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2008年01月01日 13:59

VOL 7

○新潟のスローな和菓子づくりに生きて

(株)大阪屋 企画室長 
竹中慶久   



<はじめに>

 新潟と言えばお米、「こしひかり」や「こがねもち」が有名ですが、和菓子の代表、お餅は、日本で最も古い加工品といわれおり、なんと古墳時代からあったようです。
 米を粉にして食する文化はアジア中にもありますが、和菓子につかわれるこれほど多い米粉の種類を生み出したのは、日本だけではないでしょうか。米粉があってこそ、豊かな和菓子の世界です。
 その後、時代と共にさまざまなお菓子も伝来しますが、現在の和菓子が一般庶民に定着するのは、江戸時代、元禄の頃に入ってのこと。町民文化が栄え、京菓子と競い合うように季節の移ろいを楽しむ和菓子、その小さな形の中に季節を装う和菓子などが考案されていきます。
 こうして、日本人は美しい四季を感じ、豊かな感性を育み、生活にうるおいと楽しみを見出してまいりました。これは独自の文化として世界に誇れるものであり、この精神こそ日本人の真髄と言ってよいのかもしれません。和菓子には、日本人の心が見事に映し出されていきます。



<新潟の和菓子事情>

 さて“大阪屋”の屋号の由来は近江出身の初代が大阪に菓子修行した後、遠く離れた新潟の地で安政5年(1858年)に浪花堂大阪屋と号し開業したのが始まりです。
 2008年、おかげさまをもちまして大阪屋は創業150周年を迎えます。幕末後期の安政年間から明治、大正、昭和をそれぞれの時代の人々と共に生き続けて参りました。昔は、原材料が豊富ではなく、製造される品目も限られたものでありました。
 明治中期から大正にかけては「かすていら」等も作られ、よく売れたそうですが、主流は季節の和生菓子や羊羹、押もの(粉菓子)、そしてコンペイ糖や源氏豆など“かけもの”と呼ばれる類の菓子でありました。
 新潟は古くから「柳都」と称され、それは街の堀と柳の風情も理由の一つですが、「花柳界」という意味も含み持っています。栄華を誇った北前船の湊が生み出した伝統的な料亭文化は昭和初期には東京の新橋、京都の祇園、そして新潟の古町が三大花街と言われていました。
 そのため料亭からのお菓子の注文も多くあり、またお客様のお茶菓子用にする生菓子を箱に入れて背負って一軒一軒歩いて回ったのだといいます。その頃から毎年正月は2日から営業を開始。年始客に菓子が飛ぶように売れたといいます。
 大正期は、数量的に一番売れたのは、「安羊羹」と呼ばれる、1本5銭程の蒸し羊羹。口当たりが良くて、気軽に買える価格が評判、お菓子の本質は今も昔も変わりはありません。店頭に山と積んだ蒸し羊羹があっという間に売り切れたといいます。
 やがて昭和へ移り、大正期から続いたつかの間の平和な時代は急激に、その輝きも失っていきます。昭和4年の世界恐慌から始まり、さらには太平洋戦争へ突入。あたかも人々の顔から笑みが消えていくのと期を合わせるようにお菓子もその姿を消します。
 昭和17年、安政年間の創業以来、途絶えることなく燃え続けた窯の火は落とされました。こうして歴史を振りかえりますと、お菓子は平和な時代だけが生み出すことのできる愛らしい子供のような存在であり、平和の象徴です。消して混乱や戦乱の時代からは生まれ育つことはありません。最近では目を覆いたくなる事件が多発しています。
 その中で、最近、明るい話題は家族の絆や心豊かな暮らしの大切さを強く望む人達が急激に増えていると聞きます。



 さらには若い人たちに一つの潮流、日本の伝統的、情緒的な暮らしに憧れが強くなっているとも聞きます。その流れを考えますと“心”の時代の主役として和菓子がもっと見直されるのではないかと思っています。
 その理由として一つは「和菓子と人生」。人生には数多くの行事があります。喜びの日はお祝い悲しみの日には厳かな気持ちを表します。一生を通じての節目節目に和菓子があります。
 2つめは「和菓子と歳時記」。かつて日本人は月の満ち欠けを見つめながら暦に則した生活を送ってきました。節分、端午の節句、七夕、十五夜など、人々の暮らしの中にひと時のうるおいと余裕を与えてくれます。
 3つめに「菓銘の味わい」。和菓子には種類名とは別に菓銘があります。自然や風景、俳句、古典などさまざまなものから名づけられます。手前味噌ですが、当社には夏菓子で涼味「流れ梅」があります。
 涼しさを運ぶ、渓流の流れのような、くずきりに浮かぶ青梅のお菓子の姿はお客様より感銘のお便りを毎年たくさん頂戴しております。本当に作り手としてありがたく、うれしい限りですが、菓銘にそれぞれの想いを寄せてその和菓子に接するとき、美しい日本の風情を一緒に味わうことが出来ます。



<和菓子の心>

 さて、見かけ上の和菓子の素材と味わいは洋菓子に比較すると本当に質素です。しかし、一見簡素と見える味わいの中に、実は人間の五感を全て使って味わう、極めて奥深いものがあることに驚かされます。
 また、職人たちが、それぞれに素材、産地、技術に深くこだわり、同じ品種でも地域によって特徴をもつた多種多様な味わい。その点でも和菓子は大変面白く、作り手の数だけ、種類があるといっても過言ではありません。
 このすばらしい和菓子作りの中で、私たちが将来子供たちに残せる役割、責任は何でしょうか?将来、大人になったら何になりたいかのアンケートの中で時代が進んでも、子供たちの憧れの職として菓子屋が上位にあると聞きます。
 それはひとつの理由としてお菓子の形の中に家族みんなが大切にしまいこむ想い出があるからではないでしょうか。
 これからも移り行く季節の中に自らの生を実感する季節の語り部として、新潟の風土に根ざした豊かな暮らしの知恵袋として、さらには人と人が和み合い、思いやりながら暮らす家族の風景をもう一度取り戻すお手伝いなど、まだまだ私たちは和菓子を通じてやるべきことはたくさんあります。
 特に「人の和が、お菓子を生み育む」私たちはこのような本質をもつお菓子づくりを誇りとする喜びをいま一度かみしめたいと思います。
 そのためには和菓子づくりの技術伝承はもちろんのこと、美しい自然と和を尊ぶ優しさ、美しいものを美しいと感じ取ることの出来る素直な心、そして人の心に対して鋭敏な心を持ち続けることの大切さも次の作り手に伝えていきたいと思います。
 そして和菓子を通じて、たくさんのお客様から本当に心から喜んで頂くこと、楽しんで頂くこと、そんな思いをいつまでも持ち続ける「作り手の豊かな心」が和菓子作りの原点です。