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2007年11月01日 12:43

VOL 6

1 食卓にせまる危機(4)

 食卓にせまる危機のレポートは10章シリーズの予定だったが、変更して緊急のテーマを追加することにしたい。
その追加テーマは以下の2点である。
  1-11、バイオ燃料が引き起こす食卓の危機
  1-12、水資源の知られざる危機
 人類が生存するために必要な3要素は「エネルギー」「食料」「水」であるが、日本はこの3つのどれにも恵まれていない。しかもこの課題に対して、スローフード運動は全くの無力と言える。
 しかし教養としての危機感だけは、常に持ち続けることは必要であり、この瓦版を借りて取り上げておきたい。  

1-11、バイオ燃料が引き起こす食卓の危機

 人類は今、地球温暖化の原因とされるCO2問題と経済活動の発展という、二者選択に迫られている。京都議定書の批准が急をつげているのだ。
 そんな中で企業が飛びついたのが、トウモロコシを醗酵処理して作るエタノール燃料である。植物は生育する過程で、光合成によって二酸化炭素(CO2)を吸収しているため、燃やしても元のCO2を放出するだけで、負荷は相殺されるという免罪符的な考え方が底流にあるからだ。
 しかも石油の原料高のあおりを受けている世界で、最大の二酸化炭素放出国のアメリカ資本が、雪崩をうつごとくこの分野に参入しようとしているから、看過できない事態になっている。
 アメリカは2017年までに、エタノールなどの再生可能燃料を、年間350億ガロンに増やし、ガソリン消費量を2割削減するという法案までも検討しているという。まさに国家の存続をかけた危機管理体制である。
 その影響がトウモロコシ価格にすでに現れ、輸入国の日本のマヨネーズや飼料の高騰を招いている。しかもこのまま空前のバイオエタブームが続くと、開発途上国で飢えに苦しむ8億人の民に食が回らなくなるのだ。車が人の食料を食うのである。  

 さらにトウモロコシを作れば、大豆畑は減り、大豆の備蓄は危険水域になる。油や豆腐、納豆、味噌、醤油なども大豆不足になり、90%以上をアメリカからの輸入に頼っている日本の飽食は、一挙に崩壊をむかえことになる。
 一方、トウモロコシの耕地を確保するために、グリーン地帯の森林の伐採も進み、環境を守ることが環境を壊すという悪循環も想定されている。アマゾンなども資本の手で、バッサバッサと耕地に切り拓かれるのだ。
 当初我らは、植物性燃料(エタノール)などは、環境への負荷がないと歓迎していたが、それは「楽観的な薄学」であったようだ。しかも無限に存在する枯葉や枯れ木、廃材など、食糧にならないバイオマスを醗酵して作られるバイオ燃料ならば、人類の英知として歓迎できるスローなエネルギーだと、胸襟を開いていた。
 しかし食資源を転化させるとなると、コトの深刻さに躊躇する。喜んでばかりはいられない。ちなみにバイオ燃料の使用原料の国際比較は次のようになっている。


資料:農林水産政策研究所
青文字はバイオディーゼル、赤はエタノール


  主原料はとうもろこしとサトウキビである。当然遺伝子組み換え(GM)の大豆、とうもろこし、菜種が燃料生産原料として、幅を利かせる事態も考えられる。こうなるとGMだの非GMなどとその趨勢を論じることすら、薄ら寒い状況になってくる。
 では世界に食を依存する日本は、この課題にどう取り組めばいいのだろうか。たとえば次のような政策も視野に入れるべきだ。
 それは日本国内の「耕作放棄地」を活用した、飼料やエタノール燃料用の穀物や多収米栽培構想である。放棄地は38万平方メートル(耕地面積の8%)ともいわれ、深刻な農業離脱が起こっている。
 この課題を一挙に解決する秘策となる可能性がある。もちろん様々な問題は山積している。「田んぼでガソリンを作るなんぞ、罰当たりめ!」と、老農にどやされるかもしれない。

 しかし近い将来には現実味が帯びてくるはずである。日本の技術ならば造作もなく実現できる。この設計図は、すでに多くの有識者によって提言されている。まんざら非現実的とは言えない。むしろ日本の「食糧&エネルギー安保」として、議論すべきだと思う。
 そういえば戦前には、木炭バスや木炭汽車が走っていたのを思い出す。バイオ燃料の先輩たちである。しかしこうまでエネルギー文化が進化すると、もはや限られた地球の資源をゼロサム思考で分配するしかない。
 まさかトウモロコシが、ガソリンスタンドで売られるとは、人類は予測さえしていなかった事態である。しかもトウモロコシからバーボンが作られる時代ではないのである。スローフーダーとしては、この事態はしっかりと受け止めておきたいと思う。  

1-12、水資源の知られざる危機

 水と空気はタダだと我ら日本人は思い込んでいる。蛇口をあければ水はふんだんに出てくるものと疑わない。しかし中越沖地震による断水を経験すると、水がいかに貴重で、命に直結しているかを改めて実感させられることになる。
 しかもその水は、食料と同じく世界中で奪い合っている、大切な資源であることを知る機会ともなる。「日本には水だけは豊富にある」と、呑気に構えていたことを悔いるしかないのだ。
 実際、日本においては、水はあり余っているようにさえ思えたのだが、じつはそうではない。その辺の我らが知らない現実について、考えてみたい。
 実は、日本の水資源には我々が感知しないカラクリがある。東大の沖大幹教授によれば、次のようなカラクリである。  


  • 食料の輸入で日本はその分だけ、水を使わないで済んでいる。農作物や家畜を生産するには水が要るからだ。この推定した水がヴァーチャル・ウオーター(仮想水)と呼ばれるものである。
  • 仮に食料を輸入せずに、日本で100%生産するとしたら、どれだけの感慨用水が必要になるのか。その総量は年間1230億トンくらいになる。
  • しかし日本国内で使われる灌漑用水は、自給率40%の生産で年間590億トンであり、残りは輸入の仮想水の年間640億トンで賄われている。水があり余っている訳ではない。
  • ヴァーチャル・ウオーター(仮想水)の概念は、ロンドンの大学のアラン教授の理論である。

 実際は、日本は大量の農作物を輸入することにより、大量のヴァーチャル・ウオーターを輸入していることになるのだ。なんと日本人1人あたり、毎日1460リットル輸入している勘定になる。この事実を我らは知る由もない。日本は隠れた水輸入大国なのである。
 それでもまだピーンと来ない人が多いはずだ。水がいかに大切な資源であるかを説明するために、具体的な数字をあげておこう。
作物を1kg生産するのに必要な仮想水は以下の通りである。

 その他、牛丼1杯は1,890リットル、ハンバーガー1個は1,050リットルの水が使われて、食卓にあがる。牛丼一杯に、1,890リットルの水が必要などと聞けば誰もがビックリする。だれも知らないのだ。これがヴァーチャル・ウオーターのカラクリなのである。
 しかもその仮想水の389億トンは、アメリカから輸入していることになる。アメリカが日本の水道の蛇口を握っていると、考えてもおかしくない現状があるのだ。
 また水不足とは「飲む水」と連想しがちだが、実は「食料を作るための水に困っている」のである。飲む水ならばそれほど多くを必要としない。農業用水は大々的に作らなければ、国の根幹がゆらぐことになり、水の争奪戦が今後熾烈を極めることになる。  

 もう少し地球の水資源について考えてみよう。水の惑星地球には、およそ14億立方キロメートルの水が存在する。その内訳は以下の通りである。

  1. 地球上の水資源は約14億立方キロメートル 
  2. 総水量の97.5%は海水で、淡水はわずか2.5% 
  3. この淡水(2、5%)の内、河川や湖沼など人間が使いやすい淡水の量は、わずか0.01% 
  4. この0.01%の70%が農作物や家畜を育てるために利用されている。工業用水に20%、生活用水が10%となる。 
  5. 生活用水に使われる水は、なんと地球の水資源の0.001%にすぎない。 
  6. ほとんどの淡水は食べ物を得るために使われている。 

我らの生活や生命は、水の惑星のほんの一滴の雫によって成り立っていることになる。これがガイアとしての水資源である。このような話を子ども達にすると、皆、関心を示して水に興味を持ってくれる。
 次はこの水資源を寡占しようとするグローバル企業について触れておこう。世界中の良質な地下水の水源を買い漁っている飲料企業である。
以下の3大グループがその正体である。  

①、ネスレ社(スイス)―ペリエ社(フランス)
②、コカ・コーラ社(米国)-ダノン社(フランス)
③、ペプシ社(米国)

 しかしこれらの企業と地元住民などの対立が激化しているとも聞く。日本でも同じトラブルを抱えている。富士山系、アルプス山系などでの利権をめぐってのトラブルなどが紙面をにぎわしている。
 水源地には水神様が住むと信じる我らにとって、それをビジネスに利用すること自体に、違和感を感じるのかもしれない。水生態系の寡占は、企業活動に馴染まない、というのが大方の住民の気持ちである。

 さらにあまり知られていないが、水道事業の寡占化もすすんでいる。世界の水道ビジネスを支配しているのは、わずか3社である。  

①、スエズ(フランス)
②、ヴェオリア・エンバイロメント(フランス)
③、テムズ・ウォーター・ユーティリティーズ(英国)

 彼らは「水男爵」と呼ばれ、世界市場の70%を牛耳っている。「水道事業の民営化」という巧妙なやりかたで、世界の5大陸に進出を果たしている。しかしファストなやり方が地域住民との間でトラブルを起しているとも聞く。
 ただし日本の識者は、ライフラインの根幹である水道事業は、民間に任せるべきではない、と断言する。その通りであろう。
 日本全国の水の使用量は、年間約839億トンである。このうち農業用水が65%、生活用水が20%、工業用水として15%使われている。
 いずれにしても水資源に関わる見えざる諸問題に対して、スローフード運動は無力である。新潟にも天然の湧き水が豊富にあるが、これを水資源の危機にまで結びつけ、守ろうとする発想は、まだ残念ながらない。
 さて、この章の結論として、一言付け加えておきたい。
それは決して水資源だけの危機ではないということである。やはり「水」と「食糧」と「エネルギー」は、三位一体で考えるべきだ。資源のトライアングルとでも呼んでおこう。
 この3つの何れかが欠けても、世界の持続的な発展はありえない。しかもこの3つの資源の総和は、地球の再生能力以上の量には、絶対増えないのである。
 さて難しい話はこれでペンをおこう。そして地球の一滴の雫に生かされていることに感謝しながら、故郷の冷たい井戸水を飲みに帰省しよう。
次号の瓦版は「食のゆくえ」について、シリーズで考えていくことにしたい。  


2 スローでウオッチング(6)

  1. 茶葉でお茶を淹れることが少なくなった日本。しかし緑茶の需要は増えている。
    その原因はペットボトルの飲用である。家庭にもペットボトルが入り込み、需要を増やしている。大手飲料メーカーは、こぞって宇治茶の老舗と提携したペットボトルを店頭に並べる。スローフードのファスト化である。しかもその提携した老舗の業績は、見かけ上は好調である。
    ならば中小の茶葉店はどうすればいいのか。愚直にお茶の淹れ方や飲み方をアピールしながら、ファストなペットボトルと棲み分けするしかない、とはある老舗の社長の言である。
    そういえば沼垂にある茶舗は、毎朝、店先でお茶を淹れながら町民と会話している。店の前を通るとお茶の良い香りが鼻をつき、スローな時間が漂っている。
    茶葉でお茶を淹れる場面は、もはやサザエさんの居間でしか出てこない。されど1日、1回は急須でお茶を淹れるスローな時間を持ちたいものだ。

  2.  「食育」に続く言葉が出てきた。サントリーの「水育」や居酒屋の「酒育」などである。「○○育」と、育をつければ何とかもっともらしいキーワードになるから、要注意だ。 世の中まさに「育、育、育・・・」の育のオンパレードである。しかし一体、何を育てたいのかが分からない。

  3.  「最後の晩餐には何が食べたいですか?」と、ママ達の食育学会で質問をした。その答えが以下である。 

  4.   ①梅干や鮭のおむすび(7)
      ②ご飯とみそ汁(6)
      ③炊きたてのご飯(6)
      ④松坂牛のステーキやすき焼き(2)
      ④お寿司(2)

  5. 新潟のママ達は、死に際までご飯が好きのようだ。これで最後の食事だと言われても、シンプルなご飯を選ぶ。うれしいような、切ないようなそんな人間像が見えてきた。家庭の母の味が染み付いているからだろうか。ナットク定食。
  6. 米農家の悲鳴がきこえる。07年産の新米の相場が低迷しているからだ。 ざっと米を取り巻く環境を列挙すると、次のようになる
  • 魚沼産のコシヒカリー3,980円/5kg、都内スーパー価格(▼13%)、 普通のブランド米は5~10%下落
  • 米の平均販売価格―2,400円/5kg、36円/お茶碗一杯分(75g)
  • 新潟産コシヒカリの落札価格―16,772kg/60kg(全国平均は14,000円台)
  • 61,5kg/国民一人当たり、年間食べる量(40年前の半分)、毎年10万トンずつ減少している
  • 07年度は23万トンの余剰米が出る
  • 過剰な作付け面積は7,2万ヘクタール、04年度の約3倍に増加
  • 農家の作付け経費―約156,000円/10a、600kg収穫換算 
  • 農家の生産額事情―米価が15,000円/60kg以上でないと赤字になる
  • JAの農家からの集荷率―約40%
  • 低価格米の台頭―北海道、千葉、茨城、埼玉産の米が首都圏に攻勢をかけている

 いわば「消費者の米離れ」と「米の過剰生産」という、相反する悪魔のサイクルに陥っているのだ。しかもFTAという自由価格協定による米が、いずれは国内に流入してくる。8,000億円規模とも言われている。
 こうなると集落営農組織を立ち上げたファーム群は「こんなはずじゃなかった」と、悲鳴をあげるしかない。減収続きが農政不信につながる可能瀬も指摘されている。
 さらに品質を上げてきた低価格米が流通し始めて、コシヒカリ王国の新潟が揺らぎ始めているのは、まぎれもない時代の流れ。
 収穫を終えた静かな越後平野を見渡しながら、コメ民族の喜怒哀楽を感じさせられる今日この頃である。