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2007年09月01日 08:50

VOL 4

1 食卓にせまる危機(2)

1-4、ポジティブリスト制の功罪

 2006年5月29日、食品業界をゆるがす「残留農薬等に関する新しい制度」通称「ポジティブリスト制」が導入された。この法律は「使用・残留を認める農薬」をリストに記載し、それ以外は原則禁止または0,01ppm以下とするものである。違反すれば全品回収という指導が待っている。
 この制度の概要は以下の通り


従来
ネガティブリスト

○農薬は原則規制なし
○規制する農薬をリスト化

*無登録農薬などリストに記載のない農薬は規制できなかった
新ルール
ポジティブリスト

○農薬は原則禁止
○使用・残留を認める農薬をリスト化
*無登録農薬などリストに記載のない農薬は一律規制可能

この制度は輸入野菜の残留農薬問題やBSEを背景に、導入が急がれたと言われている。
 しかし中小零細企業の多い農家や食品業界は情報も少なく、大半は大慌てで、対策が不十分のまま施行された。
 なかでも「ドリフト」と呼ばれる被害対策は農家の悩みの種だ。ドリフトとは隣接する農地から農薬が飛んできて付着してしまう事態をさす。狭い日本の耕作地では防ぎようがなく、たとえドリフト源を見つけても罰則規定なしだから、損害賠償請求しか手がないのが実情だ。

 さらに生産量の少ない作物(たとえば山葵、長岡野菜など)では、メーカーが農薬を申請しないこともあり、種の多様性に支障が生じることも懸念される。検査体制も十分に設けられておらず、生産者の手惑いは予想以上に多いようだ。
 残留農薬が厳しくチェックされて、より安全な農産物や加工食品が担保されるとばかりには喜んでいられない。さらに無条件に農薬を否定し過ぎて、高温多湿の日本の風土での生産が、はたして上手くいくのかと言った懸念もある。
 しかし粗悪な農産物の摘発が、よりシビアになることだけは確かなことであり、評価されるべき制度である。

<考察>
 農薬すべてが悪だという偏見はやめよう。「水清ければ 魚棲まず」という喩があるが、「農薬=悪」という図式だけを教条的に押し付けるべきではない。
 人間が薬を使うように、農産物にもその権利を与えよう。もちろん程度問題であることを忘れてはいけないが。
 生産者も消費者も、「関心の対象は農薬一辺倒」から卒業する時期がきているという認識は、もはや現実的な対応なのだ。

1-5、遺伝子組替え作物は恐ろしい

 スローフードは遺伝子組替え(GM)を否定している。かなり強烈に反対している。グリーンピースなどの環境保護団体も同じである。種の多様性を脅かし、一部のF1(1代種のこと)企業の独占を危惧し、既存の作物との交雑や混入、さらには安全性や環境への影響に対する懸念もあるからだ。
 しかし実情は、遺伝子組替え栽培は21カ国で行われ、さらに認める国や地域が続々と現れている。長年、流通を実質禁止していた欧州も2005年に解禁した。フランスでは遺伝子組替えトウモロコシの作付け面積が、前年から約10倍に増加した。
 現時点では世界主要国で流通が認められているのは、医学的、科学的な安全性が証明されているからだ。もちろん「30年後、50年後に影響があるかも・・・」と反対する勢力はあるが、効率的な食資源確保の名目で、その反対の声はかき消されている。
 しかし最近、GM技術の限界が次々と明らかにされ、物議を醸し出している。GM作物は、害虫予防と除草剤耐性のふたつしか特性が発現できず、既存作物への汚染が懸念されだしたからだ。フランケンフーズ(人造作物)は、もはや時代遅れの技術だとさえ言われ始めている。
 このGMに代ってにわかに科学者の注目を浴びているのが、MSAという農業技術だ。くわしくは分からないが、ゲノミックスと呼ばれる最先端技術で伝統的な育種がスピーディにできる技術のようだ。いわば自然に近い形での同種間での、交配による品種改良をスピーディにできる技術なのだ。新種開発に要する時間も半分に短縮される。
 しかもこの技術は、世界規模での情報の共有化によって、一部の企業の種子に関する支配権を許さない。GMに反対してきたグリーンピースなども徐々にMSA支持に転換していると聞く。

 話をGM作物に戻そう。このGM作物の栽培は、生物の多様性を確保するためのカルタヘナ法などで規制され、野外栽培できるのは稲、トウモロコシ、大豆、カーネーションなど91品種となっている。
 さらに食品衛生法や飼料安全法による審査をクリアーした品種なら、民間企業や農家は法的には自由に作付けできるが、国内ではまだ商業栽培の例はない。
 しかし法では担保されていても、GMを規制する自治体による条例やガイドラインが強化される動きが盛んだ。しかもかなり厳しい。自治体が規制に乗り出す背景には、食の安全への関心の高まりとともに、地域の「ブランド作物」を守る狙いがあるからだ。
 新潟のコシヒカリ、北海度の小粒納豆大豆など、「産地指定」を受けるブランドにとって、GM作物というイメージは死活問題になるのだ。まさに地域エゴまる出しのにらみ合いが続く。
 ここで我らが冷静に見通さなければことが2点でてくる。

その1、地域エゴを優先した「作りたくない」権利を是とするべきか
その2、食料安保を踏まえた「作りたい、作らねばならない」権利を認めるべきか

の2点である。
 このうち「作りたくない、作らせてはならない」派の論拠や事情はすでに露出しており、改めて説明するに及ばない。問題はGM栽培を「作りたい、作らねばならない」と希望する人々の声やその背景である。研究・開発者は、ビジネスのためにだけに作る権利を主張しているとは思えないからだ。その背景には時代のニーズや食資源の確保という、大きな命題が横たわるからだ。
 日本の食資源は、なにも日本だけが上得意先として、世界から特別扱いされるわけではない。世界に飢饉が起これば、たちまち食料は底をつく。そんな備えとして、GM作物を支持する人々が存在するのも、現実論としてありえるのではないか。
 非GM作物だけで、世界の食資源と対抗できることなど不可能といえるからだ。感情論だけで反対と叫んでも、何の進歩も未来もない。各国の食料安保は、日本よりかなり真剣で現実的ある背景が見て取れる。
 さらに我が日本でも、「遺伝子組替え作物不使用」と表示する食べ物が幅を利かせているが、かなり情緒的なイメージであり実情が伝わっていない。実は国内でも家畜用の飼料や食用油では、ほとんどに遺伝子組替え作物が使われているのが現実だ。
 納豆や豆腐の大豆にも5%ほどの混入は認められており、我らは知らずに口にしているのだ。これを「不使用表示のまやかしだ」と文句を言っても詮無いことだ。しかも遺伝子組替え作物のほうが、「環境にやさしい」という見方が定着している。こうした事実を、日本人も冷静に受け止める時期がかならずやってくるはずだ。

新潟では稲の遺伝子組替えの、田圃での植付け実験が行われて、かなりの反対派が抗議する報道を目にする。それを複雑な気持ちで見ている多くの人々がいる。
ただ一番怖いのは、公表もなく秘密裏に事を運ばれて、事態が進行することだ。その点で反対や議論するのも結構なのだと思う。人類は科学という知恵のGM技術やMAS技術を、自然という摂理と折り合いながら、融合させながら、未来に進化するしかないのだ。

<考察>
遺伝子組替えは悪だという心理的な反発は、食の保守性を考えれば当然であり、それを否定する何ものもない。
 しかし多面的に捉えると、GM作物もMAS作物も優れものである。ヒステリックにただただ反対だと、叫んでもコトの本質に触れることはできない。
 新品種が人工的であろうと交配を重ねた偶発的であろうと、遺伝子的な変化を起こし、誕生するという点では同じであるから、遺伝子組替えだけを悪呼ばわりするには冷静さに欠ける。
 さらに似非科学情報を垂れ流すGM反対学者や勢力の情報にも、注意を向けねばならない。
 ただGMやMAS技術が機能性や耐病性に優れ、人類を救う英知として幅を利かせるようになっても、種の多様性を守る「種の箱舟」だけは、人類の責務において守り続けることは絶対に必要である。
 スローフードは「種の銀行」としての具体的な機能をさらに強化して、種を絶滅から守るその一義を掲げて運動してもらいたいと念願する。

1-6、有機野菜の本当の目的は

身体にもよく味も美味しい。生産者の名前と顔写真を掲載して、安心をアピールしているものも少なくない。そんなイメージが有機野菜には漠然とある。そうなると少々高くても買ってみようかとなる。
しかし有機野菜を本当に理解している消費者は、実際のところ少ないのが現状だ。事実、有機野菜は青果全体の流通量のうち、0,2%以下しか占めていない。その理由は大きく分けて3点ある。

  1. 有機JAS認証制度が厳しく、認定費用が5~6万円かかること
  2. 手間とコストがかさむ割には、適正価格で売れない。農家のメリットがない。
  3. 農薬も嫌い。虫も嫌い。一方的に安全とおいしさと安さを求める消費者の無知無理解が流通の壁となる。

いわば有機野菜は“きわもの“というイメージが強く感じられて、積極的に生産を広げ、取引を広げるには、二の足を踏むのが現実のようだ。商売にならないのが現実の姿なのである。
生協サイドもその生い立ちから、有機野菜の取り扱いには力を入れているが、会員の人気度は低いと嘆いている。「農薬は減らせというくせに、青虫が付いていたという苦情の電話は頻繁にかかってくる」という。農薬を使用しなければ虫も生き長らえる。「虫も寄らない野菜は安全じゃないのに」と口を揃えるが消費者には届かない。

 有機野菜が本格的な量で流通するには、この消費者の無理解の壁をのり越えねばならないから厄介だ。さらに日本の気候は野菜の栽培には不利だ。高温多湿の日本で農薬をまったく使わない有機野菜栽培はリスクが高すぎる。
 特に除草作業の困難さは、高齢化している農家の人々には重くのしかかっている。1度草取りを体験すれば、その辛さがずしんと身体に染み渡る。除草剤はそれを軽減してくれる唯一の農薬なのだ。それを使うなとはとても言えない。
 これらを俯瞰すれば、有機、ユウキと目くじら立てることが、いかにナンセンスであるかが分かるはずだ。完全な有機野菜は天皇家の御用牧場でしか、日本では見られないのである。

<考察>
 そもそも日本では、有機野菜は農薬野菜のアンチテーゼとして注目されてきた。特に安全作物の目安とし関心を引いてきた。しかも反権力の象徴とも目されてきた。加藤登紀子さんのご主人の藤本さん(故人)がその代表と言われる。
 しかし欧米では環境に配慮し、持続型の農業を実現するためのものとの認識が強い。いわば自然生態系の安全のための有機野菜なのである。この辺の認識の違いに、我ら日本は気付くべきだろうと思う。
 有機野菜が割り高なのは、環境税込みだからという姿勢が生産者や流通、消費者にも理解されて初めて、有機野菜はその価値を発揮する。
 ただ安さだけを購買尺度にする我ら大衆にとって、はたして環境税なる対価を理解してもらえるかどうか。難しい壁が立ちはだかっている。

1-7、根強い国内産信仰への懐疑

 中国の野菜から残留農薬が検出され、米国産牛肉のBSE問題で、国内産信仰が頂点に達した感がある。日本の消費者には「国内産信仰」が根付いているからだ。
 そしてそれみたことか、とメディアも競合企業も外国産の不安を煽り立てて批判を繰り返す。こうなると事態を収拾するのは至難の技となる。こと牛肉に関して言えば、では果たして「全頭検査している国産牛肉は安全で、輸入牛肉は危険なのか」という疑問が出てくる。
 国内産牛肉の安全神話は「さばく牛の数が少ないから、丁寧にやっているはず」という、性善説にのっとったもので、感覚的な判断である。この色眼鏡をかけたものの見方は、きわめて安易であるはずだが、業界も生産者もそのことに触れようともしない。まして我らも然りである。
 もちろんずさんな管理体制の輸入牛肉を擁護するつもりはさらさらないが、国内産なら100%安全が保障されると言った安易な考え方は、この際戒める必要があるのではないか。
 なぜなら日本の食糧自給率は40%を切り、海外の食資源に頼るしか生きる術がないからである。それを踏まえれば、外国産をバッシングして拍手喝采していることが、いかにズレているかがわかる。
 国内産を守りたい勢力の気持ちも分かるが、要は食料安保を大局的に考えるならば、立場の違いも超えて、飛躍的に品質管理がすすんだ中国野菜の活用も、我らの食卓には不可欠になることを考慮しなければならないのだ。

 アメリカ産牛肉を問題にしている間に、米国では内需が拡大して、もはや日本に輸出する必要性がない状況が生まれていると聞く。さらに中国、インドの爆食も迫る。資源貧国ニッポンの課題は、国内産信仰だけではどうにもならないことだけは、たしかなようだ。

<考察>
 地産地消運動はスローフードの目指すところと重なる部分が多い。身土不二なる教えも地域産信仰を基盤にした考え方だ。自産自賛なる100%が見通せる農産物ならば、大いに信仰してしかるべきである。故郷の農産物を疑う人はまずはいない。
 しかしそれらの信仰は生産地では可能だが、土地を離れた都会の人々には無縁のものだ。せめてパソコンの中で、生産履歴をみる程度でしか農産物を理解できない。
 それらの人々が頼るのは、メディアや企業の情緒的なイメージ情報だけである。そこに国内産100%安全神話が生まれる背景がある。むしろそう捉えることしかできない不安があると見たほうが良いだろう。
 また食料自給率は国内産ばかり増やすことを考えても、それは片手落ちであろう。輸入食資源とのバランスも考えた施策を取らないと、自給率全体の議論にはならない。
 その場合、国内産だけが信頼できるという妄想だけは捨て去るべきだ。外国との共存を視野に入れた農業施策こそが、実は日本のとるべき食糧安保の道だと多くの専門家が指摘している。
 地域では風土に根ざした多様な農作物を作り、それを支援する行政が存在することが大切だ。決して量的に外国産に勝とうとしないことだ。「負けない競争力」をつけるという視点が農政には必要となる。
 他方、国外にも日本の農地を確保する「グローバルな競争力」の施策も視野に入れるべきだと考えていいのではないか。日本の環境や農業技術を世界に向けて有効活用する時代が来ているのである。

2 スローでウオッチング(4)

  1. 商品の値上げには2種類ある。内容量を固定して売価をあげるのと、売価を固定して、内容量を減量する方法だ。
     最近のスナック菓子は軒並み、後者の減量作戦で価格を据え置いている。カルビー、湖池屋、明治製菓など減量高の余波をうけての作戦である。
     その減量高の原因が、バイオエタノール需要によるトウモロコシの国際価格急騰である。限りある地球の資源の奪い合いが、異業種間で勃発しているのだ。今後「水、エネルギー、食料」の争奪戦は熾烈をきわめることになる。しかも直近の話である。
  2. 街角で豪華な腕時計をした男達を見かけるようになった。しかも30万円から50万円もする、大きくて厚い「ぜんまい式の腕時計」だ。
     まるで俺は他の男とは違うんだ、と言わんばかりにわざとらしい顔をしている。自己主張という形なのであろうか。ここまでの行動は理解できる。
     そんな男が吉野家の牛丼を食べ、ハンバーガー店でコーヒーを飲んでいるのだから、男の品格というものが薄っぺらにみえてくる。ぜんまい時計に似合うのは、スローフードだという教養がないのだろうか。
  3. 新潟で一番気に入っていた店が、07年8月11日を最後に閉店した。大丸という割烹居酒屋だ。魚料理とだし巻きが抜群に美味い店だが、閉店は店主の遺言だという。
     スローフードの会合を、何度も開催した場所だけに残念でたまらない。この10年間で、およそ300人ほどの人に紹介して、皆さんから感謝されたことが脳裏をよぎる。
     お別れをかねて訪れてみた。しかし店は予約で埋まり、時間制限の繁盛ぶりである。閉店を惜しむ人々が多く押しかけている。しかも主を亡くした悲しみは、微塵も感じられない盛況ぶりにびっくり。
     惜しまれながら閉店する女将さんたちの悲しみを思いながら、最後の好物の焼き魚をいただいた。「スローフード・にいがた」は、たまり場をなくしてしまった。
  4. 庭に植えるとしたら、どんな花木がいいだろうか。そんな問を受けた。
    で即座に答えた。桜、沙羅(夏椿)、木槿の3つである。朝に咲いて夕べには散る、いずれも刹那な花ばかり。一朝の夢、邯鄲の夢など「儚いたとえ」が気になる今日この頃です。