2008年08月01日 09:03
畏れ多いことになるが、天皇家の食を覗いてみることにする。日本における超スローフードと言えば、天皇家の食卓と古代食と呼ばれる古代人の食卓に行き着く。なにせ卑弥呼の時代からの食文化が、天皇家では面々と食の遺伝子として受け継がれているから、興味が尽きないのだ。今回はその天皇家の食卓について、ふれておこうと思う。
論点は3つある。
まずは(1)に付いてである。
昭和天皇家の正月の食卓は、次のメニューで構成されています。
以上の天皇家のおせちと雑煮は、日本の伝統的なハレの膳である。ええっ、オレたち庶民の献立と同じじゃないか、と誰でもがびっくりする。

この献立は平安時代に朝廷での節句料理として、その原型が確立された。やがて江戸時代になると、庶民の食卓でもならうようになった。つまり正月に「おせちと雑煮」を食べ始めたのは、天皇家の食卓のおさがりとしての形をとったのだ。だからおせち料理は、天皇家もわれわれ庶民の食卓も、ほとんど同じような訳がここにある。
しかもおせちや雑煮以外の食文化に於いても、おおかたその源流は、天皇家の食卓に由来する。天皇家の食卓に取り入れられた新しい食のスタイルが、時を経て、庶民の食卓に普及し、やがて日本人の食卓のスタンダードとして定着したのだ。
また語呂遊びの、駄洒落感覚のメニューをかなり本気で信じていたようだ。昆布巻は「よろこぶ」に、黒豆はマメ(健康)によく働けるようにと、言霊をひっかけている。千年も変わらないおせちのスタイルがここにある。雑煮に関しても、縁起由来がたくさんあるがここでは省略する。
次は(2)の天皇家の「ふだんのごはん」に付いてである。まず天皇家のごくありふれた日常の食卓を見てみよう。これは昭和天皇家のある日の献立だ。
<朝食>
・ オートミール(牛乳、蜂蜜入り)<昼食>
・ スープ(コンソメ)<夕食>
・ 味噌汁(豆腐、赤味噌) 天皇家の食卓と言うぐらいだから、毎食、宮中晩餐会の豪華絢爛な献立が、食卓にあふれんばかりに盛られていると想像しがちだが、以上のように意外と「質素」である。朝食は典型的なコンチネンタル・ブレックファストで、われ等庶民の朝食風景にはお馴染みだ。とくに朝食のハムエッグスタイルは、昭和天皇がイギリス訪問から持ち帰った、お気に入りの献立と言われている。ハムエッグやオートミールの先鞭をつけたのは、まさに天皇家なのである。
また、昼食は、うどん一杯やざる蕎麦一枚、あるいは、炊き込みご飯やとんかつというメニューもある。我らサラリーマンと何ら変わらない。返って独身OLたちの方がグルメだという感じがする。これまで見たところ、天皇家の食卓と我らの食卓と大した違いはない。
だが、それは献立を見る限りに於いての話しで、やはりというべきか、まったく天皇家と庶民の食卓は決定的に違うのだ。たとえば献立名が同じ「コロッケ」や「味噌汁」であっても、その中身のクオリティが段違いに異なる。
やっぱり、そうか!一見、ありふれた料理だが、そこは天皇家、おおげさにいえば、それこそ「コロッケ」1個に、日本国家の総力と威信が込められているはずであろう考えられる。そのへんを3つの項目に従って、以下レポートしょう。
天皇家の食卓と「わが食卓」と決定的に違うところが3点ある。
まず①のポイントについてである。
天皇家の厨房は、日本国家公認の料理の鉄人によって構成され、料理が作られる。なかでも晩餐会などの、国を挙げての超高級宴席料理にかけては、右にでる者はいません。とくにフランス料理にかけては、ぴか一の腕利きばかりが揃っているのだ。さすがぁ~言うべきだ。
さらに彼等には、日常、いくつかの関門が待ち構えている。まず厨房に入る前に、ひと風呂浴びて身を清め、次にパリッと糊のきいたクリーニングしたての清潔な仕事着に着替え、厨房の入り口では消毒液で手を洗うのだ。まるで手術前の執刀医のようだ。こうして徹底的に身を清めて、初めて厨房に入ることが許されるのだ。
次は②のポイントである。
天皇家の食材の肉(牛肉を除く)や乳、野菜のほとんどが「自家製」である。その食材は栃木県宇都宮市郊外の「高根沢御料牧場」という、天皇家専用の農牧地で作られていう。農牧地の広さは、東京デズニーランドの約4倍で、これほどの規模の自家牧場を有するのは世界的にも稀有である。いわゆる「天領」と呼ばれる土地だ。
ここでは搾乳所、製酪場、肉加工場などの施設が整い、70名ほどの職員が従事している。乳牛、豚、ひつじなどが飼われ、バター、チーズ、ヨーグルト、ハム、ソーセージ、ベーコンなどが生産されている。

野菜は大根、人参、きゅうり、ほうれん草、トマト、レタス、ごぼうなど約20種が栽培され、もちろん無添加・無農薬・有機農法の正真正銘のオーガニック・ナチュラル・フーズばかりだ。虫食い野菜なども当然、生産される。いわば天皇家の食卓は、日本のオーガニック・グルメの最前線なのである。やっぱり、そうか!
そして御料牧場だけでは調達できない食材は、外部の業者から買い付ける。その業者を「宮内庁ご用達」という。ただし現在は「御用達」という制度は廃止されている。天皇家に使われる食材は、もちろん極上品ばかりだ。
たとえば醤油は、日本の古式伝統的な天然醸造の「まっとうな醤油」。われ等が普段使っている、脱脂加工大豆を原料にし、防腐剤や黴止め剤、アミノ酸添加の「速醸法」で製造された醤油もどきとは、完全に違うのだ。味噌、酒、塩、砂糖なども然りである。このような食の仕組みを、1千年にかけて守り続けている。
さて最後ポイントは③である。もうひとつの段違いの違いは、料理が出来てから食卓にのぼるまでの手順だ。
われ等は、出来た料理はキッチンから食卓まで、すぐ運べ、すぐ食べることができるが、天皇家ではそうはいかない。料理が出来ても、そう簡単には天皇の口には入ないのだ。
厨房から食卓まで、七面倒な手順と関門が待っている。暖かなメニューが、様々な係りの手を経由して、食卓まで運ばれるのだが、厨房から食卓まであまりにも遠く、口にする時は、すでに冷めている。昭和天皇が猫舌だったのは、熱いモノを食べたことがないからだと言われている。もちろん「おしつけ」と呼ばれる、侍医の試食(毒味)もある。以上が天皇家の食卓のアウトラインだ。
さてここで気付くことがある。それは天皇家の食卓は、古代から、日本国家の総力を結集した、世界屈指の健康の食卓であることである。しかもわれ等庶民の食卓の、先鞭をきっているという事実。
健康の源泉である微量栄養素を含むオーガニック食材、無添加の加工食品、など安全かつ健康という点で、天皇家の食材は、その究極にある。
献立にも秘密がある。天皇家の朝食には、オートミール(食物繊維、ビタミンB1)が登場する。夕食には「麦入りごはん」が出る。いずれも「素食」に近い献立なのだ。従って究極の「ケの膳」とは、天皇家の「ふだんのごはん」ということになる。
まとめます。
見てきたように、この列島に天皇家の食卓が生まれて以来、おおよそ我らの食卓はそれに習ってきた。しかも日本のスローフードは正に、天皇家の食卓に収斂される。
イタリアのスローフードが、チーズ、ワイン、生ハムなどにその源流を見い出したように、我ら日本のスローフードは、天皇家の食卓やその食の哲学とそれを支えるシステム、そしてさらに遡った古代人の古代食を、いかに現代に甦えさせるかが、究極の課題として見えてくるのである。
しかしいくら天皇家に習おうとしても、庶民には自家農場や農牧場など持てない。有機栽培の産物も、クオリティのいいモノが、なかなか手に入らない。そこで、我ら庶民は考える。我が食卓には、誰も天皇家の食卓のようなお膳立てしてくれないのなら、自分の手でやろうと言う訳である。
小規模な家庭農園や市民農園で、自分で自分の野菜や穀物を栽培し、収穫することに精を出そうという試みだ。これをドイツでは「クラインカルテン」(小さな庭)といい、多くの市民農園が整備されている。今後は、日本の食糧の自給率(40%)を横目に睨んだ人々の土いじりが、自給自足を目指して盛んになる。
さて、「天皇家タブーの食」があるのをご存知だろうか。それは「河豚」だそうだ。なるほどだ。小骨つきの魚(ピンセットで一本一本抜いてある)や骨付きの肉も、天皇家では味わえないメニューとなる。目黒の秋刀魚という落語があるが、天皇家の焼秋刀魚は、骨抜きの腸抜きの脂抜きかもしれない。
日本料理のことを和食というが、どうして「和」の食なのだろうか。「和」を解き明かせば、天皇家の食卓と日本人の心の隠し味を、知る事が出来るかも知れない。いわゆる「ジャパン・スローフード」の真髄を理解できるはずである。
1滴の命の水はどこで生まれ、どこにいくのだろうか。そんな水のいとおしみを、「水の旅人」として考えると、美しき水の惑星地球と、我が日本の大地の命の源の水脈がみえてくる。さっそくスローな水のドラマに触れていこう。
岐阜美濃の大垣は豊かな伏流水に恵まれて、水の都と呼ばれている。奥の細道の「むすびの地」として有名であり、近くには滝がお酒になったという伝説の「養老の滝」もある。
その美濃大垣はいたる処で、年中低温の井戸水が湧き出している。地下を数10メートルも掘れば、どっと湧き出すのだ。鈴鹿山系や養老山系に降った雨が、数年をかけて伏流して、大垣に湧き出してくるのだ。
夏は冷たく、冬は暖かいこの井戸水は、ほんのりと甘く、いくら飲んでも身体にすっと入っていく感じであった。水道水などは飲みすぎると、お腹に「チャポ、チャポ」と溜まるが、この井戸水はすっと身体に消えていく。この豊かな、しかも自然に生活に溶け込んでいる湧き水で育った土地の人々は、帰省すると先ず、この井戸水を飲む。「おお、冷てぇー、これこれだよ」などと、一人言を言いながら、井戸水で顔を洗い、たっぷりと飲み干すのである。

しかし最近は事情が一変している。あの昔の「すっと感」の水に変わって、水道水が使われているのだ。企業による地下水の大量汲み上げや、聖なる水源地の鈴鹿山系等が荒れて、水質も低下し湧き水も枯渇してきたからだ。
大垣の人々が異変に気付いたのは、もう数10年前だが、数百キロ離れた水源地を守る術がなかったのだという。こうなるともう復元は不可能である。こうして水の都大垣は名前だけの都になってしまった。このような悲しい現象は、今、日本のいたる所で起こっている。
かつては豊かだった里山、鎮守の森から森厳たる聖域、神域まで、日本の大地は命の水に恵まれていた。水源地に対しては畏敬の念を持ち続けて、決して踏み込んではならない神の領域として崇められてきた。しかしその聖なるネットワークを、人間の手で断ち切ったとき、瑞穂の国、水の民の悲劇は起こった。この数千年も守り通してきた民族の神話が、わずか数10年で壊れてしまったのだ。
水のある暮らしのウォーターライフこそ、スローフードの根幹に位置するライフスタイルだから、この悲劇は放っては置けない。湧き水や清水を守るのも、これまたスローフード運動の大きなテーマにふさわしい。
まずは人と水に関わる情報を集めてみた。
1、奈良の2月堂で行われる「お水取り」という儀式
⇒2月堂の下にある井戸から聖なる水を汲み、お供えをする。この井戸は若狭の遠敷神社(おにゅう神社)と繋がっているとイメージされているのだ。若狭では毎年お水送りという仏事がある。だから「わかさ、わかさ」と僧侶が言いながら聖水を呼び寄せて、汲み上げる。
2、フランスのエビアンは、理想に近いミネラルバランスのとれた名水だ。
⇒200年以上も変わらない「天然のハイクオリティ」を守るため、国策として、水源のフレンチアルプスの自然環境とそこに営まれる人の暮らしまで、保護・保全している。農薬の使用は厳禁だ。 まさに巨大な「天然の水ファクトリー」として、一切手を加えずにボトリングされ出荷されている。エビアンはウオーターライフの理想郷として、水を観光資源として経済が成り立っている。
3、「魚付き林」という言葉がある
⇒豊かな森林が豊かな河川水をつくり、それが海に流れ込む。森林が生んだ水は有機質を多く含むため、プランクトンの栄養になり、そこに魚がやってくる、食物連鎖が起こるのだ。4、日本のミネラルウオーターは、山梨県の南アルプス水系の地下水で、約50%を生産している(水の王国)
⇒究極の清涼飲料水で、工夫の余地がまったくない優れものだ。5、人間の身体や味覚と水の関係
⇒人間の身体は水分が60%占めている。いわば歩く水タンクとみて間違いない。しかもわずか1~2%を失うだけで、喉の渇きを感じ、6%以上失うと命にかかわる。 運動しなくても身体は1日に約3Lの水分を失う。補うには1日に約1,5Lの水を飲むことが必要なのだ。
6、水の分類
原水、処理方法による水の分類は下記の通りになる。
7、田んぼは天然の「みどりのダム」である。
⇒先人たちの歴史は「治水と利水」との戦いだった。田んぼに水を引くために、山の奥へ奥へと用水路を延ばしたのだ。その用水伝説は日本のあらゆるところで存在する。また氾濫する河川と戦いながら村や「農」を守ってきた。以上、水に関わる逸話や伝説のお話である。1滴の雨水が、気の遠くなるような年月をかけて大地を伏流し、磨かれ、浄化され、湧き水として我らの身体や地球を潤してくれる。そんな名水をたっぷりと楽しみたいものだ。
1.世の中にはいろいろな人がいるものだ。吉野家の牛丼の味付けを、家庭で再現しょうとする人がいる。頭を長年悩ませていたのは、吉野家のあの甘辛さはどうやって引き出されるのか、という点だと言う。
ポイントは赤ワインではなく甘めの白ワインを使うこと。ドイツ産の白ワイン(リーヴブラウミルヒなど)や甲州産の白ワインが良い。あと、タマネギはあまり入れないこと。実際吉野家の牛丼にも殆ど入っていない。もちろんまだ完璧ではない。しかし本物とは違うがそれなりの旨さが再現できると本人は言う。
そのつくり方は次の通りだ。
<電子レンジで作る、簡単レシピ!「吉野家風牛丼」>
(2人分材料)
・薄切り牛肉 150g
・醤油 25ml
・みりん 25ml
・甘めの白ワイン 75ml
・砂糖 大さじ1杯
(つくり方)
1. 深底の皿の中でワイン、醤油、砂糖を混ぜ、良く溶かす。
2. 冷凍牛肉を加え、タレを馴染ませる。
3. ラップして電子レンジで2分
4. 赤身のところが残っていたら混ぜて、赤身がなくなるまで電子レンジ
5. あつあつご飯の上にのせてできあがり。卵はお好みでどうぞ

ただしどうしても、より真実の味に近づきたい人には以下の究極レシピを勧める。
最終的なレシピは4人前で、電子レンジは使わない。
(4人分材料) |
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・薄切り牛肉 100g (だしを作る用) |
![]() |
(つくり方)
1、まず上記のAのものを混ぜて、鍋でフタをして煮込んでだしを作る(30分)
2、ザルで牛肉をとりのぞく。
3、タマネギをいれて柔らかくなるまで煮込む(15分)
4、薄切り牛肉200gを入れて約5分煮込んでできあがり
以上が研究者の提案である。
さっそく真似てやってみた。出来具合はまあまあである。しかしあの吉野家のカウンターで食べないと、どうもピーンとこない。牛丼のうまさは、やはりあの貧なる顔が揃う雰囲気に限る。
2.娘が旦那にお弁当を持たせ始めた。食品の値上げを少しでもカバーするためだ。当のビジネスマンの旦那は、お昼がゆっくりと取れると喜んでいる。もちろん栄養的にもお弁当は優れものだ。まさに一石二鳥である。
仮に6,000万人ほど居る社会人の1割がお弁当派になると、コンビ二などの弁当(500円と仮定)は600万人分減ることになる。1日約30億円の売り上げが外食から消える。年間(250回)に換算すると約7500億円の規模になる。
小市民家族のお弁当による生活防衛は、ファストフード界にとって、かなりの痛手になる。窮すれば知恵がでる、とは良く言ったものだ。
3. 恒例の蒲原祭りが6月30日から3日間始まった。しかも毎年、同じ露店や顔ぶれがそろう。
焼きそば、たこ焼き、駄菓子、鳥の唐揚げ、ポッポ焼などの定番メニューも全く変わらない。まるで人々は変わらないことを確認し、それを楽しむように店を覗き込んでいる。
お化け屋敷や射的、輪投げも毎年同じ場所で我らを誘う。誘いのおばちゃんの口上についつい乗せられて、500円をはたいてしまう。騙されても笑い飛ばして、誰も怒らないのがお化け屋敷だ。それを知りつつ小屋に入る楽しさがあるからだ。
今年は大枚を叩いて、金魚と大き目の水槽を買った。金魚売場を覗いていると、急に欲しくなった。少年の頃の金魚を飼った淡い思い出が蘇えったのだ。この金魚を見ながらタイムトンネルを潜ったような、ワクワクした感動を久しぶり味わっている毎日である。
祭りとは永遠のマンネリである。マンネリとは永遠の流行だと言った先人がいるが、今年またそのマンネリを存分楽しんだ。ファストモードでしか生きられない我らが、ふと立ち止まる人生の止まり木のようなもの。それが祭りなのだろうか。

4、日本の農業は石油がなければ成り立たない。ハウス栽培のトマト1個にも60ccほどの灯油が必要なのだ。メロンも然りである。我らは野菜を食べているのではなく、石油を食べているのである。
そういえば最近のトマトは水に浮く。まさか油のせいではあるまいが、そんな事実を知ると井戸水に沈む路地トマトが恋しくなる。日輪の味の美味しさが舌に残る。