立てを料理するのがコツである。文句なしの絶品となる。
その他、筍ご飯、若布との煮合わせ、味噌汁の具、和え物、天ぷらなど日本人と筍料理の関係はかなり深い。
ここで必ず覚えておきたいのは、筍は鮮度が落ちるのが早く「朝掘ったものはその日に食べよ」ということ。時間と共に急速にえぐ味が出てくるからだ。
その旬は3月から5月始めにかけての短期間で、しかも小糠雨の後に多く顔を出す。これを「雨後の筍」という。さらに日本の食用筍のほとんどが、孟宗竹で占められている。通称「孟さん」と言われる竹の種類である。
その他の種類としては
1、ハチク : 皮は淡紅色で、時期は4 - 5月
2、マダケ :皮は薄い黒班におおわれ、時期は5 - 6月
3、ネマガリタケ :タケノコが弓状に曲がって生え、時期は5~6月
4、カンチク :黄色または黒紫色、時期は10月
などがある。
本目の猛さんのはしりは2月頃になる。春筍と呼ばれている。
筍を語る場合はやはり、筍堀りを体験をすべきだろう。
さっそく奥美濃の竹薮に出かけることにした。さすが筍の採れるその竹薮は、手入れが行き届いている。竹の落ち葉がこんもりと降り積もって、竹藪全体が柔らかい状態に管理されている。その落葉をかき分けて孟宗竹の赤ちゃんが、地中から顔を出しかけたのを探し、選んで掘り起こすのだ。

しかし素人では、なかなかその赤ちゃんを見つけるのは難しい。代わりにリーダーの村人が、棒先で落葉をかき分けながら探してくれる。そして見つけたら、「おお!よう顔を出したな!」などと声をかけながら、ボクに指で指図してくれる。「ここんとこにあるべぇ~」と声をかけてくれる。
さっそくボクは、筍のとんがり頭の周りの枯葉や土を手で払いのける。そして大よその大きさや深さを推し量る。いよいよ筍堀りの一太刀を、振り下ろす瞬間がきたのだ。
念仏を唱える気持ちで「いざ!参らせる!」と言いながら、シャベルのような鍬を、筍の隠れた根元に一気に打ち下ろす。浅くても深くてもダメだ。この一太刀は、打ち首をするような切なさが、当然手ごたえの中に残る。もちろん名人ともなれば、一太刀で掘り起こす。
しかし初心者はそうはいかない。初心者に斜めに打ち首された筍ほど、無惨なものはない。手元を狂わして失敗すると、筍の赤ちゃんに可哀想なコトをしてしまったという、虚しさに細悩まされたりする。ここらが筍堀の難しさと切なさである。
また欲を張って、竹薮の赤ちゃん全てを掘り起こしてはいけない。これとあれはと言うように、ちゃんと竹の種として残さねばならない。その選別は、リーダーの村人や地主さんが指図するのが通例だ。
この掘り出した筍を、まるで合戦の生首を提げるような誇り顔で持ち帰り、家の土間に並べ置く。ゴロリゴロリと転がる風景は、収穫の実感をしみじみと伝えてくれる。

しかしここからが忙しくなる。自慢している時間などはないのだ。掘り立ては15分もすると筍の糖分が消化されてアクに変わる為、いかに早く茹でてしまうかが勝負となるからだ。「湯を沸かしてから掘りに行け」と言われるのはこのためである。
皮むきは家族総出でやる。青臭い匂いが家中に漂い、「おお!これが家族団らんの匂いか!」等と、感傷に浸る時間はない。とにかく急がねばならない。そして米糠と鷹の爪を入れた鍋で一時間ほど煮立て、ゆっくりと冷やす。
こうして煮立てた筍は保存されて、様々な料理に使われる。
この一家総出の家族形態を「筍家族」と言う。もちろん最近は、このような家族は見当たらなくなった。
またこの筍の皮は子供たちには、格好のおやつの道具に使われる。漬け込んだ紫蘇の葉を、筍の皮に挟み込んで折りたたみ、その皮の表面を口でチュウチュウ啜りながらしゃぶつのである。
しばらくすると、紫蘇の甘酸っぱさが皮を通過して染み出してくる。そして次第に筍の皮も真っ赤に染まり、子供たちはチュウチュウと啜りながら、しばしの恍惚感に浸る。この楽しみは、ボクら子どもの頃の、甘酸っぱい恍惚の思い出のひとつとして、忘れなれない遊びのひとつである。
さて最後はどうしても「筍ご飯」に触れねばならない。その筍ご飯は、松茸ご飯やその他の五目御飯とは、一線を画しているのがえらいというのが、専門家の一致した見解である。歯ざわりといい、出汁味にあまり妥協しない孤独感といい、一本筋が通った頑固さを守り通しているのがえらいのだ。
「粗食のイメージにして貧ならず」、「一押しのおふくろの味なり」などに加えて、繊維質豊富なケンコー貢献系であるのが、「筍ご飯・国民推奨協会」の密かな自慢の口上とも聞く。
そういえば女性がよく好んで、食べている風景に出会う。ケンコー系だから人気ガあるのだろうか。まあそんな憶測は野暮だからやめておこう。
また、町のほかほか弁当屋にも、時折「タケノコご飯あります」という看板が出ることがある。そんな看板が出ると、「買おうかな!買うのを止そうかな!」と悩んで、店の前を行き戻りする人が増える。故郷を思い出しているのだろうか。
その筍ご飯が抜群に上手い、風が光る晩春が訪れようとしている。
今一度行きたい庶民の店がある。立ち食いの串カツ屋だ。特に大阪梅田の地下街の、あの店が忘れられない(急に涙声になったりして)。確か松葉とか言ったお店だった。「なんだ、たかが串カツかよ、そんなものにどんな未練があるのだい!」と、世間の人は冷たくせせら笑うだろう。
もちろんただの串カツに違いない。しかし僕にとってはただの串カツではない。馬鹿にしてはいけない。串カツには串カツのドラマや人情ってもんがある。そのへんのところを精密に描いて、串カツ文化を後世に残さねばならないと思う。まず串カツについての基礎知識をみておこう。
串カツ(くしカツ)は「串揚げ(くしあげ)」とも呼び、小ぶりに切った肉や野菜などを串に刺して、小麦粉、溶いた鶏卵、パン粉をまぶして油で揚げた料理。ただし「串カツ」と呼ばれる料理が指すものは地域によって異なる。関東風、名古屋風、博多風などその土地の風習や文化によってつくり方や食べ方が異なる。
大阪市浪速区の新世界が発祥の地とされ、それをステンレスなどの深めの容器に入った薄いウスターソースに、ドブ浸けして食べるスタイルを興りとしている。
大阪を中心とする近畿地方の繁華街には立ち食いか、椅子があってもカウンター形式の店があり、ソースの入った器を隣同士の客が共用する。
また、衛生上などの観点から現在では少なくなったが、古いスタイルの店舗では、手を拭くためのタオルが上から吊り下げられているところもある。

主な串カツは以下の通りである。旬の食材が並ぶのもうれしい。
○牛、豚、鶏、 鮭、ソーセージ 串カツの値段は牛串、ウインナー、玉ねぎ、うずら、れんこん、イカ、エビなど1本100円から150円。旬のものは時価と書かれているが、せいぜい200円くらいだから、尻込みすることはない。
注文すると揚げたものがバットに出てくるので、好きなものを自分で皿に取って食べる。串の本数と長さでお勘定を計算するシンプルさは、さすが大阪の知恵である。
ボールに入ったバラきりのキャベツは食べ放題である。ソースをつけながら串カツの合間に食べる。これが実にうまい。胸焼けもせずにムシャクシャと食べるのがいい。
またこの業界の掟としてソースの2度漬けは禁止だ。やると店主から「お客さん、2度漬けはダメだよ」と、イエローカードが飛んでくる。以上がごく普通の串カツ屋の風景である。
もう少し現場からの報告をしておこうと思う。場所は大阪梅田の地下街である。駅にいながら大阪を感じられる店というか、決して敷居は高くないが、ちょっと入るのに勇気が要るところがまたいい。
夕方にもなると、鉢巻をした競輪帰りのおっちゃんやサラリーマン、たまには北街に出勤のおねぇさまが、カウンターに身を斜めにして立ち並ぶ。
これを業界では「斜(シャ)に構える」と呼んでいる。しかも串カツ愛好会の暗黙の基本姿勢とも言われている。普通は右肩をカウンター越しに斜めに入れ、右手で串カツを持ち、さらに右手で生ビールを交互に持つスタイルが、客の連帯感を高める上で、極めて重要となる。

しかし時折、左利きの人がいて、左肩挿し入れの斜のポーズになると、当然右隣の人と顔が真向かいになる。これはまずいということで、店主の一存で、「右肩前方斜め型」にルール固定していると聞く。
作法としてはまず居場所を確保し、カウンター越しに店の中をみわたす。
なぜかスニーカーをはいた串カツ屋のお兄ちゃんが、4人で忙しそうに揚げたり、ビールをグラスに注いだり、キャベツを刻んだりしている。
その動きはまさに軽快そのものだ。その軽快な動きが、揚げたての串カツを更に美味しく見せている。カウンター越しのボクたちも、思わず手足が軽快になるのを感じる。今日も食べるぞ、という臨戦態勢モードに突入することになる。
今日のネタは・・・
「海老、アスパラ、れんこん、キス、いわし、竹の子、うずら玉子、竹輪、牛、豚、かしわ、穴子、玉ねぎ、イカ、飯蛸」など、旬の山海物が並ぶ。
とりあえず「ニイチャン!生ビールと玉ねぎ、牛にキスをくれへんか!」と低めの地声で発注する。
すると5秒もするとまず生ビールが、正確な位置に出てくる。これが実にうれしい。ボクだけの定位置といううれしさがこみ上げてくるからだ。当然、不動の「斜の構え」でカウンターに立ち向かっている。

カウンターの上には、大き目のアルミボールの器に、乱切りのキャベツ(無料)が大盛りに置かれ、秘伝のソースも同じような器に入れられている。予想通りのレイアウトだ。そのソースには、キャベツの切れ端や串カツの油が浮いているのが見える。もちろん気にはならない。連帯の証でもあるからだ。
まずビールをグビグビと3グビぐらいやり、改めて店の壁に目をやる。
そして発見する。「ソースの二度浸けはお断りします」のポスターである。正統派串カツ愛好家が守るべき憲法と言ってもいいマナーである。
一人の客が串カツを途中までかじり、残りを改めてカウンターの共通のソースに侵入してはいけないのである。キャベツ浸けも同じルールだ。この店はこのルールを厳格に死守している頑固さがある。

そうなると最初のひと浸けに、気を使わなくてはならない。丸ごと一気に突っ込むのは少々品がない。かと言って、浸け足らないのでは後で後悔する。「斜に構え族」は不動の姿勢で、ポスターの威圧に問答を繰り返すことになる。
そうしている内に、揚げたての注文の3本が出てくる。とりあえず海老の半分ぐらいの部分を、ソースのプールに突入さて、様子を見ることにする。(悩むこともないか!)。
右手で串カツを食べ終え、次に右手で生ビールを持ち、口中の油分を流し去る。この交互の連鎖運動と、見知らぬ人が隙間なく密着して立ち並ぶ、この雑踏感や連帯感が、立ち食いの醍醐味なのだ。
そして機を見てオニイチャンが「レンコンが揚がりました!」と、網皿に乗せて、こちら側に声と目を流してくれる。これを「串カツ屋の流し目」と業界では呼んでいる。
すると「おお!それ貰おうか!」と、あちらこちらから声がかかる。こんなエンターテイメント性が串カツ屋のうれしさだ。
1人の滞留平均時間はおよそ20分で、予算は1200円前後である。カウンターの収容人数は、30人の斜め不動立ちで満員になるから、商売としては、儲かるシステムと言えるだろう。 客筋はアベックさんやOLさん、ネクタイ族など。思ったほど柄が悪くないのがこの業態の特徴だ。
またまた立ち食いだから女性が嫌うと思うのは、大きな誤解である。初めてのデートにこの串カツ屋を選ぶ勇気のある男は、必ず成功するはずだ。「この人は、このワタシを、いきなりこんな実直な現場に連れてきて!」と、その将来性を見抜くはずだ。
女性の常連さんも結構多く、女性独特の価値観にも適うのが、串カツの隠れた魅力なのである。ただし接待には使えないのが残念である。
20分で終わる串カツのドラマでは、「どうか良しなに!」等と、懇願するには時間が短すぎる。その至福の20分が過ぎ、5串と生ビールをいただき、少々の酔い加減のなかで、人情の機微にふれながら、ビジネスマンは今日も充実した一日を終える。
それにしても串カツ屋のキャベツの旨いこと。家で同じキャベツを食べても、あれほどの美味しさは感じない。やはり目黒の秋刀魚と同じで、キャベツは串カツ屋に限るか。納得である。
スローな旅にはその駅々の駅弁がふさわしい。駅に到着するたびに、窓越しから駅弁の声を追うのが楽しい。駅弁なくて何の己の旅路かな、などと詠むにふさわしい存在感がある。
その駅弁を新潟駅と新津駅でメモを片手にウオッチングしてみた。
その結果が以下の表である。普段あまり気にかけたことのない地元の駅弁だが、かなりの種類と彩りがある。雪国らしい、こしひかり王国らしい、海産物の国らしい組み立ての駅弁が美味そうに並ぶ。地産地消を促がすような献立である。
値段はコンビ二弁当より相当高い。およそ倍である。しかし旅のついでとならば、あまり気にならない。地酒とセットで2,000円もあれば、十分にその土地の三風(風土、風味、風景)を味わうことができるからだ。いわば貴重な旅の情報源が駅弁にはある。ウオッチングの結果は以下の表である。
名前 |
販売駅 |
値段 |
SLべんとう物語 |
新潟駅 |
930円 |
えび千両ちらし |
新潟駅 |
1200円 |
越乃釜めし |
新潟駅 |
820円 |
鮭はらこ弁当 |
新潟駅 |
920円 |
鯖威張る寿司 |
新潟駅 |
1050円 |
磐越SL弁当 |
新潟駅 |
1200円 |
万代押寿し |
新潟駅 |
920円 |
ふる里紀行 |
新潟駅 |
850円 |
まさかいくらなんでも寿司 |
新潟駅 |
1050円 |
松茸にぎわい弁当 |
新潟駅 |
970円 |
焼たらこトロ鮭弁当 |
新潟駅 |
950円 |
柳都御膳 |
新潟駅 |
1200円 |
いくらぶっかけめし |
新津駅 |
950円 |
海の彩 |
新津駅 |
1000円 |
越後五目ずし |
新津駅 |
900円 |
数の子ずし |
新津駅 |
1050円 |
鮭の焼漬弁当 |
新津駅 |
990円 |
ささばけ寿司 |
新津駅 |
1050円 |
雪だるま弁当 |
新津駅 |
1050円 |
雪ん子ずし |
新津駅 |
920円 |
雪ん子姉妹ずし |
新津駅 |
1000円 |
さて今回は駅弁が織りなすスローな汽車の旅について語ろうと思う。わが内なる汽車の旅路である。
休日、駅弁特集の本を眺めながら、畳に寝っころがるのはいいものだ。横川の峠の釜飯(フムフム!)、富山の鱒ずし(アァ!)、森駅のいか飯(オォ!)等とページを追うごとに、すでにボクの魂は旅の列車と共に現地に飛ぶ。
すると列車はおのずから、鈍行のローカル線でなければ、様にならない事に気付く。さらに車窓から見る風景は、菜の花やレンゲ草が一面に広がり、時おり田圃の子どもが手を振ってくれたら、最高だと勝手に思ったりする。
そうだそうだ!
雪が舞う日本海側ならば、誰も無口でただひたすら北に向かう、哀愁列車こそが駅弁には似会う。人はなぜか北に向かう。演歌も北に向う抒情を歌う。南に向う人々を歌った演歌などは聞いたことがない。
日本人がなぜ北を目指すのかは、やはり民族性の遺伝子が作用しているのかも知れない。北には心の故郷があるのだろうか。駅弁の旅はそんなことまで思いを馳せてくれる。
また思うに駅弁は揺れながら、しかも車窓の景色が後ろに飛んでいく臨場感があるから美味しい。まるで自然の総天然色の映画を見ながら、好きなペースで、好きな部分を攻めながら食べるから美味しいに違いない。自分だけの充実した時間の中だから、心から美味しいと思える。会社の昼飯にオフィスで食べても、ちっとも美味しくないのはそのためだ。
ボクたちの駅弁動作は、列車がゴトリと動き出すと、まず相席の様子を伺いながら、もぞもぞと遠慮がちに袋から取り出すことから始まる。
しかしすぐには十文字に掛けられた紐を解かない。しばらくは我慢しなければいけない。まだまだ機が熟していないからだ。これが駅弁道の基本である。
そして、ここぞと思う風景にさしかかり、しかも周りの空気に異存がないと判断した時が、駅弁開放の歓びに浸る時期到来となる。トンネルを出たときなどは、その決断がなされるチャンスだ。
しかし問題は、4人掛けの相席の関係が1対3の場合である。3が見知らぬ女性ばかりなら、1の方は縮こまって駅弁を食べねばならない。このシュチュエーションはかなり苦しい。
それまで話しが盛んだった3人の会話が急に途切れて、我が駅弁を見て見ぬ振りをする。「よくもまぁ、1人だけで美味しそうに!」等と、羨望と嫉妬の視線が箸元に集まるのを感じながら、黙々と食べる羽目に陥ることになる。
生きた心地がしないとJRに苦情が言うこともできない。このような場合には、視線は極力車窓の景色を固持し、3人の視線をいなすのが駅弁の達人たちが取る基本的姿勢である。

しかしこの相席が土地のおばちゃんだったら、問題は一挙に解決する。土地のおばちゃんはよく笑い、そしてよくしゃべるのが旅人には何よりも有難く、勉強になる。
「何処からきんしゃった?」、「あっはっは!」と笑いながら、沢庵と梅干、らっきょの漬物を出して膝に載せて、気さくに話し掛けてくれる。漬物の匂いなんぞは全く気にしないのが、このあばちゃんのエライところだ。
そして「この沢庵、地のもんだけど、つまんでけれ!」と、駅弁のボクらを攻撃してくれたりする。この攻撃は実にうれしいものだ。これも又、超エライ彼女の仕草なのだ。
「ほんじゃ、少しだけいただくべぇ~!」と急に土地の訛りを入れて、膝を乗り出す。
こうなるとやっと駅弁愛好家にも、開放感がみなぎり、美味しい会話が湧き出てくる。駅弁がほっとして数倍に美味しくなる瞬間だ。
この見知らぬおばちゃんは、次の次の駅で大きな荷物を背負い直しながら、手を振りつつ降りていく。嫁いだ娘に会いに行くのだと言う。
出会いからわずか40分ほどの刹那な旅の出会いである。どこの誰で、齢はいくつで、何を生業にして生活しているのかは、全く分からないのに、なぜか又逢いたいと思うおばちゃんである。ふと故郷の母を思い出す淋しさが胸を過ぎる。アデオス!おばちゃん!
さて、「駅弁の車内に於ける相対的存在感」のレポートはこれくらいにして、やはり駅弁に対する魅力を論じねばならない。最近の駅弁は、百貨店やスーパーの「駅弁大会」で買うものとなってきた。のんびり旅の駅弁なんぞは、古き良き時代のセンチメンタルジャーニと言われる平成となった。
しかし「駅弁大会」で、我先にと争って買い漁った名物駅弁には、どうもしっくりした愛情が湧かない。まるで愛情の無い、冷えた夫婦みたいな感じで、なんと言おうか、あの、どきどきとしたライブな、リアルな、きめ細かな喜怒哀楽がない。
峠の駅で買う「峠の釜飯」だから、「峠の釜飯」としての価値観がある訳で、峠の臨場感がないと、ただの釜飯でしかない。
ということは駅弁の価値とは、その土地の匂いとか色や訛り言葉などが、隠し味として染み込んでいることに尽きる。
これを三風(風土、風味、風景)が染み込んでいると表現する。駅弁とは、この三風の刹那情報を装備するブランドなのである。その辺が、街角で売られている「ほか弁」と徹底的に違う点だ。

駅弁には地貌の食文化や人情がぎっしり詰まっている。このような目で駅弁を見ると、ファストモードに置き忘れてきた大切なものの存在に気付かされる。それは時代を超えて受け継がれてきた民族のスピリットみたいな温みのような気がしてくる。
また駅弁の栄枯盛衰はすなわち、日本の栄枯盛衰にも繋がっている。駅弁は日本経済や地方文化の縮図だからだ。食品や飲料の新製品開発に成功したければ、駅弁を研究すればヒントが得られるだろう。コンビ二弁当も地貌文化を採りいれた献立にすれば、少しは文化の匂いがするスローな弁当を提供することができるはずである。
しかし間違っても、新幹線内での駅弁だけは避けたい。あれってただ、「餌を喰っている」感じしかしないからだ。
人にはそれぞれの人生のスローな旅がある。そしてそこで出会ったその人だけの駅弁がある。それがどのような駅弁であったかは、その人にしか分からない。
僕の内なる駅弁は、米原駅で売られている「湖北のおはなし」である。1000円である。緑の唐草模様の風呂敷の中には竹すだれの容器に、琵琶湖周辺の味覚として、鴨ロースト、川海老、煮豆、出汁巻き卵などが入っている。
ご飯は春は山菜、夏はそら豆、秋は栗、冬は黒豆、正月三が日は赤飯となる季節のおこわが彩りを添える。京風だけど少し甘めの味付けは、田舎のおばあちゃんの味を意識したのだという。
極め付きはサイコロキャラメルが1個入っている。食後のおやつなのだろうか。薮入りで帰省していた子どもがまた京都や大阪に奉公に帰る時、このおやつ入りの弁当を持たせたという、人情ドラマが含まれている。だから美味いはずである。
あれ~、どこからか「青森!青森!終点です!」の声がする。その声に目覚めたボクの畳の上での白昼夢は、この駅弁の旅でした。
日本人と鰹の身近な関りはかなり古い。海洋民族の日本人にとつては切っても切れない関係がある。その鰹についてのスロー談義をしてみよう。まず鰹に関する基礎知識をインターネットからコピペして整理しておこう。
日本の太平洋沿岸に生息する鰹は、夏に黒潮と親潮とがぶつかる三陸海岸沖辺りまで北上し、秋に親潮の勢力が強くなると南下する。
南下する鰹は「もどり鰹」と呼ばれ、低い海水温の影響で脂がのっており、北上時とは異なる食味となる。もどり鰹の時期も港によってずれがあるが、一般的には秋の味として受け入れられている。
北上から南下に転じる宮城県・金華山沖では、「初鰹」といっても脂がのっているため、西日本ほどの季節による食味の違いがない。また、南下は海水温に依存しており、陸上の気温との違いがあるため、秋になった頃には既に鰹はいない。
南洋での遠洋漁業は1年中行われ、日本では静岡県および鹿児島県が漁獲高の大半を占める。この多くは巻き網と呼ばれる漁法で漁獲されたもので、冷凍されて水揚げされ、鰹節や生利節の原料になる。
近海物は、鰹の北上に伴って各地で行われる。一本釣りやケンケン引きと呼ばれる漁法で釣られ、冷凍されずに締められ、太平洋岸の漁港に水揚げされる。土佐の一本釣りの風景は日頃のニュースとしてお馴染みである。

これら近海ものは新鮮なまま港に入荷されるので、刺身やたたきなどで食べられる。鹿児島県から遠州灘にかけては春、伊豆以北では初夏に漁期が来る。また、これらの地域ではもどり鰹も漁獲できるので、秋にも漁期が訪れる。
それぞれの港では、夏の到来を告げるその年初めての鰹の水揚げを、「初鰹」(はつがつお)と呼び、珍重する。初鰹は港によって時期がずれるが、食品業界では漁獲高の大きい高知県の初鰹の時期を「初鰹」としており、消費者にも浸透している。
食文化の面から整理すると、様々な関わりがあるのも鰹の特徴だ。日本では古くから食用にされており、大和朝廷は鰹の干物(堅魚)など加工品の献納を課していた記録がある。鰹の語源はこの堅魚(かたうお)から来ているというのが一般的な説である。
鰹節(干鰹)は神饌の一つであり、また、社殿の屋根にある鰹木の名称は、鰹節に似ていることによると一般に云われている。
戦国時代には武士の縁起かつぎとして、鰹節を「勝男武士」と漢字をあてることがあった。織田信長などは、産地より遠く離れた清洲城や岐阜城に生の鰹を取り寄せて、家臣に振る舞ったという記録がある。
江戸時代には人々は初鰹を特に珍重し、「目には青葉 山時鳥(ほととぎす)初松魚(かつお)」という山口素堂の俳句は有名である。
殊に江戸においては「粋」の観念によって初鰹志向が過熱し、非常に高値となった時期があった。「女房子供を質に出してでも食え」と言われたぐらいである。1812年に歌舞伎役者・中村歌右衛門が一本三両で購入した記録がある。

庶民には初鰹は高嶺の花だったようで、「目には青葉…」の返歌となる川柳に「目と耳はただだが口は銭がいり」といったものがある。
このように初鰹を題材とした俳句や川柳が数多く作られている。但し、水揚げが多くなる夏と秋が旬(つまり安価かつ美味)であり、産地ではその時期のものが好まれていた。
初鰹と戻り鰹をもって旬とするが、現在最も好まれる物は、秋の戻り鰹である。時々マグロのトロより美味しいとまで評される。なお脂の乗ったものをもてはやすようになったのは近年のことであり、江戸期にはさっぱりした味の走りの物の方が好まれたようである。
以上が鰹の基礎知識である。
この基礎知識を胸に、さっそく5月中旬、房総半島先端の銚子の魚市場を訪れた。犬吠崎で有名な町である。
まずはぶらりと、魚港から魚市場あたりを散策する。すると店のあちらこちらで、獲れたての鰹が、氷水を張った木桶に、頭から何匹も突き刺して置かれているのが眼に入る。これを業界では「カツオの逆さ浸け」と言う(言わないか)。とにかくぶっきら棒に置かれている。
「あのぉ!このデカイの一本分けてくださいな!」と恐る恐る指さすと、「お客さん!鰹は傷みが早いから、冷凍のまま運ばなければダメだよ!」と、まず素人の浅はかな考えにイエローカードがでる。
さっそく冷凍のまま宅急便にして貰うことにした。値段は1本1500円の目が黒々とした大物だ。市価の半額だというからうれしい。
仕込みの後は本場の鰹料理を捜すことにした。活きのよい鰹料理を食わせてくれるお店が必ずあるはずである。美味しい食べ方は、刺身かタタキに限るとは漁師の言だが、特にニンニクとネギの薬味を、ふんだんに添えた厚めのタタキが最高だという。
こうなると頭の中は、タタキのことで一杯になる。タタキが食いたい、タタキを食わなければ死ねない、などと心が逸る。そんな逸る気持ちで街を歩くと、気のせいか、銚子の街全体がニンニクの匂いがしないでもない。
そして地元の漁師が勧めてくれた小料理屋にたどり着き、さっそく胸に秘めてきた情報を確認することにした。

このお店のお奨めは「鰹尽くし」のフルコースである。銚子に来たら、これだけは見逃さないで欲しいという店主のお奨めだ。ならばと、お勧めの幸せを味わうことにした。
メニューは
などが次々と卓上に運ばれてくる。量も品数も多く、これでもか、と言うくらいの勢いである。
こうなると鰹の悪夢を見るほどの苦行難行の食べ尽くし作業となる。初鰹の丸かじりとはこの事を言うのだろう。ビールを片手に鰹三昧は進んでゆく。
さらにこんな美味い魚が食べられる土地の人々は、本当に幸せだと、地産地消の神髄に触れた気がしてくる。「僕かぁ、初鰹を食べる時が、一番幸せなんだぁ」と、言えそうな至福の一時が過ぎてゆく。まさにスローな一時である。
そして食いしん坊の真骨頂は、厚めの刺身を二切れ残しておいて、お茶漬けにすることだ。熱々の御飯の上に刺身とネギ、生姜を載せ、醤油を少々たらし、後は熱いお茶をかけて出来上がる。初鰹の脂と生姜が微妙にバランスして、この茶漬けは別腹に収まる。「プワァ~!もう何時死んでもいい!」と、食いしん坊の顔は恍惚感にゆるむ。
鰹を丸ごと1本平らげた身体は、心なしかパワーが充満してきた感じがする。鰹の生気を丸ごといただいたのだから、当然のことだ。実に旨かった。
しかしこれで鰹の探索は終わりではない。三陸の「戻り鰹」を堪能するまでは、死ぬわけにはいかない。特に気仙沼の「戻り鰹」の「トロ」をいただくまでは、食い意地を張り続けねばならない。
さらに土佐の豪快なタタキに出会わないといけない。夢にまで見る鰹料理であるからだ。旬の鰹を求めて我らもまた北上と南下を繰返す日々が続く。
