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2008年07月01日 09:28

VOL 13

○なつかしき未来食(DFF)教室(連載4)

 4回目の料理研究会のメニューフォルダのデータの公開です。
研究テーマは以下のコンセプトを中心に、郷土料理の新たな味わいを楽しむものです。


(10)ポテト餅の鍬焼きと車麩のフリッター(焼物 揚げ物)
(11)小鯵の南蛮漬、秋刀魚のつみれ(酢の物、吸い物)
(12)鮭の長芋はさみ蒸し粒蕎麦あんかけ (蒸し物)

○スローフードな生活を楽しむ人々


  

 水、野菜、エネルギーなどの生活インフラを、自然界から賄う生き方を選んだ人々がいる。新潟市で茶葉業を営む浅川園の社長古舘邦彦氏と、そのご家族である。その超スローなお宅を訪問した。新緑がまばゆい5月末のことである。
場所は五泉市の山間の熊も出そうな僻地だ。
 浅川園は新潟に拠点を置く茶葉販売の老舗である。早くから有機栽培茶に取り組み、ユニークなブランドを立ち上げている。
 そもそも新潟市とかなり距離のある五泉の僻地に、住まいを構えようとしたのか。氏の生き様のスタイルにどうしても我らは魅かれる。その辺をかいつまんで取材してみた。
 今から12年前にこの地を山林ごと購入してから、古舘家の仙人生活が始まった。湧き水が発見でき、この地に決めたと聞く。もちろん水道や電気などはあるはずがない僻地だ。
 数100坪はある敷地にはログ風の2階建てが、木々に囲まれて立つ。周りには山林と畑が広がる。山林も抱き合わせて買ったという。総額は都会のマンション1戸分ほどだ。
 茶人らしい侘びと寂びを調和させた邸宅に入ると、階段越しに吹き抜け構造が眼に飛び込んでくる。吹き抜けにすると昼間は下から涼風が上に抜け、夜は山からの風が下へと吹き抜けるのだ。自然の風の摂理を知り尽くした設計となっている。
 さらに仙人の住まいの秘密をみせてもらった。特にエネルギーは気になる。古舘邸の特徴は化石燃料を使わずに、太陽光や廃材の木を燃やすことで大方は賄っているとのことだ。床暖房は葉材を燃やした熱を、床下にめぐらせるオンドルである。冬場でも部屋の温度は25度くらいになり、まったく暖房は要らない。夏場もほとんど冷房は使わない。
 ソーラーパネルによる発電は余剰が出れば企業に売り、年間を通して30%は自家発電で電力を賄っている。ただ冬場は電気を購入する。給湯はもちろん太陽光で温めて使う。
 食卓の材料は、周りの畑に栽培している野菜や山菜の自給自足である。肉と魚などは知り合いの店が届けてくれるから、僻地のハンディーはない。
 この邸宅には鮎釣りの名人が入り込んで、女主人の古舘美樹氏と料理の担当をしているから恐れ入る。名前を冨所和彦氏という。
 30年余出版社で雑誌編集に携わり、引退後は東京を捨てて、菅名連峰山麓に庵を構え、上質な贅沢三昧に毎日をおくる粋人である。

<冨所和彦氏>  

 冨所氏は清流の魚や鮎の料理はもちろん、山菜の調理に関してはプロ顔負けの腕をもつ。今回の彼の料理をご馳走になったが、天ぷら、煮付け、ベーコン巻き、味噌和え、鮎の塩焼き、竹の子ご飯などどれも酒を勧めるに十分な嗜好である。
 古舘氏に勝るとも劣らぬ自然人そのものである。冨所氏のモットーは「不時不食」で、季節のものしか食べないという哲学に貫かれている。
さらに古舘氏のスローライフへの取材は続く。
 古舘氏の1日は6時には家を出て、新潟市の本社に出勤する。百歳を超えて、尚、現役の浅川会長を迎えに行くのも日課である。長寿はお茶のおかげだと古舘氏はいう。
 また職業上、どうしても夜の宴会や会合が増えるが、9時には席を立って車で帰宅することにしている。それを知っているから誰も止めはしないという。無理な酒の付き合いもなく、五泉の住処に帰れるのだ。
 夜の住処近辺は、まさに暗闇の世界である。漆黒という闇が屋敷を覆う。しかしその闇も慣れてくると見通せるという。山の物の怪の動きも見えらしい。まさに梟の眼を持つ感じだというから恐れ入る。千里眼とはこのことを言うのだろうか。
最後に古舘氏に今後のことを聞いてみた。
 返事は、70歳まで現役を続け、あとは2人の息子に会社は任せて、さらなる自給自足な贅沢生活に邁進したいとのこと。その笑顔には何の気負いもなく、まさに農都両棲を地で行く茶人そのものの古舘氏が大地に立っている。人間は都会の雑踏に片足を入れないと、田舎暮しは淋し過ぎて出来ないというが、古舘家を見ているとそうでもない。
新潟には垂れ下がるスローな時間と人生を楽しむ羨ましき人々がいた。

○茅葺の里に生きる元気な人々

 新潟県柏崎市の過疎地域、高柳町を蛍が飛び交う6月中旬訪ねた。茅葺の里として歴史的保存地区に指定されている山間地だ。
 この地で茅葺の民宿を営んでいるのが、「門出かやぶきの里」(組合長 小林康生氏)である。経営体は門出かやぶき村組合で、小林さんが民宿の運営を委託されているのだ。8年前に行政の補助金などで作られた組合法人の民宿である。
国道を少し棚田の方に登った小高い所にこの民宿はある。
 この民宿は、おやけ(本家という意味)といいもち(分家という意味)の2棟からなる。数人の村のおかあちゃんたちが、交代で勤務し、元気に我らを迎えてくれる。
 いいもちの玄関を入るとすぐに、炉のきってある食堂が眼に入る。20人も入れば満員になる親睦の部屋である。すでに鮎の炉端焼きが始まっている。いい匂いがする。今夜の馳走の一品であろう。
 しばらく忙しそうな厨仕事のおかあちゃん達を眺めながら、部屋を吹き抜ける青田風を満喫する。そしてこんな限界集落に近い部落で、逞しく生き抜こうとする里人の心情を思ってみた。そのへんを早速取材することにした。
 取材に応じてくれたのは、門出かやぶき友の会の事務局の中村依維子さんだ。てきぱきと指示をだす民宿の管理人を任されている人だ。年齢は56歳と少しだと言う。
 この任に着いてから6年目となる。その前は柏崎に通勤しながら事務的な仕事に勤務していたが、雪深い冬の通勤が難儀で辞めたところを、小林氏に乞われてこの仕事を引き受けたのだ。

<中村依維子さんと村のおかあちゃん達>

 この民宿には年間、千数百人の予約が入り、それなりに経営的にも回っている。しかしもっと多くの宿泊客を魅了しようといろいろと企画を立てているが、苦労も多いようだ。マンネリ化も心配しているが、逆にいつ来ても同じ光景があるということも、大切にしていきたいと中村さんは言う。今後のこの民宿の興隆を占う上で、注視したい事柄である。
 この宿の食事に使う食材は鮎(徳島県産の冷凍もの)を除いて、ほぼ地元のもので賄っている。山菜などは旬の季節に塩蔵して、保存し、年間を通して使っている。野菜は朝採りを用い、だしは煮干しから採っている。メニューも味付けもすべて先人からの伝承だという。
蕨の煮付け、焼き茄子、和え物、車麩の煮付けなど、素朴な馳走が11品ほど並ぶ。餅つきのイベントもあり、きな粉、あんこ、そして雑煮などとして振る舞われるのだ。

<炉端焼とご馳走>

このような過疎に生きる心情を、中村さんに語ってもらった。
 まず一番辛いことは雪掘りだという。雪下ろしではなく、雪掘りと言うからには、相当の豪雪が想像される。この雪堀りがなければ、もっと人口も増えて住みやすく、若者達も村を捨てて、柏崎や首都圏に出ることもない。しかし現実は、村に残ったのは年寄りばかりだ。どこの村も同じだと思うが、この高柳はとくに高齢化がすすんでいる気がする。
 息子家族は柏崎に住んでおり、高柳を捨てて出て来いと言うが、1町歩の棚田を捨ててまで行く気には当分なれない。体が動かなくなったら、また考える、と中村さんは笑う。
 また街に住むとストレスに襲われるそうだ。それを払拭するには高柳の自然に戻るしかない。戻って好きな山仕事をすれば、なんとか癒されるのだ。
 街の匂いにも多大な嫌悪感がある。あんな臭くて空気の汚い所では、オレたちは生きて行かれねえ、とも口を揃えて言う。空気には味や匂いがあるのだ。それを嗅ぎ分けて村人たちは生きている。筆者にもその実感はあるから、確かであろう。
以上が取材の概略である。
 このような田舎や過疎を逆手に取った民宿や宿は、日本の至るところにある。別に珍しいことでもない。しかもそのどれもが貨幣経済の好循環という、ビジネスの課題と悩みを抱えていることも同じである。スローなライフスタイルを貨幣価値に替える難しさが同居するからだ。しかも余程の魅力がないと、リピーターがつかない。このへんの課題をこの民宿がどうクリアーしていくか、期待をして見守りたいと思う。
 しかし厨で働く平均年齢65歳?の村のおかあちゃんたちは、過疎の厳しさや不安を笑いながら語り合い、街なんかには出て行かないと啖呵を切る。その屈託のない笑顔には、この地で生まれ、この地で嫁にゆき、この地で子供を生み、この地で死んで行く、ごく自然な覚悟みたいなものが見て取れる。
 さらに何もない過疎村だからこそ、逆に何でもある自給自足の過疎村ともなる。このことに気付きさえすれば、過疎などと嘆いて居る暇はない。
 また我らがスローフードなどと偉そうな御託を並べても、リアルに生き抜く高柳の人々にはとても敵わない。そんな発見のある今回の訪問であった。
取材を終えてふと思い出す一句があった。

故郷を捨てず雪解けあるかぎり

過疎村に生きる人々の心根の一句であろうか。