2008年12月29日 09:37
2009年を迎え、当瓦版の内容も一新いたします。名づけて「食あれば句あり」の食の歳時記を、スローフード流に連載いたします。
自給率70%くらいあった昭和の時代に、我らどのようなものを、どのように食べ、楽しんできたかを振り返ります。食の原風景を思い出せれば幸いです。
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・大勢の子を育てきし雑煮かな 高浜虚子
・古希やなを明日を夢みる雑煮かな 清水凡亭
・雑煮餅湯気に我が家の月日あり 食いしん坊
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雑煮に関しては、一言居士がはなはだ多い。居酒屋などで「おらが国の雑煮」の自慢談義が始まれば、つい熱が入り過ぎて口泡を飛ばしているおじさん達をよくみかける。「何と言っても雑煮は関東風が一番じゃよ!」などと、特に関東対関西の雑煮対決は熱を帯び、つい隣から盗み聞きしてしまう。
そのなかに「まあ、まあ!」と、美濃尾張勢が論に割り込もうものなら、もう終始がつかなくなる。まさに雑煮戦国時代の大議論である。しかもその雑煮談義戦争に勝たなければ、それはもう一族の面子に関わる一大事だから、おじさん達は必死だ。
こんな場合は鍋奉行のような雑煮奉行とか、雑煮士一級、二級とかいう国家免許を持った有資格者がいて、取り仕切ってくれれば混乱も収まる。時の氏神さんである。

雑煮士は笛を口にくわえながら、三者の言い分を聞きます。まず関東勢から口上を述べる。
○関東勢の口上三者の言い分をじっくり聞き終わった雑煮士は、やおらピッピーと笛を吹き論戦を止める。
この場合、間合いが大切だ。このまま放置しておくと、「居酒屋の雑煮談義戦争」の始まる危険性があるからだ。もしかしたら居酒屋が修羅場に化すかも知れない。したがって何とか丸く治めねばならない。
そこで雑煮士は次の提案をする。「画一化して味気なくなったお正月の食卓で、唯一先祖代々、現代まで、郷土色が伝承されてきた諸君のお雑煮に優劣はつけがたい」。よって「お餅の数が多く食べられる雑煮を勝ちとしたいが、いかがかな!」という提案である。
この雑煮士の思わぬ提案に、雑煮談義界には、大きなざわめきが起こる。実は雑煮士には子どもの頃の雑煮風景が、根底にあったのだ。
昔々、元旦の朝のお雑煮は、神さまと一緒にいただく神々しいものであった。家族全員正座して、父親の一声で箸を持ち、待ちに待ったお雑煮をいただくのがごく普通の風景である。
しかも元旦の雑煮だけは、自分の歳の数だけお餅を食べればその年は幸運に恵まれると信じていた。お餅が貴重な食べ物であった時代の楽しみだったのだ。
10歳なら10個の雑煮餅をいただく。また元旦は必ず学校に登校して、校長先生のお話があった。食べ過ぎの苦しいお腹をかかえて全員が登校するのだ。そして「お前、何個食べた?」と数を競い合うのも登校の楽しみだった。雑煮士はこの心象風景を拠り所に、三者の言い分の優劣を考えた訳である。
こうなるとやはり関西勢は不利だ。丸餅の白味噌仕立てでは、数を食べることが出来ない。その点、具が少なく、さっぱりタイプの関東勢や美濃尾張勢の一部が、数を多く食べるには有利となる。
見事、雑煮士の思惑とおりに、徳川家康の勝ちというところがこの談義の落しどころになる。実際にお雑煮は、関東風が全国的に普及している。
もちろん、丸餅文化と切り餅文化は厳然とその地域性を固辞している。岐阜の関が原辺りを境に、丸と四角は分布を異にしている。ところでこの雑煮士の正体は何者なのでしょうか。
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・寒蜆むらさきのいろせめぎあひふ 岡本まち子
・売り声の中しづもれる寒蜆 熊谷房子
・ひとり言つぶやく椀の寒蜆 食いしん坊
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冬至から数えて、約15日目が寒の入りである。ですから1月6日前後が寒の入りとなる。寒さが一段と厳しさを増し、身がきりりと引き締まり、京都では嵯峨清涼寺の黒衣の僧が読経をしながら托鉢に出かける。
「おぉ~、おぉっ~」と唸るようなその読経の声は、犬の遠吠えを誘い、暗闇を震撼させていく。寒念仏、寒修行といわれている。
この声が聞こえる頃になると、俄然美味しくなるのが、琵琶湖の瀬田でとれる寒蜆である。やや小粒で黒々としている。関西では「瀬田のシジミさん」と言うだけで、「じゃあ、それおくれやす!」と声をかける。古来から名を馳せた、蜆ブランドの王者として君臨しているのだ。
一般にシジミと呼んでいるのはヤマトシジミのことを指す。琵琶湖や宍道湖産が有名だが、最近では青森なども名を上げている。黒い殻のシジミは泥地産で、黄褐色は砂地産である。
ボクらの子どもの頃は朝早く、蜆売りのおばさんがリャーカーを引いて、路地裏まで売るに来た。「しじみーや、しじみ」と、切れの良い声で木枡で計り売りする。買いに出るのは概ね子どもの役目だ。
納豆売り、豆腐売り、牛乳配達、ヤクルトのおばさん、竿売りなど、その当時の市中は物売りの声が溢れていた。その代表が蜆売りの声である。
さてその寒蜆といえば、やはり味噌汁仕立てが最高だ。特に深酒をした翌朝のシジミ汁は、肝臓の芯までじわっとしみわたる。シジミのような眠い眼をしながら、殻から身をほじくりだして食べ、「頼むぞ、シジミ君」という気持ちになる。反省と後悔と期待が入り混じる瞬間である。

また二日酔いで寝起き出来なくても、「シジミ汁よ!」と声をかけられると、体が勝手に起きる。シジミには肝臓に効くメチオニンや、ビタミンB群がたっぷりと含まれているからだ。
そして昨日の反省をしきりさせるのも、シジミ汁のエライところである。「あれはあれで、仕方がなかったんだよなぁ!」などと、殻を突っつきながらの独り言がでてくる。
これを「シジミ汁の独り言」という。シジミ汁には日本人好みの、一種の精神的な強さが秘められているのである。しかもシジミ汁には、1椀でおよそ20個くらいのシジミが入っている。その大量のシジミの命に支えられて、シジミ汁は作られているのだ。
ということは、「申し訳ない、許してくれ、ありがたい」などと命の連鎖に感謝しながら、身の引き締まる思いで、一椀の恵みをいただかねばならない。二日酔いに効くなどと、邪悪な心持ちでいただくものでは決してありません。このことがボクらを、深く反省させる精神的な要因なのである。
ところで正調なる寒蜆の味噌汁の作り方をご存知だろうか。
〈作り方〉
朝のシジミ汁は反省と期待を、夜のシジミ汁は後悔と感謝を添えていただきしょう。寒蜆にはボクらの命が宿っている。
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○七日客七種粥の残りなど 高浜虚子
○つつましく箸置く七草粥の朝 及川 貞
○七草打つ厨の母の薄化粧 食いしん坊
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1月7日が近づくと何故かそわそわしてくる。胸の奥に刻み込まれた子どもの頃の、母の五・七調の数え歌が甦るからである。「セリ・ナズナ・ゴキョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロ、これで七草」のリズムが自ずから口を突いてでてくる。
「七草がゆ」の朝には、耳にタコが出来るくらいに聞かされた伝承のリズムである。ただし、食べればほろ苦い味だったとしか覚えていないが、このリズムだけは脳裏に染み付いている。
しかも七草粥に入れる七草は、どうやら俎板の上にのせて、包丁でたたき切るものらしい。その俎板を叩くことから、なずな打ち、七種打つ、叩き菜、せんたら叩き等という様々な呼び名が全国に残っているらしい。
この「らしい」が、七草がゆの神秘性を醸し出してくれる。さらに「らしい探検隊」の七草粥の謎の解明が続く。どうやら、その叩く際に唱えられる言の葉があるらしい。
その声に合わせて「アァ!ヨイヨイのドッコイショ」などと、合いの手を入れるのだとも言う。いずれも「鳥が渡らぬ先に」叩き切ってしまおうと言う合いの手唄である。不思議な言の葉と言える。
この叩かれた七草を、お米と一緒に炊き込んだのが七草がゆである。七草の緑が混在したほろ苦い粥で、特別に美味しいものではありません。眼鏡を曇らしながら一口食べると、喉の奥が薬草に侵されていく感じがする。アァ!それでドウシタ、ドウシタ!ヨイヨイノヨイ!
どうやら、七草粥のほろ苦さには薬膳効果が隠されているらしい。利尿、解熱、せきや痰を和らげる、催乳効果などの、中国六千年の医食同源の知恵が隠されているらしい。そしてお正月の暴飲暴食をいたわるために、一般に広がったと言うのが、「らしき探検隊」の調査結果である。1月7日に食べる風習はその故事から来ている。
なるほど、そうだったのか!
しかしここでささやかな疑問が浮かぶ。なぜ七草でなければいけないのか。七草とだれが決めたのか。五草でも十草でも、いいじゃないか、という素朴な問題提起である。雪国などでは、七草を全て揃えるのはまず無理である。

新潟では土地の事情に合わせた七草ならぬ、七種が選ばれている。「人参・牛蒡・大根・栗・串柿・たらの芽・芹」が、最も一般的な七種の具材となる。伝統の緑色が少ない七種粥ですが、これが結構イケる。
また山形などでは、芹とタラの芽だけの二草粥が存在する。まあ!ご当地にはご当地の七草粥があるってことですか。
それにしても、ペンペン草と呼ばれる薺(ナズナ)が、七草の代表草とは恐れ入ります。この際だから「らしき探検隊」に、新七草の選定を依頼してみることにした。その結果レポートは以下の通りである。
「京菜・サラダ菜・ふきのとう・セロリ・春菊・チンゲン菜・芹を加えてこれで七草」でどうかと言う。
新七草メニューは、七・五調でばっちりまとめ、生活習慣病の予防にも配慮したと自慢している。しかしどうようなお味かは保障しません。まあいいか!和中洋折衷の七草だからね。
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○もてなさる焼きし寒鮒さらに煮て 中村草田男
○生きてしづかな寒鮒もろた 種田山頭火
○動かざる寒鮒釣りの孤影かな 食いしん坊
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寒中の鮒は脂肪がのって美味である。しかし寒中は水底に潜って動かなくなり、餌にもほとんど反応しない。それを承知で防寒服に身を固めた釣り人がいる。時折小雪が降ろうが、北風が吹こうが、じっと竿を出し続ける。
狙うのはもちろん寒鮒の中でも、特に美味な大型の源五郎鮒である。釣り人はただひたすら、かすかにしか反応しないあたりを待ち続ける。その不動なる姿は、まるでお地蔵さまのように見える。孤高、一心不乱、静寂、寡黙などがその釣り師に与えられるイメージである。
またその釣り人は寒さに耐えるために、ウイスキーのポケット瓶を取り出し、ちびちび舐める仕草をする。もちろん物音ひとつだに立てない、訓練されたプロの仕草だ。

釣りの醍醐味は、鮒に始まり鮒に終わると言う。特に寒鮒釣りが究極の釣りに違いない。へら鮒、銀鮒、金鮒など寒中の鮒を仕留めてこそ、「寒中の釣り師・一級の免許」が与えられるのだ。1日の釣果は、上手くいけば5匹ほどである。
そして動きの鈍いその寒鮒は、一晩少し温めの井戸水に泳がせておく。井戸水の中で静かに泳ぐ寒鮒の目玉は、黒々として、気品さえ漂っている。明日は焼かれて、煮込まれる運命の寒鮒の前日風景である。
寒鮒の料理は刺身、すり身のたたき汁、味噌で煮込んだフナ味噌、フナの酢味噌和え、甘露煮などが有名だ。今回はフナの焼き煮込みを追いかけてみよう。
まずフナのエラを取り出し、鱗を取って丸ごと炭火焼にする。身をかがめて、七輪の火を育てながら、気長に焼くのがコツである。もちろん脂が多いので、ジュウジュウと音を立てて、煙が立ち昇る。佐藤春夫のあの「秋刀魚のうた」が思い起こされる瞬間である。
焼き上がった寒フナは鍋に入れて、更に味醂と生姜を加えた醤油で、コトコトと煮込む。弱火で30分~40分ぐらいかける。フナは煮込むと骨が柔らかくなり、頭から丸ごと食べることができるからだ。
そして「焼き寒鮒の醤油煮込み」が出来上がる。後は熱いご飯に載せて、箸でフナをばらしながら食べるのが最高だ。もちろん熱燗の一本もあれば、釣り師の冷えた身体を温めるには十分である。
海に遠い地方の人々は、この寒鮒を「田舎の鰤」と呼んで重宝している。鮒釣りは雪野の寒鮒に限るとは、その名人の独り言である。けだし名言である。