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スローフード・にいがたコラム特集 スローフード・にいがたは新潟の自然、食文化を守るそのプロモートを目指しています。スローフード・にいがたは、次のの3点をプロモートする協会(代理店)の名前です・ 消えてゆく恐れのある伝統的な食材や料理、質の良い食品、酒を守る・ 質の良い素材を提供する小生産者を守る・ 子ども達を含め、消費者に味の教育をすすめる。メッセージ:新潟の豊かな自然と食文化をひたすら守り、とことん楽しみ、そして活気ある、そんな、なつかしき未来をつくろう!

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スローフード瓦版 VOL 25 (10/01/31)
1 スローフード巷談(5)
VOL 25

1 スローフード巷談(5)

●農家との連帯による地域起こしに挑戦する異色企業

 新潟の長岡に、海草や蒟蒻を加工販売する異色の企業がある。株式会社猪貝(社長 猪貝克浩氏)である。関越道の長岡ICから5分ほどの工業団地に位置する小さな企業だ。年商4億円ほどで、主に「もずく」「えご」そして「蒟蒻」の製造販売を行っている。
 この企業を「スローフード・にいがた」のメンバー20人が訪れた。蒟蒻芋掘りと蒟蒻づくりを体験するためである。
 とくに当社が地元の農家と共同で、新潟産の蒟蒻芋の栽培を始めたことへの関心が、強かったこともあるからだ。
 極めて地味な食材である蒟蒻の栽培から加工、販売までを地元の関与者とリンクし、いずれは新潟ブランドとしての地域起こしの一助と考える挑戦に魅かれた。
 企業と農家との連携プレーはなにも珍しきことではないが、小さな企業が独自の色をだすために、地元の資源を新たに作り出そうとする意図は、一体なんだったのだろうか。そしてこれからどのような未来図を描いているのか。その構想を理解するために猪貝氏を改めて訪問することにした。11月も下旬のことである。

 当社が長岡の丘陵地帯に蒟蒻栽培を委託したのは、長年の夢であった。原料の芋はすべて群馬県のグループから購入しており、年間約30トンになる。芋の相場は6000円/30kgを基準に取引される。芋のサイズは400gから1kgであり、出荷までに3年の栽培期間がかかる。いわば手のかかる野菜なのである。
 ちなみに日本における蒟蒻芋の生産量は、約7万トンである。芋の生産金額は約150億円。群馬県が85%のシェアーを誇っている。芋の品種は赤城大玉と言われる品質改良された優れものである。本来日本の各地には在来種も存在するが、作り手が減り、今は細々と自家用に栽培されている程度だ。
 輸入は中国を中心に約3万トンと言われている。しかし不明のルートがあり正確な数字は分からないようだ。
 また蒟蒻製品の小売ベースでの市場規模は、約700億円くらいと協会は見ている。全国の蒟蒻製造業者は約1000社で、新潟には27社が存在する。蒟蒻を食べる民族は日本人くらいだと言われている。これには苦笑せざるえない。
 以上が基礎知識である。さて当社が芋の栽培を始めた、そのいきさつから紹介しよう。
 ことの発端は小千谷の知り合いから、蒟蒻芋を買ってくれないかという話しから始まった。零細農家が細々と自給のために栽培していた芋である。
 しかし本格的な連帯には至らず、やがて津南の生産者と出会うことになる。(有)大地の風巻さんである。原料を目の届くところで調達したいという、当社の経営方針と風巻さんらは方向が一致し、本格的な栽培に着手することにした。
 そのためには群馬の生産者から栽培方法や畝のつくり方、種芋の保存のやり方などを学ぶために、群馬県下仁田町を訪れ学んだ。群馬の人は親切に教えてくれたと言う。
 そして暗中模索の中で長岡丘陵の地(約5アール)に、群馬から譲りうけた赤城大玉の種芋を植えた。2名の農家が全量買取という条件で、契約栽培に着手したのだ。今年は2反ほどの栽培がなされ、約1トン収穫する見込みだ。
 スローフードの20名が訪れた畑には、ゴロゴロとした美味そうな芋が成っていた。農家の人に説明を聞きながら鍬を入れて掘り出してみた。親芋には子芋が連なっている。この小芋を一冬越させて、来年の6月頃畑に下ろすのである。当社と連携しながら栽培を模索する農人は、心なしか輝いて見えた。地域の活性化の役に立つかもしれないという自負心と、期待があるからだろう。

 収穫された芋は皮をむかれ、手づくり蒟蒻と材料として全量加工され、スーパー、生協などのクライアントに出荷される。値段はやや高いが、その美味しさと新潟産という安心感で売れ行きは好調である。
猪貝社長に今後の夢を問うてみた。
 新潟県の農林振興課でも県内の休耕田活用を目指して、蒟蒻栽培の普及を指導している。産官学が動き出している。このことを視野に置いて、次のような構想を描いている。

1、このような風向きの中、まずは新潟産の芋の自給生産100%を目指す。そのためには栽培農家を増やすことと、農家が再生産できる経済モデルを至急に作り上げること。 2、蒟蒻畑のオーナー制をやりたい。消費者にマイファームを持ってもらい、栽培から加工、調理までを一貫して楽しんでもらえるような仕組みをつくりたい。 3、五泉の里芋のようなブランド蒟蒻を構築し、いずれは全国に販路を広げる。 4、新潟特有の在来種を作り出し、守っていきたい。 5、年に一度は収穫祭をやり、生産者と加工業者、消費者が楽しめる場や機会をつくっていきたい。 6、子どもの食育(農育)活動の役に立っていきたい。 7、最後の蒟蒻の惣菜など、3次加工品が供給できる会社に成長したい。いわば蒟蒻屋の6次産業化である。

 以上が猪貝社長の描く未来である。氏の口から、5年後の売上を×××億円にしたいという数字は聞けなかったが、熱気あふれる社風がすばらしい。
 値段ばかりに目がいく基礎食材の蒟蒻だが、地元産にこだわり、愚直なまでに手づくりの味を追い求める当社の姿勢には、「たかが蒟蒻、されど蒟蒻」という深い眼差しが輝いている気がする。
 地域起こしには様々な形や処方箋がある。しかし蒟蒻という地味なテーマで起業を目指すモデルは、全国の過疎対策の良きお手本となる可能性がある。一隅に光りをともす、という教えがあるが、当社がこれからどのような軌跡をたどっていくか、スローフードの仲間として注視していきたいと思う。

●モクズ蟹の川漁師をたずねて

 新潟の阿賀野川で、モクズ蟹の漁をしている皆川栄一さん(65歳)を訪れた。晩秋の雨降る日である。皆川さんは大工の本業の傍ら川漁師を趣味でやっている。
 モクズ蟹は汽水域(海水と真水が混ざる河口付近)で卵を産み、稚ガニが川の上流にのぼり大きく成長する。北海道から沖縄までの日本全土に分布する。
 そして大きくなった成体は、9月頃から晩秋にかけて産卵のために川を下る。この頃が旬となり、美味しくなる。それを皆川さんは、阿賀野川地域で漁を続ける仲間の2人と、篭漁というやり方で舟を出す。蟹漁の漁師はもう3人しか残っていないという。俺達の世代でもう終わりだな、と心配そうな憂いを漂わす。
 蟹漁はひと篭で5~7杯かかればいいと、夕方に篭を仕掛けて朝方に引き揚げる。7篭を仕掛けるのがやっとである。捕獲量は皆川さん1人で、年間3000杯ほどだ。仲間と合わせて5000杯を捕獲し、主に家庭消費に回す。蟹を売りにだすことは今までない。まったく商売気がないと笑う。

 食べ方は塩を効かせた水で茹でて、蟹味噌や卵を食べるのが最高である。さっそく30杯ほどを分けていただき、近くの咲花の温泉宿で試食会を開いた。実にうまい。他の料理には見向きもしないで、全員がかぶりつく。
 モクズ蟹は海のタラバ蟹などと異なり、繊細な味わいが特徴で、食べる人は皆無口になってしまう。上海ガニと同じ種類だから、文句なしの絶品だ。ちなみに上海ガ二は中華街で食べると、1杯5000円くらいの値がつく。それくらいに付加価値が高い。
 最後に蟹の養殖の可能性について皆川さんと意見交換した。「孵化→稚ガニ→カニ牧場での中間飼育→放流と捕獲」の一貫とした循環システムで、資源の確保と保護が出来ないかどうか。乱獲の心配があるからだ。阿賀漁協では鮭やサクラマスの放流をやっており、モクズ蟹もその可能性があるはずだ。
 すでに岩手県の川崎村ではこの取り組みに成功して、「川と共に生きる村」とした新しい村づくりを進めているから、いずれ訪問して教えを乞いたいと思う。そんな未来への取り組みを語りあうことになった。もちろんまだ絵に描いた餅の段階である。

 その第一歩として、まずは「スローフード・にいがた」がモクズ蟹を楽しむことから、地域起こしを模索することにする。世間の目をカニに向かせるためである。
 2010年10月に、30名ほどの会員がこのカニを食べるために咲花温泉に集い、皆川さんの話を聞こうと思う。
 その予約をして、皆川さんの家を後にした。1年先の予約とは、まこと気の早いスローフード運動である。地域には地元民の気付かないお宝が眠っている。そんな訪問記となった。

2 食あれば句あり

<5-1>蛸しゃぶに雪がふる

                *
○あおぞらへあおうみの蛸干しかかげ  渡辺白泉
○蛸をもむ力は夫に見せまじき     八木三日女
○トロ箱をなほも大蛸遁走す      木偶の坊
        *

 新潟は隠れた蛸の産地である。山北や村上、内野、日和海岸、糸魚川などの浜には冬の到来とともにかなりの蛸が水揚げされる。飯蛸と水蛸が多い。
 内野の新川漁港では12月から3月くらいまで、水蛸漁が盛んである。獲れた蛸は大釜で茹でられ、凧のように竹で広げて風に当てて干す。こうすることにより旨みが増すという。蛸が凧になって風に晒されるわけである。   
 国道沿いの軒先にたくさんの蛸がつるされる光景は、まさに内野地区の風物詩となる。ちなみに蛸は夏の季語に分類されている。一番美味い時期が夏だからだ。だから夏の蛸しゃぶが一番美味いということなる。しかし蛸しゃぶの需要の多い冬の水揚げが最高になるという。
 さて蛸の美味しい食べかたについて語ろう。それには浜の漁師に教えを乞うにかぎる。漁師の教えは以下の通りである。

○釣った蛸をすぐその場で食べるなら、まず海水で洗い蛸のぬめりを取り、ぶつ切りにしポン酢に出来れば、大根おろしかもみじおろしで食べる。 ○辛味が好きなら、トウガラシか柚子こしょうを少しいれるとうまい。 ○海草、わかめが現地にあれば、それもぶつ切りで入れると、なおおいしくなる。 ○帰ってから早めに食べるなら、ぽんしゃぶをおすすめする。 蛸を塩でかるくもみ洗いし薄くスライスする。 ○鍋にお湯を沸かし、塩を少し(水2L位で小さじ2杯入れ)、ポン酢に大根おろし、もみじおろしを入れる。この味付けして沸かしたお湯でしゃぶしゃぶする。蛸の表面が少し白くなるくらいがおいしい。さっと鍋をくぐらせて、柔らかいのを食べるのがコツ。 ○またタレ(ポン酢のもみじおろし入り)は別に用意して、しゃぶしゃぶした蛸に付けてたべるやり方もある。 ○蛸は薄切りが難しいから、一旦凍らして、そのまま包丁を入れればかなり薄く切れる。

 漁師のおすすめはやはり蛸しゃぶである。新鮮な内に食べろという。そういえば初めて食べた蛸しゃぶを思い出す。北海道の北の果て、稚内のお店である。
 注文するとお皿一杯に広げた紙のように薄い蛸が出てきた。昆布でダシを採った鍋の湯を潜らせて、蛸しゃぶを食わせてくれた。タレはポン酢で薬味はモミジおろしと葱だった。
 お湯に薄切りの蛸を浸すとみるみる内に、身は縮まってしまったことを思い出す。あわてて口に入れると、何とも言えない淡白な食感が口中に広がる。おお、これがかの有名な宗谷の蛸しゃぶか・・・と感激もひとしおであつた。

 あれからもう数年が過ぎた。そして今、新潟の蛸しゃぶを勉強しようとしている。
まず蛸に関する基礎知識を整理しておこう。
 日本のタコ漁は蛸の習性を利用したやり方が多い。特に知られているのは、狭い岩の隙間に潜り込む習性を利用した蛸壺、蛸箱漁業である。タコ漁業独特のものである。空の蛸壺が浜辺に積まれている光景は、一部の地域では漁村景観の一つともなっている。
 また餌をつけない針金で引っ掛ける「から釣り漁法」もそのひとつである。イイダコは白色を好む傾向が強く、ラッキョウ等の白色の物体に釣り針をつけ、それに抱きつくイイダコを釣る変形のルアー釣りも有名である。
蛸の水揚げ量は2002年度においては以下の順になっている。
   第1位 - 松川浦漁港(福島県相馬市)
   第2位 - 宗谷漁港(北海道稚内市宗谷岬)
   第3位 - 落石漁港(北海道根室市落石)
   第4位 - 八戸漁港(青森県八戸市)
   第5位 - 庶野漁港(北海道幌泉郡えりも町庶野)
 我が新潟のデーターは手許にないので不明だが、そこそこあると見ている。瀬戸内の明石の蛸も全国的に名を馳せている。関西では蛸といえば明石である。たこ焼きの発祥の地だけあって、蛸によせる思いは熱い。
 また卵の管理が難しい等の理由で、日本での商業用の養殖はいまだ成功していない(2009年1月19日時点)。いずれの日か、海洋牧場で蛸が餌を取る日もくるだろう。

蛸の食べ方についてまとめておこう。蛸料理は実にシンプルである。

1、蛸の刺身
2、蛸のてんぷら
3、蛸の唐揚げ
4、蛸の煮付け
5、蛸のサラダ
6、蛸ごはん
7、蛸のスパゲッティ
8、蛸せんべい
9、おでん
10、たこ焼き

などがポピュラーな食べ方である。韓国では踊り食いなるものがあるようだが、定かでない。
 また蛸の消費量は日本が60%ほどを占めて、ダントツの1位である。弥生時代から食べられてきたというから、さもあらん。ただし西欧諸国などは悪魔の魚として忌避しているようだ。
 さて古くから日本人に親しまれてきた蛸を、この冬、スローフードの仲間と浜茶屋に訪ねようと思う。荒海を見ながら、漁師の蛸談義をきく。そしてぷりぷりの蛸のしゃぶしゃぶをいただく。楽しみである。

蛸しゃぶを食えば眼に雪がふる

<5-2>湯豆腐しませんか!

        *
○湯豆腐のまだ煮えてこぬはなしかな  久保田万太郎
○湯豆腐が煮ゆ角々が揺れ動き     山口誓子
○湯豆腐に向かひあひたる無口かな   食いしん坊
        *

 湯豆腐ときけばすぐ思い出す句がある。久保田万太郎の「湯豆腐や命のはてのうすあかり」である。愛妻を亡くしたその後の人生の淋しさを詠んだ句である。
 その他湯豆腐に関わる名句は数多いが、やはり万太郎がダントツだ。今回はその湯豆腐について考えてみよう。
 何も思い浮かばない時は、「湯豆腐にでもする!」と言えば、大方の男どもは嬉しい顔をつくる。湯豆腐には男達を惹きつける何かが宿っている。
 この湯豆腐の発祥の地は諸説あるが、一般的には京都と言われている。では何故京都に湯豆腐が発達したのだろうか。その答えは3択のクイズになりそうだ。
   〈その1〉京都で発展したのは、丹波の豆に恵まれたから。
   〈その2〉京の深々とくる、かの「底冷え」の「底」に

         鍋を置いて身体を温めたのが湯豆腐の始まりである。
   〈その3〉僧侶が寒さ凌ぎに思いついた、精進料理の流れを汲む。
しかしいろいろな説があり、正解は不明だ。
 となれば「そんなことどうでもいいじゃないかぁ!湯豆腐さえ食えればそれで良い!」と半ば焼け気味に、湯豆腐屋に正座することにする。しかも湯豆腐とならば南禅寺界隈か嵐山嵯峨野あたりがその本場となる。すぐに「きょ~と~、南禅寺~、嵯峨のとうふ~う~」と血が騒ぐ。いや失礼、湯気が騒ぐ。まさに湯豆腐は冬の京都の風物詩ともいえる。
 今回は南禅寺の「順正」さんを訪れることにした。石畳の玄関を入り庭の見える座敷に席を構える。庭の池には紅葉が盛りを迎えて真っ赤に映えている。

中庭の紅葉も見せて湯豆腐屋

 暫くすると「おこしやす!」と着物姿のおねーさんが、風呂桶状の器に豆腐を泳がせた湯豆腐の一式セットを運んでくれる。手馴れた対応である。酒は伏見の温燗である。

 これがかの有名な、写真でしか見たことのない「南禅寺の湯豆腐か」と、生のタレントに出会ったような感激の瞬間である。しげしげと眺めながら美味しい食べ方の簡単な説明を聞く。説明を終えたおねえさんは「おおきに」と言いながら奥に引っ込む。
 その食べ方には次のような掟があるという。

1、弱火でとろりとろり、決して煮立ててはならない 2、豆腐がぷるりぷるりと身体を揺すると、さあ食べ頃です 3、味付けはシンプルで良しとする 4、鰹節や葱などを薬味にして生醤油でいただく 5、寒いからといって、慌てて、豆腐の固まりを口に放り込まない 6、あの熱さはとても耐えられない。火傷するから注意。 7、時折、湯気に向こうの相方に目をやる余裕が大切です 8、酒は温めの純米酒がいい

 うむ、なるほど。湯豆腐といえど侮れる。老舗だからそのおねえさんの説明には気品すら感じられる。
 そういえばNHK番組の「ためしてガッテン」が湯豆腐の美味しさを科学的に分析していたことを思い出す。ガッテン流の美味しい食べ方は次の通りだと記憶している。

1、塩を一つまみ、もしくは刻んだ大根を入れると豆腐にスが入らず、やわらかく仕上がる。 2、京都のある湯どうふ専門店では、沸騰させずに豆腐が「クラッ」とした瞬間ができあがり。別の専門店では、沸騰させ、入れた豆腐が上に上がってきた瞬間ができあがりだった。作り方はまったく違うのに、できあがった豆腐の温度をサーモグラフィーで測定してみると、そっくり。 3、豆腐の柔らかさには「プルプル感(弾力)」と「フワッと感(歯ごたえ)」がある。2本の曲線をグラフにしたとき、両方が一番よい状態になるのが豆腐が70℃のとき。また、人の味覚は豆腐の温度が体温近くのときに一番甘みを感じるという特徴がある。 4、湯どうふの達人たちは、外側はプルプルフワッと(70℃前後)、中が大豆の甘みたっぷり(50℃前後)という極上の湯どうふを作っていたというわけ。 5、ガッテン流湯どうふの作り方(豆腐2丁分)
  1、土鍋で1.5リットルの湯をしっかり沸騰させる。
  2、まず火を消す。
  3、6等分に切った豆腐2丁分を入れる。
  4、フタをして5分で完成!
  5、丁分の場合は、小さめの土鍋に
     1リットルのお湯で同じく5分。

 先のおねえさんの口上とほぼ同じである。豆腐の素材そのものを生かす外側70度、内側50度が湯豆腐を最高に楽しむコツなのである。たかが湯豆腐と言えどなかなか奥が深い。
 また湯豆腐にはそれを楽しむ環境設定も大切だ。何時、何処で、誰と、など「場の美味しさ」を演出する気遣いが必要だ。立ち食いで食べるわけにもいかない。いわゆる大人的湯豆腐の楽しみ方が大切だ。
 そんな目を持って周りを眺めると、様々な人間模様が見えてくる。やや怪しい関係の2人ずれ、接待ぽいビジネスマンの4人組、句会を終えた数人組、杖を横に置いた老の2人連れ、会話のない夫婦連れ、別れ話の2人連れなど、なぜか日陰の食べ物にたむろしている感じがする。しかも湯豆腐には人間関係を大人にする魔力が宿っている。
 ステーキを食べるようなギラギラ感はなく、むしろ「そっとしておいてくれ」という大人の静寂が漂っているのが、湯豆腐屋の特徴である。しかも一人客はほとんどいない。2人以上4人くらいが変な目つきで見られない安心の数といえるだろうか。

湯豆腐や別れ話にとまる箸

 それにしても南禅寺の湯豆腐は値が高い。たかが湯豆腐で数千円は取られる。場所代、老舗代、いわばブランド代として捉えれば文句も言えないが、やはり湯豆腐は、大切な人やご家庭で楽しむに限る。千円もあれば、豆腐腹になるくらい満腹な幸せ感に浸れる。
 しかも最近の豆腐はカラフルになってきた。白、黒、緑、黄、鼠色など豆の色を生かした豆腐が作られるようになった。
 ならばシアワセの7色湯豆腐も楽しむことができるだろう。暗がりの日陰のご馳走から日向のご馳走へとイメージチェンジできる。ママ、今日は7色にしてね、と子どもが所望するようになれば、スローな家族団らんもクツクツと煮えてくるはずである。
 湯豆腐には聖俗合わせた人生模様が詰まっている。単純で奥が深い、湯豆腐の禅の世界を楽しもう。

<5-3>シアワセのお好み焼き

       *
○父作るお好み焼の具の多し        西口和代
○お好み焼鉄板真中にまずひろげ      吉野みゆき
○裏返すお好み焼のうらおもて       食いしん坊
       *

「お好み焼」は、実は由緒正しき春の季語である。たこ焼き、焼き鳥、鯛焼きなども季語として登録されている。「なんだぁ~お好み焼か!」と、軽くあしらえるほど軽い食べものではない。今回はこの粉食文化の中心とも言うべきお好み焼きについて語ろう。
 まずお好み焼きの基礎知識である。

○日本の3大お好み圏

名称 特徴 主なソース
広島風お好み焼き 現在の広島風お好み焼きと同じく「のせ焼き」だった。当初は、肉が入っていない野菜の重ね焼きで、二つ折りにして新聞紙にくるんで提供されていた。
キャベツや揚げ玉などが入れられていたが、そばは入れられていなかった。このクレープのような生地に二つ折りにして挟むというスタイルは現在でも残っており、円盤状のものに比べて場所をとらないため、焼きそばと卵焼きを挟んだものが売られている。モダン焼きとよばれご飯のおかずとして重宝される。
具材はキャベツ(大量に)、もやし、カツオの粉(魚粉)、豚肉(バラ肉等の脂が多目の部位のスライス、)、やきそば(ほとんどが中華そば)、うどん、鶏卵(目玉焼きより薄めに伸ばして載せる)
野菜が多いのが特徴である。
広島風はヘラで食べる。
オタフクソース
関西風お好み焼き 小麦粉の生地に刻んだキャベツと具材を混ぜて、温めた鉄板上で焼くものである。また、生地の中に山芋を混ぜ込み食感を軽くする工夫が行われることも多い。
具材はキャベツ、ジャガイモ、とろろ芋、大根、ピクルス、豚肉、牛肉、イカ、ホタテ、カキ、海老、ネギ、天かす(揚げ玉)、紅しょうがなど。
マヨネーズをかけて食べることも多い。
関西風は、小型のコテ(ヘラ)で直接食べるのが大多数であるが、箸で食べるという人もいる。
イカリソース(大阪)
オリバーソース(神戸)
名古屋風お好み焼き 名古屋市のお好み焼きと関西風お好み焼きの違いは、肉などの具を一緒に生地に混ぜてから焼く点にあり、後から載せる関西式とは違っている。
名古屋市の調味料メーカー、カゴメのお好み焼きソースが使われる比率が高い。
同じく名古屋市の調味料メーカー、コーミからは家庭用のお好み焼きソースとして赤だしみそ入りの『コクうまお好みソース』が発売されている。
カゴメソース
コーミソース

 東京圏にはもんじゃ焼きなどがあるが、お好み焼き屋の多くは、広島や関西風の流れを組むものである。
また現在では、外来のピザやクレープ等あるいは創作料理の流行の影響を受け、チーズやイチゴ、チョコレート他の具材をトッピングとして載せるなど、若年層の好みに応じて一風変わったお好み焼きを出す店も増えている。
さてここで我が内なる開催風お好み焼きの風景を回顧しておこう。かつて(昭和30年代ころまで)関西では、町内に一軒位の割合でお好み焼き屋があった。それだけ庶民に親しまれる日常の食べ物であったといえる。夫婦で自家営業する形態が一般的だが、夫に先立たれたり、水商売を引退した女性などがひとりで経営する店も多く見られた。
1m x 2m程度の鉄板台のスペースを、焼き手である経営者の側に向かい、4〜5人の客が椅子で囲むという形式で、最低2坪もあれば簡便な営業が行えたからである。ちなみに、物価水準が現在(21世紀初頭)の1/10位であった昭和30年頃には、キャベツを主な具材とする野菜焼きが15〜20円、それに若干の肉を加えたもの(肉てん)が20〜30円という価格帯であった。
店では基本的な肉・野菜焼きをベースにソバ焼きあるいはモダン焼き、そして季節の魚介類をも加え、文字通り客の「お好み」に応じて鉄板の上で焼き、ビールや酒類のつまみとしても供した。

 ときには家庭で余った米飯を持ち込み、適宜な具材を指定して焼き飯として持ち帰る、などという注文にも応じる「お好み焼き屋」は、鉄板一枚を中心とした近隣のコミュニケーションの場でもあった。子どもが小遣いの硬貨を握りしめ、ソースの焼けた香りのする店に行くのもちょっとした楽しみであった。実に美味かった。
 その後、食生活が多様化するに従い、このような内職的な店は廃れ、繁華街を中心にして専業化した店が他の食種とも味を競うようになった。また、高級化してステーキや魚介類を中心とした鉄板焼き店に業態を変えた店も多い。京都の木屋町や先斗町にも多くのお好み焼き屋が出来たのもこの頃である。
 関西風お好み焼き屋の業態として、オーダーごとに生の具材と生地を客に提供し、客が自分で調理し焼き上げる半セルフサービスの店が多い。店側としては食材を用意するだけで良く省力化ともなるので、チェーン店などでこの方法をとる店も多く、関東一円でもこの形式の店は顕著に見られる。
 ホットプレートなどの普及で、お好み焼きが家庭でも広く一般化し、高度な調理技術を要求されないこともあり、店側の焼き方にとらわれず自由に焼き具合や調味加減ができる面白さも手伝って、カップルや学生、団体客などの需要に受けている。
 お好み焼きを副食として米飯と一緒に食べる習慣が関西にある。実際、関西のお好み焼き屋には米飯を用意する店も多く、「お好み焼き定食」などとしてごはんまたはおにぎりをセットで出す店もあり一般的である。
 関西出身の芸能人の「お好み焼きはおかず」との発言などで全国に知られるようになった。しかし、「おかず」として扱う習慣のない他の地方からは奇異に見えるという。
 近年、関東でも関西風お好み焼き店が増えており、その客も関西出身に限らず関東や日本各地の出身者も多い。
 しかしその食べ方は、関西とそれ以外の出身の人たちでは大きく異なる。関西ではお好み焼きはコテでさいの目状に切って箸を使わずに食べるが、関東をはじめとする日本各地の出身の人たちは、ピザと同じようにお好み焼きの中心から放射状に切って食べることが多い。以上が基礎知識である。
 さて今回は京都の先斗町界隈で、人気のお好み焼屋を探検することにする。先斗町(ポントチョウ)といえば、やはり時雨がさっと来て、二人連れが肩を寄り添って雨宿りする風景が似会う。淡雪でも良いのだが、やはり時雨の時期が似会う。その時雨で冷えた身体を温めるために、格子戸のお好み焼屋に駆け込むのが、先斗町の風情なのだ。

お好み焼格子戸あける二人かな

 暖簾をくぐるとまずほのかな障子明かりの部屋に、和服姿のおねえさんが案内してくれる。「今日は冷えますねェ~」と、お二人さんを見やりる。メニューには、京風お好み焼「肉入り」「豚肉入り」「イカ入り」「五目入り」などがあり、どれも950円/1人前と手頃な値段だ。京風というところがうれしい。何が京風なのだか分らないが、まあままいいか。
 とりあえずビールを頼み、おねえさんがビールを持ってくる間に、「君は何にする?ボクは肉の大盛りにするよ!」などと呼吸を合わせる。すでに鉄板を挟んでのドラマに、2人ともテンションが上がっている。
 注文すると、柄の付いたアルミ食器に、てんこ盛の具材を入れた材料がくる。それをまずテーブルに置き、おもむろにスプーンで混ぜ合わせ始める。これが結構むつかしい儀式なのである。
 テーブルに「上手な焼き方」の説明が、イラスト入りで書かれているが、「ええい、これくらいは自分流でやらないでどうする!」などと、あくまでも自分流にこだわることにする。
 鉄板の向こうの彼女も、必死にこねこねしている。大方はまず彼が先行して、油を伸ばした鉄板の左半分に、こねこねした材料を載せ広げる。そして彼女の分も、馴れない手つきで右半分上に載せてあげる。これで初々しい共同作業がスタートしたわけだ。そして顔を見合わせて二ッコリしたりする。

お好み焼囲む二人の頬赤き

 表裏が焼き上がるまでおよそ7~8分かかる。途中の大鏝で裏返す大技の晴れ舞台は、もちろん彼の出番だ。「ヨイしょッ!」等と、声なき声を発して裏焼き返しに挑戦するわけである。

 その彼の諸行を彼女はしっかり見届けている。彼の将来の「頼もし度」を推し計っているのである。ですから失敗してグチャグチャになっても、決してめげてはいけない。それは次に生かされる貴重な経験だからだ。ボクには明日があると思うべきなのだ。
 焼き上がれば、好みのソースを刷毛でペタペタと塗り、花かつをや青海苔、紅生姜などを好みに振りかけて、小さな鏝で切り分けて食べる。熱々ですから、息でフウフウしていただくのが、お好み焼に対する礼儀だ。相手の顔をちらちら見ながら食べると、余計に美味しく。
 しかしこんなお好み焼屋での会話に「実は・・・・」等と言う、暗い内容は似合わない。あくまでもポジティブな将来の夢を語るのが似合うのが基本だ。
 「お好み焼の一枚ぐらいでプロポーズを受けてもいいの」という、女流歌人の短歌があったような気がするが(ないか)。ビールを入れて3000円ほどで、心も身体もポカポカに温まり、また時雨の小道に飛び出す二人づれである。

お好み焼明日の色に焼きあがる

 最近はシニアの二人連れが多いという。若かりし頃の忘れ物をさがしに来ているのだろうか。分かる気がしますよね!お好み焼には初々しい明日があった。お好み焼には、ボクらの将来の団欒が見る気がした。
 その先斗町の店を最近訪ねたが、もう居酒屋に変身していた。何か大切なものを無くした気がしている。

<5-4>ささなみの諸子揚げ

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○火にのせて草のにひす初諸子     森澄雄
○湖荒れて諸子小さき船の宿      高島千鶴子
○もてなさばせめて堅田の焼諸子    食いしん坊
        *

 諸子(モロコ)という魚をご存知だろうか。コイ目コイ科の体の細長い小魚の総称だが、地方によって本諸子・田諸子・出目諸子など異なった魚を諸子という。
 元来は小魚全般をさした。有名なのは関西、特に琵琶湖に多く産する体長14㎝ほどの本諸子である。柳の葉に似ているので柳諸子ともいう。生息する琵琶湖では「ジモロコ」とも呼ばれている。
 なかでも本諸子は、琵琶湖に生息する固有の魚だったが、その味のおいしさから各地で養殖されるようになった。 コイ科の中でも最もおいしいとされている。新潟でも村おこしの事業として、この養殖が行われている。
 本諸子とよく似ているのが田諸子である。比較すると、本諸子のほうがやや細長く、口元が上向きにとがっているから見分けがつく。 動物性プランクトンや水中の昆虫などを主に捕食しており、3月から7月に繁殖し草の根や水草に産卵するため岸近くに寄ってくる。
赤虫を餌にすればモロコ釣りが楽しめる。

 この諸子は琵琶湖に比良颪が吹く頃になると、脂も乗り実に美味しくなる。コイ科の淡水魚で、生意気にも口鬚を生やしている。春の産卵期になると、堅田や湖東の穴村の浅瀬、田圃の細い溝までのぼってくる。これを初諸子と言う。
 それを狙っての一本釣りが、琵琶湖の春の風物詩となる。釣り餌は赤虫だ。指先を真っ赤に染めて釣り針に刺し、細い釣竿をたくみに操り、芽を出しつつある葦の間や茂みで諸子を狙う。
 諸子のウキの当たりは真っ直ぐに垂直に引く。それに比して小鮒の当たりは横に引っ張り流れる。この微妙な当たりを目安にするのが、諸子釣りの醍醐味である。また舟の諸子釣りも人気がある。予約しておくと3人ぐらいを乗せてポイントに案内してくれる。
 しかし、ひねもす釣り糸を垂れても、そんなに多くは釣れない。10匹も釣れれば満足すべき釣果だ。ポケット瓶の酒を舐めながら、琵琶湖を渡りくる風に春の息吹を感じつつ、小さな当たりの初諸子釣りを、のんびり楽しむのが通の嗜みとされている。

対岸は比良青々と初諸子

 の釣りは一度やると、必ず毎年行きたくなるから不思議だ。琵琶湖の大器に抱かれながら、初諸子との遊びに戯れるのだから、この上もなく贅沢な時間となる。
 釣れた初諸子は、早速、天ぷらや唐揚げにして酒のつまみにする。卵をぎっしり抱えた実に旨い初諸子だから、滋賀の人たちは網焼きにして食べるのが旨いと言う。網目からこぼれ落ちないようにして、炭火で焼くのを楽しむのだ。
 また琵琶湖周辺では本諸子の佃煮が有名である。若鮎の佃煮よりも美味で、特に本諸子のお茶漬けは病みつきになる。その本諸子は、葦の芽が緑に変わる頃、また琵琶湖の深瀬に帰っていく。
「我は湖の子、さすらいの、旅にしあれば・・・・」の琵琶湖周航の歌を思い出しながら、ワンカップと諸子の唐揚げや酢漬けをいただければ、もう至福の至りである。
 その諸子が最近は、ブラックバスに食われて激減していると聞く。ここにも生態系の哀しい破壊現象が起こっているのだ。さざなみの諸子揚げはもう幻のメニューなのかも知れない。

 また旅人には滋賀の浜大津の料亭を尋ねるといいだろう。諸子料理を食わせてくれるお店もかなり存在する。メニューは天ぷら、唐揚げ、寿司、佃煮など琵琶湖を眺めながらのフルコースが堪能できる。女将さんとの会話も楽しめるだろう。

女将「今朝捕れた堅田の諸子です。比良颪が吹く頃が一番美味しいどすえ」
旅人「ヘェ~、これがあの、その、かの諸子ですか!」
女将「そうどす!荒塩を振ってお食べやす!」

 女将の京言葉も気にならず、まず一匹丸ごとを口に放り込む。これが実に旨いのだ。さらに2、3匹と夢中になって食べる。その日から旅人は、諸子の大ファンになる。

諸子揚げどす荒塩でお食べやす

ああ、死ぬまでにもう一度、諸子を食べたい。それも滋賀のさざなみの諸子揚げならば言うことなしだ。

<5-5>寒鰤の全身公開です

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○寒鰤の刺身醤油を弾きけり     蓮見栄
○二三言云ひて寒鰤置いてゆく    能村登四郎
○寒鰤や男盛りを競ひ合ひ      食いしん坊
        *

 新潟に住み始めて日本海沿岸の魚文化の違いを学んだ。富山や金沢の鰤文化と新潟の鮭文化である。それぞれの地域の鰤と鮭にかける思いは、並大抵のものではない。今回はこの越中越前の寒鰤について考えることにしたい。
 まず鰤王国といわれている富山の鰤文化についてである。富山湾で獲れる鰤は、古来「越中鰤」と呼ばれ、今も最高級ブリの代名詞となっている。その中でも特に氷見の寒鰤といえば、東京の築地市場でも高値で取引されるブランド品である。
 かつて、富山湾で獲れた鰤は塩鰤に加工され、山道を越え、糸魚川や飛騨高山を経由し、遠く信州の山里にまで運ばれた。この、いわゆる「鰤街道」が示すように、鰤は沿岸から山間にいたるまで、各地の文化に深く溶け込んでいる。
 晩秋から初冬にかけて、富山湾では、雷鳴とともにシケに見舞われる。これが鰤の豊漁を告げる「鰤起こ(冬の季語)し」と言われる冬の雷である。この時期に富山湾沖で獲れる鰤は、最も脂が乗って美味しく、特に「寒鰤」と呼ばれて珍重される。10キロを超える鰤の精悍な魚体は、「富山湾の王者」そのものである。うっとりと見惚れるほどだと言う。
 また鰤は縁起の良い魚として、地域の人々の生活に馴染んでいる。成長によって呼び名が変わる出世魚として、珍重されている。富山では、成長によって呼び名がかわる。

「ツバイソ(コズクラ)」
「フクラギ」「ハマチ」
「ガンド」
「ブリ」

 などと、「ブリ」になるまでに3段階がある。
 また一般的には、大きさによって次のような名前で呼ばれている。

2キロまでをハマチ、
5キロまでをワラサ、
5キロ以上のものをブリ

 新潟は後者の呼び方が多い。
 さらに富山県の一部地域には、娘が嫁入りした年の暮れに実家から嫁ぎ先に鰤を贈る風習がある。これは嫁いだ娘への思いやりであるばかりでなく、鰤にあやかった、娘婿の出世を願う親の気持ちの表れでもあるようだ。

 富山の鰤はすべてが天然ものである。富山湾では、冬の厳しい海況条件や適地が少ないことから、鰤の養殖は行われていない。したがって、富山で水揚げされる鰤は全て天然魚である。これが「氷見鰤」のブランドたる第一の所以だ。
 冬の氷見沖にやってくる鰤は産卵前で、最も脂がのった状態で定置網にかかる。漁船では大量の氷水でブリを仮死状態にしてすぐに氷見漁港へ運ぶ、いわゆる「沖じめ」という方法が用いられている。その鮮度は抜群である。これが品質を売りにする氷見鰤の隠れた技なのである。
 この寒鰤の脂がのった刺身のキリッと締まった身の食感と、まろやかな深い味わいは、一度口にしたら忘れられない。ほかにも、照り焼きやカマの塩焼き、鰤の身やアラと大根を煮込んだブリ大根、内臓を使った煮なますなど、いずれも絶品ばかりが食卓を彩る。金沢の大見町市場では年末になるとこの寒鰤が店先に並び、鰤文化の異様な活気あふれる光景を眼にすることができる。

寒鰤の脂にすべる刃物かな

以上が富山(氷見)の鰤事情である。
 次は新潟の鰤事情をみてみよう。新潟は村上を中心とした鮭文化圏である。鮭の消費量は日本一で、鮭にかける思いは古来よりかなり強い土地柄だ。しかも佐渡では氷見よりいち早く南下してきた鰤が水揚げされる。
 しかし「同じ」鰤にもかかわらず、佐渡の鰤は、氷見ブリの6~7割の値段で売られてきた。東京卸売市場では、富山の鰤が1キロ当たり約2800円の値がつくのに、佐渡沖の鰤は約2100円(08年11月~09年2月)。新潟県水産課の担当者は「なぜ同じ脂の乗った鰤なのに、氷見で水揚げされると、高く売れるのか」と不満げだ。
 その氷見鰤に追いつこうと佐渡では、寒鰤の脂肪量を瞬時に測定する技術の実用化に全国で初めて乗り出した。佐渡沖でとれた寒鰤の脂肪量を測り、脂の多い寒鰤を選別、トップブランドとして東京の料亭などに売り込む狙いだ。
 鰤は、11月ごろに北海道から佐渡島沖を通って南下。産卵や越冬のために夏から秋にかけてエサを大量に食べ、脂質分が多く、おいしくなるといわれる。
 そこで県水産海洋研究所は、計測器で、脂が乗った高級鰤を選別し、佐渡鰤をブランド化する事業に乗り出した。果実の糖度を測る機械を活用し、しりびれ付近の脂肪を調べた。データを2年間集め、分析方法を確立。物質を透過しやすい性質がある「近赤外線」を利用し、わずか1.5秒で数値が表示できるようになった。
 佐渡市の市場に昨年、1台を配備。県内の料亭や東京の百貨店などからの注文があり次第、測定する。平均的な鰤の脂質分は5%(6~7月)程度だが、15%以上の大鰤(7キロ以上)を選び、「佐渡一番寒鰤」として出荷している。もちろん数値だけをアピールしてもブランドとして認知されるほど甘くはないが、まず品質確認から先を見通そうとする。
 「一番」は「氷見よりも先に水揚げされる」(研究所)という意味だ。初鰹ならず「初寒鰤」という作戦だ。このブランド化作戦ならうまくいくことだろう。何分にも日本人は「初××」が大好きだからだ。
 初導入の昨年は、63匹が売れたが、1キロ当たり最高3080円の値がつくなど効果は抜群だった。県水産課は「富山ほど鰤は食べないが、負けてはいられない。ブランド化して佐渡の漁師の所得確保にも努めたい」と、意気盛んである。

以上が寒鰤の基礎知識である。
 さっそく筆者もこの寒鰤に実際に触れることにした。近くの朝市で獲れたての、70センチメートルくらいのずっしりと重い寒鰤を手に入れ、早速三枚に下ろしにかかる。もちろん俎板からはみ出す大物だ。値段は一尾6000円である。財布が空になった。

朝市で買う寒鰤の二尺もの

 まず釜の下の部分を両面から恐る恐る、出刃の切れ目を入れる。さらに続いて腹に切れ目を入れて、割いていく。鰤の脂が出刃の切れ味を疎害してくるのがよく分る。
 次に釜を手で持ち、身から剥がしにかかると、腸がすっぽりと釜につながって身から剥がれてくる。後は背から出刃を入れて、骨に沿って三枚に身を分け下ろせば大方は終りだ。寒鰤の全身公開の瞬間である。これだけ大きな寒鰤を下ろすと、額から冷や汗ならず本物の男の汗が流れて出る。
 小骨を切り取り、片身は刺身に切りそろえ、大皿に盛り合わせる。こっそりと一切れ摘まんで、醤油をつけて口に放り込めば、口の中ではこってりと脂がのった肉片が、滑りながら歯茎を刺激する。ウッ!たまらない、この感覚。何かいけない事をしているような罪悪感が頭を過ぎる。薄切りした刺身は葱を挟んで食べるしゃぶしゃぶが思い浮かんでくる。これもたまらない!
 もう一方の片身は照り焼きや塩焼き用に仕立て、オーブンでじゅうじゅうと音を立てながらこんがりと焼くことにした。釜は血筋を除き、これまた塩をたっぷり振り、焼きこむのだ。これで鰤のスペアリブの出来上がりだ。
 残った腸や切れ端、骨は大根と煮込んで「ぶり大根」に仕上げる。これがまた絶妙の美味しさだ。
 寒鰤は、丸ごと捨てるところはない。雪国のお正月は「寒鰤が手に入ったぞ!」との会話から始まるといわれるがその気持ちがわかる。
一本の寒鰤が、あらゆるメニューに使い切られる生活の知恵と美味しさには脱帽する。

捨てるところなし寒鰤の腸を抜く

この鰤を捌いた日を、僕の「老い支度・独立の日」とすべく、早速家族と乾杯の食卓を張ることにした。企業戦士の鎧を割烹着に衣替えた瞬間である。男子厨房に立つべし。そんな気概を得た鰤捌きとなった。

3 スローでウオッチング(25)


1、2009年12月11日、夕方のテレビ番組に、新潟の伝統野菜と子ども達の活動が10分間ほど取り上げられた。「寄居かぶ」を総合学習として学ぶ寄居小と栽培農家の取り組みである。
  古町で子ども達が立ち並び、伝統野菜の復活を行き交う人々に訴える姿には、感動した。しかも子どもたちは生き生きとしている。農家の草野さんも駆けつけ、伝統野菜を作り続けることの大切さを痛感する。
  手前味噌になるが、「スローフードにいがた」の伝統野菜プロジェクトは、徐々に光りを放ち始めている。2年目が楽しみだ。
2、 誕生日に必ず自分の遺影を撮る人がいる。還暦を迎えた頃から実施しているという。
 明日の命もわからない自分の姿を残すためだ。「年々歳々、日々歳々、花同じからず」である。さて人生が完結する時には、自分がどのような顔をしているだろうか。さっそく真似してみることにした。
3、魚市場では、流通にのらない雑魚や珍魚がタダみたいな値段で売られている。数も少なく名前も知られていないから、飲食店では使いづらいのが原因。
  これに目をつけた業者が、数限定の日替わり料理として出したところ、これが大人気。地魚とは本来このような楽しみを持っている食文化だ。
 ならば新潟の各漁港の、規格外の地魚を使ったブイヤベースシリーズの開発はどうか。村上のブイヤベース、糸魚川のブイヤベース、両津のブイヤベースなど、それぞれが魚で競った料理ブランドで町起こししてもよかろう。
 その浜のしかも季節限定、数限定、先着順のブイヤベースならば究極の馳走となるのは確実であろう。ちなみにブイヤベースは南フランスの漁師料理だ。さっそく3月6日、ママ達15名を招いた料理教室を開くことにした。
4、スロー農園で収穫した葱を丸ごと焼いて、皮を剥いて、味噌をつけて食べた。これが実にうまい。うまいというよりも甘いと言ったほうが適切な表現だ。熱々と言いながら3本をペロリと平らげた。
 それから葱を見る目が変わってきた。新潟特産のやわ肌葱などは、見るだけで涎がでる(笑い)。シンプル イズ ベストとは身近にある。納得!
5、古町6番町に新潟古町演芸場がある。大衆演劇を毎日、午後と夕方の2回見せてくれる。観劇券は1500円で3時間たっぷり楽しむことができる。
 今月の舞台は座長・南條駒三朗で、舞台に登場すると「ざちょう!」「こまさん!」と、客席から掛け声が飛ぶ。
 贔屓する役者が登場すると、数人の高齢者がいそいそと舞台に近づき、役者の着物のたもとにお金を挟む。祝儀袋の人もいる。この阿吽のやり取りが実に世俗的で微笑ましい。
 ただし演芸場の経営は苦しいと聞く。大入りは月に数えるほどだ。今日も20名ほどの観客で空席がめだつ。それでも生き残りをかけて必死の興行が続く。
 舞台が終わり外に出ると、カラフルな衣装をまとった役者が客等を見送る「送り出し」が始まる。すると暗い感じの古町アーケード街が「パッ」と華やぐ。公演は1:00の部と6:30の部がある。予約なしでもOKだから、ぶらりと立ち寄ってみたい。忘れかけたスローな時間を思い出すだろう。

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