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2008年05月29日 09:49

VOL 13

1食のゆくえを考える(7)

3-11、新潟産コシヒカリのゆくえ

 食のゆくえを考えるシリーズの最終回である。「スローフード・にいがた」として、どうしても議論しておかねばならない課題として、「新潟産コシヒカリ」のゆくえがある。
 「瑞穂の国」と謳われた新潟。なかんずくコシヒカリは、新潟の農業と経済を支えてきた基幹産業である。美しい風景や自然環境をも形作ってきた。しかし近年、そのコシヒカリが行き詰まりを見せはじめている。
  新潟産コシヒカリが大量に売れ残って、価格の暴落が農家を直撃しているのだ。その辺の背景と今後について、考察しておきたい。
  まずコシヒカリが直面している課題について列挙しておこう。

1、コシヒカリのブランド力の低下(顧客離れ)
2、価格競争に巻き込まれている
3、コシヒカリBLの表示問題

などが挙げられる。
 この3つの問題を巡っては、行政、JA,生産者団体、学者、消費者が複雑に絡み合って、なかなか全体としての戦略図が描けないでいる。まさに3重苦の様相をていしているのだ。しかもこの3点は、切り離せない関係にあり、余計に騒ぎを大きくしている。

 根幹にあるのは、日本人が米を食わなくなり、供給過剰がもたらした弊害なのだが、新潟産コシヒカリにもその影響が現れてきている。
 発端は一般コシヒカリ、魚沼産コシヒカリが大幅に販売価格を下げたことから騒動に火がついた。「07・新潟ショック」と他県米業者を言わしめたほどの、衝撃をもたらした。
 05年以降、すでに新潟産コシヒカリは売れ残るようになり、ブランド力が腐り始めていた。それを危惧した関与者が、07年に価格を下げることで凌ごうとしたのだ。結果的にはコシヒカリはすべて売り切った。やれやれと思ったに違いない。
 しかしこの策はブランド管理としては、最悪である。関与者はその恐ろしさにまだ気づいていない。ブランド崩壊の無間地獄が待ち構えているからだ。
 この点については後述するとして、改めて「ブランドのコシヒカリ」とはなんぞや、という基本に立ち返りながら、この騒ぎと苦境打破の路を探っていこうと思う。
新潟産コシヒカリのゆくえは、次の2点にスポットを当てて議論する。  

その1、ブランドが持つ意味とその管理について
その2、コシヒカリBLの影と光について

 いずれも競争力を構築するためのブランドマーケティング領域に関わる事柄である。これらを総点検しながら、コシヒカリのこれからを考えてみよう。

(その1)、ブランドが持つ意味とその管理について

 新潟産コシヒカリという名前は、他の類似米と見分けるために付けられた印のことである。長い年月をかけて培われてきた財産だ。これをブランドという。
しかもブランドとして認められるには、2つの要素が必要となる。

①、情緒としての品質(極めて感覚的な要素、好きー嫌い、知覚的)
②、機能としての品質(高い品質や他にない特徴、食味など)

だから機能面さえ優れていれば、それがブランドになるなどとは言えない。
 ブランド信仰とは、極めて情緒的な知覚形成によって行われている。ブランドとは消費者の心に染み付いたイメージの総合評価で、心に焼きついた知覚である。したがってブランドが裏切らない限りは、消費者も裏切らない。
 このことを理解するのが、まず1点である。
次はブランドを守る作業が不可欠である。やるべき作業は3点ある。

①、消費者の期待を裏切らない(いつものあれ、を保障すること)
②、ブランドを浪費しない(量を満たさない、価格を下げない)
③、ブランドを腐らせない(飽きられない工夫を常にする)

以上がポイントである。
 これらを哲理として視野に置きながら、近年の新潟産コシヒカリを分析すると、様々なブランド破壊行為が見えてくる。
 まずブランドを浪費し過ぎである。作れば売れた時代感覚から抜け出せないで、相も変わらず量ばかり追いかけている。挙句の果てに、ブランドの知名度を武器に、一時しのぎの販売をかけた価格ダウン策を取った。この策は、確かにすぐ効果がでる。完売できたかも知れない。

 しかし一度価格を下げると、もう2度と元には戻らない。やがて消費者の心を裏切ることになり、ブランドは一挙に崩壊する。新潟産コシヒカリの価値は今後、高く売れなくなるのだ。販売拡大という罠に嵌ったブランドの末路である。
 「07.新潟ショック」が一時的な騒ぎで収まればいいのだが、ブランドが大きく傷ついたことは否めない。待っているのは価格競争という、無間地獄である。
08年度は米全体の生産量を57万トンに減らし、コシヒカリを12%減、こしいぶきをその分増やして、新潟産の米のグレード別生産を画策していると聞くが、難しい選択であることだけは間違いない。
 価格の低落を防ぐために、意図的に生産調整する農政発想から、ブランドとはそもそも限られた量しか作らないのだという、信念を貫き通す哲学を共有することでしか、コシヒカリの未来を保障する手だてはない。
 この発想の差は、似て非なるものである。今からでも遅くないから、気づいて欲しい。作りすぎないことを哲学として頑固に守り通し、管理すること。これが唯一の、生きのびるための処方箋である。

(その2)、コシヒカリBLの影と光について

 コシヒカリの表示はブランドにとって命である。差別化の印としての名前であり、消費者を裏切らない証しの印でもある。
 しかしBL表示を外したことによる、新コシヒカリのメリット、デメリット論争が新潟県全体を巻き込んで起こっている。それぞれの関与者の思惑があるからだ。
 結論から言えば、コシヒカリBLと表示すべきであろう。一般コシヒカリとは全く別物に、同じブランドをつけて押し通せるほど、コシヒカリ信仰者は甘くはないからだ。
 たしかにBLは、第3者の食味機関による調査でも、従来コシヒカリに勝るとも劣らないというデータがあるという。しかしそれはあくまでも機能としての品質であって、情緒としての知覚の品質ではない。たとえBLが機能面で優れていても、従来のコシヒカリファンにとっては、余計なお世話事でしかない。
 ブランドとは一度心に焼きついた知覚イメージの総和であるから、BLを従来の顔をしたコシヒカリとしているのなら、生理的に好きになれない。この辺のブランド心理を関与者は、理解できてないのではないか。
 BLを表示すると売れなくなるという、未だ見ぬ妖怪の恐怖に、関与者が頭を悩ましていることは想像できる。ササニシキやその他の米のブランド政策失敗例が、関与者の頭を過ぎっているのだろう。

 しかしそれを恐れても仕方ない。BLを新潟県の新コシヒカリにすると戦略的に、意思決定した段階で、すでに腹は決まっていたはずである。
 しかもBLがマイナスイメージだとは思わない。むしろ隠すほうが消費者を裏切ることになる。情報は隠せば隠すほど、不安を増幅する。BLのプラス面をしっかりと訴求して、一般コシヒカリのファンを魅了する努力をするしか、新たなコシヒカリ伝説は生まれない。
 BL(Blast Resistance Lines)は、いもち病対策の他に、自然環境を守る機能も併せ持つ種である。連作障害を防ぐために、6種類(将来は10種類)の種籾をすでに開発を終えていると聞く。このことを訴求のポイントとすべきだ。進化したコシヒカリとして、堂々と表示して欲しい。
 BLとは「Blind Lines」(隠された路線)になってはいけない。
しかも前述のように、「作り過ぎない、他県に真似させない」というブランド管理の奥義を守れば、このところの新潟のコシヒカリ騒動にも、一条の光が見えてくるはずである。新潟の恵まれた自然環境とイメージを味方にした米つくりは、価格競争などいう愚策をやらなくても、ブランド王国なりえるのである。
勇気をもってこのことに気づいて欲しい。一時的に売れのこったからと言って、うろたえるべきではない。新潟産の米の力を信用すべきである。
 以上が今回の提言である。
 「スローフード・にいがた」にとって、米の消費拡大には関心が極めて高い。世界的な穀物事情が逼迫している中で、やはり最後に頼りになるのは米しかないからだ。コシヒカリを未来の子ども達に残こすためにも、農業の元気を保たねばならない。このところ気になるコシヒカリの騒動ある。

2 スローでウオッチング(13)

  1. 4月に信濃川の堤防でお花見をした。日本酒と肴を持参して、おもむろに独りの花見の宴を開いた。花の昼の贅沢だ。まずは骨付きの鳥の唐揚げを食べながら、日本酒をグビグビとやる。これがまた旨い。
     しばらくすると周りに鳩と鴉がたむろしてくる。鳩は首を上下に振りながら、餌をよこせと言わんばかりに50cmまで近づいてくる。クックとうるさく鳴く。
     しかし鴉は3mほど先の芝生にじっとして、決して僕の陣地には入らない。不可侵の距離をわきまえているようだ。実に静かである。
     その鴉に唐揚げの骨を投げてやった。するとその後の動作は、実にすばやい。足で骨を押さえて、肉片をむしり取り食べる。ならばと骨を3本ほど放り投げておいて、僕はちらし寿しを楽しむことにした。
     そしてしばらくして先ほどの骨を拾わねばと見渡すと、骨の残骸がみあたらない。鴉が骨まで食べたとは思えないから不思議だ。
     念のために残りの骨を再度放り投げると、何と鴉はそれを路傍の草むらに隠すではないか。だから先ほどの骨が見当たらないわけだ。花見をしながら、鴉の比類まれなる生態に触れて、酔いも朧となる。
     桜も満開。酔いも上々。行き交う人々も皆楽しそう。花の昼の出来事である。
  2.  吉野家の牛丼レポートの第2弾。時間も午前11時を回ると、俄然客足が伸びる。今日も僕は何故か本町の店に居る。
     席に座って待っていると、隣にアジア系の労働者2人がやってきた。しばらくメニューを探しながら注文をする。「ビーフ ボール ツー」と、カウンター越の店員に告げる。牛丼は「ビーフ ボール」と翻訳するらしい。なるほどそうなのか、と牛丼のグローバル化を目の当たりにみることになる。
     彼らは器用に箸を使って、そのビーフ・ボールを食べ尽くし、満足げな顔をして店を出ていった。300円の割引キャンペーン実施中の吉野家には、様々な言語が出入りする。
  3.  日本の新規就農者が年間12万人増えている。1990年に年間16,000人の最低記録をつくったものの、その後は徐々に増えているのだ。35歳以下の若い就農者が40%くらいの割合で増えている。
     農業者の高齢化と減少ばかりがピックアップされていたが、実はそうではないのだ。日本の農業もまだまだ可能性がある。農林水産省「農業構造動態調査」のデータからの報告である。
  4. 子ども達に行う食育活動には大きなジレンマがつきまとう。「ファーストフーズの良さと不安」に対して、「スローフードの良さと難しさ」という事実を、同時に教えなければならないからだ。 どちらも一長一短の特性を持っており、一概にどちらが善だとは言い切れない。
    従ってこのジレンマを子ども達にも体験させて教えるしかない。
    そして何が起こるか分からない将来に備えて、そのジレンマから何を選択してゆくか。その食選力を養うことが、食育の最大の目的となる。
    スローフードはすばらしいぞ、などとえらそうに、教条的な食育を子どもに押し付けることに、一抹の戸惑いが出てきた。現場からの感想である。
  5. 昔から「四七五八」という言い伝えがある。これは紫外線がもっとも強くなる月を順に並べたもので、この時期のものを食べると体によいとされている。
    この時期に咲いている花は、紫外線から身を守るために、抗酸化物質をたくさん分泌するからである。
    もっとも「四七五八」の頃の作物は勢いがあり、それを取り込むと体に良いのは至極当然の摂理。村の長老の話である。