2008年03月01日 09:01
スローフードは食の多様性と同時に快楽性を尊ぶ。伝統的な美食を工業製品のファストフーズなどに取って替わられてなるものか、と食の達人が声を上げた運動でもある。この食の快楽性をもたらすのが、癖になる味覚と食材、酒なのである。
特に食べ物には有無を言わさぬ、おいしさというものがある。チョコレート、ケーキ、スナック菓子など等、太ると分かっていても、おいしくてやめられない。どうしてやめられないのか。その快楽の謎を探ってみた。
この謎は、実は、油と砂糖とダシにある。油と砂糖とダシ(アミノ酸)の、この3つが、あるいは2つが組み合わさると、「別腹」とか「病みつき」、「クセになる」、「はまる」というような満足感が得られるのだ。
ダシと砂糖が一緒になったものでは、すき焼きや牛丼がそうだ。ダシと油ならラーメンやカレー、砂糖と油ならクリームが相応する。とにかく美味いものには必ずこの3つの組み合わせが入っている。
しかもこの3つは動物が生きていく、生命を維持するために最も大切な栄養、脂肪と糖質とタンパク質のおいしさだから、こういうものを好むように私たちの脳にプログラムされている。だから美味しいと感じるのは当たり前なのだ。
この3つのどれかを食べると、脳に快感のホルモンが分必される。これがクセになる秘密と言われている。マヨネーズは油とタンパク質の魔法の調味料の代表である。全ての食べ物を「トロ」の味に変身させ、麻薬のような脳内ホルモンが快感を呼び起こす。これにはまった中毒人間を世間では、マヨラーと呼んでいる。

ではこの動物としての3つの味の刷り込みは、何歳くらいに行われるのだろうか。それは離乳期の前後と言われている。3歳から4歳だ。この時期に3つの美味しさがプログラムされるのだ。「3つ子の味は、100までも」といわれる所以である。
このメカニズムをビジネスに応用して、成功しているのがハンバーガー店だ。子どもに油とダシの味を刷り込んでおけば、子どもたちは大きくなってもハンバーガーの虜であり、生まれてくる子どもにもハンガーを食べさせてくれる食の連鎖が起こることも視野に入れて、作戦を立てている。
ですから食育において、この作戦を我らも応用しない手はない。子どもに何か好きにさせようと思ったら、なるべく小さいうちから、親が子どもの前でニコニコしながらおいしそうに食べるのだ。それもどんと真ん中にご飯と味噌汁を置き、世界で一番健康的な食事を食べてみせることだ。ダシの香りの効いた和のおかずを添えた食卓を囲むことに尽きる。
油も砂糖もおいしいからそれを拒絶する必要はないだろう。しかしどうせ日本の子どもに食べさせるのだったら、選択肢のひとつにカツオのダシのおいしさを入れてやる必要がある。
今の子どもが年をとれば、今の我らと同じような嗜好、魚や豆腐、和風の味が好きになるというふうに期待するのは、絶対に甘い考えだ。それはありえない。我らが子どもに与えてしっかりと伝えないと、子どもたちは年をとってからも、ハンガーガ-屋の前をうろちょろするハメになる。
我ら日本人は脂がなくても、ダシのおいしさで十分満足できる食事体系の文化を持っている。それを大事にしながら、子どもに伝えていく努力が、実は食育の根幹をなす哲学なのである。我ら日本人は何時かは、ダシの味と香りに帰りつく。それがおふくろの味というもであろう。
学校給食(学食)の行方についてかんがえてみよう。最近は完全米飯給食を標榜し、実践する学校や自治体が続々と増えているからだ。
その理由は、完全米飯給食が子どもにとっての、本当の学食のあり方に近いからである。たとえば以下のメニューのどちらが、子ども達の学食にとっていいのでしょうか。
(1)ごはん、味噌汁、サンマの塩焼き、ほうれん草のおひたし、茄子の漬物
(2)ハンバーガー、ブロッコリーとハムのサラダ、フライドポテト、牛乳
(3)デニッシュロール、焼きビーフン、餃子、コーヒー牛乳、コーンスープ
答えはもちろん、(1)である。子どもたちにとって、どちらが安全で健康的かを考えればおのずから判定できる。
では何故(1)が、子ども達にとって良いのだろうか。それは油質と砂糖漬けの食べ物から、子ども達を回避させているからだ。小児科医の先生によれば、今、子ども達の間に肥満や糖尿病などの生活習慣病が危惧されている。その主な原因は油脂と砂糖の取り過ぎからきていると指摘する。
しかも学食は「子ども達の健康と身体作りが目的(学校給食法)」としており、それでも油まみれの(2)や(3)を食べさせたいと言うのなら、家庭で食べさせればいいと断言する。だから(1)が、子ども達のためになるメニューなのである。
こうなるとパン食が毛嫌いされ、隅に追いやられることになる。戦後、アメリカから押し付けられたパン文化は、はなはだ旗色が悪い。町のパン屋さんが困ることになる。ただしパンはおやつとして食べればいいのだという救いが残されている。
ご飯食とパン食の比較は後ほど記すが、戦後の様々な食料事情のツケが、今、学食論争や食育論争を巻き起こしているとみて差し支えない。
またこのテーマを深く調べていくと、そこには戦後の食料事情や、様々な我ら大人の不理解や無知に出会う。それをひとつひとつ紐解いていく事から、日本の子ども達にとって、一番良い学食のあり方が見えてくる。
では一体、日本全体でどれくらいの給食数があるのだろうか(学食率)。
その数は
となっている。
大雑把に言って、週3回くらいにまで米飯給食が広がっていることになる。
しかしそれぐらいで、まあまあかと言えば答えは「NO!」である。100%の完全米飯給食が望ましいとお医者様は、檄を飛ばしているからだ。
その背景を下記にまとめておこう。
<ご飯食とパン食の比較>
以上がお医者様の指摘である。これでも皆さんはパン給食を食べたいと思いますか。学食に関しては、パン給食への風当たりの強い背景がお分かりいただけるだろう。子ども達の心と体を育てるには、「完全米飯給食」は一番簡単であり、しかも効果のある食事の改善方法なのである。
幼児期から小学生の時期は、味覚形成の基礎を構成する時期として、最も重要であり、ご飯給食こそがそれを可能にするベストな方法だとも言えるのだ。これは食育の最も重要な要素でもあり、パンもご飯も同じだと、長い間信じてきた我らには、衝撃的な提言となる。
では今の、新潟の米飯給食の状況は、どうなっているのだろうか。以下の資料をごらんいただきたい。
<新潟の米食給食の変化>
|
*出典―上村伯人医師の資料から抜粋 |
新潟県の米飯給食率の平均は3,2である。(日本全国の平均は2,7)。他府県のデータ―は割愛したが、当然のことながら米の産地ほど、米飯給食の率が高くなっている。しかもこれからますます米飯の導入を増やしていくという。
この米飯化は様々な関与者に影響を与えることになる。地産地消、食育、食料自給率、総合学習などが微妙に絡んでくる。ご飯給食は家庭の主婦に、子どもを通して影響を与える。さらに商店、農家、学校、行政へと影響の連鎖が続く。
油まみれ、砂糖まみれのメニューが、栄養バランスが良いと誤解している保護者を教育するには、ご飯食を通して、子どもから刺激を与えるしかないのだ。これが米飯給食を押し上げる別の背景なのである。
日本の子どもたちは、米飯給食で日本人としての基本的な「食事力」を養うことが理想なのだ。花カツオや煮干の出汁の匂い、ご飯の炊ける匂い、漬物の匂い、味噌汁の香りなど、五感に刷り込み込まれた味覚情報を宛てにして、彼等もいずれは故郷に帰ってくる。鮭が生れた川に還るのと同じことだ。いわば味覚の最後に帰りつくところが学食であり、米飯給食なのだと考えていいだろう。
最近は学校には、栄養士とは別資格の「食育栄養士」が勤務することが決まった。従来の学食の殻を破った提言をする食の伝道師である。この人達はドイツモデルの古い栄養学を見直して、米飯給食の完全実施を目指すという。やっと始まった日本の学食の改革であろうと思われる。学食の行方は、地産地消をできるだけ取り組むことにかかっていると言えるだろう。
1.国産品だから安心だという風潮が広がっている。中国産ギョーザ事件の後遺症である。しかし日本の食卓を支えているのは、実は中国産である。
コープネット事業連合が開示している、PB商品全体274品の原材料のうち、主な原材料が国産だけの商品は全体の51,8%。残りのほぼ半数の48,2%(132品目)は海外産で、そのなかの4割にあたる51品で中国産を使っている。
この現実を踏まえれば、「製造工場が日本だから安心」という捉え方は、非論理的であることが分かる。海外依存でしか賄えない異常な食卓の現実に対して、我らはただただ右往左往するしかない。
2.まだ食べられる生ごみは、年間1000万トンにもなる。これだけの量があれば数億人の飢餓の人々を救える。
しかし賞味期限が切れた食品が偽装を避けるために容赦なく捨てられる。それらの多くは豚などの餌にリサイクルされるのだが、それでも異常な日本の台所事情である。「食べ残すな」などと子どもたちに語ることすら空しくなる現実がある。
最近の食品の日付の偽装問題も「もったいない」という理由で偽装に走る例が後を絶たない。偽装する人々だけを責めるのも片手落ちのような気がしてならない。
せめてスローフードのイベントで出されるご馳走は、残さず食べようと声をかけている。それでも食べきれない時は、こそっとラックに詰めて持ち替えることを暗黙の了解としている。もちろんお店からは禁止令が出されているが、自己責任で許してもらっている。
僕たち最近までは、村の寄り合いに出される料理は、全て持ち帰ることがマナーだった。いつから「持ち帰り文化」が消えようとしているのか。
3.新潟の蒲原神社の梅がぽつぽつ咲き始めた。雲龍という寒梅である。さっそく鼻を全開にして覗きに行く。
すでに先客が梅に近づいて、無口に佇んでいる。「もう、梅が咲いていますよ」、「それですか、もう咲いていますか」と言葉を交わすのが探梅の僕らの慣わしである。もちろん喜びに満ちた会話である。
しかもそれをわざわざ妻に告げることでもないが、なぜかそのことを話したくなる。
梅は「春告花」と言われる。厳寒の心に春をもたらす一輪である。
4.ホテル新潟で66名参加の握り寿司大会を開催した。寿司屋の達人が講師である。
ネタは新潟の旬の魚が9種そろい、それぞれが思い思いに握った。これが実におもしろい。いつも身近にあるはずの握り寿司だが、これほどに感動するとは誰も予測しなかった。
ちなみに達人に鮓飯のつくり方を聞いた。
米(2升)を硬めに炊く。調味料は酢(2合)、砂糖(180g)、塩(80g)、味の素少々を合わせる。炊きたてのご飯にこの調味料をふりかけ、しゃもじでご飯を切り、あとは団扇で冷ますと出来上がる。これならば達人の技を盗み、家庭でやれそうである。
寿司は江戸時代に生まれたファストフードだが、今じゃ人気のスローフードたりえる。次回は魚離れの激しい子どもたちと握ってみたい。魚食である。
5.新潟の小正月の行事で是非参加したいものがある。「さいの神」である。どんと焼きとも言われる土着の火祭りだ。
真ん中に木を置いてこの周りをカヤやわら、竹で囲って作られる。カヤは昨年秋に刈って置いて保存しておいた物だ。これは村総出のイベントであり、都会に行っている若者もこのために帰省してくる。カヤの中には正月飾りやダルマなどを入れて一緒に火を付ける。
書き初めも一緒に入れて炎が天高く上がると、字が上手くなると信じられている。5分も経つと火も弱くなり、その火で餅を焼き、スルメを炙り、今年の豊作と家内安全を祈るのだ。もちろんお神酒を酌み交わすのも村人の楽しみとなる。

綿々と受け継がれるこれらの民俗信仰に、体の血が騒ぐのはボクだけではない。スローフードの仲間と是非やってみたいスローな行事のひとつである。