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2008年01月01日 14:02

VOL 8

○ママたちの食育概論(その6)

 今回はだし(出汁、ダシ)に関するその歴史や由来、特徴に関する教養です。味覚の源泉となるだし文化を紐解くと、そこには日本民族のスローな食の在り様が見えてくるから興味深い。スローフードな食育を考える上での必須の教養項目となります。
2回(前編、後編)に分けて考えてみることにしましょう。

(3-10)、だし文化に関する教養(前編)

 日本の食育に欠かせないのがだし(ダシ、出し)の教養です。日本民族の英知と言われる、だしの旨味の根源とその分布について論じてみましょう。
結論からまず入っていきます。

1、かつお節だし文化は沖縄、鹿児島、土佐、名古屋、静岡、関東圏など、かつおの産地を中心に深く根付いています。西高東低です。
2、煮干し文化は北陸・中国・四国・北九州に根付いています。
3、昆布だし文化は、北前船の影響下、関西圏を中心に普及しています。
4、椎茸はだしをとるのが目的ではなく、食用として中華料理や精進料理を中心に普及しています。
5、あご(飛び魚)だし文化は、山陰、福岡、長崎、佐渡あたりで普及しています。

 以上が大雑把な日本列島のだし事情です。関西の昆布、東京のかつお、瀬戸内の煮干しと呼ばれる裏づけとなります。
 特にかつお節のだしは、昆布と並んで日本料理の原点ともいえます。料理人の世界では、個々の秘策として、公にされてこなかった歴史もあり、京・大阪の一流料亭ではかつお節は必ず店の主人が削るものとして、板前には削らせなかった時代もありました。。一子相伝を頑なに守り通している老舗もあります。
 さらに煮干しのだし文化も、日本では大きな進歩を遂げたもののひとつです。かつお節だしの有用性が広く知られだした江戸中期前後に、高価な鰹節の代用品として使われるようになりました。ただし、かつお節や昆布と違い、だしを取る目的だけに作られました。
 これらの日本のダシ文化の謎をとく鍵は、以下の分布図から推察できます。「昆布ロード」や「かつおロード」が日本列島をぐるりと取り囲んでいる背景がよく見えてきます。

 もちろんいずれのダシ文化も、わが国だけのものではありません。世界の料理には、旨味成分を含有した素材を煮出して、その汁を賞味するものが数多あります。
 代表的なものは、中華料理の湯(タン)、西洋料理のブイヨン・スープストックなどがあります。また、そのだし汁で他の素材を味付し、旨味を付与することにより、複合的なより美味しいものへの工夫が、様々になされています。そのへんを俯瞰しながら、日本のだし文化の歴史と地域の特性をみていくことにいたします。
 まずだしの歴史についてざっと触れておきましょう。

1、日本のだしの歴史
  <1-1>かつお節だし
 江戸時代以来培われた食習慣の影響が、現在まで受け継がれているのが、かつお節だし文化です。全国的に需要を見ると、西高東低となります。
 現在活躍しているかつお節企業としては、柳屋本店(静岡)、にんべん(東京)、ヤマキ(伊予市)、マルトモ(伊予市)、枕崎かつお公社(鹿児島)などが知られています。薩摩節、土佐節、焼津節、伊豆節、三陸節などと呼ばれ、現在でも多くの生産業者が活躍しています。いずれもかつおの産地に立地しています。
 このかつお節の需要が多いのは、当然ながらかつお節の産地の高知、鹿児島、静岡等などです。なかでも沖縄が、全国一番の消費地となっているのが注目されます。
 かつお節の由来は諸説あって定かでないが、江戸中期に現在の形になったと言われています。江戸時代から食文化の発達した大津、岐阜、京都、名古屋等も、古くからかつお節の需要が根付いています。
 しかし中国地方は西日本に位置しながら、需要が少ない。瀬戸内海は煮干、日本海側は北陸地方までアゴ(トビウオ)の産地であることが要因のようです。
 北陸地方のかつお節の需要も少ない。これは北海道からの北前船の昆布ロードの陸揚げ地で、昆布だし文化が発達しているのと、煮干しとアゴの需要が盛んな土地柄によります。新潟もこの影響を強く受けています。
 沖縄は全国一の消費地です。江戸の初期から外国船により長崎港や平戸港を発して南方もしくは中国(明・清)へ輸出されるかつお節の中継港であったのと、薩摩藩が領内産のかつお節の中国向け輸出基地としたことにより、沖縄の食文化に根付く要因となったと考えられます。

<1-2>煮干しだし
煮干とは、小魚を煮て干したものを指します。
 イワシをはじめ地方によってはアジやサバ等も用いられました。ただし一般に煮干というと「イワシの煮干し」を意味します。
 この煮干しの発祥地は、黒潮に乗ってイワシが押し寄せる九州や四国の沿岸地方といわれています。五島列島や紀伊水道が近世漁業の先進地となりました。このイワシと それを追いかけるクジラやカツオなどの魚群が豊富だったからです。
これらの地方では、無尽蔵に獲れるイワシの処分に困り、さまざまの利用法を考え出しました。その中で最大の産業に成功したのが干鰯(ホシカ)の製造です。江戸幕府成立以来、米作を基本とする重農政策が推進された結果、肥料価値の極めて高い干鰯が盛んに生産されることになります。今で言う魚粉肥料です。
 さらに江戸時代が進むにつれて、だしへの関心は高まってくるが、かつお節や昆布は高級品であって、一般の家庭では容易に入手できません。そのかつお節の代用品としてイリコが普及しはじめるようになりました。
江戸時代中期の享保以降になると、子イワシを捕獲して造るイリコは量産され、価格も安く、瞬く間にだしの一角を占めるようになります。これに大阪商人が目をつけて、豊後水道や瀬戸内海沿岸の漁民にイリコ製造の援助奨励を行い、これを集荷して西日本を中心に売りさばきました。こうして煮干文化が西へ拡大していったと記録されています。
 しかし肝心の大阪では、かつお節、昆布のだしを使うため、あまり普及せず北陸、中国、四国、北九州に商圏を広げていくことになります。煮干だし文化は、こうした歴史を重ねて現代に至っているのです。

<1-3> 昆布だし
 昆布だしの歴史は、北前船の歴史と重なることは周知の通りです。昆布が蝦夷地(北海道)より北前船で日本海を通り、北陸の敦賀・小浜に陸揚げされ、陸路を経由して琵琶湖の水運を利用して、京の都へ運ばれたのは江戸時代以前の室町時代からです。
 仏教信仰の歴史が最も古く、室町時代には精進料理が発達していた、京都を中心とする近畿地方はもちろんのこと、北前船の寄港する日本海沿岸の港町に、昆布の食習慣が根付いたのは当然です。ちなみに富山県が昆布の消費量日本一です。この昆布の運ばれた道を「昆布ロード」と呼んでいます。
 さらに海上交通が盛んになった江戸時代には、北前船は山陰沖、関門海峡、瀬戸内海を経由して、直接商業の中心地である「天下の台所」大阪まで運ばれようになります。大阪の船場がその集荷の拠点です。
 その後「昆布ロード」は、江戸、九州、沖縄、中国(清)へと伸びていきます。そして沖縄は、鹿児島と中国との貿易の中継地として、重要な役割を果たすことになります。
「昆布ロード」が伸びて新しい土地に昆布がもたらされると、そこにだし文化としてだけでなく、独自の昆布食文化生まれました。大阪では醤油で煮た佃煮ができました。名代の小倉昆布がその名残です。沖縄ではブタや野菜と炒めたり、煮こんだりして食べられるようになりました。
 一方、関東地方は「昆布ロード」の到達が遅かったため、全国的に見ても昆布の消費量が少ない地域となっています。このことからも「昆布ロード」が日本の食文化に大きな影響を与えていることが分かります。
この昆布は日本の沿岸では14属の45種が知られており、大部分が北海道や東北地方で、それより南では若布、アラメ、カジメなどが見られます。
 北海道の太平洋の親潮(寒流)沿岸では、長昆布、三石昆布、鬼昆布などが見られます。対馬暖流が北上する日本海沿岸や、オホーツク海沿岸では、羅臼昆布、細目昆布、利尻昆布、ちぢみ昆布が、また暖流と寒流が交錯する噴火湾から津軽海峡沿岸には、真昆布が生育しています。
昆布の日本国内の生産量は、年間3万トン前後です。青森、岩手、宮城で1,500トン(5%)の生産量で、残りは全て北海道で95%のシェアー占めています。

<1-4>その他のだし
 日本で発達しただしは、前述のかつ節、煮干し、昆布以外に、マグロ、ソウダガツオ、サバ、ムロアジ、ウルメイワシ等も節に加工されて、それぞれの地域で料理の用途に応じて使用されています。また、地域に根ざしたものでは、アゴ(トビウオ)、エビ、帆立貝、鮭や鰤の骨、かんぴょうなどがあります。 

<1-5>椎茸
椎茸のだし文化は、中華料理や精進料理と切っても切り離せません。この椎茸は日本を代表するキノコで、年間で生椎茸が7~8万トン、干し椎茸が1万トンほど生産されています。干し椎茸には冬茹(ドンコ)、香信(コウシン)、香茹(コウコ)、大葉などの干し椎茸の銘柄は、生育する環境と収穫の時期によって決まります。
栽培の始まりは、1600年代の九州豊後国(大分県)とも伊豆の天城ともいわれています。当時はクヌギの原木にナタ目を入れ、自然に胞子がつくのを待ちました。
 その後改良が加えられ、昭和時代になってシイタケ菌を純粋培養した種菌(種駒)が考案され、生産量が飛躍的に増大しました。生シイタケの主産地は、群馬、茨城、栃木、干しシイタケは、大分、宮城、岩手、静岡が著名です。
 生椎茸は天日干しを行い、天火に当てることにより、椎茸に含まれるエルゴステロールが、紫外線の作用によりビタミンD2に変化します。よく、椎茸は天日干しがよいといわれるが、その辺の効用によります。
収穫時期は、秋子(9~12月)、寒子(12~2月)、春子(2月~5月)、藤子藤の花の季節(5~6月)となります。年間収穫量の3割が秋子、7割が春子である。ただし近年は、中国産のものが大量に輸入されています。

<1-6>あごだし
 飛び魚の地方名が「あご」である。山陰、福岡、長崎、佐渡、能登などでそう呼ばれています。このだし用のあごは、長崎県生月、平戸島、五島有川湾沿岸、また壱岐、対馬、佐渡でも生産されています。
 クセがなく上品な味わいで、生産量も少ない高価なものです。九州地区では、お雑煮など正月料理には欠かせないものになっています。さらにあごだしは麺類のつゆをはじめ、和風料理やラーメン、中華料理の隠し味として、ひそかな人気を博しています。
 珍味としての「塩あご」(丸塩干し)は、塩漬けした後に乾燥してつくります。酒の肴として重宝される一品です。

この続編は次号に掲載いたします。

○豆腐づくりの食育体験レポート

ママたちの食育学会が豆腐作りの出前教室を行いました。新潟市立牡丹山小の3年生、156名を対象とする教室です。
学校側の狙いは

  1. 豆腐作りを通して、食文化や栄養面など「食」に対する興味・関心をもたせる
  2. 豆腐のつくり方や生産者の願いを理解する
  3. 豆腐の味わい方を学ぶ

講師は新潟の川上とうふの澁谷社長ご夫妻に依頼し、スローフードから3人のママたちがサポートにつきました。学校からは担任の先生とボランティアが参加しました。総勢9名のスタッフで進行です。

まずは澁谷講師のお話から教室は開始します。講師は手順を細切れに分けて話しかけ、児童の理解を促がします。
その手順は以下の通りです。
(1)、児童のグループ編成と時間差の教室設計
・第1回目(8:30~9:45)
  児童53名(8グループに分ける)+大人9名 
・第2回目(9:50~11:05)
  児童54名(8グループに分ける)+大人9名 
・第3回目(11:10~12:30)
  児童53名(8グループに分ける)+大人9名 
  =人数はグループで6名くらいが最適です=

(2)、当日の児童の持ち物
箸、エプロン、三角巾、マスク、筆記用具
(3)、豆腐づくりの手順
①、全員で手を洗います。
②、前夜から水に浸けておいた大豆を、ザルにいれて水をきります。
③、大豆2カップ(200g)と水2カップをミキサーにかける。粒々がなくなればOKです。家庭用のミキサーを使います。計2回ミキサーかけて、合計400gの大豆をひとグループの目処とします。

④、大きな鍋で水を沸かし(1000cc)、その中につぶした大豆(乳液)を入れてさらに煮ます(20分)。焦げないように注意します。
⑤、鍋から泡がこぼれないように、丁寧にかき混ぜながら煮ます。泡がこぼれそうになったら、炭酸カルシュウムを少し加え、かき混ぜると泡は消えます。15分位煮ます。
⑥、大きなボールにサラシ(1m×50cmのモノを二つ折りにして、淵を縫い合わせた布)をかぶせ、そのサラシの上に鍋の煮汁を入れて、濾します。
⑦、熱いからゴム手袋をはめて、サラシを丸めながら、おからを更に絞って煮汁を搾り出します。
⑧、ボールにたまったのが豆乳です。サラシに残ったのがおからです。この豆乳に小分けにされた苦汁(市販品、5ccくらい)をゆっくり混ぜながら攪拌します。すると塊が現れます。塊が弱ければ、苦汁を少々追加して調整します。

⑨、しばらくするとボールの豆乳は、塊と水に分かれてきます。10分くらい放置し、おたまで上澄みの水をすくって捨てます。
⑩、塊がボールに残り、これがおぼろ豆腐です。
⑪、お皿に取って味見をします。

以上が主な手順です。豆腐の完成までに要する時間は約60分です。
 一度経験しないとなかなか児童を指導できません。しかし2回目からの教室は段取りもよく、テキパキと進行できました。豆腐が完成したグループからは拍手が起こります。さっそく豆腐の味見に取り掛かります。
 さらに児童には豆腐の味がどのようであるかを、カードに記入してもらいます。実は、味わいを言葉に表すことが、極めて重要です。言葉で表現して初めて、豆腐の味覚は脳に記憶として刻み込まれます。この作業がないと単なる遊びに帰します。
 160名の児童が書きとめた味覚の表現は、以下の通りです。3年生とは思えない味覚表現がなされて、講師陣と先生は驚かされました。

<児童の味覚表現集>
豆腐に入れる苦汁は苦かったけど、最後はおいしい豆腐に変身した
 醤油を使った豆腐は中がとろけて美味しい
ふわふわして柔らかくて美味しい
 なめらかな味がして甘かった
とても甘くて豆のあじがした。醤油をかけたら味が変わった
 7杯もおかわりした。給食が食べられないほどおいしかった
ぼくはおぼろ豆腐と聞いて、ぼろぼろだと思ったが、本当においしかった
 スーパーで買う豆腐より何倍もおいしかった
プリプリした豆腐ができた
 すごく味があって、歯ごたえがあって、日本一
豆腐と醤油がこんなに美味しいの初めて知った
 雲の上で食べているように、ふわふわして美味しいかった
チームワークで美味しい豆腐ができました
 おいしくてぷにぷにしてた
豆の味がして、すこし臭かったが、甘かった

など改めて豆腐に向き合った児童の素直な言葉が印象的でした。
自分達で手づくりしたこの豆腐の味は、おそらく生涯彼らの味覚から消えないと思います。

 



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ママたちの食育学会宛
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