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2008年02月01日 09:00

VOL 8

○次世代に残したいお茶の文化と自然の大地

淺川園 古舘邦彦


○有機栽培茶にかける人々

 環境問題、食の安全性など地球環境規模で関心が高まっています。このことを人間問題と言い換えれば、地球温暖化、森林破壊、水・食料不足、資源の枯渇、ごみ問題などはまさしく人間が引き起こした人災問題です。
 環境問題という言葉で考えていると、何時までたっても「あちら側の問題」で自分には関係ない気がします。
 しかし人間問題となれば「こちら側の問題」に変わります。人間の問題である以上は、人間が変われば、つまり自分が変われば未来を変えることができると思い直すこともできます。どのようなことであれ、諦めや無関心こそが最大の問題なのです。
 20世紀は文明の時代と言われ、21世紀は文化の時代と言われています。筆者はそんな想いを胸に描いて、10数年前より自宅を中山間地の五泉に移しました。
 化石燃料を極力使わず、太陽光発電や太陽光給湯、および暖房は間伐材の薪を用いています。米や野菜を作りながら、地元の農作物を中心とした、身土不二なる生活を実践しています。
 夜になり電灯を消すと、棲家は闇に包まれます。しかし慣れてくるとその闇にも目が慣れて、遠くまで見透かすことができます。獣の動きも分かるようになります。野生がよみがえったと言って、家族と笑っています。
 いわば自給自足的なライフスタイルに身を置くことによって、現代社会が見失った大切なものを取り戻そうとしています。
 そんな筆者は新潟で浅川園というお茶の会社を運営しています。創業70年の小さな会社です。そのお茶葉家業から見据えた農業や食の現状について、お話いたしたいと思います。
 お茶葉にとっての最大関心ごとは、やはり農薬問題です。お茶は直接淹れて飲むものですから、農薬の多い少ないはかなり気にかかります。農薬の汚染被害も地域住民の健康を脅かしています。ただ儲けるだけの環境破壊型の農業は、もう許されません。そんな課題を抱えながら、様々な生産者と交流してきました。
 そんなおり、平成18年12月の国会で「有機農業推進法」が可決、成立しました。旧来の伝統的農業技術を見直し、有機農業を国の政策として取り組むことになったのです。この法律は基本理念で、有機農業の自然循環機能や環境負荷の低減機能、および安全で良質な農産物を輩出することを定めています。
 日本の有機農産物はわずか0,3%です。3%を超える欧州連合と比べたら、大きく差がついています。効率一辺倒だった食料生産の過去を見直す機運がこれで生まれました。
 浅川園ではすでに、法律が生まれる10数年前から、生産農家の皆さんと、誰も見向きもしなかった有機栽培茶に取り組んできました。平成13年には「有機JAS」の小分け第1号を取得し、農薬汚染の懸念を取り除いてきました。しかも苦労の連続でした。
 有機栽培の基本は土作りです。化学肥料や農薬を使わず、有機質の堆肥を鋤き込むことで、力強い土が生まれます。土に力があれば良い茶葉が育ち、うまいお茶が生まれます。
 その結実として、浅川園ブランドの有機栽培茶「いい葉にほ」が誕生しました。種類も玉露(宇治)、煎茶(鹿児島、宮崎、八女、静岡、村上)、焙じ茶、番茶、粉茶、茎茶などフルラインの品揃えとなりました。味は渋みの中に甘味が生きています。
 有機栽培を目指したことにより、農薬汚染のない大地を次世代への遺産として、残せたと手前味噌ながら自負しています。有機栽培とは農産物の安心と安全のためだけではありません。実は自然の環境を守ることが最大の狙いなのです。有機栽培の農産物は割高だと言われていますが、環境税が負荷されていると考えれば、私たちは納得できます。

○お茶の歴史と文化

 さて次はお茶の歴史や楽しみ方についてお話いたします。お茶の歴史には諸説があります。その中でも一般的には次の史記が支持されています。ご紹介いたします。
1、発祥の地
 お茶の木のルーツは中国の雲南省といわれ、雲南省の奥地では今も樹齢1700年という「茶王」と呼ばれる大きなお茶の木も残っています。そこから世界各国へ「ティーロード」が延びていきました。
2、お茶の伝来
 日本にお茶が伝来したのは、中国からというのが一説となっています。それがいつごろかというとはっきりしていませんが、奈良時代の初期、天平元年(729年)、聖武天皇が衆僧に茶を賜ったという記録がありますから、すでにそのころには遺唐使などによって、当時の朝廷に伝えられていたと考えられるようです。
 小野妹子の一行が持ち帰ったとの説もあります。以来、お茶は1200年以上にわたって日本で親しまれてきました。一部の高貴な人々の飲み物から、武士へ、商人へ、そして庶民の飲み物へと普及してきました。
 また、飲まれ方としても時代の流れの中で、さまざまに変化してきました。あるときは薬用として、身分の象徴として、そして人々の暮らしを豊かにする生活習慣としての飲み物に変化しました。
 そうした有為転変の歴史に想いを馳せ、時の流れがいまへと運んでくれたお茶を飲むとき、私たちは大げさではなく、脈々と伝承されてきた日本の心を感じることができます。
 また中国のお茶は、紅茶となって西欧のお茶文化の形の基礎に貢献しています。大英帝国と植民地主義、東印度会社、アヘン戦争などの利権争いの資源として、政争に巻き込まれていきます。
3、お茶文化の開花
 お茶が一般に知られ始めたのは、鎌倉時代の初期のことと言われています。とはいっても、それは禅宗の僧などが薬用として紹介していたもので、お茶が文化的な色合いを濃くしていったのは、室町期の東山時代です。
 東山文化といえば、銀閣寺などに代表される書院造りが連想されますが、この頃のお茶もその影響を大きく受け、一般には「書院台子茶」と呼ばれています。特徴は、茶道具や装飾など、端正・華麗な唐物を愛好する多分に貴族趣味的なものです。そして、そのお茶の席に、文字通り貴族や上流武家が集い、絵画や茶器、茶道具などの芸術的価値を楽しむといった趣向だったようです。
 お茶そのものを味わうよりも、唐物という海外ブランドを喜ぶあたり、何やらいまの時代の日本にも共通する点がありそうです。
4、堺商人とお茶文化
 中国的な華麗さがすべてであった書院台子茶に、これを基本としつつも、素朴・簡素といった「侘び(わび)」への方向を与えたのは、村田珠光という人物だとされています。その後珠光の弟子たちによって、そうした新しい価値感をもった茶の湯が各地に広まっていきました。その中でもとりわけブームになったのは、堺(さかい)の町衆たちのお茶です。
 当時の堺は、戦国時代にあっては不思議な都市で、対外貿易によって巨大な富を集めながらも、どの大名にも侵されず、商人たちによる一種の自治行政が行われていました。この町で新しいお茶の文化が花開いたのも、そうした自由闊達な空気があってのことだったといえるでしょう。
 そんな茶の湯のブームは、中央に織田信長が進出して、堺がその直轄下におかれてからも、むしろますます盛んになりました。信長は南蛮好きですから、とにかく新しいもの好みます。世界の文物が集まる堺の町で磨かれた茶の湯が、信長の心を捉えるのは時間の問題でした。すぐに信長の庇護の下、多くの茶人が召し抱えられ、お茶文化は花を開いていきます。

5、利休と茶の美学
 村田珠光にはじまり、堺で磨かれた「侘び茶」を、茶繕一味ともいわれるように、きわめて哲学的な美の思想にまで高めたのは、豊臣秀吉の茶頭となった千利休です。
 利休の美への姿勢がどれほど厳しいものであったのか、それを彷彿とさせる逸話が秀吉との間にあります。
 あるとき、利休の庭に朝顔が見事に咲きました。それを聞いた秀吉がさっそく来てみると、庭には朝顔がひとつもなく、秀吉は非常に不機嫌になってしまいました。さて彼が茶室に通されると、目にしみるような色あざやかな朝顔が、たった一輪だけ床に活けてあります。利休は、その一輪に美のすべてを凝縮させるため、庭に咲き乱れる無数の朝顔を残らず摘み取ってしまったというのです。
 もちろん、秀吉がその美しさに感心したのはいうまでもありません。しかし同時に自分の派手好みを否定されたようで、腹立たしくもあったということです。
 この逸話は、どうやら後世の作り話らしいのですが、利休と秀吉の美的思想の違いがよく現れていて、大変興味深いものがあります。この思想の相違から利休が秀吉に切腹させられたというのは、少し飛躍しすぎかもしれませんが、ときにはお茶が政争の道具に利用されたという、歴史の謎を推理してみるのも、また一興といえます。
 また利休の茶道からは多くの日本文化の形が生まれました。数奇屋、懐石、陶磁器、水墨画、華道、茶庭、漆器など、まさに2畳間の茶室から生まれた作法や仕草は、今の脈々と受け継がれています。
6、煎茶の普及
 さて、秀吉の時代が終わり、徳川家康へとその政権が移行していくとともに、これまでの茶の湯とは別に「煎茶」という新たな喫茶法が世に現れました。一説によると、この煎茶を日本へ伝えたのは明の禅宗といわれ、またこの作法を定めた元祖は江戸初期の儒学者、石川丈山という人物とされています。
 その後、高遊外という人物が中興売茶翁と称して、売茶をしたといわれていますが、世に煎茶が広まったのは、一般にはこの売茶によるものとされています。
 売茶とは、室町時代の初め、法師が往来の人々に茶を施して結縁(けちえん)したのが起こりだといわれますが、高遊外の場合は抹茶ではなく、煎茶を点てて売り歩き、これを普及させています。
 さらにその後、売茶翁二世の八橋方厳にいたって煎茶の作法が確立され、ついで雨月物語の作者としても知られる上田秋成らによって、その法が大成したようです。
 それらの人々は、格式にこだわらない自由な環境を楽しみました。そうして煎茶趣味が一般に広まると、さらに簡素な喫茶法として、茶葉を急須に入れ、熱湯を注ぎ、その煎じ汁を飲むといった方法が日常的になっていきました。私たちがいま楽しんでいるお茶は、それが今日にいたっているものです。
7、お茶の産地
 日本のお茶の産地といえば古くから静岡と宇治が有名です。静岡は今川家や徳川家の庇護によって、茶畑が開墾されて将軍家へ献上されました。宇治茶は当然ながら京都や難波の貴族や武家により、独自の発達をしました。
 現在では日本全国で栽培されていますが、本来は新潟の村上と栃木県を結ぶ線から上の緯度では、お茶の栽培はありませんでした。お茶は亜熱帯の植物ですから、寒冷地には向かないのです。村上茶が「北限の茶」といわれる所以です。
 しかし最近の温暖化の影響で、数年後には北海道が一大名産地となる可能性があります。お茶の産地から考える地球の温暖化の環境問題が、浮上しても不思議でないのです。

○お茶の楽しみ方

1、お抹茶の点て方

ここでは抹茶の点て方をお話しいたします。

<準備する品>
○抹茶(1缶40gで25人分です)
○茶濾し(抹茶用)
○茶筅(なるべく新しいもの)
○茶杓(スプーンでもOK)
○茶碗(抹茶用)
○布巾
○熱湯

<下準備>
○茶碗は高台にまで十分水をかけ、素地に水をしみこませておく。急に熱い湯を入れると割れることがあります。
○茶筅は使用する前に水につけておく
○抹茶は一人分、約1,5g(茶杓に一匙と半分)として茶濾しで濾しておく。抹茶の中に空気が入り、ふんわりとなります。

<点て方>
1、茶碗に少しの熱湯を入れ温めます
2、お湯を捨てて茶碗の内外を布巾で拭きます
3、乾いた茶碗中に抹茶を1匙半入れて、茶杓で少しならします
4、熱湯を50mll位(3口半で飲める量)入れて、茶筅で攪拌します
5、あまり泡をたてないようにします。泡の量は茶碗全体の3分の1くらいです
6、出来上がりました。干菓子などを召し上がりながら飲みます。

<後始末>
○抹茶は冷蔵庫で保管します
○使った茶杓は乾いた布や紙で拭きます。絶対濡れたもので拭かない
○茶筅は半乾き状態の時に「くせ直し」に立てて置きます。
○茶碗、茶筅は十分乾燥させてから保管します

<用具の価格>
○茶筅―2000円位
○茶杓―500円から
○茶濾しー2800円(ステンレス製)
○茶碗―1500円から

参考文献:富田勲「茶機能の多面性とその応用開発」

2、煎茶のおいしい淹れ方

少し冷ました80度くらいのお湯を注いで、1分から2分ほど待ちます。

<淹れ方(一人分)>

  1. 急須と湯のみは小さめのものを選びます

  2. 沸騰したお湯を湯のみに移し、さらに急須に移します。

  3. 急須のお湯を湯冷ましに移し、急須に茶葉を入れます。(茶葉は3~4g、ティースプーン軽く2杯)

  4. 湯冷ましのお湯を注ぎます。(湯量:約60~90cc 湯温:70~80度)

  5. お茶のおいしさがでるまでしばらく待ちます。抽出時間:90~120秒

  6. 最後の1滴までしっかり注ぎきってください。 2煎目からはやや熱めのお湯を使用し、早めに注いでください。


3、その他のお茶の淹れ方

 日本茶の種類ごとの淹れ方をみてみましょう。同じお茶であっても2煎目と3煎目とお湯の温度を変えると、また別の楽しみができます。
(1)、玉露や上級煎茶の淹れ方
 玉露や上級煎茶は旨み成分(テアニン)を豊富に含むため、渋みを抑えて旨みを出すよう低温でいれます(テアニンは50度程度で、カテキンは80度以上で溶け出しやすい性質があるため)。
 2煎目は1煎目よりやや高温の湯を使用すると、茶葉に残った旨みと高温で溶け出す適度な渋みが楽しめます。
 3煎目はポットの湯をそのまま使用し、さっぱりとした渋みを楽しむと、茶の持ち味すべてを楽しむことができます。

資料:京都府茶協同組合


(2)、玄米茶、ほうじ茶の淹れ方
 玄米茶やほうじ茶は、旨みや渋みが少ないため、高温で香ばしい香を引き出します。
高温で香立ちよく淹れましょう。

資料:京都府茶協同組合


(3)、深蒸し煎茶や粉茶の淹れ方
 茶葉が細かく、含有成分が溶け出しやすいため、抽出時間は煎茶より30秒くらい短めにします
(4)、新茶の淹れ方
 新茶はカテキン(渋み)やカフェイン(苦み)が少なく、逆にテアニン(旨み)が多いため、若葉ようなのさわやかな香りがします。これをうまく引き出して、新茶の味わいを楽しみましょう。
 カテキン・カフェインは80度以上で、テアニンは50度程度で抽出されます。また、香りの成分は高温になるほどフワっと揮発します。
こうした特徴をふまえて、例えば、さわやかな香りとほどよい渋みを楽しみたい場合には、やや熱めの湯でさっと抽出するとよいでしょう。逆に湯を70度くらいまで冷ま してからじっくりと抽出すると、旨みの多い味わいになります

○お茶のことわざ

お茶に関わることわざは数多くあります。代表的なものを挙げておきましょう。

ことわざ 意  味
目茶苦茶 道理にあわないこと
鬼も十八 番茶も出花 品質の劣る番茶も入れたてはおいしい。出花とはお湯を注いだ直後の香りのいいお茶のこと。
そんなに美人でない女性でも、年頃になればそれ相応に美しくなるという例え。
茶柱が立つと縁起がいい 朝入れたお茶に茶柱が立つと縁起がいいとされている。相場師や芸妓などに特に喜ばれた。
人に話さず黙っているとツキの効果が高まるらしい。
茶番劇 ばからしい底の見えた物事
日常茶飯事 茶飯事はお茶を飲んだり食事をすること。何の変哲もない当たり前のことを指す。
お茶をにごす 一時しのぎに、その場をごまかして繕うこと。
茶化す 冗談のようにしてしまうこと
茶々を入れる 邪魔をする、冷やかして妨げること。
茶腹も一時 お茶を飲むだけでも、しばしの間は空腹をしのぐことができる。
茶坊主 武家で茶道を司った者を指す。頭を剃っていたから茶坊主といわれていた。
権力者に媚び、その威厳を借りていばり散らす人を指す。
お茶目 子どもっぽい、こっけいないたずらの様

○後記

 お茶はまさしくスローフードそのものです。一服のお茶から様々な日本の文化や歴史が香り立ちます。さらにお茶には身体に良い成分が多く含まれており、日々嗜むことが健康に役に立ちます。
 そんなお茶ですが、残念ながらお茶を淹れるという作法も機会も薄すれ、ペットボトルのお茶が家庭にも入り込んでいます。もちろんそれはそれで生活を便利にします。多くの恩恵をもたらしました。
 しかしたまには急須で、ゆったりとお茶を淹れる時間を持つことも大切です。ペットボトルは喉の渇きを潤してくれますが、心の渇きまでは潤してくれません。やはり茶葉で淹れる1服のお茶でしか心が潤いません。お茶道とは本来、そのような精神的な存在であると考えます。是非、1服のお茶に潜む深遠な世界をお楽しみください。