2009年09月30日 08:46
スローフード運動にとって農業の現場を知ることは大切である。実際に耕し、種を撒き、草をとり、虫除けや病害と戦い、収穫し、保存する。そして採れた農産物を家族で料理してその味覚と収穫の喜びを味わう。この毎年繰り返されるサイクルの農事暦こそ、人類がその誕生から繰り返してきた、生きるための営みに他ならない。
そんな机上では得られない自然との対話や現場の五感経験を通して、全身が研ぎ澄まされてこそ、農業の本質に触れることができる。これが我らが長年胸に願い続けた想いである。その想いを、2009年1月にスローフード農園という形で仲間と立ち上げることにした。
幸いなことに新潟市の内野地区の休耕地(1反)を借りることになり、スローフードの仲間に声をかけ、6名がエントリーした。農業体験はほぼゼロの6人衆である。
しかしこの耕作地の確保には多くの時間と苦労が伴った。田畑があればどこでもいいと言う訳にはいかないからだ。少なくとも以下の4点をクリアーすることが必要だ。
<耕作地選定の条件>
1、井戸水や地下水などの水の便があること
2、トイレまたはそれに近い環境があること
3、教えてくれる農業指導者や農家が近くに居る事
4、土壌が良質であること
などが必修条件となる。
これだけの条件をクリアーできる耕作地は、なかなか見つからない。高齢化により耕作を止めた農家から、提供される耕作地を探すのがコツである。農家としても休耕田のまま一度放置すれば、田畑が荒れて復旧できなくなる可能性があるから、大切に使ってくれる人に貸し出すのはメリットがある。安い賃貸料でも農家にはありがたい存在となる。但し農地法の縛りがあるから、事前に地権者との意思の疎通が欠かせない。
最近では農地法が規制緩和されて、グループや企業の農業参入が可能になってきたが、まだまだ地権者とのスムーズな経済交流は軌道に乗っていないと聞く。日本の農業は約80%の零細兼業農家と20%の専業農家によって構成されているが、休耕地を借りるだけでも、その辺の事情が透けて見えてくる。
さて日本の農政や農業の現場事情は後述することにして、我が新人百姓の8ヶ月間の奮闘記をレポートしよう。目から鱗のドキドキとする農事体験ばかりであった。
掲げた課題と目標は3点ある。
その1、新潟の伝統野菜を栽培して、その野菜の特性の実情を知る
→絶滅しそうな野菜のその理由をさぐる
→関屋南瓜、金糸瓜、寄居かぶ、白茄子、本十全茄子、えんぴつ茄子を栽培する
→実際に調理して楽しみ、そのレシピを公開する。次世代に伝える。
その2、野菜栽培に関わる生の基礎知識や方法を学ぶ
→何を、何時 どれくらい、どこに、どのようにして
土つくり、苗つくり、種の撒き方と時期、マルチやトンネル、間引き、追肥のやりかた、堆肥と肥料の違い、剪定の訳とやりかた、病害虫対策、収穫時期、保存方法、転作障害
その3、野菜栽培の実際の喜怒哀楽を、汗を掻きながら身を以って学ぶ
→バーチャルな知識ではなく、農業の重労働の実際を体験する
→収穫の喜びや自然との付き合いの厳しさを体験する
以上の3点を胸にいよいよ農事に挑戦することにした。その8ヶ月間の素人奮闘記を、以下、思いつくままにレポートしたい。
<伝統野菜作り奮闘記>
○まずは農業の新人となる覚悟みたいな心境が脳裏をかすめる。子供の頃の畑仕事の経験は少しあるが、そう甘くはないだろう。今回の一念発起の率直な初心の気持ちである。そして母に連れられて畑を耕したことがまざまざと蘇えってくる。不安と期待が複雑に交差するが、とにかく始めることにした。2009年の1月である。















<後記>
畑に通い続けてはや8ヶ月が過ぎようとする。3日に1度の畑通いである。まるで何かに取り憑かれたかのように、目覚めると心と足は畑へと向う。
朝早く起き、家族を起さないように気遣いながら早朝のバスに乗る。前夜に仕込んでおいたペットボトルのお茶とお結びを入れたリックを背負いながら、終点のバスセンターから畑まで歩く。西瓜やメロン、かぼちゃなどの畑がずっと続く中を、「おはようございます」と、農人に声をかけていく。
時には立ち止まって、農人にいろいろなことを教わるのも日課である。変なおじさんをこの頃見かけるようになったと、村では話題になっていることだろう。
畑に着けばすぐに農作業のモードに入り、今日の作業の段取りを決める。滞在時間は3時間ほどを目処に、作業を黙々と始める。
3月、4月、5月は種まきや苗の植え付け、散水に追われ、防風や防虫に悩まされる。何もかもが手探りの作業である。しかし何故か楽しい。まるで理科の実習をやっているように心が弾む。さらに6月、7月、8月は雑草取りと収穫に追われる日々が続く。
しかし雑草の脅威がこれほどまでに強いとは思いもよらなかった。むしってもむしっても雑草は絶えない。除草剤は悪だと言い放つ人々の顔を思い浮かべながら、除草剤に頼る農人の悲しみが草をむしる手先を過ぎる。農家業の苦しみの歴史は、この除草の歴史であるような気がする。それほどに苦業である。
また手塩にかけて育てている伝統野菜の育ち状況を観察しながら、それ以外のお楽しみ野菜の栽培にも心を配る。西瓜、トマト、キャベツ、人参、小松菜など伝統野菜以外の作物の状況も気にかかる。

さらにかぶりつくもぎ立てのトマトの甘さは、遠き日の露地トマトを彷彿させてくれる。実に甘い。記憶の隅にかすかに残る少年の日の、トマトの思い出が喉元を過ぎて行く。
また知らぬ間にぽつんと咲いた野菜の花を見つけると、思わず膝をついて愛でることも幾たびか。その花をめがけて、どこからともなくやって来る蜜蜂の大群。まるで自然界にはフェロモンのような情報網が張り巡らされているようだ。実に不思議な生態系の連鎖が存在する。
そして今、大方の収穫を終え、閑散とした畑に佇みながら、この8ヶ月をふり返っている。様々なことが脳裏や手先に蘇えってくる。たかが8ヶ月の農業体験で、自然や野菜と対話したなどと偉そうに言う積もりはない。また言えば嘘になる。
しかし農作業の苦しさ以上に、ドキドキとした楽しさや感動が全身を駆け行けたことは事実である。学び、観察し、驚き、考え、収穫し、それを家族に食べさせるうれしさ。失敗談、成功談を仲間に話す楽しさ。野良仕事を終えた後の畑で飲む缶ビールのうまさ。これらのことは事実、実感として自身の言葉として語ることができる。
ビジネスマンとして、ファストモードの世界に身を置いてきた人間にとって、これらの体験はまさに別世界の出来事である。こんな面白いことが身近にあったのか、と人生の機微を思い知らされたことも事実である。
わずかな期間の体験を終えて学んだこと。それは健康な野菜は健康な土壌に宿る、ということ。健康な土壌を如何に醸していくか。有機栽培だ、減農薬栽培だ、自然農法栽培だ、と叫ぶ前に、悠久な向うに見え隠れする大地は、まさにスローランドそのものであるべきだ。
そんな教えをこの体験から得られた気がする。実に感動の8ヶ月の毎日であった。9月19日には山本さんの庭で、仲間達とささやかな収穫祭の宴を開く予定だ。この8ヶ月の奮闘を笑いながら語り合えるはずである。
<3-1>里芋は大地の温み
里芋に関しては様々な想い出のある人が多いのではないか。その里芋は、ここ新潟でも盛んに栽培されている。新潟は里芋のまほろばと言えなくもない。とくに五泉の里芋は群を抜いている優れものだ。五泉の肥沃な河川の大地がもたらした「キヌオトメ」というブランドである。肉質が絹のように細かいからその名がついた。
また里芋と言うくらいだから里の数だけ、様々な栽培がなされている。山芋(主に自然薯)に対する里の芋の総称である。原産地は南アジアでタロイモの流れを組む重要な作物である。日本への渡来は稲作が始まった縄文時代後期より古いとされている。
種類は4種ほどに分類される。
1,親芋を食べる種(土垂、石川早生など)
2,親芋からできる小芋を食べる種(セレベス、八頭、海老芋など)
3,親芋、小芋の両方を食べる種(たけのこ芋、田いもなど)
4,茎まで食べる種(はすいもなど)
一般的には土垂、石川早生(大阪の石川村産)など小芋が食卓に上り、様々な料理に利用される。
とくに直径3cmほどの小芋を、皮ごと湯がいたものをと呼び、月見の供え物として重宝する。食べ方はシンプルである。皮を剥いて塩をつけて食べる。それだけで里芋には大地の香りとパワーのあることが実感する。おやつや腹の足しにはもってこいの食べものだ。
俳句の季題としても多くの俳人が好んで詠む逸品でもある。衣被(きぬかつぎ)とは、昔の女性が頭と顔を隠すためにかけた布のこと。その布がスルリと取れて白い肌が現れる様子に似ている所から付けられたという。何と艶かしい名前だ。先人たちは結構、洒落た名前を付けたものだ。だから「なんだァ~、里芋か」などと軽んじてはいけない。
また里芋は低カロリーで、捻挫、神経痛、火傷等に対する薬効がある。母乳の代わりにもなるほどのバランス栄養食でもあるから驚きだ。しかも食べ始めたら、止められない、止まらないの旨さだ。とくに中秋の名月には、なくてはならない野趣溢れたお供えモノとなる。月見酒の摘み食いに実によく合う。芋名月の由来はここからきているのだ。
特に女性達は、今生の幸せ感覚のお茶請けとして、こよなく愛している。
その里芋を栽培することにした。ホームセンターで土垂の種芋を購入し5月に植えた。種芋の芽を中心にカットした芋を、堆肥を効かせた畝に深く植えつけた。
40,50日もすると芽がでて葉が成長し、葉の先が土に垂れ下がるほどになる。土垂の名前はここから由来する。朝早く見回ると、空を向く葉に朝露の球が光る。キラキラとして葉からこぼれるばかりに動き実に美しい。その瞬間を詠んだ名句がある。
まさにその陰影そのものを捉えている。

日々成長してゆく里芋の姿をじっと見守っていることに、何かしらの幸福感が心を過ぎってゆく。里芋がくれる命との交流とでも言えそうな至福感である。収穫は9月下旬を予定しているが、さてどのような姿を見せてくれるだろうか。楽しみである。
この里芋は畑から掘り起こした後、親芋と小芋を分けて小芋だけを大きな樽に入れる。さらにその樽に水を入れ洗濯板を差し込んで、小芋同士をゴシゴシかき混ぜる。
すると瞬く間に小芋は磨かれて真白な肌に仕上がる。「芋を洗うようだ」という古事はここから来ている。この作業はもっぱらボクらの仕事で、結構面白かった記憶がある。この磨き上げられた小芋が衣被の原料となる。なつかしい風景としては水車の力を借りて洗う芋もある。
しかしボクらの子供の頃は、どちらかといえば苦手な食べ物だった。里芋のあの「ぬめり」が苦手だった。箸で挟んでも、つるりと逃げ出してしまう里芋には、敵愾心すら生まれた。この野郎と箸で追いかける始末である。親の敵は里芋などと、訳の分からぬ事を言う変人も現れたりした。
それでも「ただいま!」と空きっ腹で学校から帰ると、この小芋がおやつ代わりに卓上に置いてあった。仕方なしに、急いで皮ごと口に放り込んで腹こしらえし、チャンバラごっこの剣士に早変わりして家を飛び出したものだ。そして鞍馬天狗や笛吹き童子となり路上を駆け巡った遠き日が蘇える。
貧しかったけれど、楽しかった子供のころの思い出のひとこまだ。だから衣被には頭が上がらない。何分にも鞍馬天狗のおやつだったからだ。
また里芋料理についても語らねばならないだろう。人気メニューの10品を挙げておこう。
○煮ころがし
○筑前煮
○芋煮鍋
○里芋カレー
○里芋の揚げ出し
○里芋と烏賊の煮物
○けんちん汁、のっぺい汁
○里芋羊羹
○里芋コロッケ
○里芋もち
○芋棒
中でも里芋料理の定番といえば「煮ころがし」に尽きる。肉じゃがと双璧をなすお袋の味である。大人たちの最後の晩餐のメニューとして必ず浮上する一品といわれている。新潟では五泉の里芋カレーやのっぺい汁が人気だ。
また料亭でも出てくるのが前述の衣被である。小粋な小皿に皮を少しだけ切り取った、湯がきたての小芋がでてくる。嬉しかったですねぇ~。「おい、お前、生きていたのか!」と、言葉をかけたくなる劇的な出会いがこんな所であろうとは。まさに40年ぶりの感動だ。タイムスリップした出会いとは、こんなコトを言うのだろう。

そういえば、八坂神社の京名物の「いもぼう」さんにも行きたいものだ。海老芋を主体にした懐石料理が自慢の店である。職を辞してから、ゆっくりと行きたいひとところだ。
里芋煮には古代人の悠久な文化が詰まっている。そんな時空間を味わいながら、熱燗で一献やりたいものだ。
<3-2>「静」と「動」なる月見の宴
*
○一盃は遺影の父へ月の酒 細川朝子
○酒尽きてしんの座につく月見かな 一茶
○玉盃に捉へし月を飲んでゐる 食いしん坊
*
日本人の感性は、花鳥風月に盃を重ねる風雅によって磨かれてきた。特に月見酒は、その代表格である。「ああ玉杯に花受けて、緑酒に月の影宿り」は、懐かしい寮歌の一節。この歌にもやはり月と酒が出てくる。
この月見と酒の関係は、何時から親密な関係になったのだろうか。古代人が月に宿る魂を崇めながら酒を献上したのかも知れない。月見を風雅として楽しんだのは中国をはじめとするアジア民族に多いが、仏教の影響もあるのだろう。陰暦は月を母とした農事暦であり、国旗に月をデザインする国も多い。
そんな月見に関する一文をしたためようと思う。「そんなこと、どうでもいいじゃないか、酒さえ飲めればそれでいい」などの無風流な人でも、月光を浴びれば、静かに杯を重ねたくなるから不思議である。
まずは月見に関する基礎知識を文献より引用してみてみよう。
<お月見の基礎知識>
古くから旧暦8月(グレゴリオ暦(新暦)では9月ごろ)は、北半球では太陽と月の角度が観月に最も良い時節(明るい)である。
この夜は、月が見える場所などに、薄(すすき)を飾って月見団子・里芋・枝豆・栗などを盛り、御酒を供えて月を眺めた(お月見料理)、豊作を祈る満月法会など。このことから芋名月とも言う地方もある。
十五夜は、日本では、1684年に、十三夜を満月に合わせた宣明暦を廃止して貞享暦に改め、毎月1日が新月になるように2日ずらしたため、満月が15日目の夜に当たるようになった。
また、十五夜は、中国が始まりとされ、仲秋節として日本より盛大に祝い月餅を作ってお供えする。この月餅が日本に伝わって、月見団子に変ったという。朝鮮にもこれは伝わり、チュソク(秋夕)とよび、ソンピョン(松餅)をつくる。大陸(中国、朝鮮)では、大きな年中行事になり、休暇をとり帰省する者も多いが、これは節句の名残であり月の風情を楽しむ日本の月見とは少々異なる。

十三夜は、日本では、862年から1683年まで822年もの長きにわたって続いた宣明暦に基づくもので、毎月13日目が満月に当たるように定められていたもの。
なお、中国では、822年から892年まで使われていたもの。日本独自の風習があり、ちょうど食べ頃の大豆や栗などを供えることから、この夜の月を豆名月または栗名月という。
江戸時代の遊里では、1684年貞享暦元年以降、満月が15日の夜に変わっても、十五夜と十三夜の両方を祝い、どちらか片方の月見しかしない客は「片月見」または「片見月」と言って遊女らに嫌われた。2度目の通いを確実に行うために、十五夜に有力な客を誘う(相手はどうしても十三夜にも来なければならないため)風習があった。
更に、地方によっては月待ちという風習があり、
というのはこの名残である。
二十三夜待ちまでを行う地域が多くを占めたが、二十六夜待ちまで行う地域があり、月光に阿弥陀仏・観音・勢至の三尊が現れる(『広辞苑』より)、という口実を付けて月が昇る(大体、深夜二時ごろ)まで遊興にふけった。この風習は明治時代に入ると急速に廃れていったようだ。
中国、日本では、月を愛でるという習慣が古くからあり、日本では縄文時代ごろからあるといわれ、平安時代ごろから中国から月見の祭事が伝わると、貴族などの間で観月の宴や舟遊び(直接月を見るのではなく船などにのったりして水面に揺れる月を楽しむ)など歌を詠み、宴を催した。また、平安貴族らは月を直接見ることをせず、杯や池にそれを映して楽しんだという。
ヨーロッパでは満月は人の心をかき乱し、狂わせるものであるといわれ、月の女神が死を暗示したり、狼男が月を見て変身するというのは、その典型的な例で、とても月を眺めて楽しむという気分にはなれなかったようだ。
日本では『竹取物語』に、月を眺めるかぐや姫を嫗が注意する場面があるため、中国から観月の風習が入るまでは、月に対する考えがヨーロッパと似ていたようだ。
なお、中秋の夜に雲などで月が隠れて見えないことを「無月」、中秋の晩に雨が降ることを「雨月」と呼び、月が見えないながらもなんとなくほの明るい風情を賞するものとされる。
また、俳諧では葉月14日、16日のことを特に「待宵(まつよい)」「十六夜(いざよい)」と称して、名月の前後の月を愛でるが、日本の関東以西では、この時期、晴天に恵まれる確率は低い。
以上が月見孝である。俳句界や短歌の世界では、この様々な月の呼び名に想いを込めて短詩を競い合う。
ちなみに今年の十五夜(中秋の名月)は10月3日、月の出は17:45頃である。この日には日本各地で観月会が催され、それぞれの風習に乗じての馳走、お供え、お酒が用意される。
また日本の月見の名所といえば、以下のところを上げる人が多い。
中でも月見の名所は昔から大覚寺大沢池、滋賀の石山寺と信州の姥捨山が有名だ。中には銀閣寺の砂紗台にかかる月を愛でる人や、南国土佐の桂浜に思いを馳る人も多くいる。また薄ヶ原の月見は、金波・銀波の幻想的な世界が堪能できると、俳人達は激賞する。
いずれもにしても、月見のメッカにふさわしい風情と風格を備えている処ばかりである。
私見だが紫式部で著名な石山寺の月見は、繊細で雅そのものであった。いわば「静」の月見である。関西人が一押しする静寂な月見の名所だ。
また高知の桂浜の月見は、豪快にして静寂そのものであった。桂浜の月見は、竜馬の像を仰ぎながら、金波銀波の満月の静海(太平洋)を眺めることができる。片手を腰にあて、手庇ごしに太平洋の月を眺めると、魂がきらきらとゆれる月の静海に引き込まれていく。しかも寄せくる金波は、桂浜の白砂利を洗い、また静かに引いて行くのだ。まるで太平洋丸抱えの贅沢な月見が可能となる。
あとは砂浜にどかっと腰を下ろし、土佐のサワチ料理や、鯖の姿寿しと辛口の酒があれば、もう夜通し満月三昧となる。若き竜馬が熱き野生の血をたぎらせた時代が、この月見から想像される。これを「動」の月見と言ってもいいだろう。
ペギー葉山さんの「南国土佐を後にして」がヒットしてから、月の桂浜は全国的な名所になった。ただ桂浜は、満月の時だけが月見の名所なのではない。十三夜、居待月、寝待月なども、通の人々が楽しみに待つ月見なのだ。それぞれに感動する結界との出会いが、月の桂浜にはある。森羅万障を一杯の盃に浮かべるのも、これまた格別な人生の風雅と言えよう。
次は月に関わる芭蕉の俳句を挙げておこう。
種田山頭火の「ほつと月がある東京に来てゐる」も味わい深い一句である。
さて月見といえば団子となる。しかもその地方独自の月見団子がある。その一例のインターネットの資料からご引用しておこう。
<日本のお月見団子>
地域 |
団子の名称 |
原材料 |
供える個数 |
備考 |
| 新潟県巻町 | 月見団子 | 白玉粉 | - | 赤血球のような形 |
| 長野県長野市 | おはぎ | もち米、アンコ | - | 「ぼたもち」ともいう |
| 長野県辰野町 | 団子 | 米 | いっぱい | おはぎもある |
| 長野県茅野市 | のたもち | ご飯、枝豆 | - | のた(つぶした枝豆)のおはぎ |
| 名古屋市千種区 | 団子 | - | 適当 | 月見団子はない。普通の団子を供える。 |
| 大阪市中央区 | 月見団子 | 白玉粉 | 13 | - |
| 大阪府大東市 | 月見団子 | 米粉、こし餡 | 4~5 | 紡錘型。市場で買う |
| 大阪市住吉区 | 月見団子 | 白玉粉 | 不定 | 球状 |
| 大阪市住吉区 | 月見団子 | 白玉粉、アンコ | 適当 | 先が細い筒型 |
| 大阪府岸和田市 | 月見団子 | 米粉、メリケン粉 | 13 | 球形。里芋と一緒に煮て食す。 |
| 奈良県五條市 | - | - | - | 団子はお供えしない |
| 和歌山県田辺市 | 月見団子 | 米粉 | 12(閏年は13) | 里芋型の餅にきな粉 |
| 和歌山県那賀郡 | 月見団子 | 既製品 | - | きな粉団子。丸い団子の串刺し |
| 高知県南国市 | かしわ餅 | 米、米粉 | - | 三宝に載せて供える |
| 沖縄県平良市 | フキャギ | もち米、小豆 | お盆に一山 | 紡錘型から小判型 |
団子の材料は米粉などを丸めて茹でたものが多い。中国の月餅が変形して日本の各地に根付いたようだ。もちろん里芋や豆、栗などが供えられるが、いずれも女性好みの献立である。
となると月見に適うお酒の肴とは、どのようなものであろうか。お花見弁当は、江戸時代にひつの文化として開花したが、お月見弁当というジャンルや文化はない。卵の黄身をのせた月見うどんやソバ、ハンバーガーはあるが、格調高い月見酒の馳走が欲しいものだ。

ならばとその辺を探るべく、料理研究家に献立をお願いした。
そのメニューは以下のようになった。
●さつま芋の甘煮
さつま芋は皮ごと輪切りにして水にさらし灰汁抜きし→砂糖→塩少々→くちなしの実2個→を入れて彩り良く煮上げる。
●ホタテのネギ塩バター焼き
ボイルホタテをネギ塩とバターでソテーし最後に刻みネギをたっぷり加える。
●里芋の絹かつぎ
良く洗った皮付き里芋は塩ひとつまみを入れて茹でる。
くるりと包丁目を入れて皮を回しますと取れる。ごま塩をかけつ。
●お月見団子
上新粉は熱湯を掛けてピンポン玉位に丸めて20分蒸す。
ボールに入れてすりこきで良く付く→捏ねて同量の裏ごし南瓜と良く混ぜる →好みの大きさに丸めて串刺しにする。
つぶ餡の残りが冷凍庫に有ったので掛ける。 なめらかであき流のお団子。
●鶏肉と山菜の炊き込みご飯
白米3合/餅米1合をブレンドして和だし汁/醤油/塩を入れて炊き
上げる。
具は→鶏もも肉/田舎煮の水煮/人参/舞茸を使う。
トッピングは銀杏のソテーに塩胡椒をした物/茹でさやインゲン。餅米を入れ るとと流石にひと味違う。
●お月見豆腐
絹豆腐の真ん中をくり抜いて 生卵を落として少し蒸す。
トッピングは小ネギ/茹で法蓮草。簡単で美味しい一品になる。
●その他----------枝豆。
これで五穀豊穣を祈った、秋の恵みの馳走が月見の宴に並ぶことになる。この7品をお重に詰めれば料亭張りの月見のご馳走となる。
また月見酒の粋なやり方は、盃に月を浮かべて飲むことだ。熱燗でもいいし冷でもいい。天心の月を盃に捉えて、飲み干すのである。おそらく冷え冷えとした月光を、全身に浴びながら飲むお酒とならば、まさに風雅を極める瞬間となる。日本人の古代からのアミニズムが頂点に達するだろう。
今年の中秋の名月(10月3日)には、スローフードの仲間と信濃川の河川敷で観月会を予定している。前述の料理研究家の献立と新潟の地酒を堪能するつもりだ。雨となり雨月とならなければいいが、と祈るばかりである。
<3-3>淋しさを食う「石榴(ざくろ)の実」
*
○手より手へ淋しさわたす石榴の実 小池文子
○石榴の実の一粒だにも惜しみ食う 山口誓子
○中の子は石榴の種を空に吐く 食いしん坊
*
石榴の話しをしよう。どこの路地裏にでも赤い花と実をつけるあの町内の果物である。その石榴に出会った人は古今東西にわたり多い。いわば石榴は我らの身内のような懐かしい存在とも言える。
その石榴の原産地はイラン東部から北インドのヒマラヤ山地である。庭木などの観賞用に栽培されるほか、食用としても利用される優れものである。
果実の赤く硬い外皮を割ると、赤く透明な果肉(仮種皮)の粒が無数に現れる。果肉一粒ずつの中心に種子が存在する。花は子房下位で、蕚(がく)と花弁は6枚、雄蕊は多数ある。果実は秋に熟す。
石榴には多くの品種、変種があり一般的な赤いザクロのほかに白い水晶ザクロや果肉が黒いザクロなどがある。 日本に輸入され店頭にしばしば並ぶのはイラン産、カリフォルニア州産が多い。
以上が石榴の基礎知識である。10月も半ばを過ぎる頃、真っ赤に色づいた石榴が食べ頃を迎える。秋空に紅熟した果実が、裂けたままぶら下がる。その冷え冷えとした虚空の風景に、誰でもが故郷を思い出す。
秋祭りの屋台では竹べらで割りながら、石榴売りが声をかけてくれる。「そこのお嬢さん、これを食べるとますますきれいになるよ!」等と、口上たくましく勧める。「アラ、そう、じゃあ、その熟れたのをひとつくださいな!」と、めでたく商談が成立する。
石榴は食べれば甘酸っぱく、種ばかりの果物だ。食べるというよりは、種の周りにかすかにへばりついている果汁をすすり取るという感じである。一粒の果実の構成は、種が90%、果肉が10%ぐらいだろうか。とにかく切ない食べものには違いない。

食べ方は簡単だ。石榴の裂けたところに指を入れて、パカーンとかち割り、人差し指で果肉をほじくり出し、それを10粒ほど口に放り込み、もぐもぐする。
そして種は口から、プーと空に向けて吐き出し、できるだけ遠くに飛ばす。もぐもぐ、プー、もぐもぐ、プーが石榴の美味しい食べ方なのだ。
またビタミンCが多いから、美容系の飲み物として注目されている。かの美人姉妹が愛用しているというのが宣伝文句だ。ことの真偽は確かめようもないが、それだけが人気の理由でもなさそうだ。
石榴は種が多いことから、繁殖と富貴の印とされ、安産の守護神、子孫繁栄のシンボルとして女性達にひそかに支持されているのだ。と言うことは、少子社会のお守りとも言える訳である。だから石榴などと馬鹿にしてはいけない。
また石榴には、「別の人生のドラマがぎっしりと詰まっているぞ!」と言ったら、「冗談でしょ!」と一蹴されそうだが、まあ、聞いてください。石榴には虚空の哀愁とか孤独が、ぎっしりと詰まっているような気がする。
そしてそれらが詰まり過ぎると、こらえ切れなくなって、実がパカーンと爆ぜる様にも思える。これを「石榴の開放」と言う。梢にぶら下がっている石榴を見ると、そんな風情が感じられる。そういえば石榴という字は「石」が「木」に「留まる」と書く。粋な漢字をあてがったものだ。
さらに雪が降り積む梢に、取り残された石榴ほど哀しいものはない。忘れ去られた老人のように、ただ梢に揺れている。そして「石榴くん、キミは孤独なんだね~」と、思わず自分の境遇に重ね合わせて声をかけたくなる。
また石榴には少年の頃の思い出が重なる。悪戯して叱られた子が、原っぱの土管にまたがりながら、この石榴の実を一粒ずつ食べては、空に吐き出す原風景が心を過ぎるのだ。エッ、それってキミの思い出だろうって!ハイ、その通り。

石榴を口にする時は、いつも、いつも寂しい時だったような気がする。ならば「寂しさ系」のお菓子として、「石榴キャンディー、石榴グミ、石榴ガム」などを売り出してみてはどうだろう。
おっとっと、また商売の話しになってしまった。その真っ赤な石榴が梢に取り残されるころ、遠峰には早い雪がやってくる。