新着トピックス


カテゴリー


バックナンバー


2008年09月01日 09:06

VOL 16

1スロー談義を楽しむ(連載3)

4-5、スローなおむすびを楽しむ

 以前から区別に困った食べ物がある。「おにぎり」と「おむすび」の違いだ。どこがどう違うのか、混迷を深めるばかりである。どうでもいいことだが、どうしても気になる。
 早速広辞苑で調べてみた。

○おにぎりとは
⇒握り飯の丁寧語。ご飯を握って丸や三角などに形作ったもの。中に梅干しや香の物などを入れる。また海苔など巻いたりする。おむすび。ライスボール。
●おむすびとは
⇒御結び。握り飯の丁寧語。おにぎり。ライスボール。

 具入りがおにぎりで、ご飯だけがおむすびだと言う説は、どうやら思い違いだった。どちらも握り飯の丁寧語で、「おにぎり」と呼ばれる。ただイメージとしては、余ったご飯を握って作るのが「おにぎり」と呼ぶにふさわしい。
 では何故、わざわざ「おにぎり界」に反旗を翻して、「おむすび」と言う呼び名が生れたのだろうか。おにぎりで統一すればいいはずである。その謎は奈良時代まで、さかのぼることになる。
 昔、「むすび師」という祈祷師のような行者の男たちが各地にいた。その祈祷師が旅に出る人の飯(いい)を美味しく、長持ちさせるためにご飯を両の手のひらで包み、印を結んで気を入れて作ったという。これがおむすびの由来の有力な説である。だから同じ握り飯でも、根本が少々違うことになる。おむすびには本来、気が入っていなければならないのだ。
 したがって機械で形押しさせておいて、「こだわりのおむすび」などと、コンビニはよく言うよなぁ~と、おむすび師は怒りを隠さない。「握り飯ロボット」に「気」を入れられるはずがないからだ。正確には「こだわりおにぎり」とすべきだという主張には納得させられる。
 「おむすび」には森羅万象の神霊が宿り、我らは畏れ多くて粗雑に扱えないのである。これこそ究極のスローフードブランドとも言えそうだ。安価で大量生産が可能なファースト業界のおにぎりは「おにぎり」と呼んで区別せねばならない。
 当然だがスローフード業界のおにぎりは「おむすび」と呼ばれる。手作りが主流で、値段も高いのが特徴だが、手にしたときからの風格が違うのだ。流行っているおむすび店には例外なく、気が蔓延している。店主の身体からもオーラーが出ている。確認すればお分かりになるはずである。

 

 これで明確な区別ができ、覇権争いも収まる。おにぎりは「普通名詞」で、おむすびは「固有名詞」だと考えれば、理解し易やすいだろう。さしずめ故郷のおふくろがこさえてくれるおにぎりは、固有名詞の「おむすび」となる。愛情が結ばれているからだ。
 このように同じ米、具材をつかっても、おにぎりになる場合と、おむすびと呼ばれる場合が生じる。その違いは魂の入れ方の違いからくる。
 早速このおむすび料理体験を子どもたちに勧めてみよう。熱々のご飯を炊いて、皆で熱い熱いと言いながらおむすびをつくり、食べ合う学習である。単なる塩むすびに挑戦するのもいいだろう。とにかくご飯の匂いや美味しさ、それを炊き、むすぶ楽しさを教えることである。
 食育を難しく考えている主婦や先生には、このおむすび体験を是非お勧めしたい。おむすびと味噌汁、若干の漬物が揃えば、将来を担う子どもたちへの食育は核心を突くことになるからだ。おむすびを大いに楽しもう。

4-6、スローな弁当を楽しむ

 お弁当という言葉を日本人は大好きだ。「お袋、故郷、お弁当」が日本3大人気といわれる魔法の言葉だが、特にお弁当には目がない。最近は食材の高騰もあり、お弁当が見直されている。生活防衛と健康管理の目的からだ。そのお弁当についての楽しみ方を考えてみよう。
 ポカポカ陽気になると、ちょっと近場の公園へピクニックしたくなる。近くの公園にも家族連れが大勢おしかけて、楽しそうに弁当を囲んでいる風景がみられる。観察していると子どもたちは弁当を覗いたり、遠くを見たりして本当に楽しそうである。中にはコンビニ弁当もありそうだが、実に旨そうだ。
 このお弁当は、ずっと昔から楽しいものであったに違いない。その歴史を振り返ってみよう。

  1. お弁当のルーツは干飯である。干飯とはもち米を蒸して強飯にし、乾燥させたもので、そのまま食べてもよく、湯や水で戻しても食べられる保存食なのだ。長旅や軍事食として欠かせない食料として考えられた。つまり外で食事する機能がお弁当の原型だとすれば、干飯がルーツとなる。
  2. やがて弁当専用の容器が登場する。安土桃山時代のことだ。信長も安土で弁当箱に出会ったようだ。
  3. その後、武士の間では、花見と弁当は切っても切れないものになり、酒器もセットされた重箱が出てきた。鷹狩の携帯食料としても重宝された。
  4. 江戸時代になると庶民の間にも花見弁当が広がり、重箱料理を楽しむ文化が豪華さを競うようになった。
  5. 江戸中期になると芝居見物の幕間に食べる弁当が大流行する。いわゆる幕の内弁当である。仕出屋まで登場して大いに繁盛した。中身は「焼おむすび、卵焼き、焼とうふ、こんにゃく、野菜の煮しめ」などを重箱に詰めたものだ。
  6. 農村などでは、神楽や相撲見物の日となると、重箱にご馳走をつめて出かけ、束の間の休みを楽しんだ。
  7. 明治になると宇都宮駅で、梅干入りのにぎりめしと沢庵を竹の皮に包んだ駅弁が売り出された。明治18年である。
  8. 昭和に入ると、アルマイト容器の日の丸弁当が定番になり、終戦後は進駐軍指導の学校給食が実施される。脱脂粉乳、コッペパン文化の導入が始まる。
  9. 1980年代からお弁当の風景が大きく変わり、持ち帰り弁当(ほかほか弁当)が登場する。さらにコンビニ弁当が急速に広がり、「作って出かける」弁当から「買って帰る」弁当まで、食べる場面や機能が広がりをみせる。
  10. 今や弁当は、外で食べても家で食べても、手作りでもコンビニ弁当でも、駅弁でも幕の内でも、弁当を広げる楽しみには変わりがなくなっている。

 なかでも圧巻なのが幕の内弁当であろう。限られた空間の中に、9、10品、お互いに邪魔をしない献立が色とりどりにレイアウトされている。よくもまあ、これだけきれいに、押し込んでいることだ、と関心するしかない。幕の内弁当には小さな宇宙がある、と言わしめる理由がここにある。しかも日本人がコンパクトにまとめる美意識に優れているのは、幕の内弁当から発達したのだとも言われる。
 そのようなことを考えながら、駅弁や会席弁当を眺めると、繊細な日本人の技とこだわりの美意識が見て取れる。さて次はお弁当がもつ様々な、情緒や情感の部分についてふれてみよう。お弁当には人の数だけの思い込みや思い出、愛着があるからだ。食のシーンの中でも、お弁当は異次元の存在感をもっているのだ。それだけお弁当には、一言居士諸兄が多いのも事実と言えるだろう。
 以下、ノスタルジーも交えて、お弁当談義を記すことにする。  

<お弁当談義>

○ボクの親父の弁当は、タイガーのでっかいやつだ。ご飯、おかず、みそ汁などがいっぺんに入って保温できるやつだ。
その上、お茶を弁当箱のふたに入れて、ごくごくやっていた。何故蓋で飲むのか不思議だった。
○一度おふくろに、旨いと言ったら同じものが2ヶ月も続いた。いくら好きなダシ巻き卵でも、勘弁してくれよと言いたかった。
しかも俺のあだ名が「ダシ巻き」と呼ばれるようになった。それから絶対、美味いと言わないことにした。
○高校時代は弁当を持って行った。しかも2時限が終わったら、こっそりと食べた。早弁というやつだ。昼になると腹が減るので、売店のパンをかじった。 ○ご飯の間に醤油をかけたオカカを挟んだ弁当が好きだ。ご飯の上には梅干と海苔がのせてある、あの海苔弁当だ。
たまに海苔が蓋にくっ付いていた。それを箸でリカバリーするのがわびしかった。
○冬になると石炭ストーブに弁当をのせた。アルマイトの弁当ならば20個くらい、場所を狭しと並んだ。熱くなり過ぎて、噴出した弁当もあった。うまかったよ。
○アルマイトの容器は梅干の酸で穴が開く。フタの中央辺りに5円玉くらいの穴があく。その穴から汁がはみ出して、包んだ新聞紙にシミができた。 ○遠足の弁当はいつも、大きなおかか入り海苔むすびが2個と、卵焼きだった。竹の皮に包まれていた。
おやつはバナナの半分と丸川の10円ガムだ。気の合う仲間と囲んで食べたがすごっーく美味かった。
○運動会の弁当は、おむすび、いなり寿司、卵焼き、鳥のから揚げの重箱弁当だ。
盆と正月が一緒にきた感じの弁当で、親と一緒なのが「はずかし、うれし」だった。おやつは青蜜柑。甘すっぱい匂いが目にしみた。
○弁当のおかずは夕食からおよそ分かる。残り物が姿を変えてお弁当に進入するからだ。天ぷらが余れば、翌日のお弁当には必ず天ぷらの煮付けが入る。
しかも何故かフジッコの昆布も入れてある。塩辛いからご飯がすぐなくなる。
○おはぎや焼餅の弁当はうれしかった。たまにはお好み焼も詰めてあり、開くのが楽しみだった。まさに玉手箱だ。 ○くじらの立田揚げとケチャップライスのおむすびの弁当は、もう最高。その鯨がシロナガスだかミンクだかは忘れたが、まあいいか。 ○コンビ二弁当の「焼そば弁当」「チャーハン弁当」「カレーライス弁当」が結構イケル。しかし3日も続いたら、ただの「海苔弁」「おむすび」だけでもうれしい。焼たらこがあればなお、グー。 ○おふくろが作る弁当は、余り意識して食べたことがない。そして美味いとも不味いとも言わないで社会にでた。しかしこのごろやけにその頃の弁当が食べたい。
コンビニの弁当は食えないっす。おふくろに悪いことしたっす。罰当たりですね、この私は。

 お弁当にまつわるドラマは、人生の縮図という人もいる。しかも我らが忘れかけている何かをお弁当は秘めている。家族の温かさ、母親の愛情、友達との会話、栄養のバランスなど正にスローな時間がお弁当にはながれている。
 ちなみに最近のお弁当の、おかずの人気ランキングは以下の通りだ。

 冷凍惣菜での人気は「から揚げ、春巻き、シューマイ、ハンバーグ、ミートボール、枝豆」などだ。色と形と大きさが弁当箱に、うまくはめ込まれる様に設計されている。野菜ではプチトマト、ブロッコリーが人気だ。
 またお弁当の主食、主菜、副菜の組み合わせにも先人の知恵がある。お弁当の黄金比率と言われるものである。

主食(3):ご飯
主菜(1):肉、魚、卵、大豆、乳製品
副菜(2):野菜を中心にしたおかず

 ざっと言えば、まずご飯を弁当箱の半分詰め、残った空間の3分の1に主菜、3分の2に副菜を詰める要領で完成する。この割合がバランスがとれて一番良いと言う。健康なダイエット法にもなる知恵でもある。
 ここまでくると「弁当道」なる匠の世界が見えてきそうだ。ならば子どもの食育教育に、この弁当つくり総合体験学習なるものも考えられる。スローフード運動のテーマとして、「お弁当の陣」なるイベントも面白くなる。学校、飲食店、温泉宿、ホテル、駅弁屋などが技とアイデアを競うのである。
 「冷めてもおいしい母の味」のキャッチフレーズで全国に発信するのだ。

2 スローでウオッチング(16)

(1)、枕詞として有名な「白河の関」を訪ねた。能因法師、西行、芭蕉などがかっては訪れた福島にある関所だ。秋風こそ吹いてはいなかったが、歌を詠む人間にとっては、どうしても一目見ておきたい名所である。
 東北道は白川の関、常磐道は勿来の関(なこそのせき)、そして山形県の日本海側にあるのが鼠の関(ねずのせき)。これらを称して東北の3大関所というのだそうだ。 おそらく一番重要だったのは北へ向かうメインストリートの奥州街道を守る白川の関だったと思う。
その古関の石碑を前に佇むと実に静かである。そしてかっての酔狂の歌人達が何を想い、ここに佇んだのかに想いを馳せて、路傍の石に腰掛けてみた。蝉時雨が関所全体を覆う昼下がりである。
昔の奥羽はおそらく異郷の地であり、この白河の関が都との結界を示す道標だったのだろうか。この関所を越えることは、異次元の未知の世界に入ることを意味したのかも知れない。そのような覚悟と好奇心の念が、多くの歌人の心を捉えたのではないか。それほど白河の関は、物理的にも心理的にも、都から遠い処に位置していたのだ。
太古からの気の遠くなるようなスローな時間の束が、今、眼前を過ぎって行く。そんな感動の静寂を味わいながら、念願の白河の関を後にした。
(2)、打ち水と聞けば誰でもがほっとする。朝夕の2回に、玄関や露地の四方にバケツや桶から柄杓でまくのが慣わしである。
撒いた直後はムーンとした蒸し暑さに襲われるが、しばらくすると幾分気温が下がったような「涼」を五感で感じ取ることができる。2度ほどの冷却効果があると言われているが、気分的効果のほうが大きいのが、打ち水の特徴だ。
しかし最近はその風情がすっかり生活から消えた。冷房の普及がすすみ、暑さを和らげる必要がなくなったからだろう。ホースで大量に、コンクリートに撒かれることもあるが、情緒としての「涼」は余り感じられない。
       打ち水に人入り門の残さるる
かの老舗料亭風景を詠んだ一句である。打ち水で迎えるのは、もはや料亭でしかないのだろうか。スローな文化がまた消えようとしている。
(3)、茶粥なるものを教わった。飲んだ食欲のない朝のお腹に、すっと収まるからと勧められた。奈良の茶粥と京都の白粥が有名だが、つくり方は簡単だ。番茶湯に塩を少々入れ、残飯を入れて煮立てるだけである。
悲しいほどの塩味で、おせいじにも特別美味いとは言えないが、梅干や漬物を菜とすればこれがすっとお腹に収まる。しかもさらさらとして実にうまい。毎日食べても飽きない。
番茶、ウーロン茶、ほうじ茶、玉露などいろいろ試したが、何故か番茶が一番うまい。夏ならば氷を入れた冷し茶粥が最高。我が家のひそかなお奨めメニューである。
(4)、夏場は岩牡蠣のシーズンである。さっそく1個500円の大振りを頂いた。身をとり出して真水で洗い、そのまま、レモンを絞って、そしてトマトケチャップをかけての3方向で味わった。
漁師のおじさんも呆れ顔だったが、実は、抜群に美味しい食べ方は、なんとトマトケチャップである。文句なしの一番だ。
殻のデッカイ割りには、中身の小さい(ボクみたい)岩牡蠣だが、焼いて食べるとまた格別。新潟に住んでよかった。