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2009年07月20日 23:16

VOL 22

1 スローフード巷談(2)

●10年目を迎えたスローフード運動の光陰

 日本のスローフード運動は過渡期を迎えている。日本に華々しく登場してはや10年ほどになるが、その成果は一進一退を繰りかえし、未だ多くの課題に苦しむ。しかも社会的な認知度もさほど高くない。
 一部の行政の長が「スローフード宣言」を好んで口にするが、地産地消や郷土料理などのイメージアップの手段としての範疇を越えない。スローという用語には、よほど分かりやすくて市民や県民にアピールするスローガン的な魅力があるのだろう。
 我が「スローフード・にいがた」(以下SFNと略す)もCVを立ち上げて7年目になる。スローフードなる魅惑な用語を信奉して、一部の著書や評論家の言に引き摺られるように、ひたすらスローコミュニティとスロービジネス・システムの構築に邁進してきた感がある。引き摺られてという表現は、もちろん我らの自己能力のなさを示すものである。それほどにスローという言霊は魅力に満ち溢れていた。
 そしてSFNはイタリア協会の活動モデルを見本に、今まで様々な活動を繰り返してきた。スローフードの最前線に立ちながら、様々な事例や課題、壁に果敢に挑戦してきたといえる。しかし当初の期待値にはまだまだ届かないのが現状である。
 その生々しい活動実録を踏まえ、振り返りながら、今一度、スローフード運動を見直そうと思う。そんな自立すべき時期が今きていると、こうしてペンを執っている。
 日本のスローフード運動には何が欠けている。その何が必要なのかを真摯に前向きの姿勢で論じてみたいと思う。評論家や作家の甘い言葉や幻想には、もううんざりする。
まず最前線での実感についてお話しよう。2点ある。
(1)、スローフードに参加する人の3大誘因
 参加する人々をじっと観察すると見えてくるものがある。誘因である。なぜ参加したのかを読み取ると3つほどの動機が浮上してくる。
      ①、知識や情報を得るため
      ②、人脈を拡げるため
      ③、自分の知識や能力を役立てるため
以上が3大誘因である。いずれも表層的には、文化活動的な動機が誘因となっている。中には「美味しいものが食べられる」「暇つぶしになる」「有名人になるための関門」などと言う参加者もいるが、付随的である。
しかし経済活動に利用するというあからさまな動機の人が、意外と少ないのが気になる。スローフードをビジネスに利用してはならないという、暗黙の掟があるためだろう。
ただしこれは建前であって、知識や人脈の拡大を経由して、結果的は経済的なメリットを期待してそれを求める人は確実に潜在している。それを読み間違えてはいけない。
メリットがないと分かると企業も個人も100%退会していくからすぐに分かる。「ああ、あの人は、スローフードを商売に利用したかっただけのことだ」と、本音を知らされることがしばしばある。
    また熱心に長年にわたり参加している人には、共通の特徴がある。行き過ぎた現代社会への批判哲学を持ち、スローフード運動の価値に共感する人々である。新潟でも半数以上はこれらの人々である。スローフード運動は、いわば知的社会人のこれらの会員に支えられている面が意外と大きいのだ。その数は少ないが貴重な支持者たちである。

(2)、各CVが主に重点とする活動内容
日本の50余りあるCVの活動内容は、それぞれ様々である。それはリーダーの力量と個性および環境などの違いによって決まっている。
またいくらイタリアの活動モデルがすばらしく、それをお手本にしたくとも、自分達の実力以上の活動はできないと諦めているのが現状だ。このギャップのジレンマが一部のCVの停滞を生み出している。会費の問題、ノウハウ提供の問題、CV会員同士の情報交換不足への不満、そしてスローフードジャパンへの期待と失望などが入り混じって露見している。文化革命の難しさにぶち当たっていると言ってもいいだろう。
またそれぞれのVCの持ち味や、やろうとしていることをつぶさに観察すると、次の4つほどのCVの姿が見えてくる。
1、食材・生産に重点をおくCV
2、調理・料理・食育に重点をおくCV
3、とりあえず食談や懇親会に重点をおくCV
4、イタリア方式を背伸びして真似ようとするCV

これらを踏まえて、日本のスローフード最前線の50ほどのCVを位置づけすると、以下の座軸を描くことができる。

座軸の各ゾーンを説明しよう。

● Aゾーン:懇親会・食談会に重点をおくCV

→初参加のCVや時間やノウハウ、資金がないCV
参加することに意義を求め、今後の活動を模索しているCV

● Bゾーン:調理・料理・食育に重点をおくCV

 →飲食店や料理学校など、もっとも有効にスローフードを活用しているCV(イタリアン、フレンチ、会席料理店などがリーダーを務める。農家とシェフのコラボも売りにしている)
ビジネスとしても分かりやすく、成果がすぐあがるのが特徴
シェフが突如有名人になる不思議なゾーン

● Cゾーン:食材・生産に重点を置くCV

→古代米や伝統野菜などを生産するCV
一時は、もてはやされるが直ぐに忘れ去られる会員を抱える
販路やブランド化に四苦八苦するCV

● D:イタリア・スローフード協会モデルを目指すCV

→マーケティングの実務経験者が率いるCV
事業としての欲望を持ち、資金、人、時間と戦いながら独自の運動をすすめるCV
SFNはここに位置する
 以上がCVの現状の位置づけである。もちろん単純に各CVを座標に固定はできないが、夫々のCVの姿が俯瞰できると思う。さらにこの座軸を使えば、次の目指すべきCVの方向性が見えてくるはずである。基本的にはDを目指すのが力ある理想のCVの姿である。
 しかし「A→D」コースの進み方はありえない。まず「A→B→D」コースか「A→C→D」コースに進路をとるのが定石だ。もちろん野望など持たずに、ただ単にスローフード運動に参加しているだけで満足なCVは、それはそれで意義があり、あえて力む必要はないだろう。要はスローに対してどのようなスタンスを取るかで、CVの姿形が決まっていく。
 さてここで究極のイタリアの実際の活動モデルについて、その実態と巧妙なマーケティング手法について改めて整理しておこう。
 我らがモデルとするイタリア・スローフード協会の、戦略的な代理店機能とその実像についてである。熱くも覚めた目でみておこう。

<イタリア・スローフード協会の凄さの秘密―その代理店事業機能と特徴>

●イベント事業(サローネ・デル・グストなど)(観光事業としてペイできる)
●食や食文化の出版事業(ワインガイド、オステリアガイドなど60種の収益本)
●食の大学運営事業(伝道師の養成)
●味覚教育事業
●特産品づくりのアドバイス事業
●特産品のプロモーション事業(テッラ・マードレなど)
●年間3億円の会費収入(45カ国、8万人の会員)
●州の補助金や企業のスポンサードの収入がある
●140名ほどの専属スタッフが常勤
●プロモーション能力、デザイン能力、スポンサー獲得能力が極めて高いエージェント集団である

以上がイタリア本部の事業戦略面での概況である。
 すべてがスローフード哲学とカタツムリのアイコンを武器に、ビジネスライクな地域活性の仕組みを持つ、最強のNPO集団であることがわかる。すべての活動は本部にリターンできるビジネスモデルを構築している。
 収益の一部で恵まれない地域や種の保存活動に力を入れているが、イタリアの地域産業と観光を活性化するのが主目的である。まさに仕組まれたビジネスモデルの一言に尽きる。
 特に世界から集まる会費(年3億円)収入が、本部を支えていることに注目すべきだ。この会費が本部の力と活動の源泉のひとつになっている。この実態を見ずして我らが本部を真似るのは、まさに愚の骨頂という他ない。
 日本のスローフード運動の限界は、ここにあるのだ。この辺を整理してスローフード運動を捉えなければ、日本の全てのスローフード運動は燃え上がらない。
 またこのビジネスモデルはどこか宗教活動に似ている。キリスト経総本山のお国柄だから、そう感じるのかも知れないが、イタリアという国のソフトパワー発信力のすごさが見えてくる。
 余談だが、イタリアは人類に2度の文化革命をなしたと言われている。古代ローマ文化とルネッサンス運動である。世界の文化規範を作り出しているのだ。そうなるとこのスローフードも第3のイタリア起点の文化革命となる可能性がある。イタリアが3度もヨーロッパをはじめ、世界に対して文化的な規範を生み出したことになる。恐るべし人類、イタリア人である。
 以上が運動の前線に立って学習した事柄である。華々しく登場した割りには、好例が上がって来ない日本の背景が、お分かりいただけたと思う。
 しかしこのまま日本のスローフード運動の火を消してはならない。日本のスローフード運動のやり方の不備やマイナス面ばかり並べ立てた所で、なんの益も希望もうまれない。暗いと嘆く暇があったら灯をつける努力をすればいい。だからこれからどうするというと議論に入らなければいけない。
 それを提言しておこう。
手前味噌だがSFNは、次のような具体案を今後共愚直に推進していく。
背丈に合った目標に向けて、欲張らず、他からの資金援助に頼らず、ささやかなイベントにも全力で、小さな地域経済が回るような、新潟の一隅を照らせるような、そんな活動を組み立てて、徹底的に皆で楽しむ運動に邁進したい。食べて、呑んで、おしゃべりして、学び、教え合い、そして後世に何かを伝えてゆく。そんな贅沢な楽しみを作ってゆきたい。具体的には

1、仲間の飲食店を基地として、生産者と飲食店をきっちりとつなぎ合わせてゆく食の連鎖を図る
2、蔵元を主宰とした食談会を随時楽しむ
3、農産物の生産者と地元スーパーとの連携プレーを橋渡しする
4、ママさんたちの出前食育講座に力をいれる
5、味噌仕込み、酒仕込みなどのオーナー制を拡大してゆく
6、年間10本程度のグルメツアーを楽しむ
7、2010年のイタリアのサローネ・デル・グストに、20名ほどのツアーを組む
8、新潟の伝統野菜の復活とその普及活動に経済の輪を廻してゆく
9、郷土食のデータ―ベース化を図ってゆく
10、スローフード料理教室の随時開催とメニューの公開
11、スローピクニックやグリーンツーリズムを楽しむ
12、教育ファームへの参加
13、味覚教育の出前講座に力を入れる
14、地酒、地ビール、地ワインを楽しむ
15、新潟のスローフィッシュを随時楽しむ

 などをあくまでも楽しみながら実践していく。基本は小規模のコミュニティを幾つも立ち上げながら、ささやかなスロー経済を生み出してゆくことである。この小も数が集まれば大の経済活動に匹敵する規模となる。おばあちゃん達の朝市がすでに、数千億円の市場に成長し、既存流通に大穴を開け出したことからも理解できる。恐るべき須弥山のようなミニコミュニティの世界である。
 物々交換の経済、自給自足の経済、そして助け合いの結いの経済が地域の一隅を照らせば、それで良しとする。そして何時か来るかもしれない、スローフードな6次産業による町や村起こしへの参画に備えて、力を蓄えて行きたいと念願する。
 また高齢者に、明日の生き甲斐や楽しみを与えられるようなイベントや、学習機会を企画していきたいと思う。伝統野菜などの話しをすると、突然目を輝かせる老人に何度も出会ったことがある。動かなくなった手で、その種を植えようとする老人も居る。老人は過去のことは忘れないから、自ずから魂が動き出すのだと言う。まさに究極の医療セラピーとなる。スローフードのスローには、そのような目に見えないパワーが宿っている。
 最後に新潟の「食の陣」という活発な食の祭典について、お話しておこう。新潟の豊富な食材を全国に広げようと始まった。すでに17年目を迎える新潟市の恒例行事である。主催は「食の陣実行委員会」なる組織である。

 「冬の陣」が一番盛大に開催され、新潟の観光資源にもなっている。動員数は2日間で数万人にのぼる。新潟市の補助金交付事業として、完全に定着している。
 イベントの内容はイタリアの「サローネ・デル・グスト」をそっくり真似ている。特産物の販売や飲食、地酒の販売などの「当日座」。食の体験ミニツアー、食市座での会席料理など、市内の4ヶ所の会場で繰り広げられる。
 参加している飲食店や食品販売店には、「食の陣」と染めた赤い幟が立ち並ぶから恐れ入る。またこの「食の陣」は、JTBやJR東日本などとコラボを組み、全国からの観光客の誘致に成功している。
 さらに酒の陣、魚の陣、鍋の陣など随時に開催される。とくに「酒の陣」は全国から5万人が押し寄せて、新潟の地酒の全てを試飲し、堪能できるから圧巻だ。まさに酔っぱらい天国がトキメッセの広い会場に出現するのだ。
 今後はどのような陣が出てくるか楽しみである。「サローネ・デル・グスト」の新潟版がすでに17年前から躍動していたというお話しである。
 新潟にスローフード運動を立ち上げて、すでに7年目を迎えている。おそらく日本有数のスローフード運動体であることは、自他共に認め合っている。
 しかしまだまだ道半ばである。高度な効率化された貨幣経済システムでしか生き残れないのが日本のファストモード社会。それはそれで良いとしても、その弊害から取り残された地域や人々に一隅の光と希望を与えようとしているのがスローフード運動である。だからSFNの運動は緒に就いたばかりとも言える。
 今のところ「スローフードなんて所詮、お遊びだ」とファストフード界から揶揄されるほどの、取るに足らない文化革命に過ぎない。また地域や弱者をそれなりに活性化させる処方箋をスローフードは持ち合わせていない。パワー不足は否めない。
 しかしスローフードという言葉はどうしても気にかかる。たとえそれが「逃げ水」のようであっても、SFNのメンバーは諦めはしない。どこまでも追いかけてゆく。何故ならスローフードには万人の心に引っ掛かる「安らぎ、なつかしさ、愛おしさ」そして「命の尊さ」の不思議な光が宿っているからである。まるで母親の羊水に浮かぶような安らぎを感じるからである。本能的に好感を持つと言ってもいいだろう。
 やつと7年目にして地に足がついたスローフードが見えてきた。これからが本番である。スローフードは正義の味方でも何でもない。ただ自分達の今と未来を信じて、スローに一縷の望みを賭けて行きたいと念願する。そのためには、日々の活動をしっかりと楽しむことに尽きる。スローフード運動の醍醐味は、その実践のプロセスを楽しむことにある。そんな気がするのだが、いかがであろうか。

●食あれば句あり

<2-1>多汗の鯨汁

         
○ひとしゃもじ加へし味噌やくぢら鍋  草間時彦
○鯨刺し食べ海洋の子孫めく      食いしん坊
○大汗の後の涼しさ鯨汁         食いしん坊
         *

 新潟では今でも「鯨汁」が、夏の定番のスタミナ料理系として重宝されている。新潟に住んで初めてその食文化に出会った。汗をかきながらフウフウと食べるのである。グルメ食ではないが決して貧ではない新潟の郷土料理だ。
 鯨料理なら四国の土佐や紀伊の串本、太地あたりが本場ではと思うのだが、なぜか新潟人は鯨を喰うのだ。この食文化は隣県の富山県や山形県には稀有だというからおもしろい。
 俄然ここで、好奇心が湧きおこる。しかも商業捕鯨の禁止で、もう絶滅した料理だと思っていたから余計に刺激される。日本海に鯨などいる訳がないと、誰でも考えるからだ。
 しかし実は能登から新潟にかけての日本海には、20種類ほどの鯨が生息している。だからここらは、日本海の「鯨銀座」と呼ばれているのだ。オウギハクジラ(体長約五メートル)が一番多くて、繁殖地にもなっている。しかも、黒潮が回流する佐渡沖には、縄文時代から鯨が群れをなして潮を吹いていたとされている。最近ではツチクジラが30頭ほど回遊しているのが報道された。
 それを示す鯨を弔った鯨墓・鯨塚などが新潟には多く散在する。以下がそれのリストである。

新潟県柏崎市 宮川神社

鯨碑

1910年漂着した24.5㍍のナガスクジラのために建てられた鯨碑

新潟県刈羽郡西山町 真蔵院

鯨鯢相寄供養塔

1956年コビレゴンドウ5頭集団漂着の供養、現在見当たらない

新潟県三島郡寺泊町大和田

鯨塚

観音堂境内 明治30年肋骨を併置した塚、ミンクか

新潟県三島郡寺泊町松沢

鯨塚

嘉永2年、種不明

新潟県三島郡野積 西生寺宝物殿

クジラの頭蓋骨

鯨頭御霊験と墨筆

新潟県西蒲原郡岩室村間瀬 海雲寺

鯨塚

1934年間瀬海岸に漂着した15.5㍍のナガスクジラの塚

新潟県佐渡島畑野町松ヶ崎弁天崎

卒塔婆

1985年漂流したヒゲクジラ下顎骨の卒塔婆

新潟県・両津市片野尾

鯨の供養塔(卒塔婆)

鯨塚(海王妙応信女),万延元年に漂着したナガスクジラを弔い、鯨の顎骨を塚にした

新潟県両津市羽二生

大鯨の魚霊塔

明治14~15年漂着した大鯨のもの

新潟県両津市椎泊 願誓寺

鯨墓

明治21年漂流中の14.4㍍のクジラの墓 戒名は釈震声能度鯨魚

<資料:インターネットより引用>

 新潟では地元で鯨が捕れて、それが独特の食文化として、継承されてきたことになる。鯨は南国土佐だけの風物詩ではなかったのだ。
だとしたら何時の日かペギー葉山さんに、歌ってもらわなくてはならない。

おけさの佐渡を後にしてぇ~
  都に来てから幾とせぞぉ~
    思い出します佐渡の荒海を~
      門出に歌ったおけさ節を~

などと佐渡にふさわしく、切なく、歌っていただけば観光の助けにもなるだろう。
 では何処に行けば、丸ごとの日本海クジラにあえるのだろうか。それは簡単だ。例えばこんな体験ができる。佐渡と新潟を約1時間で結ぶ、佐渡汽船のジェットフォイルに乗ると、必ずアナウンスが入る。
「皆さま!シートベルトをお締めください。鯨や海豚と衝突して、けが人が出る場合がありますか
ら!」と、まるでディズニ―シーの冒険のノリである。事実、過去に衝突事故があり、けが人が出たと聞く。
 もちろん運がよければ遭遇できる話だが、確かに船窓からそれらしき未知の物体が、波間に見え隠れする。筆者もそれらしき未知物体に遭遇したことがある。海豚だったかもしれない。こうなるとずばり、南氷洋や知床まで行かなくても、新潟でホウェールウオッチングが楽しめる可能性がある。うまくいけば佐渡の観光起こしの目玉になるはずである。

 さてボクらの世代にとってこの鯨肉は、給食のクジラカツ(立田揚)をすぐ思い出す。ゴムみたいに噛み切れなかった「鯨ステーキ」や、「赤味の大和煮」の思い出がしみじみと脳裏に焼きついている。高価だが鯨ベーコンも絶品だった。
 そして「あれはあれで、実に美味かったよなぁ~」と、同窓会での話題に必ず上がるのが鯨メニューだ。「給食→クジラカツ→当時の遊びや人気テレビ番組」が、同窓会の定番の話題になるコースである。

鯨揚げ戦後貧しき夢ありし

 とにかく一頭の鯨は捨てるところがない。すべてが資源活用された時代である。鯨を丸ごと食べつくすのが当たり前だった。
 その名残りを食べさせてくれる店が新潟にも現存する。「元祖くじら家」である。フルコースで刺身、ステーキ、鍋ものを提供している。捕鯨禁止の昨今ながら材料はどこからか調達して、ほそぼそと鯨文化の灯をともし続けているのだ。店主の鯨談義も結構面白いから、一度行くといいだろう。
 さて新潟のクジラ汁について述べておこう。茄子と鯨の脂の薄切りが入ったみそ汁だと、思えばおよそのイメージが湧く。作り方は簡単だ。

1、まず塩漬けのクジラの白身を熱湯にさらして塩抜きする
2、それを1~2ミリ程度に薄く切る
3、出汁は昆布とかつおで取り、しばらく寝かせると美味しい。
4、野菜はネギ、茄子、じゃがいも、かぼちゃ、にんじん、ミョウガなどを切り、鍋に入れてだし汁とともに煮込む
5、豆腐や餅なども好みによっていれる
6、最後に味噌で味を整えて出来上がり

 まず薄切りの皮付きクジラの白身を食べる。こりこりと噛むと、あの独特の癖のある脂が口中に広がる。塩と脂の絶妙な味がする。野菜の茄子との相性が抜群である。
 食べ慣れている新潟の人々には、夏のスタミナ料理として、欠かせないおふくろの味だ。帰省したら必ず所望する一品である。

 しかし牛や豚の味に慣れた舌には、決して美味いモノだとは言えない。「まあ!クジラ汁とは、こんな味だ!」と、汗をかきながらの、好奇心の範囲で終わる人も多いようだ。

鯨汁一椀分の玉の汗

 そういえば、京都や大阪などの関西人が好むおでんのネタとして、「コロ」がある。この「コロ」もクジラの白身を厚切りしたものだ。まるで脂のスポンジを食べるような感じがするが、食べ慣れると、額に脂が浮いてきて汗が流れだす。癖になる味だ。どうしても食べたくなる関西の味のひとつであろう。
 また赤味のクジラ刺しは生姜醤油で食べるとうまい。若干の癖はあるものの、馬刺しと同じように結構イケる。でっかいクジラを思い浮かべながら、「この赤味は、あの辺あたりかな」等と、クジラ丸ごと食べ切る覚悟を決めると、鯨民族の遺伝子が目覚めてくる気がする。
 そういえば柏崎の鯨波海岸には、鯨と村人の伝説が伝えられている。浜に上がった巨大鯨を売って、そのお金で学校を建てたのだそうだ。それを感謝して鯨碑を建てたとも言う。
 しかしそんな鯨との付き合いが深く、日本のいたる所にあった「くじらや」が店仕舞いして、絶滅の危機の状態にある。南氷洋での鯨資源の調査活動への、グリーンピースやシーシェパードの抗議行動に見られるように、鯨を簡単には入手できない時代である。
 もしかすると新潟の鯨汁文化は、文献上での存在でしかありえなくなるかも知れない。くじら汁には悲しい「滅びの美学」があるのだろうか。そんな気がする昨今である。

かってここ鯨が海に入りし日や

<2-2>臭くても旨いもの

        
○鮒鮓や勢田の夕照り三井の鐘     正岡子規
○鮒鮓をねかす月日の波の音       高見岳子
○鮒ずしの茶漬けで果てる旅寝かな   食いしん坊
        *

 世界には不思議な食べものが多く存在する。その中でも悪臭を放つ醗酵食品に関心が高まる。それが醗酵なのか腐敗なのかは、食べる人々の食文化の捉え方によるのだが、とにかく人類の悪食は「臭い食品」に尽きる。
 日本でも滋賀県の琵琶湖周辺には、かの悪名高きフナ酢がある。日本の熟酢(なれずし)の代表格と言われる食文化だ。原料は琵琶湖の二ゴロブナで、手間ひまかけて塩で漬け込んで作られる。いわば鮒の漬物なのだ。その曲者(癖モノ、臭い食べ物)の鮒鮓とその他のスローな熟鮓文化について考えてみよう。
 まず世界の悪名高き「臭い食べもの」のリストを挙げると次のようになる。

名 前

説 明

シュール・ストレミング

スウェーデンのニシンの缶詰。缶を開けると強烈な悪臭が飛び出す悪名高き逸品。スウェーデン北部の人が好んで食べる。

ホンオ・フェ

魚のエイを醗酵させたもの。韓国の名物食材でアンモニアの腐敗臭が強烈。

エピキュアーチーズ

ニュージーランドの缶詰チーズ。これも臭い。

キビヤック

イヌイットの食べもので、海燕をアザラシの腹中で2,3年醗酵させた汁もの。銀杏にくさやの漬け汁をかけたような強烈な臭みがある。

焼きたてのくさや

伊豆諸島でつくられる鯵、秋刀魚、飛び魚の加工品。醗酵した漬け汁は家伝される。

鮒鮓

琵琶湖周辺で作られる熟鮓。朽木村が特に有名。
今は幻の珍味。

その他

メフン(鮭の腎臓の塩辛)、魚醤類(ショッツルなど)
秋刀魚の熟鮓(和歌山)、臭い豆腐(中国や台湾)

 

 以上の悪名高き食べものは人語では聞いていたが、実際に遭遇すると生半可な覚悟では対処できないという。死ぬ覚悟で挑戦するしかない。笑い話のようだが本当のことだ。
 人類が何故このような臭い食品を文化として継承してきたか。いろいろな説があるだろう。ただ言えることは、乳酸菌やビタミンその他の栄養源として、人類の体に有益であることを発見したからだと思われる。
 これらを最初に悪食した人の動機が偶然であったにしても、気の遠くなるような人類の英知を垣間見ることになる。まさにスローフードの元祖だ。
 日本に於いてもいろいろな熟鮓が、その流れを組んでいる。熟鮓の起源は紀元前4世紀から3世紀、中国から伝わったようだ。中国が魚や獣肉を漬物にした「すし」の発祥地である。その中国大陸から直接のルートと雲南省からメコン川を下り、南シナ海経由の2通りがあったと考えられる。
 日本には主に日本海を経由して渡ってきた。滋賀県北部の鮒鮓、福井・富山県の鯖の熟鮓、金沢の蕪鮓、秋田のハタハタ鮓がその名残りを残している。
 秋田県や石川、富山県の魚醤もその流れを組む。ベトナムのニュクマム、タイのナム・プラーなどのアジアン系の魚醤がそのルーツとなる。
 新潟の村上ではメフンが今も現存している。鮭の背骨の内側に付いている腎臓(メフン)を塩漬けして醗酵させたものだが、なかなか旨い珍味である。鮭の熟鮓も細々と冬の馳走として受け継がれている。以上が臭い食べ物にまつわる話しである。
 さて今回は、鮒鮓についてもう少し詳しく述べておこう。
<鮒鮓のつくり方>

●卵を抱えた4~6月頃の、琵琶湖の煮頃鮒(にごろ鮒)をよく洗う。
●鰓と鱗、内臓を取り除き、腹に塩を抱かせて桶に入れ、塩を振り、鮒を重ね漬ける。
●7月の土用付近までこのように塩漬けする
●土用が過ぎたら水で塩抜きし、硬めに炊いたご飯と鮒を交互に重ね、内蓋をして重石をのせて一日置く。
●次に空気に触れないように桶に塩水を張り、酸化を防ぎ、乳酸醗酵を促がす。
●じっくりと醗酵させ、正月頃には食べられる。

 以上の手順が一般的な鮒鮓の作り方である。30cmほどの鮒は、漬け終わると半分くらいの大きさに縮む。しかも卵は黄金色に漬かっているから驚きである。
 日本一の熟酢村である朽木の鮒酢は、イタリアのブルーチーズの臭みと香りによく似ており、京都の料亭にもしばしば登場する絶品である。もちろん値段も高い。
 また琵琶湖周辺の各家庭でも、この伝統食材を現在も作り続けられている。農家、漁師、旅館、民宿なども冬から年始年末の風物詩として、受け継いでいるのだ。筆者も知人から樽ごと分けてもらったことがある。買えば一匹5,000円は下らない貴重品である。
さて鮒鮓を食べた感想とその食べ方について述べておこう。
 食べるにはそれ相応の覚悟が要るぞ、と言われるからその気になって一切れを口に入れるのがいい。鼻をつまんで食べる人もいるが、臭いも馳走のひとつと思い、箸に手を添えていただく。
口に入れておもむろに噛むと、臭みが口中に広がり鼻を抜けてゆく。
 その臭いと風味は、鼻や顔がひん曲がるくらいに強烈である。「おお、これが、かの鮒鮓か!」とさらに噛みしめることになる。その味覚はブルーチーズとクサヤを足して、2で割ったような感じである。

 しかし吐き出すほどの違和感もない。そして口中にしっかり馴染んだ風味を、今度は熱燗で流し去るのがいい。この熱燗と鮒鮓の風味の相性は、今まで経験したことのない妙味である。熱燗も醗酵したもの。鮒鮓と同じである。醗酵同士のコラボが、言うにいえない妙味を醸し出してくれるのだ。これは実に旨い。人に教えたくない旨さである。これが初体験の感想である。
 もちろん近所にお土産として配ったら、「これ腐ってます!」と返品を食らったくらいだから、初めての人には手に負えない代物かもしれない。

鮒酢を食べたい人は手を挙げな

 食べるときは飯床をそぎ落としてから薄く切り、そのまま酒の肴やお茶うけにする。とくに熱燗の肴には絶品だ。五臓六腑に染み渡る珍味とはこのことだろう。これを滋賀の人々は、平然と、しかも何もないかのように摘まむ。
 また、湯を注いで吸い物にしたり、茶漬けにしても楽しんでいる。
「お前さんら、こんな臭いものを、よくも平気で食べれるなぁ~」と言っても、「フフン!」と軽くあしらわれるだけだ。食べ慣れ親しんだ伝統の味とはすごい。
 しかもフナ酢には薬喰いとしての、すごいパワーのあるのが自慢なのである。乳酸菌の固まりだから、当然のことだ。その秘密を教えてもらった。

その1、便秘の解消に効く
その2、下痢が止まる
その3、疲れた胃がすっきりする
その4、疲労回復に効く
その5、風邪に効く
その6、産後の母乳の出を良くする

などが鮒鮓のパワーなのである。鮒酢は古来から伝わる、最強の健康食品だったのだ。なるほど、これで滋賀の人々がいつも元気な訳が見えくる。「良薬は口に臭し!」ということだろう。

鮒酢があれば事たる瀬田の宿

 しかし最近では、原料の二ゴロブナがブラックバスに食われて激減し、滅多に手に入らないと言う。ならばと鯉、鯖、諸子、鯰、うぐい、オイカワ、鮎などの熟酢も盛んに作られるようになったと聞く。滋賀県には、「醗酵の県起こし」という秘策があるのだ。琵琶湖の魚をすべて漬け込もうという作戦ならば是非もなきだ。
 それにしても人類史上で、初めてこの鮒酢を食べた人は超エライ人だ。それは近江原人と言われる、幻の原人だと言う珍説があるが定かでない。豊臣秀吉も長浜で食べたと言うから、とにかく鮒酢には悠久とした歴史の重みがある。
 その鮒酢の究極の楽しみ方を、滋賀の漁師さんに教えて貰った。それは「熱燗茶漬け」である。熱々のご飯にフナ酢を載せて、その上から地酒の熱燗を注いで、かき混ぜながら食べるのだ。これは五臓六腑に効き渡り、目の玉が飛び出るような美味しさである。
「贅沢はここに極まり」という感じがする。ただし目玉が飛び出るほどの値段を請求されるから、くれぐれも値段を確かめてから、とは漁師のアドバイスである。納得だ。

鮒酢の熱燗漬けじゃ湖荒れて

 以上が臭い食べ物のお話しである。新潟にも鮒鮓を食わせる店がある。市役所近くの「うなぎの瓢亭」さんだ。琵琶湖から取り寄せている。酒粕に漬け替えて臭みを弱めたものを出してくれる。ただし筆者には臭くなくては物足らない。鮒鮓はやっぱり臭いのいい。気が抜けた山葵じゃ、どうにもならないからね。

<2-3>枝豆の時間差攻撃

           
○寝そべってゐて枝豆に手のとどく     坂巻純子
○枝豆や舞妓の顔に月上る        高浜虚子
○枝豆に片手取られて片手酔ふ     食いしん坊
           *

 新潟は枝豆の宝庫である。信濃川の肥沃な大地が栽培に向いているからだ。
 名前も洒落ている。弥彦娘、雪娘、一人娘、湯上り娘、おつな姫、恋娘など知らない人が聞いたら、まさか枝豆だとは思われない熱々の名前がそろう。越後の男たちは、余程、娘さんが好きだと誤解されるような名前である。
 枝豆が女性名詞だとは、 新潟に来るまでは知らなかった。それ以来、まず名前を確かめてから呑むことにしている。そしてにやにやしながら呑む新潟の酒は実にうまい。
 また枝豆には時間差の出荷を可能にする品種が揃っている。次から次へと店頭にならぶ。枝豆は旬の期間が短いために、少しでも楽しみを伸ばそうという先人達の努力の品種改良の跡が伺える。看板娘が次から次へと「お待ちどうさま・・・・」と食卓を彩るわけである。
 特に茶豆は全国ブランドである。新潟には香りと味のよい幻の茶豆あり、と聞かされていたが、実際新潟に住み始めるとその実感を日常のこととする。新潟の夏は暑い。そんな暑さの中でついばむ茶豆は舌筆に尽きがたい。改めて新潟の枝豆について談義してみよう。
 まず新潟の枝豆には時間差のあることが凄い。以下が枝豆の栽培と出荷時期である。6月の早生から始まって10月のさかな豆で終わる。

品種名

収穫賞味期間

特徴

極早生枝豆

6月下旬より7月上旬

ほの甘い味と香り

おつな姫

7月上旬から7月下旬

ほの甘い味と香り

湯上り美人

8月上旬から8月下旬

芳香と食味抜群

黒崎茶豆

8月上旬から8月下旬

独特の強い芳香がある。薄皮が茶色からそう呼ばれている

だだ茶豆

8月中旬から9月中旬

山形県が原産地

ピカ茶豆

8月中旬から9月中旬

香りが強い

晩生茶豆

8月下旬から9月中旬

茶豆の旨みそのまま

さかな豆

9月下旬から10月中旬

甘味と香りがよい

 

 新潟の枝豆の特徴はその強い芳香とうま味があることだ。実際に枝豆を畑で栽培すると、なんとも言えない芳香が漂ってくる。それだけに収穫時期とその後の処理には気を使う。しかも枝豆は収穫されると発熱する。触ると本当に温かい。若い豆だから成長して呼吸しているのだ。
 そのために豆自身の糖分を自己消費して風味がすぐに劣化する。だから枝豆は、収穫したときから鮮度という時間との戦いになる。莢を枝から取り外し、急いで茹でるか冷蔵しなければならない。家族総出の繁忙となる。
 茹でるにもコツが要る。美味しい茹で方の基本は以下の手順に従う。

1、枝豆の色をよくするために塩もみして洗い流す
2、沸騰したお湯に塩を4%の割合で入れ、枝豆を入れてかき回す
3、茹で上がった枝豆をザルにとり、熱いうちに適量の塩をまぶす
4、団扇で風を入れて、早めに冷ます。冷水に入れない
5、枝豆はできるだけ早めに茹で上げ、冷蔵庫に保管する

 こうして茹で上がった枝豆が食卓に上がると、「ああ、新潟はいいなぁ」とため息が思わず洩れる。夕風が窓から入れば最高の枝豆タイムとなる。
また食べ方にもいろいろある。

・無口でただひたすらに指先を往復させる人
・唇の1cm先から豆だけを莢から飛ばし、口に入れる人
・両手で莢から豆を押し出し、ハーモニカを吸うように食べる人
・豆だけを先にお皿に取り出してから食べる人
・アーンと口を開けて餌をねだる小鳥のような人

 枝豆にはそれなりの人格が現れる。家庭の事情が現れるのだ。また男達が枝豆に描くイメージはおよそ次のようであろうか。
 酒は、井戸水で冷したラガービールがいい。肴は、優しい妻が、夕風に吹かれながら茹で上げた枝豆でいい。まるで歌手の八代亜紀さんの歌の文句調のように、男たちが描く夏の夕方の、ささやかな演歌調風景が好きなのである。
 この「夕風と枝豆」の風景の根幹には、「茹でたての枝豆が食卓にのる家は、円満な家庭である」と言う、ささやかな願望がある。誰が言い出したのか分からないが、そう言われれば、「そんなもんかねぇ~」と相槌を打ちたくなるのも、枝豆のある仕合せ風景なのだ。

枝豆や越後佳人の白き指

 枝豆を上手く茹でる人を嫁さんにしたいという男は、結構いる気がする。また枝豆にこだわる男ならば、是非もなしと婿選びの条件にする娘さんも多いと聞く。
 それほどに新潟の枝豆消費量は日本一を誇る食の王国なのである。栄養もバッチリだから、お酒との相性もすこぶるよいのが強みだ。酒と枝豆の関係は、出来すぎのような気もするが科学的にも解明されており、まさにお酒のためにあるような食べものである。
 そういえば新潟の女性は働き者が多い。枝豆をたらふく食べる習性が健康を醸成しているのであろう。新潟美人は、雪の湿度と枝豆の栄養から育まれるという珍説がまかり通りそうな気がする。
 この枝豆は栄養もあり、とにかく重宝される。「とりあえずの枝豆」と言われるくらいに、「とりあえず界」の王様であることは間違いない。

・とりあえずビールのつまみに
・とりあえずのおやつに
・とりあえず弁当のおかずに
・とりあえずお茶のあてに
・とりあえず贈り物に

 など食前食後や昼寝の後先、夫婦喧嘩の後先にも「何はなくとも、あたり前田のクラッカー」ならず「とりあえずの我が家の枝豆」なのだ。
 しかもこれだけ酷使されても、この枝豆は決して愚痴も悲鳴もあげない。「とりあえず界のおしん」と言われる所以である。料亭に於いても、決して決して目立たず、いつもご主人様の脇役として、その存在を示している。それでいて頼もしい威光を放つのが、膳にかしずく枝豆の存在なのである。
 その枝豆が今年は、米の減反政策の影響を受けて、栽培面積が大幅に増えている。田圃の畦で細々と栽培されていた時代とは、全く様相が変わってきた。今、越後平野でも、青々と生い茂った大豆が秋の収穫を待つている。(注:枝豆は大豆の若い内に収穫したもの)
幸せな風景の裏には哀しい農業政策の現実があるのだ。せめてもの、枝豆をプチプチ食べて元気にいきたいものだ。

枝豆へ律儀な指のよく動く

<2-4>スローな川床(ゆか)料理

        
○川床料理貴船の楓添へてあり    広瀬志津女
○川床涼し一鉢一皿づつ運ばれ    橋本美代子
○祇園川床流しの楽に声かけて    食いしん坊
        *

 いつかは京都の鴨川の川床(ゆか)料理と、貴船の川床(かわどこ)料理を探索したいと思っていた。そしていよいよその時期がやって来た。同じ川床という文字でも鴨川と貴船では読み方が違うのがいい。張り合っているのだろう。
 まずは鴨川界隈の川床とその料理の探索である。鴨川の多くの川床(納涼台)は、鴨川の五条から御池にかけて、料亭から川にせり出す形で納涼台が作られている。
川床風景の構図としては

   ・川床(地上3メートルくらい)
    ↓
   ・鴨川の土手(アベッツクさんの休憩所)
    ↓
   ・鴨川(水量は多くないが、歴史ある川)
    ↓
   ・対岸は祇園の街(川床から見る灯りは涼景である)
と、川床に座すれば、由緒正しき京都の華やぎが一望できる。
 さっそく川床に案内され、川風がひんやりとした席に座ることにした。隣の小さな卓袱台を囲んだカップルは、ビール片手に懐石料理に夢中である。初めての客であろう。
 座敷の端っこに居る4人のおじさん達は、しきりに土手のアベックさんを観察しつつ、時折乾杯しながら密談している。接待中のおじさん達であろうか。もちろん、おじさんたちに観られていることは、土手のアベックさんも百も承知だ。京都のアベックは見られて燃えるようだ。
そのような様子を「京都のお人は、ほんまに大胆どすえ!」と、案内の女人が教えてくれる。この見事なまでに等間隔に座るアベックさん風景は、京都の隠れ名所として、全国的に名高い。  
 またこの風物詩は、「鴨川アベック」として、俳句の夏の季語に登録申請されていると聞くが、俳句協会は判断に困っているらしい。とにかく、全国の若者の羨望の的なのだ。
さて探検の目的の、川床の料理はいかがであろうか。
メニューをみると
 「鱧おとし、刺身盛り合わせ、枝豆、天ぷら、冷し素麺、デザート」など、一応揃っている。お勧めは、特製の「川床御膳」(3500円と5500円)である。「女将、じゃあ、これを貰おうか!ビールは生でいい!」と涼しげな声で注文する。

 待つ間、鴨川の川風に吹かれて浮世を忘れ、対岸の祇園の灯りをながめながら生ビールをグビグビとやる。すると土手から三味線流しの楽が聞こえてくる。納涼台から下を見やると、姉さん被りの2人ずれが一曲どうかと言う。ずいぶん古びた三味を抱えている。「じゃあ、何でもいいから一曲お願いしますよ!」と応える。
 流しは祇園小唄から始まって、2,3曲がメロデーで土手付近を流れる。予定外の費用だが、料金はオヒネリにして、川床から下へ投げる。千円以上が相場だ。それを受け取るとまた流しは次の川床へと移動して行く。
 さていよいよ「川床御膳」が登場する。まずは鱧おとし、鮎の塩焼き、たまご豆腐、生ゆばが一皿ごと運ばれてくる。特に夏の京都に「鱧おとし」は欠かせない。祇園祭りは、別名で「鱧祭り」というぐらいだから、郷土料理と言えなくもない。その鱧は練り梅をつけていただく。

木屋町のうなぎ長屋や鱧祭く

 そして御膳の締めは「冷し魚そうめん」である。メニューは全部で9品の構成で、いずれも少なめの盛り合わせだ。満腹にならない不満はあるが、京料理は目で食べると言われる所以だ。
 ならば鴨川の川床料理は、世俗の雑音を楽しみながら食べるのを良しとする。しかも鴨川の川床料理は、「夕闇以降、アベック観察、鴨川の風」の3点セットが揃って最高の舞台となる。ついに鴨川の川床料理の真髄らしきを見つけた。
 次の日は、いよいよ貴船の川床料理探検である。出町柳から京福線の鞍馬行きに乗り込み、下車の貴船駅までは、コトコトと山間の緑を潜り抜けて約50分の乗車時間だ。貴船駅からは迎えのバスを予約しておけば、迎えに来てくれる。
 目的地の貴船川床は、小さな清流の貴船川(川幅は5、6メートルぐらい)の上に納涼台をつくり、葦で囲んだ座が作られている。全体で30箇所ぐらいの川床料理宿が、上流から下流にかけて貴船川にしがみ付くように集団をなしている。貴船の川床の名声を天下に響かせているのはこの設計にある。
 まず鴨川と違うのは、貴船の川床は崖の道路より下にあり、川床(納涼台)のすぐ下には、清流が音を立てて流れていることだ。これがかの有名な貴船の川床である。
 しかもせせらぎに混じって聞こえてくる風の音や焼き物の匂いが、いかにも野趣を帯びている。足を垂らせば川の冷たい水に触れて、「オォ~!冷たい!」と足を引き戻すことになる。お尻の下を流れる水音を感じながら、定番の「貴船懐石」(3800円)とビンビールを頼む。貴船の名物は「鮎、岩魚」と「猪鍋」である。
 しばらくすると、大きな青竹の半切り器に載せられた「焼き鮎」が登場する。まさに星野立子の一句を思い出す。

美しき緑走れり夏料理

 その他のご馳走も、青竹の器に盛られて運ばれてくる。箸も竹箸で、舞台装置も緑一色である。この辺りは、鞍馬の竹の産地として有名であり、その素材をふんだんに使っているのだ。
 「お客さん、今日は客も少ないから、ひと寝入りおしやす!」と勧められる。「ありがたい、こんな涼しい川床で酔寝できるとは」と、早速、座布団を枕に片隅で目をつぶる。水の音を枕の下に聞く初めての経験である。
 さらに耳を澄ませると「せせらぎの音、風の音、木々が揺れる音、料亭の女性が石段を登り降りする音、小鳥の囀る音」などが聞こえてくる。都会からタイムスリップしてきたような時空間である。

かにかくに貴船恋しや川床宿の枕の下にも水の音する 

という贋作などをすぐ詠う気持ちになる。
 小一時間の酔寝から覚めて、辺りを見渡すともう、午後の3時を回っている。そして川の涼しさに未練を残しながら、貴船駅へと向かう時間が迫り来る。貴船の川床は午後から夕暮れまでの山河の移ろいと共にある。涼しさを全て音で聞く極まりが、この貴船の川床の特徴なのである。

こうして天然クーラー装置付きの京都2大川床料理の探検は、終りを告げたのである。さて両川床料理の優劣の判定である。

  1. 鴨川の川床は人工的にして、世俗なり
  2. 貴船の川床は自然にして、懐深きなり

よって川床遊びは貴船の川床料理を優として、ここにスローフードの認定証を付与するものである。涼しさを音で観せるなどは、日本料理の極みとも言える。これを貴船の「観音料理」と名付けておこう。この雪深き貴船の冬の名物、「猪鍋」もまた格別という。
一度おこしやす、お客さん! うーうー!行きたい!

川床涼しおあがりやすと言ふ言葉

3 スローでウオッチング(22)

  1. レトルト食品のような町や村が日本に多い。どこに行っても同じ町並みや大型店が並ぶ。利便性や経済性を追求すると日本全国どこにでもある風景になる。
    レトルト食品は便利で不味くはないけど、風味がない。しかもどこに行っても手に入るものをわざわざ食べに来る人はいない。 レトルト食品に風味がないようにレトルトなまちには繁栄もなく人も来ない。
    補助金を勝ち取って町にアーケードを完成させ、喜んでいる束の間に、ただ車が通過するだけの商店街になり下がり、こんなはずではなかったと悔やむ町興し。
    地域の村や町おこしはやはり手づくりでなければ、と見直す市町村が増えている。
  2. キリンからアルコールゼロのビール?が出た。大ヒットを続けている。
    しっかりとしたビールの快感を持つ飲料でしかもデザインもすばらしい。大人の食卓にもぴったりとマッチして、それでいてノンアルコールだからうれしい。
    ビール屋が作った酔わないビールで暑い夏をやりすごそう。
  3. 小千谷の山本山(高原)が菜の花による地域起しに挑戦している。3,5町歩の畑には、春ともなると菜の花が咲き、観光やカメラマンの勧誘に一役買っている。
    この菜の花プロジェクトは滋賀県(愛東町)から始まったが、今では全国に広がっている。小千谷はそのモデルとして見学者が多い。
    菜種からは黄金色の油が絞り取られ、ささやかな小千谷ブランドとして販売される。目下の悩みは鳥被害だという。収穫間近の菜種が鳥に食われて半減するからだ。ネットを張り巡らすしか防ぎようがないと嘆く。スローな小千谷がまた、地元民のプライドをかけた地域起しに挑んでいる。菜の花と蓮華はなつかしき30年代の象徴である。
  4. 瀬波の大観荘が野菜作りを始めた。茄子、西瓜、南瓜、胡瓜などを女将さんが浜辺の畑で栽培している。まだまだ畑ごっこの規模だが、いずれは地元野菜を客に提供したいという想いがあるようだ。
    都会から来る客は、地元の匂いを求めてくる。どこにでも有るような野菜などは食べたくもないはずだ。地元野菜によるもてなしは、スローな温泉宿にはぴったりと合う。地産地消は温泉宿の魅力要因となる。
  5. ベランダに硝子製の風鈴を吊り下げた。その瞬から部屋に吹き入る風が音となった。音を聞くと体感温度が5度ほど下がった涼を感じる。
    1日の風の状態も耳に入ってくる。実に日本人は粋な道具を考えたものだ。そういえばかの名句が思い出される。
    くろがねの秋の風鈴なりにけり   加藤楸邨
    都会では風鈴は騒音と思われ、吊り下げるのも気兼ねする人も多いと聞く。それはそれで、まあ、いいか、仕方ないか。
    音にもスローな音とファストな音があるもんだ。ウトウトと昼寝するには、このスローな音が心地よい。
  6. 新潟の土着菓子といえば、ポッポ焼になるだろう。黒砂糖のクレープみたいなもので根強い人気がある。3本百円が相場だ。持ち帰ると湯気で紙袋がくちゃくちゃになっている。この哀れさがまた実に良い。新発田が発祥の地だという。
    蒲原祭りでは1軒の人気屋台がある。何故だかいつも列ができている。他の店との比較をしてもそんなに味に差異はないが、行列が絶えない。そんな不思議なポッポ焼を食べながら、又、蒲原神社境内のお化け小屋を外から覗いている。
    毎年繰り返される「永遠の今」の祭り。それだから飽きもしないのだろう。
  7. 今年で91回を迎える夏の高校野球大会が始まった。特に地方大会は見逃せない。500円の入場券を買い、球場に入るともう独特の雰囲気がただよう。
    必死に黄色い声をだして応援する父兄の姿。メガホンを叩いて選手の名前を絶叫する応援団。かたやバットの一振りに日々の練習成果をかける選手。必死に一塁を駆け抜けていく諦めない日焼け顔。どのプレーにも手抜きや遠慮などはない。あるのはひたすらな球児達の真顔だけ。
    また出場の誰もが、甲子園には行けないことを知っている。それでも一歩でも甲子園に近づくことを目標に投げ、打ち、走り、守るのである。考えれば残酷な青春の一こまとも言えるだろう。その刹那さがまた、球場全体を熱くする。
    ネット裏には常連のお年寄りが陣取る。これを楽しみにしている人たちであろう。球児たちのプレーに、なつかしい自身の青春時代を重ねている人たちでもある。負けているチームを応援しながら、じっと熱い視線を送っているのだ。
    このように毎年繰り返される夏の風物詩こそ、まさにスロースポーツそのものであろうと思う。今年もまた、我ら日本人の夏に染み付いた甲子園物語が、熱闘をまのあたりに見せてくれる。