新着トピックス


カテゴリー


バックナンバー


2009年09月30日 08:46

VOL 23

1 スローフード巷談(3)

● 新人百姓の伝統野菜づくり奮闘記

 スローフード運動にとって農業の現場を知ることは大切である。実際に耕し、種を撒き、草をとり、虫除けや病害と戦い、収穫し、保存する。そして採れた農産物を家族で料理してその味覚と収穫の喜びを味わう。この毎年繰り返されるサイクルの農事暦こそ、人類がその誕生から繰り返してきた、生きるための営みに他ならない。
 そんな机上では得られない自然との対話や現場の五感経験を通して、全身が研ぎ澄まされてこそ、農業の本質に触れることができる。これが我らが長年胸に願い続けた想いである。その想いを、2009年1月にスローフード農園という形で仲間と立ち上げることにした。
 幸いなことに新潟市の内野地区の休耕地(1反)を借りることになり、スローフードの仲間に声をかけ、6名がエントリーした。農業体験はほぼゼロの6人衆である。
 しかしこの耕作地の確保には多くの時間と苦労が伴った。田畑があればどこでもいいと言う訳にはいかないからだ。少なくとも以下の4点をクリアーすることが必要だ。
<耕作地選定の条件>
   1、井戸水や地下水などの水の便があること
   2、トイレまたはそれに近い環境があること
   3、教えてくれる農業指導者や農家が近くに居る事
   4、土壌が良質であること
などが必修条件となる。
 これだけの条件をクリアーできる耕作地は、なかなか見つからない。高齢化により耕作を止めた農家から、提供される耕作地を探すのがコツである。農家としても休耕田のまま一度放置すれば、田畑が荒れて復旧できなくなる可能性があるから、大切に使ってくれる人に貸し出すのはメリットがある。安い賃貸料でも農家にはありがたい存在となる。但し農地法の縛りがあるから、事前に地権者との意思の疎通が欠かせない。
 最近では農地法が規制緩和されて、グループや企業の農業参入が可能になってきたが、まだまだ地権者とのスムーズな経済交流は軌道に乗っていないと聞く。日本の農業は約80%の零細兼業農家と20%の専業農家によって構成されているが、休耕地を借りるだけでも、その辺の事情が透けて見えてくる。
 さて日本の農政や農業の現場事情は後述することにして、我が新人百姓の8ヶ月間の奮闘記をレポートしよう。目から鱗のドキドキとする農事体験ばかりであった。
掲げた課題と目標は3点ある。
その1、新潟の伝統野菜を栽培して、その野菜の特性の実情を知る
     →絶滅しそうな野菜のその理由をさぐる
     →関屋南瓜、金糸瓜、寄居かぶ、白茄子、本十全茄子、えんぴつ茄子を栽培する
     →実際に調理して楽しみ、そのレシピを公開する。次世代に伝える。
その2、野菜栽培に関わる生の基礎知識や方法を学ぶ
      →何を、何時 どれくらい、どこに、どのようにして
     土つくり、苗つくり、種の撒き方と時期、マルチやトンネル、間引き、追肥のやりかた、堆肥と肥料の違い、剪定の訳とやりかた、病害虫対策、収穫時期、保存方法、転作障害
その3、野菜栽培の実際の喜怒哀楽を、汗を掻きながら身を以って学ぶ
     →バーチャルな知識ではなく、農業の重労働の実際を体験する
     →収穫の喜びや自然との付き合いの厳しさを体験する
 以上の3点を胸にいよいよ農事に挑戦することにした。その8ヶ月間の素人奮闘記を、以下、思いつくままにレポートしたい。

 <伝統野菜作り奮闘記>

○まずは農業の新人となる覚悟みたいな心境が脳裏をかすめる。子供の頃の畑仕事の経験は少しあるが、そう甘くはないだろう。今回の一念発起の率直な初心の気持ちである。そして母に連れられて畑を耕したことがまざまざと蘇えってくる。不安と期待が複雑に交差するが、とにかく始めることにした。2009年の1月である。
○確かにこれからの老後の時間を活かすには、この家庭菜園も選択肢の一つであろう。大学時代の仲間も定年後は農業に勤しんでいる。
 人間は死ぬまで、何かを創り続ける動物のような気がする。ホモ・ルーデンスとは「遊ぶ動物」という意味合いを持つ。なるほどだ。いくばくの不安はあるが、とにかく楽しむことにした。

○畑は約1反(100坪)の砂地の畑で、新潟駅からバスで60分のところにある。バス終点の内野バスセンターから徒歩で10分のところが陣地だ。
○バスを降りると、周りには野菜専業農家の集落が散在している。途中で農作業のお年寄りに声をかけて、いろいろな情報を得るのも楽しい。
 農作業をしているのは高齢者ばかりだ。しゃがみ込んで黙々と作業をしている姿が眼に飛び込んでくる。

○1月23日、ホームセンター・ムサシへ農具を買いに行く。3本鍬、平鍬、如雨露、ふるい、バケツ2個、長靴、スコップ、鎌など9,500円の出費となった。意外と安い価格だ。
○栽培の方法や農薬についての基礎知識はネットや本で調べた。大方の知識はこれで得られる。土作り、栽培のカレンダー、肥料や農薬の使い方、栽培する野菜の選定など膨大な勉強が必要である。晩学としては刺激的な分野である。
○しかしやはり頼りになる身近な指導者が必要だ。今回は山本秀樹さん(60歳)にお願いした。畑を見下ろせる所に住居する野菜作りのプロである。栽培知識と堆肥を提供して貰うことにした。
○2009年2月21日、種苗会社の北越農事(株)の渡辺義貴氏を囲んでの、伝統野菜の栽培会議を山本さん宅で開催した。種は北越農事(株)をスローフードの仲間として迎え入れ、管理販売してもらうことにした。
○渡辺氏は昨年の「伝統野菜プロジェクト」の発起セミナーで、新潟の伝統野菜の基調講演を任された知識人である。彼から今後の生産履歴や予定ファイルが用意された。
○当日は簡単な今後の段取りと種の購入した。
 さらに畑に行き、4名の区画を決め、名札を立てた。一人20坪くらいが陣地となる。
種はとりあえず新潟の伝統野菜を中心に選んだ。
       ・3月捲きーえんぴつ茄子、十全茄子、寄居かぶ
       ・5月撒きー関屋南瓜、茶豆
       ・9月撒きー青山ねぎ、大根、白菜

○農薬は使わず、黒酢農法でやる予定だ。自家消費だから少々、虫に食われても問題ないいからだ。黒酢農法の説明を石山味噌の養田武郎氏から受ける。
○3月18日、晴れ
伝統野菜以外にもジャガイモ(男爵とメークイン1kgづつ,400円/kg)を種屋で購入した。芽の部分を残しながら小分けにカットし、1日太陽に晒すと切り口が黒ずんでくる。これを畑に植えるのだ。

○3月19日、晴れ
ジャガイモの植え方はまず畑に畝を切って、堆肥を敷き、その上に泥をかぶせておく。そして切り口を下にしてジャガイモを30cm間隔に置き、泥でかぶせる。さらにその上に枯草を置き、泥でおさえ終わりだ。
 横の畝には寄居蕪(種は微粒)の種を撒いた。少しずつ種をばら撒き、薄く泥をかぶせればよい。泥を被せすぎた感があり、発芽が心配だ。最後は如雨露で水をやって、60分ほどで作業は完了。
○山本さんから化成肥料を1袋(2,000円)買い、倉庫においた。堆肥とは別に化成肥料を使うことを勧められた。
○4月9日、晴れ
もう初夏のあたたかさである。寄居蕪が乱立しながら芽をだした。早速間引きし、畝の淵に追肥を置いた。
 畑周辺には雉が数羽住み着いている。時折り、けたたましい鳴き声を上げながら、畑を足早によぎる。こんな所にもまだ野生が残っているのだ。
○4月15日 晴れ
我が家のベランダで関屋かぼちゃと金糸瓜のポット植えをやった。5月には苗にしてから畑に下ろす予定。はたして芽がでるか。用土はタキイの栽培用土。毎日、ベランダで睨めっこ。寒さ避けの対策として、夜間は部屋の中に入れる。

○4月16日 少雨
ムサシで買った「黒十全」(10本)とブロッコリー(3本)を植えた。ついでに空いた場所に人参と小松菜の種を撒いた。どうしてもあれやこれやと試し撒きしたくなる。好奇心が芽を出してくる。

○5月2日 晴れ
苗に起した金糸瓜を畑に植えたが、寒さ対策をしなかっ為か5本とも全滅した。仕方なくコメリで苗を手に入れ、あいにくの強風と戦いながらマルチとトンネルの畝に植え直した。
 初めてのマルチとトンネルつくりである。トンネルに使う透明ポリ(180cm幅)とマルチに使う黒ポリ(180cm幅)はムサシで購入した。結構値段も高い。さらに随分大きくなってきた寄居蕪の間引きをおこなう。この日にズッキーニ(1本)を植える。
○5月7日
4月に撒いた枝豆が鳩に食われて全滅した。コメリで苗を30本購入して植えなおす。釣糸を畝の上に張っておくと鳥害は防げると、村の老人から聞く。
 空いている場所に紅あずま(さつま芋)の苗を20本植える。黒マルチした畝に穴を開け、苗を倒して蔓を埋め、葉だけを出しておく。
 ベランダで苗に起した関屋南瓜を8本だけ、黒マルチの畝に下ろしトンネルで囲った。蔓がどれだけ広がるか未知なので、180cm幅の畝の真ん中に植えた。畝には予め堆肥(牛糞)を漉き込んでおいた。トンネルは直ぐ湿気で曇り、かなりの保温効果がありそうだ。

関屋かぼちゃ
 元気のない十全茄子の一部を植え替え、あらたに5本追加植えした。珍しい長い茄子の「藤美人」を2本植えた。ズッキーニは順調に育っている。
 F1の典型とされるトマトの新種「シシリアン・ルージュ」の苗を1本250円で買い植える。苗はポリ肥料袋で囲って防風と保温した。イタリアン料理店が欲しがっている料理用のトマトだ。
○5月15日 曇り
寄居蕪の間引きを行う。密集して蕪同士が喧嘩しており、3割くらい間引きし、一部は持ち帰る。とにかく寄居蕪の成長は早い。葉がどんどんと高く伸びる。何故絶滅の危機に置かれた品種なのか分からない。
 ジャガイモの茎も大きな芋をつくるために2本立てにした。なると金時(さつま芋)をマルチの畝に10本植える。
 話題の金糸瓜の蔓がトンネルの中で勢いよく伸びてきた。トンネルの横側に穴を開け、水をやることにした。

○5月23日 晴れ
小松菜に青虫(黒虫)が発生した。あわてて手で除去しようとしたが、気が付いた時点ではもうお手上げの状態だ。農薬は使わないので、ため息を付くばかり。害虫対策の難しさを初めて体験した。腹が立つよりも、青虫の力に拍手を送るしかない。
 虫は若くて柔らかい野菜を狙って食べると言われているが、そうでもないらしい。濃い青色の葉の野菜(窒素分が豊富)を虫が狙うのが本当だという。すなわち肥料で育てる野菜が被害に遭う。窒素分は虫の生命の源だからだ。硝酸性窒素を虫が好むのだ。
 そういえば肥料も与えられない野性の草木には、ほとんど虫がつかない。これで一つの謎が解けた。
しかたなく寄居蕪も小松菜も明日、収穫して虫の攻撃を最小限に食いとめることにした。
 生姜の種芋を一旦まとめて仮植えした。芽が出てから切り分けて植え替えるのである。また仲間から枝豆(湯上り美人、茶豆)の苗をもらう。明日植える予定だ。
 関屋南瓜がトンネルの中でようやく根付いた。金糸瓜は蔓が延び盛りで、そろそろトンネルを外さねばならない。

○5月24日 晴れ
3月18日に蒔いた寄居蕪と小松菜をすべて収穫した。虫は手で除去して、すぐ食卓に乗せた。虫はよく観察していなとダメだ。反省する。
 トマトを囲んでいたポリの覆いを外し、枝の脇目をとった。トマトは脇芽を欠かないと上手く栽培できない。水は少なめで、日除けをすると甘いトマトがなる。
 十全茄子、えんぴつ茄子の脇目も取った。下から3節までのわき芽は掻きとること。水と肥料はじゃぶじゃぶやるのがコツだという。

○6月1日 曇り
金糸瓜のトンネルを外し、四方に伸びた蔓の交通を整理した。1mほどに伸びた親蔓の先を摘み取り、子蔓と孫蔓の成長を促がすことにした。子蔓を4本くらいに整理すると良い実がなる。畦に堆肥をばら撒き、追肥とした。
 ブロッコリーを2個収穫した。実は次々と成り、うっかりするとバットくらいのサイズになるから要注意だ。1本の栽培で十分な収穫が見込める。
 ジャガイモを手探り収穫をした。手を入れて大きめのものだけを収穫する。一挙に掘り起こすよりも徐々に収穫したほうが、玉の大きさが揃う。
 水分の不足のためか玉の中心部分に巣があり余りよい出来ではない。残りの収穫は周りのジャガイモ畑の状況を見てきめることにした。収穫作業の見本は周りの畑にある。真似をすればいいのだ。
 収穫した芋を水洗いした。しかしこれは保存を妨げて、すぐ腐る原因となった。泥は乾燥すれば落ちるから、水洗いしてはいけない。後は涼しいところに保存すればいい。もちろん人参、かぼちゃ、瓜、西瓜、蕪や葉菜も水洗いしてはいけない。

○6月4日 小雨後曇り
金糸瓜の蔓が延びすぎるから、防御用のネットを張り、隣の畑にはみ出さないように陣地を制限した。関屋かぼちゃの畑も蔓が隣に侵入しないように、ネット柵を張ることにする。
 金糸瓜と茄子に堆肥を畝にまいた。根が伸びているから根元ではなく、離れたところがいいと山本さんのアドバイスを受ける。
 茄子は肥料と水を好むから、たっぷりとやること。トマトは余り水を好まない。日差しに当てると皮が硬くなるから、日除けをするとよい。あるいは親蔓を摘み取り、葉を増やして日除け代わりにするのもよい。こうした露地トマトは、水に沈む。最近のハウスものは水に浮くのが多いようだ。細胞が緻密でないのが原因と言われている。
 ここでまた問題が発生した。植えつけたキャベツと、収穫したあとのブロッコリーに青虫が大量発生したのだ。もう手に負えない状況だ。小松菜の失敗教訓が生かせなかった後悔が残る。
 ブロッコリーは収穫して、後は破棄した。キャベツの青虫は手では除去しきれないから、勉強のために殺虫剤を使うことした。ホームセンターであれやこれやと手に取りながら農薬を探した。その中から今回は有機栽培にも使えるパイベニカスプレー(970円)を選んだ。しかし青虫に散布しても効かない。残念。もっと強力な農薬が必要のようだった。
 農薬の話しをしておこう。農薬は本当に忌避すべきかどうか。専門家によると農薬は散布すると2,3日で分解して無害になる。だからあえて忌避することはないとのアドバイスを受ける。農薬=危険というのは間違いであるとも指摘を受ける。
 そういえば有機農法が安全のシンボルになっているが、実際は牛糞堆肥に含まれるホルモン剤や抗生物質が問題になると、専門家は警笛を鳴らす。有機栽培=安全という短絡的な発想は慎むべきだとも言う。
 植物性堆肥の油粕、ボカシ(油粕を醗酵させたもの)、米ぬかなどは、動物性堆肥に比べて安全性が高い。しかしたくさんの窒素成分が含まれていることには、変わりない。この窒素成分を目指して虫が襲来する。
 農作物を自然農法に任せずに、人間の都合で栽培を操作すれば、いかなる農法も必ず無理や弊害がでるのは当然と言える。
 机上で農薬栽培や慣行栽培を云々していたことを、恥ずかしく思う。スローアグリーとは、自然の恵みの一部分を人間がいただくという謙虚な気持ちからうまれる。
あるいは人類も自然(ガイア)の一部であるという謙虚な営みから生まれる農業だと言えなくもない。これが青虫との戦いから学んだ、自然の摂理である。大袈裟だがそんな気がする。
○6月9日 曇り
花が枯れたジャガイモを全て掘り出すことにした。小芋もすべて持ち帰る。
 関屋南瓜の蔓が四方に延びだした。5本すべての親蔓の先を止めた。こうすることで子蔓が平均して伸びるはずだ。
 植えた甘露瓜も大きくなってきた。米山白瓜の勢いは弱いが何とか4本活着した。さつま芋の追肥には菜種の油粕がいいようだ。甘味がつくという。
五寸人参の2回目の間引きをやり、追肥を施した。間引き菜は天ぷらにすると抜群に美味い。180度で揚げると、固い繊維が軟らかくなるようだ。煮るだけでは葉っぱは固い。
 本日は隣の畑の親子栽培教室で農薬の散布を学んだ。トマトや胡瓜の農薬は殺菌用のダコニールと殺虫用のサークルという2種類の薬剤を混合して使うといい。講師の田辺さんのすすめ。薬剤には少々の抵抗感あるが、これも学びの一環として体験した。

○6月15日 快晴
金糸瓜の蔓がネットにぶつかりながら勢い強く伸びてきた。すごい勢いだ。蔓の先のほうに雌花が咲き、実を結ぶようだ。
 相変わらずズッキーニの実は小さい。大きくならないうちにすぐ腐ってしまう。
トンネル栽培の米山白瓜は3本根付いた。甘露瓜のトンネルはそろそろ外す時期がきた。
地元葱を植えたが、根つきが悪い。石灰をまかないといけないようだ。

○6月25日 曇り
久しぶりに畑を覗くと、草が生い茂り、キャベツや茄子には虫が群がっている。みると何処から湧いたのか、雨蛙も多く住みついている。虫を食べるためのようだ。
 いわば除虫の可愛い小動物の生態系が畑に展開されている。驚きの自然界の凄さである。
 金糸瓜は急に大きくなり、ネットに引っ掛かって成っている。その内の2個を収穫して持ち帰る。まだ15cmほどで色も白い。全部で20個ほど実を成している。今後は黄色になってから採ることにする。
 甘露瓜のトンネルを外した。まだひ弱な蔓だが、太陽を当てることにした。
ズッキーニの実は、ビックリするほど大きくなり、太さもすごい。やはり時期がこないと大きくならないのだ。
 十全茄子とえんぴつ茄子を初めて収穫した。神楽南蛮(唐辛子)と合わせて炒め煮ると、抜群に旨くて酒と食が進む。新潟は茄子文化のメッカだと言われているが、ほとんどはF1タイプの改良茄子の栽培が多い。
 そんな中での十全茄子、えんぴつ茄子、白茄子の地野菜としての存在理由を今一度考えてみたいと思う。
 関屋かぼちゃも勢いがすごい。どんどんと地を這って四方八方に伸びだしている。もうすぐ花を咲かせて、実を結ぶはずである。茶豆は順調に成長している。虫が心配だ。
○7月4日 曇り
長岡野菜の神楽南蛮(ピーマン型の唐辛子)、十全茄子、ズッキーニを収穫した。9個の西瓜も大きくなってきた。そろそろ収穫の時期だ。ピンポン球から35日目くらいが収穫時期になる。
 収穫の日付札をつけておけば一番旨い時期の収穫が可能になると、畑の老人に教わる。気温が26度を超えた日が続くことも必要だ。
 西瓜の葉に茶色の斑点がでた。肥料のミネラル不足だという。病気ではない。さらに金糸瓜の葉にはうどん粉病がでた。黒酢100倍を散布した。しかし3日後、葉が枯れてしまった。300倍でないと効果がないようだ。窒素分のやりすぎが原因のようだ。
 関屋南瓜が蔓の先のほうに実をつけだした。花のお尻を下にすると、形のよい南瓜になるようだ。しかし首がすぐ折れるから注意してやらねばならない。甘露瓜も小さな実を持ち出し、トンネルをはずした。
 トマトはまだ収穫できない。脇芽が肥大化して樹全体のバランスが悪い。思い切って剪定しなければいけない。トマト栽培は結構難しい。
 茶豆の花が咲き出し、そろそろ実をつけそうだ。枝は風に弱くすぐ親芯から折れてしまうから、土寄せをして防ぐことが大切になる。この頃になると畝の周辺から茶豆特有の香が漂う。ああ、茶豆の匂いだ、と実感できる瞬間でもある。
○7月6日 晴れ
新潟日報の記者、森本真理氏の取材を受けた。伝統野菜に取り組むスローフーダーというテーマである。
 ファストビジネスの前線にいた小生が何故、スローフードに定年後を生きようとしているのかが記者の眼に止まったようだ。畑に氏を案内しながら来し方の取材に応じた。
 この取材は7月25日の朝刊に「新潟の人間力」という表題でデカデかと掲載された。反響は凄い。早朝の5時には友人から電話の一報が入った。スローフードの仲間からも記事に対する反響があり、定年後の生き方を模索する人々の心をも動かしたようだ。
  65歳の小生の人生を、一区切りつけたような出来事である。

○7月14日 晴れ
金糸瓜10個と西瓜6個を収穫した。金糸瓜は20cmほどとなり、ずっしりと重い。
 西瓜を割ってみたがやや早い。日照時間が極端に短かった6月の影響もあり甘味も弱い。俗に西瓜は、果実のついている節の髭や葉が枯れたとき、お尻を押して、弾力性が出てきた時が収穫の時期だと言う。叩いて鈍い音がでるとOKともいうが、やはり難しい。
 スーパーでは客が西瓜を必ず手で叩く風景がみられる。西瓜にしてみれば叩かれるような悪いことを、やったやけじゃないから迷惑千万だろうと思う。これも運命なのだろう。
 関屋南瓜を2個収穫した。まだ早く若いから暫く放置して、水分を抜けば美味しくなるようだ。さっそく煮て食べた。さっぱりとした味が特徴だが、西洋かぼちゃのクリクリ感はない。新潟の人々がなつかしいと箸を進める一品だ。
 ズッキーニがほぼ栽培を終えた。バットのような実が10本ほど採れた。キャベツを3株収穫した。虫にやられたが、なんとか葉を巻いた。
 隣の小山さんの白茄子が実を付けてきた。3個頂いて焼茄子で食べてみた。もちもちとした食感が特徴だ。最近のNHKの特集で「幻の茄子」という報道があり、にわかに脚光を浴び出したようだ。伝統の復活と普及には吉報といえる。色が白いのはナスミンという茄子の色素がないからだ。
 ただし白茄子は栽培が難しい。棘が大きく、実を傷つけてしまうから流通販売には向かない。絶滅の理由がこの辺にありそうだ。
 絶滅種の淘汰される理由には2通りある。自然淘汰(栽培が難しい)と人為的な淘汰(味覚が時代に合わない)である。新潟の伝統野菜も、これらの宿命を負って栽培されなくなったようだ。
○7月21日 猛暑
トマトも赤みを増し食べ頃になる。残しておいた西瓜の2個が鴉に突かれていた。熟した西瓜のみを鴉は知っている。どのようにして感知するのだろうか。腹が立つより鴉の眼力に苦笑いするしかない。
 蔓と葉の枯れ始めた金糸瓜をすべて収穫した。30個ほどになる。金糸瓜は保存が効くから今後、ゆっくり食べることにする。もちろん水洗いはしないままで、ベランダの涼しい所に保管する。
 素麺かぼちゃとして、三倍酢で食べるのが最高である。この金糸瓜も最近テレビ報道で紹介されるようになってきた。こんな天然の芸術野菜を見たことない。子ども達に実演すると、どよめきが起こる食材である。
 茶豆が莢を下げだした。まだ若い。7月下旬が収穫時期となりそう。
茄子と神楽南蛮が次々と成りだした。3日も収穫をしないと、樹に垂れ下がるほどになる。
 神楽南蛮は長岡の地野菜として、長岡中央青果の鈴木さんのグループが復活に成功させた品種だ。巾着茄子と共に長岡ブランドとしての市場を作り出している。
○7月24日 曇り
今年は梅雨明けが遅い。日照時間も短く西瓜や枝豆の甘味にも弊害が出ている。
 枝豆(湯上り娘、茶豆)を試し採りしてみた。やはりまだ莢は若く、実も未熟である。7月末に収穫することにした。試し採りの茶豆は早速塩茹でした。鮮度の劣化が早いから直ぐ茹でるか冷凍することがコツである。
 枝豆は湯を沸かしてから、採りに行けと言われる所以である。塩茹で5分くらいで真っ青な食べ頃となる。匂いもほのかにあり甘味も良い。これが新潟の家庭の夕餉には並ぶのだ。やはり贅沢な食卓という他ないだろう。
 また枝豆には黄金虫が寄ってきて葉を食い散らす。防虫網を張って防ぐのが一般的だが、雨蛙ですら黄金虫は苦手のようだ。我らは手でつまみ、ペットボトルに入れて駆除するしかない。幸い我が枝豆は黄金虫の攻撃を逃れている。注意しながら見守ることにする。

○7月31日 猛暑
枝豆(湯上り娘)の半分を収穫した。茶豆は8月6日頃、孫と収穫することにした。関屋南瓜を10個ほど収穫し、籠入れて保存。来週には全量採る予定である。
 茄子とトマトはどんどん採れだした。食べきれない。茄子とトマトは、一本あれば家族の食卓は賄えるというが本当である。とにかく嫌になるほどよく採れる。
 ならばとポリバケツ容器に糠床を仕込んだ。茄子の漬物をつくるためである。糠床になるには1週間はかかる。朝晩かき回して醗酵をうながしている。
 そういえば新潟には糠漬け文化がない。お袋の沢庵で育った我らには、どうしても糠付けの茄子や胡瓜が恋しい。最後の晩餐のメニューとしている味である。

○8月12日 猛暑
茶豆をすべて収穫した。盆帰省の子供家族に合わせるためである。ひと畝でバケツ半分ほどの収穫量となった。実はかなり充実しており、早速、大鍋で茹で上げた。半分は生のまま冷蔵保存した。
 新潟には枝豆の時間差栽培の知恵があり、6月から10月まで、次々と品種の異なる枝豆が登場する。肴豆が最終の晩生である。
 茄子は大きな実をつけて数も多い。関屋かぼちゃも残りわずかになった。
そろそろ秋の作付けを考える。白菜、大根、寄居蕪、ニンニクなどを候補に上げている。
 マルチした畝に植えつけたおいた地元の里芋(土垂)が大きな葉を揺らしている。五泉の里芋は有名だが、さてどのような芋を実らせてくれるか楽しみである。
○8月16日 晴れ
盆を迎えてからっとした夏空が戻ってきた。早朝バスで畑に7時に着き、早速雑草や枯れた胡瓜の棚を整理した。胡瓜はわずか1ヶ月ほどの収穫期間であり、すぐ肥大化するからまめに収穫することが大切。
 胡瓜が曲がるのは水不足による。ハウスできちんと水管理しなければ、スーパーに並ぶ真直ぐな胡瓜にはならない。露地栽培ではまず無理だとのこと。
 枝豆や西瓜、白瓜、金糸瓜の収穫を終えた跡地に、次は何を栽培すればいいか、山本さんに尋ねた。答えは大根と白菜、蕪であった。白菜は種から苗を起して定植するようにとのこと。関口種店でその種(630円)を購入し、跡地の整理を待って栽培に着手することにした。
 関屋南瓜も残り全部を収穫した。50個ほどになった。とても処分しきれない数だ。とりあえず小屋に保管し、来る24時間テレビのブースの出品に待機することにした。
 関屋南瓜の栽培は意外に簡単であった。黒マルチして苗を植え、最初のうちはトンネル栽培すれば、後は放りっぱなしでかなりの収穫を得る。
 だから摂滅しそうな理由としては、西洋南瓜の味に負けて、食べられなくなったからだろうと思う。余りにもさっぱりしていて、濃い味の現代の食卓に敬遠された。そんな人為的な絶滅理由が見えてきた。
 会津地方から由来して、新潟の関屋地区の砂地の畑に栽培され続けてきた種だが、最近はポツポツと八百屋さんの店頭に並び始めたと聞く。なつかしがる高齢者が購買していくようだ。
 ただし今回栽培した南瓜は、正確には関屋南瓜とは言えない。種が会津早稲という南瓜だからだ。他所から持ってきた種は、少なくとも8年間くらいかけて栽培を繰り返し、自家採種して初めて、地野菜の種となるという。種がその土地の土壌や風土の情報を遺伝子としてインプットして初めて、地野菜の種の資格が得られるのである。
 京野菜も滋賀県あたりで大量に栽培されているが、年月を得ればもう京野菜ではない。立派な滋賀野菜という地野菜となる。似て非なるものである。本当の地産地消には8年以上の年月をかけた自家採種という農事が必要となる。
 ちなみにF1といわれる一代雑種の種は、自家採種しても2度と使えない。種の遺伝子が元のオリジナルに戻ろうと働き、品質がばらけてしまうからだ。
 世界の種子が、一部の大手企業の独占市場となりつつある現状を鑑みると、うすら寒くなってくる。種すら工業製品化されて、自然環境を操作しようしている。人類の食料を賄うためのシステム合理性だとしても、このような強欲なやりかたは、いずれの日か自然界の大復讐を受けないとも限らない。
 種から垣間見た、環境と人類の葛藤の感想である。

○8月20日 晴れ
蝉の声に加えて虫の音が聞こえだした。晩夏の気配が濃厚な畑に、また、早朝出勤した。
一通りの除草を終え、関屋南瓜の蔓を整理した。
 腰を下ろして、汗を拭いながら缶ビールを飲めば、隣の草むらからキリギリスの鳴き声が聞えてくる。吹き抜ける風はもう秋である。3月から始めた野菜作りとの葛藤や対話、存問に立秋の心地よい風が吹きぬけていく。
 20坪ほどの我が陣地も大方の収穫を終えて、次の栽培に向けて待機している。ひと仕事終えたという畑風景だ。この陣地を眺めると、なぜかこの畑が愛おしく感じられる。
この半年間の熱に浮かされたような毎日は、一体何だったのか。昼間のビールはすぐ効いてくる。

<後記>
 畑に通い続けてはや8ヶ月が過ぎようとする。3日に1度の畑通いである。まるで何かに取り憑かれたかのように、目覚めると心と足は畑へと向う。
 朝早く起き、家族を起さないように気遣いながら早朝のバスに乗る。前夜に仕込んでおいたペットボトルのお茶とお結びを入れたリックを背負いながら、終点のバスセンターから畑まで歩く。西瓜やメロン、かぼちゃなどの畑がずっと続く中を、「おはようございます」と、農人に声をかけていく。
 時には立ち止まって、農人にいろいろなことを教わるのも日課である。変なおじさんをこの頃見かけるようになったと、村では話題になっていることだろう。
 畑に着けばすぐに農作業のモードに入り、今日の作業の段取りを決める。滞在時間は3時間ほどを目処に、作業を黙々と始める。
 3月、4月、5月は種まきや苗の植え付け、散水に追われ、防風や防虫に悩まされる。何もかもが手探りの作業である。しかし何故か楽しい。まるで理科の実習をやっているように心が弾む。さらに6月、7月、8月は雑草取りと収穫に追われる日々が続く。
 しかし雑草の脅威がこれほどまでに強いとは思いもよらなかった。むしってもむしっても雑草は絶えない。除草剤は悪だと言い放つ人々の顔を思い浮かべながら、除草剤に頼る農人の悲しみが草をむしる手先を過ぎる。農家業の苦しみの歴史は、この除草の歴史であるような気がする。それほどに苦業である。
 また手塩にかけて育てている伝統野菜の育ち状況を観察しながら、それ以外のお楽しみ野菜の栽培にも心を配る。西瓜、トマト、キャベツ、人参、小松菜など伝統野菜以外の作物の状況も気にかかる。

 さらにかぶりつくもぎ立てのトマトの甘さは、遠き日の露地トマトを彷彿させてくれる。実に甘い。記憶の隅にかすかに残る少年の日の、トマトの思い出が喉元を過ぎて行く。
 また知らぬ間にぽつんと咲いた野菜の花を見つけると、思わず膝をついて愛でることも幾たびか。その花をめがけて、どこからともなくやって来る蜜蜂の大群。まるで自然界にはフェロモンのような情報網が張り巡らされているようだ。実に不思議な生態系の連鎖が存在する。
 そして今、大方の収穫を終え、閑散とした畑に佇みながら、この8ヶ月をふり返っている。様々なことが脳裏や手先に蘇えってくる。たかが8ヶ月の農業体験で、自然や野菜と対話したなどと偉そうに言う積もりはない。また言えば嘘になる。
 しかし農作業の苦しさ以上に、ドキドキとした楽しさや感動が全身を駆け行けたことは事実である。学び、観察し、驚き、考え、収穫し、それを家族に食べさせるうれしさ。失敗談、成功談を仲間に話す楽しさ。野良仕事を終えた後の畑で飲む缶ビールのうまさ。これらのことは事実、実感として自身の言葉として語ることができる。
 ビジネスマンとして、ファストモードの世界に身を置いてきた人間にとって、これらの体験はまさに別世界の出来事である。こんな面白いことが身近にあったのか、と人生の機微を思い知らされたことも事実である。
わずかな期間の体験を終えて学んだこと。それは健康な野菜は健康な土壌に宿る、ということ。健康な土壌を如何に醸していくか。有機栽培だ、減農薬栽培だ、自然農法栽培だ、と叫ぶ前に、悠久な向うに見え隠れする大地は、まさにスローランドそのものであるべきだ。
 そんな教えをこの体験から得られた気がする。実に感動の8ヶ月の毎日であった。9月19日には山本さんの庭で、仲間達とささやかな収穫祭の宴を開く予定だ。この8ヶ月の奮闘を笑いながら語り合えるはずである。

●食あれば句あり

<3-1>里芋は大地の温み

               

 里芋に関しては様々な想い出のある人が多いのではないか。その里芋は、ここ新潟でも盛んに栽培されている。新潟は里芋のまほろばと言えなくもない。とくに五泉の里芋は群を抜いている優れものだ。五泉の肥沃な河川の大地がもたらした「キヌオトメ」というブランドである。肉質が絹のように細かいからその名がついた。
 また里芋と言うくらいだから里の数だけ、様々な栽培がなされている。山芋(主に自然薯)に対する里の芋の総称である。原産地は南アジアでタロイモの流れを組む重要な作物である。日本への渡来は稲作が始まった縄文時代後期より古いとされている。
 種類は4種ほどに分類される。

1,親芋を食べる種(土垂、石川早生など)
2,親芋からできる小芋を食べる種(セレベス、八頭、海老芋など)
3,親芋、小芋の両方を食べる種(たけのこ芋、田いもなど)
4,茎まで食べる種(はすいもなど)

一般的には土垂、石川早生(大阪の石川村産)など小芋が食卓に上り、様々な料理に利用される。
 とくに直径3cmほどの小芋を、皮ごと湯がいたものをと呼び、月見の供え物として重宝する。食べ方はシンプルである。皮を剥いて塩をつけて食べる。それだけで里芋には大地の香りとパワーのあることが実感する。おやつや腹の足しにはもってこいの食べものだ。
 俳句の季題としても多くの俳人が好んで詠む逸品でもある。衣被(きぬかつぎ)とは、昔の女性が頭と顔を隠すためにかけた布のこと。その布がスルリと取れて白い肌が現れる様子に似ている所から付けられたという。何と艶かしい名前だ。先人たちは結構、洒落た名前を付けたものだ。だから「なんだァ~、里芋か」などと軽んじてはいけない。
 また里芋は低カロリーで、捻挫、神経痛、火傷等に対する薬効がある。母乳の代わりにもなるほどのバランス栄養食でもあるから驚きだ。しかも食べ始めたら、止められない、止まらないの旨さだ。とくに中秋の名月には、なくてはならない野趣溢れたお供えモノとなる。月見酒の摘み食いに実によく合う。芋名月の由来はここからきているのだ。
特に女性達は、今生の幸せ感覚のお茶請けとして、こよなく愛している。

芋名月娘ら食べて良く笑ひ

 その里芋を栽培することにした。ホームセンターで土垂の種芋を購入し5月に植えた。種芋の芽を中心にカットした芋を、堆肥を効かせた畝に深く植えつけた。
 40,50日もすると芽がでて葉が成長し、葉の先が土に垂れ下がるほどになる。土垂の名前はここから由来する。朝早く見回ると、空を向く葉に朝露の球が光る。キラキラとして葉からこぼれるばかりに動き実に美しい。その瞬間を詠んだ名句がある。

芋の露連山影を正うす   飯田蛇笏

まさにその陰影そのものを捉えている。

 日々成長してゆく里芋の姿をじっと見守っていることに、何かしらの幸福感が心を過ぎってゆく。里芋がくれる命との交流とでも言えそうな至福感である。収穫は9月下旬を予定しているが、さてどのような姿を見せてくれるだろうか。楽しみである。
 この里芋は畑から掘り起こした後、親芋と小芋を分けて小芋だけを大きな樽に入れる。さらにその樽に水を入れ洗濯板を差し込んで、小芋同士をゴシゴシかき混ぜる。
 すると瞬く間に小芋は磨かれて真白な肌に仕上がる。「芋を洗うようだ」という古事はここから来ている。この作業はもっぱらボクらの仕事で、結構面白かった記憶がある。この磨き上げられた小芋が衣被の原料となる。なつかしい風景としては水車の力を借りて洗う芋もある。
 しかしボクらの子供の頃は、どちらかといえば苦手な食べ物だった。里芋のあの「ぬめり」が苦手だった。箸で挟んでも、つるりと逃げ出してしまう里芋には、敵愾心すら生まれた。この野郎と箸で追いかける始末である。親の敵は里芋などと、訳の分からぬ事を言う変人も現れたりした。
 それでも「ただいま!」と空きっ腹で学校から帰ると、この小芋がおやつ代わりに卓上に置いてあった。仕方なしに、急いで皮ごと口に放り込んで腹こしらえし、チャンバラごっこの剣士に早変わりして家を飛び出したものだ。そして鞍馬天狗や笛吹き童子となり路上を駆け巡った遠き日が蘇える。

芋を食ふ鞍馬天狗となりゆけり

 貧しかったけれど、楽しかった子供のころの思い出のひとこまだ。だから衣被には頭が上がらない。何分にも鞍馬天狗のおやつだったからだ。
 また里芋料理についても語らねばならないだろう。人気メニューの10品を挙げておこう。

   ○煮ころがし

   ○筑前煮

   ○芋煮鍋

   ○里芋カレー

   ○里芋の揚げ出し

   ○里芋と烏賊の煮物

   ○けんちん汁、のっぺい汁

   ○里芋羊羹

   ○里芋コロッケ

   ○里芋もち

   ○芋棒

 中でも里芋料理の定番といえば「煮ころがし」に尽きる。肉じゃがと双璧をなすお袋の味である。大人たちの最後の晩餐のメニューとして必ず浮上する一品といわれている。新潟では五泉の里芋カレーやのっぺい汁が人気だ。
 また料亭でも出てくるのが前述の衣被である。小粋な小皿に皮を少しだけ切り取った、湯がきたての小芋がでてくる。嬉しかったですねぇ~。「おい、お前、生きていたのか!」と、言葉をかけたくなる劇的な出会いがこんな所であろうとは。まさに40年ぶりの感動だ。タイムスリップした出会いとは、こんなコトを言うのだろう。

 そういえば、八坂神社の京名物の「いもぼう」さんにも行きたいものだ。海老芋を主体にした懐石料理が自慢の店である。職を辞してから、ゆっくりと行きたいひとところだ。
 里芋煮には古代人の悠久な文化が詰まっている。そんな時空間を味わいながら、熱燗で一献やりたいものだ。

花冷や芋ぼうさんの前を過ぐ

<3-2>「静」と「動」なる月見の宴

                *
        ○一盃は遺影の父へ月の酒       細川朝子
        ○酒尽きてしんの座につく月見かな   一茶
        ○玉盃に捉へし月を飲んでゐる     食いしん坊
                 *
       

 日本人の感性は、花鳥風月に盃を重ねる風雅によって磨かれてきた。特に月見酒は、その代表格である。「ああ玉杯に花受けて、緑酒に月の影宿り」は、懐かしい寮歌の一節。この歌にもやはり月と酒が出てくる。
 この月見と酒の関係は、何時から親密な関係になったのだろうか。古代人が月に宿る魂を崇めながら酒を献上したのかも知れない。月見を風雅として楽しんだのは中国をはじめとするアジア民族に多いが、仏教の影響もあるのだろう。陰暦は月を母とした農事暦であり、国旗に月をデザインする国も多い。
 そんな月見に関する一文をしたためようと思う。「そんなこと、どうでもいいじゃないか、酒さえ飲めればそれでいい」などの無風流な人でも、月光を浴びれば、静かに杯を重ねたくなるから不思議である。
まずは月見に関する基礎知識を文献より引用してみてみよう。

<お月見の基礎知識>
 古くから旧暦8月(グレゴリオ暦(新暦)では9月ごろ)は、北半球では太陽と月の角度が観月に最も良い時節(明るい)である。
この夜は、月が見える場所などに、薄(すすき)を飾って月見団子・里芋・枝豆・栗などを盛り、御酒を供えて月を眺めた(お月見料理)、豊作を祈る満月法会など。このことから芋名月とも言う地方もある。

十五夜は、日本では、1684年に、十三夜を満月に合わせた宣明暦を廃止して貞享暦に改め、毎月1日が新月になるように2日ずらしたため、満月が15日目の夜に当たるようになった。
 また、十五夜は、中国が始まりとされ、仲秋節として日本より盛大に祝い月餅を作ってお供えする。この月餅が日本に伝わって、月見団子に変ったという。朝鮮にもこれは伝わり、チュソク(秋夕)とよび、ソンピョン(松餅)をつくる。大陸(中国、朝鮮)では、大きな年中行事になり、休暇をとり帰省する者も多いが、これは節句の名残であり月の風情を楽しむ日本の月見とは少々異なる。

 十三夜は、日本では、862年から1683年まで822年もの長きにわたって続いた宣明暦に基づくもので、毎月13日目が満月に当たるように定められていたもの。
 なお、中国では、822年から892年まで使われていたもの。日本独自の風習があり、ちょうど食べ頃の大豆や栗などを供えることから、この夜の月を豆名月または栗名月という。
 江戸時代の遊里では、1684年貞享暦元年以降、満月が15日の夜に変わっても、十五夜と十三夜の両方を祝い、どちらか片方の月見しかしない客は「片月見」または「片見月」と言って遊女らに嫌われた。2度目の通いを確実に行うために、十五夜に有力な客を誘う(相手はどうしても十三夜にも来なければならないため)風習があった。
 更に、地方によっては月待ちという風習があり、

十七夜以降を立待月(たてまち)
居待月(いまち)
寝待月(ねまち)
更待月(ふけまち)

というのはこの名残である。
 二十三夜待ちまでを行う地域が多くを占めたが、二十六夜待ちまで行う地域があり、月光に阿弥陀仏・観音・勢至の三尊が現れる(『広辞苑』より)、という口実を付けて月が昇る(大体、深夜二時ごろ)まで遊興にふけった。この風習は明治時代に入ると急速に廃れていったようだ。
 中国、日本では、月を愛でるという習慣が古くからあり、日本では縄文時代ごろからあるといわれ、平安時代ごろから中国から月見の祭事が伝わると、貴族などの間で観月の宴や舟遊び(直接月を見るのではなく船などにのったりして水面に揺れる月を楽しむ)など歌を詠み、宴を催した。また、平安貴族らは月を直接見ることをせず、杯や池にそれを映して楽しんだという。
 ヨーロッパでは満月は人の心をかき乱し、狂わせるものであるといわれ、月の女神が死を暗示したり、狼男が月を見て変身するというのは、その典型的な例で、とても月を眺めて楽しむという気分にはなれなかったようだ。
 日本では『竹取物語』に、月を眺めるかぐや姫を嫗が注意する場面があるため、中国から観月の風習が入るまでは、月に対する考えがヨーロッパと似ていたようだ。
 なお、中秋の夜に雲などで月が隠れて見えないことを「無月」、中秋の晩に雨が降ることを「雨月」と呼び、月が見えないながらもなんとなくほの明るい風情を賞するものとされる。
また、俳諧では葉月14日、16日のことを特に「待宵(まつよい)」「十六夜(いざよい)」と称して、名月の前後の月を愛でるが、日本の関東以西では、この時期、晴天に恵まれる確率は低い。
 以上が月見孝である。俳句界や短歌の世界では、この様々な月の呼び名に想いを込めて短詩を競い合う。

待宵(名月を明日にひかえた十四夜の月)
十五夜(名月、芋名月、中秋の名月)
十六夜(名月の翌日の月)
立待月(十七夜の月)
居待月(十八夜の月)
寝待月(十九夜の月)
更待月(二十夜の月)
十三夜(名月から1ヶ月おくれの満月、後の月、栗名月、豆名月)

 ちなみに今年の十五夜(中秋の名月)は10月3日、月の出は17:45頃である。この日には日本各地で観月会が催され、それぞれの風習に乗じての馳走、お供え、お酒が用意される。
また日本の月見の名所といえば、以下のところを上げる人が多い。

1、松島(宮城県宮城郡松島町)
2、九段坂(東京都千代田区)
3、信州姨捨(長野県千曲市)
4、伊賀上野城(三重県伊賀上野)
5、玄宮園(滋賀県彦根市)
6、大覚寺大沢池(京都府京都市)
7、渡月橋(京都府京都市嵐山)
8、姫路城(兵庫県姫路市)
8、岩国城と吉香公園(山口県岩国市)
10、満願寺(島根県松江市)
11、桂浜(高知県高知市)

 中でも月見の名所は昔から大覚寺大沢池、滋賀の石山寺と信州の姥捨山が有名だ。中には銀閣寺の砂紗台にかかる月を愛でる人や、南国土佐の桂浜に思いを馳る人も多くいる。また薄ヶ原の月見は、金波・銀波の幻想的な世界が堪能できると、俳人達は激賞する。

薄野や金波銀波が宙に舞ふ

いずれもにしても、月見のメッカにふさわしい風情と風格を備えている処ばかりである。
 私見だが紫式部で著名な石山寺の月見は、繊細で雅そのものであった。いわば「静」の月見である。関西人が一押しする静寂な月見の名所だ。
 また高知の桂浜の月見は、豪快にして静寂そのものであった。桂浜の月見は、竜馬の像を仰ぎながら、金波銀波の満月の静海(太平洋)を眺めることができる。片手を腰にあて、手庇ごしに太平洋の月を眺めると、魂がきらきらとゆれる月の静海に引き込まれていく。しかも寄せくる金波は、桂浜の白砂利を洗い、また静かに引いて行くのだ。まるで太平洋丸抱えの贅沢な月見が可能となる。
 あとは砂浜にどかっと腰を下ろし、土佐のサワチ料理や、鯖の姿寿しと辛口の酒があれば、もう夜通し満月三昧となる。若き竜馬が熱き野生の血をたぎらせた時代が、この月見から想像される。これを「動」の月見と言ってもいいだろう。

大海をまるごと月の桂浜

 ペギー葉山さんの「南国土佐を後にして」がヒットしてから、月の桂浜は全国的な名所になった。ただ桂浜は、満月の時だけが月見の名所なのではない。十三夜、居待月、寝待月なども、通の人々が楽しみに待つ月見なのだ。それぞれに感動する結界との出会いが、月の桂浜にはある。森羅万障を一杯の盃に浮かべるのも、これまた格別な人生の風雅と言えよう。
 次は月に関わる芭蕉の俳句を挙げておこう。

名月はふたつ過ぎても瀬田の月
名月や池をめぐりて夜もすがら
名月や座にうつくしき顔もなし
名月や児立ち並ぶ堂の縁
名月や門にさしくる潮がしら
名月や北国日和定めなき

種田山頭火の「ほつと月がある東京に来てゐる」も味わい深い一句である。
 さて月見といえば団子となる。しかもその地方独自の月見団子がある。その一例のインターネットの資料からご引用しておこう。
<日本のお月見団子>

地域

団子の名称

原材料

供える個数

備考

新潟県巻町 月見団子 白玉粉 赤血球のような形
長野県長野市 おはぎ もち米、アンコ 「ぼたもち」ともいう
長野県辰野町 団子 いっぱい おはぎもある
長野県茅野市 のたもち ご飯、枝豆 のた(つぶした枝豆)のおはぎ
名古屋市千種区 団子 適当 月見団子はない。普通の団子を供える。
大阪市中央区 月見団子 白玉粉 13
大阪府大東市 月見団子 米粉、こし餡 4~5 紡錘型。市場で買う
大阪市住吉区 月見団子 白玉粉 不定 球状
大阪市住吉区 月見団子 白玉粉、アンコ 適当 先が細い筒型
大阪府岸和田市 月見団子 米粉、メリケン粉 13 球形。里芋と一緒に煮て食す。
奈良県五條市 団子はお供えしない
和歌山県田辺市 月見団子 米粉 12(閏年は13) 里芋型の餅にきな粉
和歌山県那賀郡 月見団子 既製品 きな粉団子。丸い団子の串刺し
高知県南国市 かしわ餅 米、米粉 三宝に載せて供える
沖縄県平良市 フキャギ もち米、小豆 お盆に一山 紡錘型から小判型

 

 団子の材料は米粉などを丸めて茹でたものが多い。中国の月餅が変形して日本の各地に根付いたようだ。もちろん里芋や豆、栗などが供えられるが、いずれも女性好みの献立である。
 となると月見に適うお酒の肴とは、どのようなものであろうか。お花見弁当は、江戸時代にひつの文化として開花したが、お月見弁当というジャンルや文化はない。卵の黄身をのせた月見うどんやソバ、ハンバーガーはあるが、格調高い月見酒の馳走が欲しいものだ。

ならばとその辺を探るべく、料理研究家に献立をお願いした。
そのメニューは以下のようになった。

●さつま芋の甘煮
さつま芋は皮ごと輪切りにして水にさらし灰汁抜きし→砂糖→塩少々→くちなしの実2個→を入れて彩り良く煮上げる。
●ホタテのネギ塩バター焼き
ボイルホタテをネギ塩とバターでソテーし最後に刻みネギをたっぷり加える。
●里芋の絹かつぎ
良く洗った皮付き里芋は塩ひとつまみを入れて茹でる。
くるりと包丁目を入れて皮を回しますと取れる。ごま塩をかけつ。
●お月見団子
上新粉は熱湯を掛けてピンポン玉位に丸めて20分蒸す。
ボールに入れてすりこきで良く付く→捏ねて同量の裏ごし南瓜と良く混ぜる →好みの大きさに丸めて串刺しにする。
つぶ餡の残りが冷凍庫に有ったので掛ける。 なめらかであき流のお団子。
●鶏肉と山菜の炊き込みご飯
  白米3合/餅米1合をブレンドして和だし汁/醤油/塩を入れて炊き
上げる。
具は→鶏もも肉/田舎煮の水煮/人参/舞茸を使う。
トッピングは銀杏のソテーに塩胡椒をした物/茹でさやインゲン。餅米を入れ  るとと流石にひと味違う。
●お月見豆腐
絹豆腐の真ん中をくり抜いて 生卵を落として少し蒸す。
  トッピングは小ネギ/茹で法蓮草。簡単で美味しい一品になる。
●その他----------枝豆。

 これで五穀豊穣を祈った、秋の恵みの馳走が月見の宴に並ぶことになる。この7品をお重に詰めれば料亭張りの月見のご馳走となる。
 また月見酒の粋なやり方は、盃に月を浮かべて飲むことだ。熱燗でもいいし冷でもいい。天心の月を盃に捉えて、飲み干すのである。おそらく冷え冷えとした月光を、全身に浴びながら飲むお酒とならば、まさに風雅を極める瞬間となる。日本人の古代からのアミニズムが頂点に達するだろう。
 今年の中秋の名月(10月3日)には、スローフードの仲間と信濃川の河川敷で観月会を予定している。前述の料理研究家の献立と新潟の地酒を堪能するつもりだ。雨となり雨月とならなければいいが、と祈るばかりである。

大吟醸雨月とならば燗にせよ

3-3>淋しさを食う「石榴(ざくろ)の実」

                *
        ○手より手へ淋しさわたす石榴の実    小池文子
        ○石榴の実の一粒だにも惜しみ食う    山口誓子
        ○中の子は石榴の種を空に吐く      食いしん坊
                 *
       

 石榴の話しをしよう。どこの路地裏にでも赤い花と実をつけるあの町内の果物である。その石榴に出会った人は古今東西にわたり多い。いわば石榴は我らの身内のような懐かしい存在とも言える。
 その石榴の原産地はイラン東部から北インドのヒマラヤ山地である。庭木などの観賞用に栽培されるほか、食用としても利用される優れものである。
 果実の赤く硬い外皮を割ると、赤く透明な果肉(仮種皮)の粒が無数に現れる。果肉一粒ずつの中心に種子が存在する。花は子房下位で、蕚(がく)と花弁は6枚、雄蕊は多数ある。果実は秋に熟す。
 石榴には多くの品種、変種があり一般的な赤いザクロのほかに白い水晶ザクロや果肉が黒いザクロなどがある。 日本に輸入され店頭にしばしば並ぶのはイラン産、カリフォルニア州産が多い。
 以上が石榴の基礎知識である。10月も半ばを過ぎる頃、真っ赤に色づいた石榴が食べ頃を迎える。秋空に紅熟した果実が、裂けたままぶら下がる。その冷え冷えとした虚空の風景に、誰でもが故郷を思い出す。
 秋祭りの屋台では竹べらで割りながら、石榴売りが声をかけてくれる。「そこのお嬢さん、これを食べるとますますきれいになるよ!」等と、口上たくましく勧める。「アラ、そう、じゃあ、その熟れたのをひとつくださいな!」と、めでたく商談が成立する。

石榴売り女人を選び売りにけり

 石榴は食べれば甘酸っぱく、種ばかりの果物だ。食べるというよりは、種の周りにかすかにへばりついている果汁をすすり取るという感じである。一粒の果実の構成は、種が90%、果肉が10%ぐらいだろうか。とにかく切ない食べものには違いない。

 食べ方は簡単だ。石榴の裂けたところに指を入れて、パカーンとかち割り、人差し指で果肉をほじくり出し、それを10粒ほど口に放り込み、もぐもぐする。
 そして種は口から、プーと空に向けて吐き出し、できるだけ遠くに飛ばす。もぐもぐ、プー、もぐもぐ、プーが石榴の美味しい食べ方なのだ。
 またビタミンCが多いから、美容系の飲み物として注目されている。かの美人姉妹が愛用しているというのが宣伝文句だ。ことの真偽は確かめようもないが、それだけが人気の理由でもなさそうだ。
 石榴は種が多いことから、繁殖と富貴の印とされ、安産の守護神、子孫繁栄のシンボルとして女性達にひそかに支持されているのだ。と言うことは、少子社会のお守りとも言える訳である。だから石榴などと馬鹿にしてはいけない。

新婚の嫁に勧める石榴かな

 また石榴には、「別の人生のドラマがぎっしりと詰まっているぞ!」と言ったら、「冗談でしょ!」と一蹴されそうだが、まあ、聞いてください。石榴には虚空の哀愁とか孤独が、ぎっしりと詰まっているような気がする。
 そしてそれらが詰まり過ぎると、こらえ切れなくなって、実がパカーンと爆ぜる様にも思える。これを「石榴の開放」と言う。梢にぶら下がっている石榴を見ると、そんな風情が感じられる。そういえば石榴という字は「石」が「木」に「留まる」と書く。粋な漢字をあてがったものだ。
 さらに雪が降り積む梢に、取り残された石榴ほど哀しいものはない。忘れ去られた老人のように、ただ梢に揺れている。そして「石榴くん、キミは孤独なんだね~」と、思わず自分の境遇に重ね合わせて声をかけたくなる。

憎しみに似たり石榴の面構え

 また石榴には少年の頃の思い出が重なる。悪戯して叱られた子が、原っぱの土管にまたがりながら、この石榴の実を一粒ずつ食べては、空に吐き出す原風景が心を過ぎるのだ。エッ、それってキミの思い出だろうって!ハイ、その通り。

石榴を口にする時は、いつも、いつも寂しい時だったような気がする。ならば「寂しさ系」のお菓子として、「石榴キャンディー、石榴グミ、石榴ガム」などを売り出してみてはどうだろう。
おっとっと、また商売の話しになってしまった。その真っ赤な石榴が梢に取り残されるころ、遠峰には早い雪がやってくる。

石榴食ふ寂しき貌を寄せて食ふ

3 スローでウオッチング(23)

  1. 長年の念願だった八尾の風の盆を訪れた。わずか1里四方の小さな坂の町に、3日間で25万人ほどの人が訪れる。
     眼目はおわら踊りとそれをバックアップする胡弓や三味線、歌(地方という)である。踊りは男踊りと女踊りがある。11町内が繰り出す夜流しも見どころだ。
     踊りは農作業を表現した言わば「百姓の盆踊り」で、振り付けもシンプルである。とは言っても数百年の歴史がある。時の財産家が全国から有名人を呼び寄せて造り上げた民芸だという。210日の風水害忌避と豊作を祈るだけの祭りではない。
     町の人々も皆親切だ。家に前にはベンチを並べ、自由に休憩してくれと勧める。徹夜の夜店もあり、訪問客への心配りも長けている。長い歴史をかけて作り上げてきた観光文化なのであろう。俗化だけはしないぞ、という町民の誇りが感じられる町である。
     親子代々に亘って受け継がれてゆく、風の盆という「さみしさを踊る」祭り。郡上踊り、阿波踊り、佐渡おけさなどと共に、「さみしさを踊り」ながら、日本人の鎮魂崇拝の夏は過ぎて行く。
  2. 日本で政権交代が実現した。惨敗した自公は右往左往している。目も当てられない悲惨な状況だ。
     これほどの怒りが民意となって現れるとは、驕っていた政治家諸氏には理解できないだろう。「何と戦っているのか分からない」と言って嘆いた大物の声が耳に残る。分からないはずである。自公の賞味期間が切れ、生理的にも嫌悪感を民が持っていることなど、分かろうはずもないからだ。
     さらに「×××家」と言った世襲の政治屋の特権階級層も青ざめて、その民意の逆襲を受けている。世襲問題に民意が敏感に反応する。世襲でもない雑草のような逞しい政治家が出てきてこそ、民主主義社会ともいえる。
     また政治とは「税金を、公開上で、優先順位をつけて最適配分するマツリゴト」だという。選挙区に公共事業という餌を持ってくるだけでは、もう大多数の民意は動かない。
     しかし我々は正義感づらして、胸の怒りを修めるだけではいけない。一票を投じた我々には、新政権への期待と叱咤激励をする重たい責任がある。
    権力と果物は、手に入れた瞬間から腐り始めるのが常道だ。新政権を長い目で見ながら、期待を寄せていきたいと念願する。
  3. 糠漬けを始めた。ポリ容器に糠床をこしらえて、胡瓜、茄子、レタス、キャベツ、大根、蕪、人参などを仕込む。半日ほどで漬けあがる。
     新潟には糠漬け文化がないが、この味が舌に染み込んでいるよそ者の我らには、この上ない馳走である。茄子漬けなどは熱々のご飯があれば、それであとは何も要らない。
     変わった仕込み材料としては、アスパラ、スイカの皮、乾燥しいたけ、糸瓜、鶏肉、鰯、鱈などもなかなかイケる。油たっぷりのドレッシングをかけるサラダは、この糠付けがあれば、もう食べる気もしない。この糠付けを食べ出してから、心もち身体の調子がいい。乳酸菌のお陰だと自負している。
  4. 韓流と言われる映画のドラマが面白い。とくに高句麗、新羅、百済の3国を舞台にした壮大な歴史物がお奨めだ。チュモン、ゲソムン、太祖王建、風の王国など見だすともう病みつきになる。これほどに夢中にさせる映画やドラマをかって見たことがない。
     韓国の歴史に疎い我らも、これでお隣の国の戦略思想や生活の心情が、少しは理解できるようになる。四方が海に囲まれて、侵略されたことのない日本人には分からない国民性も見えてくる。韓流のドラマ映画を是非、鑑賞しよう。
  5. 山川草木(さんせんそうもく)という言葉がある。自然のあるがままに、という意味合いを持つ達観の言葉だ。人生の後半を、安らか導いてくれる生き方の処方箋のような言葉だ。またスローフードの根幹を見事に表現している、そんな気がしてならない。